怒れる主
――――夜の静寂がざわざわと揺らめく。
街はいつも以上に死の匂いを孕ませている。
この世の物でない怒りが近づいて来ているのだ。
自らのねぐらにある宝物を奪っていった愚かな人間を呪い殺すように、この町の主たる闇が長い舌を這わせて逃亡者を追いかけてくる。
「!」
――――誰の許しを得て、ソイツを奪っていった?
恐怖は自然界の全ての物を飲み込み、震えあがらせながら、台風のように荒れ狂う。
大自然の脅威の前に、矮小な人など容易く飲み込まれてしまうだろう。
アレはそんな化け物だ。
抗うことなんてとても出来ない。
化生……。
人間は自然を自分たちで支配しているように見えて、その実人間たちの方がそれに翻弄されている。
これまでの歴史がそうあるように、人は自然と寄り沿って生きるしかない。
なんとかしようと思うこと事態がそもそも不遜なのだ。
なればこそ我々人間に出来ることは荒神の怒りをただただ怯えて祈り、過ぎ去るのを待つしかない。
人はけして自然には抗えないのだから。
もし不遜にも抗おうものなら、愚かな人間は公園の砂山のごとくあっけなく吹き飛ばされ無様に散っていくだけだろう。
そして今晩の生贄は、私たち……。
―――――ふふふふふふふ……。
風音に笑い声が混じる……。
この世の物とは思えないおどろしい気配を漂わせ、狂気の権化たる風がぼそりと告げる。
―――――罪深き人間よ、我を侮りその深淵から禁忌を奪った罪、甘んじて受け入れよ。
「!?」
―――――フッと、空気が揺れたのと同じく、何かが真横を通り過ぎて行った。
驚き振り返ると、そこに彼女は立っていた。
全ての咎人を裁く、裁きの女神の顔を浮かべて。
「彼はどこ?」
彼女は感情のない声で、一言それだけを告げる。
私は洞穴の壁を背にしながらそんな彼女に向かい立つ。
ここにいるのは私たちだけだ。
彼は既にこの先の結界に身を置いている。
位置がバレることはしばらくないだろう。
「………………………」
彼女はしばし私を眺めるとスッと目を閉じて、髪をかき上げる。
彼女の身じろぎに応じて辺りの空気が僅かに震えた。
「驚いた……。
彼が珍しく自分の意志でいなくなるものだから、何事かと思ったけど……。
そう……。あなたが手引きしてたのね」
生気のない乾いた声。
俗世のことに何も感慨を抱いていないように、女は目の前の事実を淡々と読み上げ受け止める。
声音は鈴のように綺麗なのに、温度がない。
目の前にいる私のことさえ見ているのか判らない。
「………………っ」
「おかしいわね……。何でかしら?
あれほど他人を信用するなと言い聞かせたのに、まだあの子ったら抵抗の意志を見せるんだ。
ふふふ……、おかしいの」
彼女が笑う。そのたびにズズズズズズズ……と、空間が揺れる。
空気の震えは彼女の怒りを表しているようだった。
女は一頻り笑うと心底がっかりとした表情を浮かばせ、あからさまに溜息を吐く。
そしてようやく私を見た。
その顔が告げる。
「どうして?ねえ、どうして?」、と。
「あなたにはその答えが解るの?」、と。
節目がちに覗いた目がつぶさに私へと訴えかける。
「…………ぐっ」
私はそのとてつもないプレッシャーに息を呑み、静かに刀に手を添える。
「困った子ね……。本当に私を困らせることしかしない。
……フフッ。でも、そこがまた可愛いんだ。
あの子が私を避ければ避けるほど、どこまでも追いかけたくなってしまう。
この感情、何て言うんでしょうね?
恋?愛?
フフフフ…………」
何故だろう。あの時と雰囲気がまるで違う。
ここまで感情的にモノを言うタイプじゃなかったのに……、今はどす黒いまでに邪気を感じる。
私の知らない間に一体、何があったというのだろう?
今の彼女は自分の鬱憤を他者で晴らすために暴れる狂人。
暴風のように目の前にある対象を飲み込み、激しく周り全てを破壊しつくす。
彼女の性質は本当に自然のように移ろいやすく、気まぐれなのだろうか?
前は見えない怖さがあったが、今は目に見える形で恐怖がある。
怖い……。
見えるから余計に怖い……。
今の彼女が感情のままに表情まで変えたら、一体どれほどのプレッシャーを身に与えるだろう。
考えただけで恐ろしい……。
「さあ、鬼ごっこはもう御終い。
いるんでしょ?そこに」
くいと虚空を見つめる彼女。
その視線の先でビクリと物陰から気配が震える。
彼の怯えた心情が音となって聞こえたのだろう。
(マズイ……!)
私は彼を守るように身体を滑らせ、道を塞ぐ。
「……呼んでも無駄よ。彼はあなたとはもう会わない。
彼は私を選んだのだから」
「……………………」
私がそう言うと、女は表情を消す。
その顔に動揺しながら、続けて私は言い放つ。
「彼はね、あなたとはもう会いたくないの。
だから何度追いかけても無意味よ。
あなたは彼に捨てられたのよ」
「……どの口がそんなこと言ってるのかしら?
私が聞きたいのは彼の答えだけよ。
あなたの意見なんて聞いていないの」
彼女は彼から視線を変え、私を睨む。
その表情は能面のように白く、狂気的に目を光らせている。
視線にさらされただけで、魂が竦み上がりそうだ。
ビビる私を見て女は、フンと鼻を鳴らす。
「私は忙しいの。これから色々問題を解決しなければいけないのだから。
邪魔すれば殺すわよ?」
そう言って女はすう……と、緩やかな足取りでこちらに向かってくる。
手には何も持ってない。
服装も散歩に出たような身軽な風体で、何でもないようにただ歩いてるだけ。
こいつは私の携える刀さえ見ず、私の事を道を塞ぐ矮小な虫のように意識から切り離している。
それだけ自身の力に絶対の自負を持っているということか。
「……っ!」
私は足場を確認するように地面を踏みしめると、ザザッと腰を落とす。
考えるな。今は目の前のことに集中しろ。
それ以外、何も意識するな。
心を限界まで研ぎ澄ませ、刀を振る機械のように徹しろ。
またあの屈辱を繰り返したいのか!
「……………ふぅっ」
左指で持ち上げた鍔から僅かに刃を覗かせる。
刃が姿を現すのに合わせるようにひんやりとした殺気が洞窟内の温度を下げる。
形が在ろうが無かろうが関係ない。目に映る化生は確実に斬るのみ。
鏡のように研ぎ澄まされた刃は、いかな化生とて封じ込め斬り飛ばす。
どれほど姿形を変えようとも、この刀に写れば真の姿を曝け出さずにはいられない。
私がそうして居合の構えで彼女の動きを待っていると、彼女はふと止まり顎に指をあてる。
「あら……。今度は黒くならないの?」
「……今はそんなことする必要ない。この姿で十分だ」
「そう、残念。ちょっと楽しみにしてたんだけどね」
くつくつくつと、おかしそうに笑う彼女。
前の私の醜態を思い出したのだろう、薄笑いを浮かべていた。
「つまらぬ言葉で戦いを濁すな。お前の挑発には乗らない」
「強がっちゃって……。死んでも知らないわよ?
その姿だと生身の人間と変わらないんでしょ?
痛めつけるつもりが、あっさり殺してしまっては、私もここまで来た楽しみがなくなるんだけど?」
「…………………」
「……ふ~~ん」
彼女は前髪に指を這わせ、さらりと流す。
手慰みにした動作は優雅で、それだけで見る者を惹き付ける。
こんな些細な仕草の中にも人の心を操作する精神誘導があるのだから、少しも視線を逸らせない。
あのしなやかな指は女の武器だ。
……いや、指だけではない。顔も胸も人を惹き付けようとする艶やか肢体そのものが、彼女の幻惑。
見えるモノにだけ囚われるな。
あの女の真性はあのようなモノではない。
「化けの皮を現せ!人の心に巣食う悪鬼よ!
それがお前の姿ではないのは分かっている!
お前の罪状は全て調べは付いているんだ!
私を相手にして正体を偽れると思うなよ!」
「……本当に、つくづく失礼な餓鬼ね。
鬼はあんたの方でしょうが。
あんたこそ、いいかげん本性現せば?
そうすれば夕だって、あんたに肩入れしたいなんて思わなくなるし。
こちらとしては都合良いわ」
「戯言を。相手を否定することで信頼を得ようなんて、そもそも狡賢いのです。あなたは。
愛が欲しいのなら、自分の誠意で示しなさい!
作り物の形並べて愛を語るなど、笑止!
そんなまがい物では一生想い人の心は得られないと知れ!」
「……………………………」
瑛子は私の言葉にムッとした表情を浮かべると、自分の心を落ち着かせようと目を閉じる。
どうやってこの生意気な女を黙らせてやろうか、大方そんなことを考えているのだろう。
そしてそんな思考すらも無意味と感じたのか、彼女は「不問ね」と目を開ける。
「彼の意思がどうとか、私の気持ちがどうとか、正直そんなことはどうでもいいの。
私はただ彼を愛したいだけだから。
それ以上の意味など持ちようがない」
「…………なに?」
「彼はね、私の物なの。
自分の所有物を盗られて憤慨しない者はいないでしょ?
奴隷や家畜と一緒。
だから取り返すの。それだけよ」
「……な」
「その後のことはその時に考えればいいんじゃない?
愛でたければ愛でるし、飽きちゃったら捨てる。
不満があるとすれば……、そうね。
私の思い通りにならないすべてが不快ね。
連れ出したあなたも、逃げて行った彼も。
私の物にならないモノに一体なんの価値があるのかしら?」
「………………………」
言葉が出ない。むしろ理解できなかった。
そんなことを平気で宣える奴が本当にいたことが。
そんな奴がこの町を支配化に入れてることが。
なんて理不尽。なんて傲慢。
べらべらと得意げに話すこいつの声を聴いていると頭がどうにかなってしまいそうになる。
もう、そんな戯言聞いていたくないとばかりに私は心を閉ざし、聴覚を遮断した。
そして、刀の柄を握りこむ。
少しでも女の善意を信じようと思った私が馬鹿だった。
こいつに人への愛は無い。ただ生者の心を弄び、虐めるだけ。
こいつが……こんな奴がいるから世界は、人は、幸福になれないんだ!
私は自分本位に生きる悪を許さない。
認めない――――!
腰に帯びた刀から、キィィィィィィィィィィと、殺意の波動が生じる。
こいつも怒っているのだろう。
自分の意思を主張するように、私に斬れと命じる。
「お前は……そこまで堕ちたか」
生まれて初めて起こった明確な殺意。
私はこの世で始めて殺したいと思える敵と出会った。
柄を握りこむ指はこれ以上ないくらいに強く、相手を殺すためだけに構えられる。
ためらいの余地などあろうはずがない。
彼が止めたって、私は彼女を殺す。
犠牲になった者は数知れないのだから。
「咎人は、お前のほうだ!化け物!
この街に生きるモノの怒りを知れ!」
踏み込む一歩は速やかに、滑る刃は疾風。
二人の間に伸びた20Mほどの間合いを意とも介さず踏み越え、私の渾身の居合いはこれまで以上に滑らかに闇を滑空する。
本来届きえない距離を、少女の技術が可能にした。
瞬間、ジャキィィィィィィィィィィィィィンンンッッッ!!と、金属のぶつかる甲高い音が洞窟内に響き渡った。
間違いなかった。踏み込みも、タイミングも、確実にあの女の首を捉えていた。
今まで以上の手応えを持って、振り抜いたのだ。
もしそれが届かないというのであれば、それは、横から現れた第三者が邪魔したに他ならない。
「……円藤っ!?」
「……功刀っ!!」
そう、現れた人物は私の職場でよく見る同僚だった。




