第3話 キャバクラ「アルテミス」のアイ
【 探偵事務所にふさわしい最初の依頼】
ドアのベルが控え目に鳴る。
入ってきたのは、派手なメイクと華やか
な服を纏つつも、疲れた表情を隠せない
若い女性――
近所のキャバクラ「アルテミス」で働く
アイだった。
「あの、すいません……」
アイの声はかすれていた。
「どうぞ、こちらへ」
康介は、ソファを勧め、
紙コップに水を注いで出す。
「ありがとうございます……」
アイは震える手でコップを受け取る。
「何があったんですか?」
隆平がメモ帳を片手に身を乗り出す。
「店のオーナーに、言えないんです
けど……」
アイは俯いたまま、バッグの端を
ぎゅっと握りしめた。
「話せる範囲でいい」
康介は、静かに促す。
「最近、ずっと誰かに見られてる
気がするんです」
「ストーカーか」
隆平が呟く。
「家に帰ると、郵便受けが
勝手に開けられていたり……」
アイの肩が小さく震えた。
「警察には行ったのか?」
「実害がないと、動いてくれなくて」
駆け出しの俺たちに回ってきたのは、
警察が動けないグレーな依頼だった。
「分かりました」
康介は、デスクの上のペンを持つ。
「その仕事、引き受けます」
アイは少しだけ安堵したように、
ふうっと長く息を吐き出した。
「いつからその気配は?」
康介は、ボールペンを構え、
アイに向き直る。
「一週間前、店が終わって
アパートへ歩いてる時です」
アイは潤んだ目を上げる。
「男の特徴は?」
隆平が横から割って入る。
「暗くて顔はよく見えません。
でも、背が高くて、いつも
黒いキャップを被ってて……」
「服装は?」
「パーカーだったと思います」
アイは不安そうに唇を噛んだ。
「分かった。今日から店の
終わりの時間に合わせて、
俺たちが送迎する」
康介は、きっぱりと言い切る。
「えっ、そんな……お金、
そんなに払えません」
アイが慌てて手を振る。
「最初の依頼だ。初回特典で
護衛はサービスしとくよ」
隆平が軽くウィンクする。
「ありがとう……ございます」
アイは深々と頭を下げた。
それから数日間、康介と隆平は
昼の張り込みと夜の警護に
奔走することになった。
八王子の冷たい夜風の中、
キャバクラの裏口で待つ。
「おい、あいつか?」
隆平が顎で前方をしゃくる。
道の曲がり角の電柱の陰に、
黒いパーカーの男が立っていた。
確かにこちらを覗き込んでいる。
「逃がすなよ」
康介たちは静かに足音を消し、
男の背後へと回り込んだ。
「待て!」
康介は男の肩を掴み、
力任せに路地裏の壁へと押し付ける。
「ぐっ……何だお前らは!」
男が低い声で呻いた。
パーカーのフードが外れ、
街灯の光がその顔を照らし出す。
予想に反して、それは
若い男だった。
二十代半ばくらいか。
頬がこけ、血走った目は怯えと
狂気に満ちていた。
「お前、アイに何をしてる」
康介は腕に力を込める。
「俺は……ストーカーなんかじゃ
ない……!」
男は必死に首を横に振る。
「じゃあ、毎日あの店の裏で
何をしていたんだよ」
隆平が冷ややかな視線を送る。
男はガタガタと震えながら、
ポケットからボロボロの財布を
取り出した。
中から出てきたのは、
アイの写真ではなく、古びた
新幹線の切符と、二人の子供が
写った色褪せたポラロイドだ。
「この子は……俺の妹なんだ」
男の声が掠れる。
「妹?」
俺は手を緩めた。
「アイは、田舎を飛び出して
夜の街に消えた。実家の母親が
病気で倒れても、仕送りどころか
連絡すらよこさない」
男の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「連れ戻しに来たのか?」
「違う……ただ、どうやって
生きてるか、この目で確かめた
かっただけだ……。怖いんだよ、
あんな華やかな世界で、あいつが
壊れていくのが……」
男はその場で崩れ落ち、
冷たいアスファルトに突っ伏した。
追い詰めたはずの犯人は、
ただの追う側と追われる側の
哀れな兄妹だった。
八王子の冷たい夜風が、
やけに身に染みる。
正義の鉄槌を下すわけでもなく、
事件を華やかに解決するわけでもない。
俺たちはただ、逃げ場のない
人生の片隅を覗き見ただけだった。
©2026 [風風風]. All rights reserve.
五十代半ばの、くたびれたスーツ姿の男が、
R&K探偵事務所のドアを叩きます。
男は疲れた目を部屋中に泳がせ、名刺を一枚
差し出します。
小さな町の印刷所で働く職人です。
明日 8月4日 20:00 に、第4話を掲載
します。よろしくお願いします。




