生か死か
「……っ……」
……やられた……。
最初の一撃で、彼女を確実に仕留めるべきだった。
なんてことだ……。彼女は油断などしていなかった。
初めから私を敵と認め、全力で屠るように着々と罠にはめていたのだ。
それを私は強者の余裕と取り違え、己が高揚のままに彼女を叱責した。
彼女を舐めてかかっていたのは、むしろ私の方だ。
「……づうっ……、ぐぅぬ……っ」
だが、気づいてももう遅い……。
私が必死に霧に抗おうと刀を振り回しても、その切っ先は彼女どころか、影さえも捉えられない。
初めてこの霧と向い合った時のように、するりと滑って虚空を薙ぐだけだ。
彼女の存在なんて初めから幻だったとでもいうように、すうっと目の前からいなくなる。
気づけば、また後ろの方で現れて、くすくすと含み笑いを浮かべていた。
届くのに、届かない。
さっきまであんなに肉薄出来ていたというのに……、なぜこんなに遠いのか?
「……くっ!」
私は後先考えず、彼女の気配を追うまま駆け出す。
惑わされてはいけない。
目の前の敵を斬ることに集中するんだ。
たとえ刀が使い物にならなくとも、この拳で、爪で粉砕する。
そう気合いを入れ、体中の力を一点に集中させるように、目の前の敵に殴りかかる。
……しかし、そこでふと過ぎる。
目の前にいるのは本当に彼女なのか、と。
別の何かではないのか?
辺りは霧や幻だらけで何者も判別がつかない。
迷いは混乱を生み、次第に自分のしていることが正しいのか分からなくなってくる。
今の自分は傍目に見て、どう映るだろう?
理性無い化け物と相違ないのではないのか?
そうして気づく。自分の醜い姿に。
顔は般若のように厳めしく、眼光は獣のような赤色。
その姿はまるで、昔話に出てくる悪者そのものではないか?
悪を断罪するどころか、自分こそが周囲の敵意の的。
こんな自分のどこに、正義が存在するだろう?
魔女は少女の堅く守ろうとした信念さえ、獣の本性として塗りつぶしてしまう。
「……くぅっ!」
彼女は戸惑う私を見て、クスクスと愉快に嗤う。
「そうよ。そのまま憎みなさい。怒りなさい。
この世にある悪全てを呪い、正義の名のもとに破壊しつくしなさい。
それがあなたの本性よ。
力とはその為にある。力あるものが正義なのよ」
「黙れ!」
その囁きは、魂に直接訴えかけてくるようだった。
聞くたびに、私自身の精神が狂わされていく。
見れば、目の前にある人影は魔女ではなく、別の誰かの形容をしているように見えた。
そいつが突然、私に殴りかかって来たので、私は自分を守るために反射的に斬り付ける。
幻は斬撃でブンッと消え、代わりに私の胸にチクリとした罪悪感を刻んだ。
なんだ……、今のは?
今になって思うと、あれは遠い日にいなくなった自分の両親ではなかったか?
それは父の姿だけではなかった。
親戚や兄弟、クラスメート、果ては私の仕事場にいる同僚の姿をしているものまでいる。
その霧は、私の心を投影するように暴言を吐きながら、私の周りを囲んでいた。
(ふざけた真似を……。)
心で私はそう愚痴を零す。
幻と分かっているのに、この内に真に迫るような現実感はなんだ?
刀を振るたびに自責の念に囚われ、その業は霧を消すたびに私の中へ入り込んでくる。
生か死か。
さっきから繰り返されるのは、そんな命の二者択一。
自分の生存のために相手を殺し、終わりなき選択を迫られる。
恐らく、最後の一つになるまで、あらゆる可能性を潰させていくつもりなのだろう。
時に幻は記憶として、私に過去の映像を見せた。
最初に浮かんだのは夜の世界。私を包み込む、情け容赦のない濁った現実。
皆が何気ない幸せを飽食している中、私は夜の街を疾駆していた。
なんて道化なんだろう自分は。
こんなことを続けることに対し、私は胸の内で自身を嘲笑う。
だけど私はこれ以外の生き方を知らないのだ。
そんな言い訳をして今日まで執行者を続けてきた。
――――やめろ。
次に浮かんだのは学校の中。仲間に囲まれ楽しい団欒を満喫しているはずなのに、私の心はいつも空虚。
仲間のふざけたような笑いについていけず、乾いたような笑みを張り付かせてそれに合わせていた。
そうして道化を演じていれば、いつか自分も彼女らの仲間入り出来るのだろうと信じて。
けど、どんなに取り繕っても心は充たされない。
それもそのはず。私は自分の内など一度も彼らに晒したことがないのだから。
どれだけ欺瞞に満ちた日常を送ろうと、この関係が永遠のモノじゃないと私は知っていた。
いずれ彼女たちも私のもとから離れていくだろう。それが目に見えて分かっていたので、心はいつも一人だった。
彼女たちが心の底から笑いあうそんな風景をいつも羨ましそうに遠くから眺めていた。
私には絶対に届かない風景だから。
――――やめろ。
次に浮かんだのは幼少の自分。自分が何のために生まれ、何のためにここにあるのかを認識させられた記憶。
能力の発芽は割と早く、ちょっとした事故から自分の業を覚醒めさせた。
最初は自分でも何が何だか分からず、周りと自分が違うことに特別な意識を持って、喜びに耽ってた。
自分は周りよりも優れている。それが嬉しくて、偉そうにもったいつけながら何度も力を行使した。
少女の心は狭く、それだけで世界の全てを掌握したように鼻を高くさせていた。
だからだろう、世界は自分を中心に回っていると錯覚したのは。
なんて青い私の自尊心。
その時の私は力を持つということが何を意味するか、一つも理解していなかったのだから。
――――やめろ!
次に浮かんだのは施設の中。
ある日、知らない男たちが私の家を訪ねてきて、両親をよく分からない手段で説得し、私を家から引き離した。
嫌がる私を無理やり引っ張り、わけの分からない施設に放り込む。
そこは夢の中の世界のようだった。この世の全ての不思議が揃ったような絵本の中の空間。
一月と経たずして私の常識は一転する。
特別なことなんて何もなかった。そこでは特別がありふれた日常になっていた。
自信を失いかけた私に、彼らは言う。
君はその力の重みを知るべきだ。自分のためでなく、世界のために使いなさい。
これは実に名誉あることなんだよ。
けど幼いながらも知ってた。そんなのぜんぜん嬉しいことなんかじゃないんだって。
特別であることが私を縛り、特別が私から現実を奪う。
この力は何も優れているわけじゃない。
こんな狭い中に閉じ込められねばならないほど、私は歪んだ存在なのだ。
だからこれは馬鹿な私が招いた罰なのだと、自分に言い聞かせた。
――――やめろおおおおおおおおおおおおっっ!!!!
私の叫ぶ声によって、バリンッ!と鏡が割れる。
私はその記憶の空間から抜け出そうと、必死に頭の中に流れ込むイメージを切り離す。
過去へと繋ぐそれらを、狂ったように斬り伏せ、壊す。
この身を焦がす苦しみは全て私の業が招いたものだ。
その罪も責任も私にある。
そんなこと、貴様に言われなくとも分かっているっ。
知った風に私を断罪するな!
「消えろ消えろ消えろ消えろ……!
私の中に入ってくるなぁっ!!」
次々に現れる知人が私の憎しみを増やし、それがさらなる業となって私の身を黒く染め上げていく。
悪循環。
その空間にいることで私は更に人ならざる異常へと魂を染め上げていた。
振り下ろされる刀はもはやハンマーのように地を抉るだけの鈍器へと成り果てていた。
もう操の心に在るのは、執行者としての信念とか正義心とか、そんな立派なものではない。
ただ嫌な記憶から目を背け駄々をこねる、子供のようだった。
目の前の女が赦せなかった。
人の記憶を勝手に覗き見、私から戦う者としての大義を奪う女が。
そんな私に魔女は耳元で囁きかける。
「思い出せ。自責せよ。罪深き者よ」、と。
そして彼女は私の中のもっとも脆い奥底へと、その魔手を伸ばしてくる。
そこは私にとって大切な場所。そこを奪われては私はこの世界で立っていられなくなる。
そうして彼女はまた私に二者択一を迫る。
こいつか自分、どっちが大切か選べと。
どちらかを殺せば、どちらかが生き残れる。
さあ、選べ。
そんな悪魔の選択を死ぬまで繰り返させる。
きっと、そのどちらを選んでも地獄だ。
この女は最初から救いがないことを理解したうえで、私に重大な選択を選ばせてる。
何が出てきても、挫けないつもりでいた。
これまで殺した過去に報いるように、最後まで修羅であろうと努めた。
……けど、そうして霧の中を手探りで突き進み、目指す先に彼の姿をした影を見つけ、最後まで残ったたった一つの意志が挫かれてしまう。
「……………………」
私の中の一瞬の迷いを、魔女は即座に投影したのだ。
だから容易にその弱さにつけいられる。
「これは……、さすがに斬れないな……」
私はそう自嘲気味につぶやき、刀を下ろす。
きっと分かっていた。自分の迷いがどこから来たものなのかを。
私も何だかんだで、そこを望んでいたのだ。
心の中で無理だと拒絶しながらも、どこかでそんな日常に憧れていた。
―――異能者ではない、人としての幸福を。
「…………人のこと、言えないな。
色がないのは、私も同じだ」
戦意はもうなかった。
私の日常の象徴である夕理を思い浮かべたから。
戦うための理由さえ失ってしまう。
私はだらしなく膝を屈し、地に手をついていた。
油断はなかった。勝つための算段はいくつも用意していた。
……けれど。どこかしらで彼女の恐怖に屈していたのだろう。
考えないようにしていた、人としての功刀操の心の弱さ。
それを魔女は容易く覗き込み、私から私を喪失させた。
こうなってしまえば、もう私はただの女子校生と変わらない。
彼女に言われるまま、成すまま、操られるだけの人形と化す。
そう、折れたのだ。自慢の鉄の心が。
「…………………」
膝を屈した私に彼女が言う。
―――彼をその心から殺せ、と。
そんな冷酷無比な悪魔の命令を私に下す。
例え私を陥れるためとはいえ、仮にも自分のパートナーをこの手にかけよと言うのか?
狂ってる……。
しかし、彼女の眼は依然厳しい。
そこには感情なんてない冷徹な裁きの魔女がいるのみだ。
―――自分を活かしたければ殺せ。
―――全ての魔を滅するのがお前の使命のはずだ。
―――お前に心はない。お前は殺人兵器だ。兵器は兵器らしく、執行者の務めを果たせ。
戦うものにとっては至極真っ当なセリフだが、今の私には自身の身を傷つける棘のような責め苦となった。
殺せ。さあ殺せ。やれ殺せ。殺せないのなら死ね。正義がないお前はただの悪鬼。
死んで罪を悔い改めよ。その身は何と業深いのか。
お前はその罪の重さに飲まれて、潰されるべきだ。
死ね!
「……っ」
私は堪らず自身の命の生命線である、刀の柄を握る。
しかし、この武器こそが私を狂わせる罪の根源。
こうして手にし続ける限り、一生その罪からは逃れられない。
「…………うああああああああああああああああっ!!!」
私はもうそんなの持っていたくないとばかりに、弾けたように刀を放り投げた。
見下ろす自分の手はところどころが豆だらけで、黒く潰れていた。
そんな自分の醜さに私は尚ガタガタと身を震わせ、矮小な体を一人抱きしめる。
自身の魂である刀を捨てたことで、私は戦士である誇りさえも失くしてしまった。
立場を失った自分はもう、誰でもない。
そこには壊れ果てた、剥き出しの残骸があるだけだ。
生きることも死ぬこともままならないだろう。
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そんな地面で縮こまる操を眺めて、魔女はつまらなそうに髪をいじる。
「……意志が強そうに見えて、存外脆いのね、あなたって」
呆れたように小言をいう彼女。
彼女から冷たい言葉を吐かれているのに、操は何も言わない。
見た目どおりの少女のようにか細く震えていて、縮こまるばかり。
終わりのない無間地獄をその身に体験したことで、操の心はすっかり砕けてしまっていたようだった。
「……………………」
十中八九殺してみせたのに、思いのほか彼女が乙女としての側面を持っていたため、致命傷には至らなかった。
大抵の勇者は自分の業の深さに負けて、我こそはと勇ましく死んで見せるのに……。
調子狂うなとばかりに、彼女は腕を組み直す。
だが、それも一瞬のことですぐに飽き、女怪は気持ちを切り替える。
他人が一人死ななかったところで、彼女にとってはどうでもいいことだった。
「これに懲りて、もう剣を振り回すのは辞めときなさい。
ソレは、あなたには手に負えない業よ」
最後にそう言い残し、彼女は去っていった。
死にかけの少女も、捨てられた刀もその場に捨て置いて。
操はそんな彼女が無防備に晒している背中を追いかけることもせず、ガタガタと地面に塞ぎ込むばかり。
そうして彼女の足音が通り過ぎるまで、そこから一歩も動くことはできなかった。




