奪還
満月がその姿を雲で多い隠す頃。マンションから彼が抜け出してきた。
「どうやら、合図は届いていたようですね?」
「……うん」
頷く彼の顔は翳りが多く、なんだか前以上に憔悴している。
中で何かあったのだろう。事情は語らないが、その顔が家で起きた出来事を悠然に物語っていた。
彼は戸惑う私を見て、急ぐように語る。
「とりあえず、ここを離れよう。
姉さんが戻って来る前に」
「ええ。では行きましょうか」
弱った彼の身体を気遣いながら、私達はその場を速やかに移動する。
彼は歩いている間終始無言だった。顔色は相変わらず悪く、命の灯火も希薄に感じる。
私の歩幅に合わせて歩く時も、ふうふうと息を吐き、額に脂汗を浮かばせながら今にも倒れこみそうな様相を浮かべている。
「大丈夫ですか?」
「ううん……。ごめん。大丈夫。心配しなくていい」
彼は私の気づかいを手で制し、先を急ぐ。
膝に手を当て引き擦るように地を這う彼を、私は横に並んで冷静に伺い見る。
その様子は至って人間。体温も、心も、魂も、これ以上ないというほど人の在り様を現している。
彼女が模しているというわけではないようだ。
そも贋者がいると認識させた時点で、私を騙すことなど出来はしないのだが。
私はそんな彼を見てふと思いついたように提案する。
「……新宮君。ちょっと待って下さい」
彼は私に呼び止められ、何事かと私を見返す。
私は彼の眼前でスッと手を上げると、その指先を彼の顔へと突き出す。
私の手が彼の頬に触れる。
瞬間、ビクッと彼の身体が戸惑うように震えた。彼は恥ずかしそうに、その手の動きを視線で追う。
指は頬から下って、彼の顎から、首筋、肩、胸へと順番に滑り下りていく。
私は手の平を胸に当て当てながら静かに命の脈動を確かめる。
「…………………………」
トクントクン……となる鼓動。
微弱だが、確かに人の形がそこにある。
私はすうっと息を吐き、手を彼から離す。
「いいですよ。もう」
「……なんだったの、今の?」
彼は茹で上がりそうなほど顔を赤く染めながら、私を訝しむように問い詰める。
「おまじないですよ。あまりにもあなたの魂が弱弱しかったので。
少し生命の筋を刺激し、活動を促したんです」
「……へぇ。そんなことも出来るんだ」
彼は感心したように頷く。そして知らない知識をくれた私にパアっと表情を緩める。
「ありがとう」
心の底からそう言ってくれてるのだろう。なんて無垢な瞳。
そんな目で見られたら、何だか私まで恥ずかしくなる。
「いえ……。別にたいしたことじゃないですから」
久方ぶりに感じる、人間の感触。
そういえば、私が好きだったのはこんな顔していた人だっけ。
私は遠い記憶をさかのぼるように、当時の記憶に思いをはせた。
これで彼が本物だというのが分かった。
あのマッサージは人にとっては心地よい感触だけど、人ならざるモノにとっては自身の急所に触れる刃物も同じ。
嫌悪感しかないその接触に、ヤツ等魔の者が何の反応も見せずにいられるわけがない。
もし少しでもおかしな挙動を取ろうものなら、彼女よりも速く、その筋ごとこの指で致命傷に至らせていた。
あまり好ましくない相打ちの図だが、それでも彼が贋者かもしれない不安に身を置くよりかは何倍もマシだ。
最悪裏切られ、後ろから斬り伏せられでもしたら両親に顔向けできない。
彼は身体を軽くしたように、体調を持ち直す。
簡易なマッサージでも彼にとっては効果抜群だったようだ。
気持ちが半分、効果が半分ってとこだろう。
彼はなんでも人の話を信じる。
騙されるということを知らないのか、無防備に他人に心を曝け出し、執拗に疑問をぶつける。
そうすることが楽しいのだというように。
世の中の疑問を一つ解決するごとに彼は嬉しそうに笑った。
なんて幸せそうな顔して、世界を見ているのだろう。
これから先に広がる未来に不安も絶望も抱かない、そんな感じだった。
……でも、私は知っている。
これは彼の虚勢だ。
彼は彼女ほどではないにしろ、世を捨てて生きていることは確実なのだ。
だからその真意に触れる者や、自分の世界を壊す者を極端に避ける。
世界はキレイな虚構のまま、キレイに在り続ければいい。
そう願うかのように、人の綺麗な部分だけを見つめ続けている。
その目は幸せだけを映す盲目。その他一切の穢れを映さない。
知りたいくせに、知りたくない。人恋しいくせに人を寄せ付けない。
とても歪な形容しがたい脆さを孕ませた彼に、私は何も触れられないまま、私の用意した隠れ家へと先導していく。
もうきっとこれが最後になるかもしれない。
そう思い、私は心の中で彼に告げる。
―――ごめんね。今日、あなたの幻想壊すかもしれない……。
「……………」
彼は何も言わない。聞こえてないとばかりに前ばかりを見据えている。
この先にある輝かしい未来を信じて。
彼はけして過去を振り返らない。それはこれからも同じだろう。
これからも彼はずっとそうして、都合の悪い現実を切り離し、優しい嘘ばかり信じて生きていく。
……………………。
私は同類を憐れむ気持ちで、彼を見送った。
――――壊れた者を愛せるのは、同様の壊れた者しか出来ない。
彼女のセリフだったか。
魔とは元来人の負の感情を好む存在。
人間社会では生きていけないイカレた狂人も、魔にとっては大好物な玩具だ。
ならばきっと、彼の狂気を包み込めるのは彼女しかいないだろう。
それが歪つな者たちが、長い人生の中で学んだ教訓。
彼女は間違いなくここにいる彼を愛していたのだ。
それが人でいうところの愛情かは別として……。
道中で彼からこれまでのことをいくつか聞いた。
彼女に再会した時のこと、名前、学校でのこと、私と別れた後の事。色々。
やはりというべきか、ここ最近の異常は彼女がもたらしたことのようだった。
彼女、瑛子は日夜近所を徘徊し、誰とも知らぬものを毒牙にかけて、精神を食らっていた。
街を覆う瘴気も彼女が作り出したもので、あそこ一帯は彼女のテリトリーと化していた。
彼自身はその力が何なのか知らないようだった。
ただ、彼女が不思議な術を操り、人を操作しているところは何度もその目で見てきたらしい。
故に彼は彼女を恐れ、毎晩震えるように膝を抱えていた。
逃げようと思ったことは何度もあったようだが、その度に怖い思いをして断念したとのこと。
無理もない。あれだけの邪気を持った存在だ。
逃げたところで簡単に捕まるだろう。
抵抗したところでその意志すら壊し、精神を陥落させる。
それこそ年若い少年の精神を陥れるなど、あの女怪にとっては造作もないことだったろう。
そうして何度も彼を追い詰め、抵抗する意思すら奪い、支配していった。
彼の様子を見る限り、犠牲になった人間の数は百を軽く超えるだろう。
私も軽く街の様子を見たが、その浸食度合いは目を見張るほどだった。
あの規模を包み込む瘴気の範囲と、人を操る力……。
一体どれほどの人間が犠牲になったのか、考えただけで恐ろしい……。
強い強いとは思っていたが、まさかこれほどとはな……。
今まで戦ってきた怪異と比較しても、段違いに強いのは間違いない。
果たして私にあの怪物を祓えるのだろうか……。
否、祓えるかどうかではない。祓うのだ。
その為にここまで来たのだ。
今更出来ない時のことを考えても仕方がない。
私は奮える気持ちを抑えるように、ギターケースを握りこむ。
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やがて我々の足は当初の目的通り私が仮拠点にしている洞穴につく。
私は内部の様子を軽く確認し腕時計で時間を確かめると、新宮君へと顔を向けた。
「確認をしておきます。新宮君。
私にこうしてついて来たということは、お姉さんのことに決心がついたということでいいんですね?」
「………うん」
「本当にいいのですか?彼女はあなたの大切な人なのでしょう?
それをこんな形とはいえ、害してしまうのですよ?
後悔はないのですか?」
「……分かってる。けど、もう仕方がないんだ。
あの人にはもう、僕の言葉が届かないから……。
これまでも何度も止めてと言ったんだ。それでも彼女は変わらなかった……。
そればかりかどんどん酷くなっていった。
僕の為僕の為と言って、毎晩怖い話で僕を脅して関係ない人を傷つけるんだ……っ!
これ以上、あんな彼女を見ていたくない!
身内だからこそ、変わってしまった彼女を止めてやりたいんだ……」
「……そうですか。
ですが、私が出来るのは介錯です。
あなたがどのような決着を望んでいるか知りませんが、私に出来るのはこの刀で処断することだけです。
安易に手錠で掴まえて警察に突き出すとか、そんな綺麗な終わり方は出来ませんよ?
本当に構わないのですね?」
処断という言葉にビクッと肩を震わせる新宮君。
それでも彼は口を噛み締め、苦し気に頷く。
「せめて君の手で楽にしてあげてくれ……」
正直彼がここまで言うとは、意外だった。
てっきり前の時のように穏便に解決とか言って渋ると思ってたのに、私みたいな胡散臭いモノに助けを借りるなんて。
余程彼女から怖い思いをしたのだろう。
けど、それならそれで好都合。
ようやくこの手で、前回の汚名を払拭する機会を得られたのだ。
誰にも邪魔されてたまるか。
彼から了承を取れるかだけが心配だったが、その憂いがないのなら全力で挑めるというもの!
「……………」
それから私はいずれ来る戦いに備えて、彼に避難の説明と簡単な洞窟内の地図を渡した。
戦闘中どこに潜み、その後どう行動を取るべきか、その概略を伝える。
私たちの戦闘の邪魔にならないよう、彼には出来るだけこの場から離れていてもらわなければいけない。
この洞窟は組織の管轄だけあって、人の出入りはない。
激しい音が鳴っても外部に漏れることはなく、神秘が漏れる心配はない。
仮に私が敗れたとしても、隠し通路から彼が外に出られるだろう。
無論、その為の時間稼ぎは私が引き受けるつもりだ。
もしもの場合も私の所属する組織が彼の身柄を保護するよう、連絡も済ませている。
あそこなら彼女の魔の手が及ぶこともないだろう。
久しぶりに連絡を入れたが、教官かなり怒ってたな。
有無を言わせず帰還命令を出されたが、そんな命令聞いてる暇はない。
私にとって一番重要なのは武人としての誇りを取り戻すこと。
敗残兵がおめおめ帰ったところで出来ることなど何もない。
組織が求めているのは戦える兵士なのだから……。




