第1話 駆け出し探偵の最初の一歩
雑居ビルの3階を契約した。
経費込みで、月5万。
三月から半年。
それで見通しが立たなかったら
また考えよう。
そう決めて、隆平と二人して
キャバクみたいな水商売の
オーナー相手に営業して回った。
【静かな事務所と、最初の現実】
雑居ビルの三階。
ペンキの剥げかけたドアには、
出来立ての「R&K 探偵事務所」の看板。
室内には、安物のオフィスデスクと、
リサイクルショップで揃えたソファが
一つ。
「……。で、今月の家賃、あといくら
足りないんだっけ?」
「あと2万。ちなみに明日の食費も怪し
い」
隆平に、危機感とヤル気を持たせるため
に、俺はそう言った。
隆平が缶コーヒーを飲み干し、
空き缶を灰皿替わりに煙草を揉み消す。
独立したはいいものの、実績のない駆け
出し探偵事務所に舞い込む仕事など、猫
探しと浮気調査の問い合わせぐらいだっ
た。
最初は、通りがかる通行人全員が怪しく
見えたり、張り込み中に怪しまれて警察
官に職務質問されそうになったりと、手
際が悪く悪戦苦闘の連続だった。
看板を出せば、勝手に依頼人が駆け込ん
でくると思っていた。甘かった。
事務所のデスクにポツンと置かれた
固定電話は、開設して2週間、一度も
鳴っていない。鳴ったかと思えば、
光回線の勧誘だったり、ドアを開ける
のは、コピー機の飛び込み営業。
見栄を張って、分割払いで買った
高級一眼レフカメラと超望遠レンズ
は、出番のないままデスクの隅で、
静かに埃を被っている。
「待ってたって仕事が舞い込む訳
ないんだし、……」
隆平は、前の事務所の下請けでも
やれという。
だが、それじゃあ独立した意味が
ない。
探偵事務所の料金設定なんて、板金塗
装と同じだ。それが魅力で独立した。
今ここで、後に引く訳にはいかない。
初めての依頼は、浮気調査でもストー
カー対策でもなく、「居なくなった飼い
猫の捜索」だった。
「猫一匹くらい」と高を括っていたが、
路地裏の隙間を素早くすり抜ける黒猫に、
大の男二人が大汗をかいて翻弄される。
結局、住宅街を不審にウロウロしていたせ
いで、近隣住民に不審者扱いされ、駆け付
けた警察官に身元確認(職務質問)をされ
る羽目になった。
名刺を出しても、「探偵事務所?開業届は
見せられますか?」と疑いの目を向けられ、
名刺のインクの匂いが虚しく漂う。
ターゲットのアパートの前での張り込み。
映画のように「カフェで張り込む」なんて
余裕はない。真夏のアスファルトの照り
返しの中、コインパーキングの軽自動車の
中に閉じこもり、ひたすら待つ。
エアコンをかければ、エンジン音で目立つ
ため、汗だくになりながら、じっと耐える。
最大の敵はトイレだった。
ターゲットがいつ動き出すか分からない。
緊張感の中、猛烈な尿意と戦いながら、
近くのコンビニに走るかどうかの極限の
決断を迫られる。
結局、戻った瞬間にターゲットが出発
した形跡を見つけ、崩れ落ちる。
手掛かりを求めて、近隣の聞き込みを
するが、ドア越しに
「警察じゃないなら話すことはありませ
ん」と、ガチャリと鍵を閉められる。
怪しまれずに相手の口を開かせる
「会話のフック」や「空気の作り方」
が全く分からない。自分たちがただの
「探偵事務所を持った素人」である
ことを痛感させられ、路上でコンビニの
安弁当をかじりながら、お互いに無言で
溜息をつく。
「その革靴、足音響くぞ」
俺は隆平の足元を指さす。
「底がゴムの黒スニーカー。それが張り
込みの基本だ」
隆平は慌てて靴を履き替えた。
「服は黒じゃダメなのか?」
「夜の黒は、逆に目立つんだ」
「ネイビーかグレーにしろ。街の
影に溶け込むためだ」
隆平は、静かにメモを取っていた。
「また警察だ。どうする?」
巡査がこちらへ歩いてくる。
「慌てるな。探偵届を出せ」
隆平の胸ポケットを叩く。
「笑顔で、自分から挨拶しろよ。探偵の
○○です、とな」
堂々としてれば怪しまれん。そうアド
バイスした。
「お疲れ様です!と声を掛けろ」
隆平は息を整え、巡査に向かって歩く。
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【 探偵にふさわしい最初の依頼】
ドアのベルが控え目に鳴る。
入ってきたのは、派手なメイクと華やか
な服を纏いつつも、疲れた表情を
隠せない若い女性――近所のキャバクラ
「アルテミス」で働くアイだった。
明日 8月2日 23:00 に、第2話を掲載
します。よろしくお願いします。




