敗残兵の行き着く先
戦いに負け、ふらふらと亡霊のように街を徘徊する。
顔色はすっかり生気を失い、やつれてしまっている。
放心状態の中、どこをどう歩いてきたのか。直近のことさえ憶えてない。
気づくと、私は馴染みにしている診療所の前へと辿り着いていた。
身体の傷もあったためか、なんの気なしに室内に入る。
ここの狂った空気にあたれば、少しは以前の自分を取り戻せるのではないか。そんな、ささやかな楽観もあったのかもしれない。
出迎えた彼女は、私を見るや否や、いかにも機嫌悪そうに眉を顰める。
だらしなく白衣を広げながら、デスクに肘をついて無愛想に応対する彼女。
ふと見ると、その身体にはいくつか包帯が巻かれている。
首や腕や足など、他にもなにやら細かい傷や痣がいくつも蓄積されていて、痛ましい惨状となっていた。
「今頃のこのこ、やって来たか。
……しけた面して。まあいい。そこに座れ」
そう言って彼女は診療ベッドを指差す。
私はその指示に流されるまま、移動する。
衣服を脱いだ私の背に、女医は闘魂とばかりに張り手を食らわせる。
そしていつものように手荒っぽく、治療を開始していった。
「どうしたんだ、その傷は?」
私はさっきから気になっている、傷の事を指摘する。
「ん……ああ、これか。
まあ……いろいろあってな」
話せば長くなると前口上を垂れ、彼女はぽつぽつと真相を話していく。
もったいつけた割には、どうでもいい内容だった。
先日私が渡した死体を彼女が面白がって悪戯して負傷した。ただそれだけのこと。
それの何が面白いのか、ケタケタと楽し気に彼女は語る。
「……ったく、お前もとんでもないモノを押し付けてくれたもんだよ。
あんな手の付けられない死体を診たのは初めてだぞ。
少し瓶から取り出しただけで、さんざ暴れ腐りやがった」
「出したのか?」
「ああ。少し気になってな。
あんまり目障りなんで、動けないようにピン止めしてやったよ。
これでもう動き回ることもないだろう。人間様を舐めるなっての」
カッカッと快活に笑い、奥の部屋にいるそれに目線を向ける。
見なくても、その光景が頭に浮かび上がってくる。
私は呆れたように苦笑する。
「どうしようもないのはお前の頭の方だ」
「褒め言葉として受けとっておこう。
気の利かないセリフだが、私がオカしいのは私自身よく知っているからな」
ほれ、と背中をバシバシ叩いて、完了の合図を示す。
「痛いだろ!クソ医者!」
「それだけ悪態吐ければ問題ないな」
そのまま彼女は私を素通りし、いつもの椅子にもたれかかる。
そして私の顔色を伺い、再び不機嫌に顔をしかめた。
「まったくなんだそのザマは。
魍魎相手にも恐れず駆け回る殺人機械のお前が、そんな傷ぐらいでこの世の終わりみたい面しやがって……。
私と殺り合う気がないのなら、とっとと帰れ!」
彼女は忌々しそうに舌打ちをして背を向ける。
今のお前なんか相手にしてもつまらんとばかりに。
そうしてさんざん皮肉を言った後、彼女はそれ以上何も語らなくなった。
いいかげんな気持ちでここを訊ねてきた私に対し、怒ったのだろう。
何だかんだで、彼女は私とのやりとりを大切に感じてくれてる。
ちょっとした愚痴にさえ反応出来ない私に張り合いがないと感じるのは仕方ないことだろう。
全て私の弱さが悪いのだ。
「…………」
私は腰を上げて、出口に向かう。
振り返ると、彼女はぶつぶつと文句を垂れながら、頭を掻いていた。
扉を潜り、見えなくなった私の背に彼女が声をかける。
「落ち着いたらまた来い。その時は話を聞いてやる」
彼女にしては珍しく他人を気遣ったセリフだ。
私は知らず吹き出し、診療所を後にした。
らしくもない。
異常が正常なことを言うのだから、これはどうやら本当に狂ってる。
どうやら刃を捨てて、心まですっかり失くしてしまったようだ。
今の私はどこにも立たず、この世に醜くしがみつくだけの亡霊。
生きてる者には、ただ目障りなだけの苦悶の権化だ。
ーーーーーー
それからどこに行っても門前払いをくらい、私の居場所なんてこの世のどこにもないと知った。
自分でも分かっている。
あの場所こそが私の生きる世界であり、あの刀がそれを支えるプライドだったのだと。
もし自分を取り戻したいというのであれば、いつまでもそこから逃げていては駄目だ。
武人として生きるのならもう一度魔女に立ち向かい、あの時の雪辱を晴らすべきだ。
さもないと、前の日常なんて一生戻らない。
戦士は自分を打ち負かした者をそのままにはしない。
生きてる限りはその者を追いかけ続け、勝つまで執着し続ける。
それが戦うものとしての心のありようだと、口が酸っぱくなるほど先達から何度も学んだ。
もう一度組織の敷地を踏みたければ、アレを討つしかない。
もう弱音は吐けない。私が負けたことは変えようのない事実だ。
それを認めた上で自身の失態を帳消しにしなくてはならない。
でなければ誰も私を仲間だと認めてくれないだろう。
自分の身一つで絶望という地獄の中から這い上がらなければ駄目なんだ……。
「……………………」
こればかりは誰も頼れない。
自分でどうにかしないと。
弱い自分を克服し、あの自信があった頃に戻らなければ話にならない。
そうして記憶を頼りに私はおぼつかない足取りで公園に向かった。
ーーーーーーー
そこにソレはあった。
誰の手にも触れられず、記憶にある当時そのままの姿で変わらずそこに佇んでいた。
私は言葉を失ったように固まると、ふらふらと惹きつけられる様にソレへと吸い寄せられていく。
小走りしたくなる心をグッと押しとどめ、一歩一歩慎重に目の前にある物に近づく。
そしてやがて私はソレと対面した。
整然と地面に突き刺さった刀。
近くで見下ろすソレは先の戦いを得ても刃こぼれ一つなく、まるで新品のように冴え渡っている。
白く曇っていたなんて、まるで嘘のようだった。
そうだ。この刀は何も変わらない。何にも染まらない。
曇って見えたのは当時の私の弱い心が見せた幻。
挫けたのは私であって……こいつではなかったのだ。
「……空蝉」
それは私がこの刀につけた銘だ。
この刀に作者がつけた銘はない。
通常刀とは打った後に刀工から銘を切られるものだが、この刀を作った刀工はそのあまりの出来栄えに銘を残すことさえ躊躇った。
これは無銘だからこそ良い、下手に銘を付けて形にすれば固定されてしまう。
そう言って神社に奉納し。どこにも手放すことがないように頼んだのだとか。
だから、これはこれを持つ者が言い易いように好きに呼べばそれでいいのだと、神主だった父が教えてくれた。
「待っていてくれたのか、空蝉……。
こんな私のことを、そこでずっと……」
「……………………」
刀は語らない。刀は所有者に振るわれることで初めて自身の意味を得られる。
なればこそ、早く取れと急かすのみだ。
「そうか……」
私は刀に謝るように頭を垂れ、ゆっくりとその柄に指を触れる。
数時間だけだというのに、まるで久しく持っていなかったみたいに手に重みを感じた。
私はそれを両手に持ち変え、静かに正眼に構える。
なんて見る者を威圧し、妖しく惹きつけるのだろう、コレは。
これほどの想いの結晶を私は知らない。
こいつに比べれば私の方がよっぽど小物だ。
ソレは意志を持ったように私に呼びかける。
―――己が技量を、自分に示せ、と。
「……………………」
そんな言葉に追い立てられるように、私は前方を見据え、静かに腕を振り下ろす。
……シンッ。
刃は私の腕の振りに従うように夜の空気を斬り裂き、静かに闇夜に煌いた。
白い残像をかすかに遺して。
「……………………」
静かな感動があった。
あれほど豪快に鳴っていた刀が、今は空気の摩擦音一つ立てず静かに世界に融けている。
これこそが本来の使い方だといわんばかりに、余計な抵抗のない、透き通るような一閃を私に与えた。
私はしばし目を開くことを忘れ、最初からそうしていた熟練の達人のように、粛々とその手応えを実感していく。
力など要らなかった。
余分な力みこそ、この刀にとって無駄。
斬るのは最小限、最速の一斬でいい。
あらゆる無駄を省き、最も効率的な力の運用を心がけることで初めて心技一体を成し遂げられる。
そうすればわざわざ標的を”斬る”など無粋なことをしなくとも、透くような一閃で邪気を”掃う”ことが出来るのだ。
それもこれも雑念のない無我の境地があってこそ。
相手の姿ばかりを追っていたあの当時の私ではこのような神業は出来なかっただろう。
見るのは相手ではなく、己自身。
この刀はそれを教えてくれる。
「……………………」
果たしてこいつを妖刀などという言葉で括って良いものか?
こいつの出自は確かに血に汚れているが、その心は純粋。
制作者に望まれ作られたからこそ、このような芸術的な技を生み出せる。
悪いのは武器ではない。それを扱う人間なのだ。
私は手の中で月光を浴びながら益々冴えわたる刃を見て、この刀が辿ってきた数百年に及ぶ歴史を垣間見た。
ソレは恍惚とする私に静かに語りかける。
もうけして手放すな、と。次は俺がお前を守ってやる、と。
私はそんな聞こえるはずのない幻聴を聞いて、「ふっ……」と静かに苦笑する。
「……そうだよな。お前は誰より贅沢に出来てるんだった……」
彼の妖刀は持ち主を選ぶ。
自分を使いこなせる相手の前にしかけしてその姿を見せない。
これがこの場所で誰にもとらせず放置されていたのも、現在の主である私を待ち続けていた為だ。
「……………………」
もう私たちの間に語るべき言葉はない。
刀は主の下へ戻り、少女は武人の魂を取り戻した。
ならば、次に赴くべき場所は戦場……。
私はそうして心に芽生えた静かな闘志を燃やしながら、自分を鍛え直すために遠い故郷の地を目指した。




