第14話 【ひたちなかの暗雲と、盾(たて)のありか】
康介たちはついに反撃の第一歩を踏み
出そうとしていた。
「行くぞ、康介。劉の犬どもより先に
あの女の首根っこを掴んで、このゲーム
の主導権を完全に俺たちのものにする」
「ああ。大勝負の始まりだ」
康介たちは、ひたちなかの冷たい夜風を
予感しながら、静かに事務所の重厚な
ドアを開けた。
冷え切った夜のハイブリッドカーが、
常磐自動車道をひた走る。
首都高の眩い光の海を抜け、茨城県
へと続くアスファルトのロードは、
次第に闇の色を濃くしていった。
ハンドルを握る康介の横顔に、
ダッシュボードのオレンジ色のイン
パネの光がぼんやりと反射している。
「おい、康介。スピードが出すぎだ。
いくら夜中で車が少ないからって、
飛ばしすぎるとオービスに引っかかるぞ」
助手席に身を沈め、膝の上でノート
パソコンを叩きながら隆平が言った。
「そんなこと気にしてられるか。
藤田の報告じゃ、向こうの連中も
ひたちなかの周辺に偵察部隊を差し
向け始めているんだろ? タッチの
差であの女を劉の犬どもに持って
行かれたら、一巻の終わりだ」
「分かっているさ。だからこそ、
俺たちは裏のルートで最短距離を
走っている。焦るな、冷静さを欠
けば足元をすくわれるのはこっちだ」
隆平はそう言いながらも、手元の
画面から目を離さない。
首都圏の「IT小僧連合」のリーダー
格である藤田から送られてきたリアル
タイムのトラフィックデータを監視し、
ひたちなか市内のフリーWi-Fiや
防犯カメラのサーバーに侵入した
仲間たちの動きを絶えずコントロール
している。
「で、現地に着いてからのプランは
どうするんだよ」
俺は前方の一寸先が見えない闇の
高速道路を睨みつけながら尋ねた。
「プランも何もない。まずは里奈
が潜伏しているアパートの周辺を
抑える。彼女がパートに出ている
ロードサイドの弁当屋のシフトデータ
は藤田がハッキングして確認済みだ。
明日の朝、シフトが非番のタイミング
を狙って部屋を直撃する」
「すんなり俺たちの話を聞いてくれる
と思うか? 銀座のクラブで男を手玉
に取って、マフィアの組織から機密
を持ち出して逃げ回った女だぞ。
警戒心は常人の比じゃないはずだ」
「だからこそ、お前の出番だ」
隆平はパソコンをバタンと音を立て
て閉じ、光る目を俺に向けた。
「お前はかつて、あの女の捜索を
担当した探偵だ。あの時の名残や、
いくらかの顔見知りとしての信用を
使え。『俺たちは劉の部下ではない。
むしろ、あの老人に追われている身
だ』という共通の敵を認識させれば
いい」
康介はハンドルを握る手にぐっと力
を入れた。
「樫野里奈の持ってる情報は、俺ら
の身を守る盾になるかもな。……」
ポツリと呟いた俺の言葉に、助手席の
隆平が鋭く反応した。
「おお! そうだよ、康介。ようやく
頭が回るようになったな」
隆平はわずかに口元を歪め、笑み
を浮かべる。
「あの女が劉から盗み出したのは、
単なる裏金のデータだけじゃない。
セイント・ドラゴンと国内の政治家、
そしてあの貿易会社を隠れ蓑にした
マネーロンダリングの全貌だ。もし
それを俺たちが手に入れれば、劉に
とって俺たちは『ただの使い捨ての
トカゲの尻尾』どころか、いつでも
自分の首を絞められる最悪の爆弾に
化ける」
「劉に押さえられる前に、こっちで
里奈を確保すれば、じじいを牽制できる
……そういうことだな」
「そうだ。劉の懐に飛び込んで二億
の前金を引き出し、さらにその裏で
奴の急所を握る。これ以上の保険は
ない」
車は常磐道の水戸インターチェンジ
を過ぎ、ひたちなか市内の静まり返っ
た国道へと降りていった。
街灯の少ないロードサイドには、寂れ
たパチンコ店や、24時間営業の牛丼
チェーンの看板がぽつんと光ってい
るだけだ。東京の洗練されたタワー
マンションの夜景とは打って変わって、
泥臭く、湿った空気がフロントガラス
を撫でた。
「この辺りだな。藤田のデータによる
と、里奈が潜伏しているアパートは、
駅から歩いて十五分ほどのところに
ある木造の古い集合住宅だ。名前は
『ハイツ・サンライズ』。……おい、
車を路地に止めろ。ここからは徒歩
で近づく」
隆平の指示に従い、康介は街路樹の
陰にハイブリッドカーを静かに滑り
込ませた。エンジンを切り、ヘッド
ライトを消すと、車内は急に静まり
返り、冷えた空気が肌を刺すように
浸透してきた。
二人は車を降り、静まり返った
片田舎の住宅街を足音を殺して歩く。
深夜の冷気が肺の奥まで凍てつく
ように冷たい。舗装された道路の
ひび割れや、放置された自転車の
錆びたカゴが、街の寂れた現実を
物語っていた。
やがて、その一角に、古びた二階
建てのモルタル造りのアパートが
見えてきた。
外階段の錆びた手すりと、剥げか
けた外壁が、夜の闇の中で不気味
な影を落としている。その二階の
端の部屋――カーテンの隙間から、
黄色みがかった微かな電球の光が
漏れていた。
「あそこだな……」
俺は低く呟き、アパートの敷地の
入り口に立ち止まった。
「間違いない。藤田が割り出した
基地局データと、あの部屋のWi-Fi
ルーターのMACアドレスが完全
に一致している」
隆平は周囲の暗がりを鋭い視線で
見回しながら、懐から小さなスマー
トデバイスを取り出した。
「周囲に不審な車や、劉の差し向け
た尾行の気配はないか?」
「今のところ、俺たちのバックミラー
に映る怪しい影はなかった。だが、
向こうのIT部隊がこちらの動きを
どこまで察知しているか分からない。
一刻を争う」
俺は古びたアパートの階段を見上げ、
ごくりと唾を飲み込んだ。
「どうする? 今すぐ踏み込むか?」
「いや、夜中に突然ドアを叩けば、
パニックを起こして警察に通報され
るか、裏口から逃げられるのがオチだ。
夜が明けるのを待ち、彼女がパート
に行く直前のわずかな隙を突く。
それまで、この周囲を俺たちで完全
に監視する」
隆平は冷静にそう言い、アパートの
斜向かいにある、閉まったままの
ガソリンスタンドの陰へと身を潜めた。
俺もそれに続き、闇の中に身を隠す。
冷たいコンクリートの地面から這い
上がるような寒さに身震いしながらも、
俺たちの目は、わずかに光が漏れる
その二階の窓から一瞬たりとも離れ
なかった。
東京から離れたこの北関東の寂れた
アパートの一室で、すべてを裏切り、
すべてから逃げ続けた一人の女と、
彼女を巡る巨大なマネーとマフィア
の陰謀が、いま静かに交錯しようと
していた。
「康介」
闇の中で、隆平が低く囁いた。
「ああ」
「絶対に逃がすなよ。あれが、俺達
の未来を決定づける最後の盾だ」
「分かっているさ」
俺はポケットの中で拳を固く握り締め、
冷たい夜風の吹く闇の中で、じっと
その時を待ち続けた。
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茨城県ひたちなか市、早朝の冷気が
アスファルトを白く染め上げる頃。
「ハイツ・サンライズ」の古びた
二階の外階段には、薄っすらと霜
が降りていた。錆びた手すりに触
れると、指先が凍てつくような感覚
が走る。
康介は、アパートの二階の端にある
「205号室」のドアの脇に身を寄
せていた。
明日も 20:00 に、投稿します。
よろしくお願いいたします。




