13話 【 スキームの盤面を回す隆平と探偵としての康介 】
一億円の資金を巡る劉との心理戦、
完璧に仕上がりつつあるマリリンの
クローン、そして逃走を続ける樫野
里奈の行方。
すべての歯車が、音を立てて狂おしく
回転し始めている。
隆平のデスクに置かれたスマホが、
暗号化通信アプリの独特な着信音を鳴らした。
隆平は即座に手を伸ばし、スピーカーホン
に切り替える。
「俺だ。どうした、藤田」
『お疲れ、隆平。依頼されてた件、ウチの
連中が裏取りを終えたよ』
スピーカーから聞こえてきたのは、少し気
の抜けた、だがどこか知的な響きを持つ男
の声だった。
康介は小声で尋ねる。
「……誰だ、こいつ?」
隆平はスマートフォンのマイクを手で覆い、
短く答えた。
「高校時代の同級生の藤田だ。今は都内
の弁護士事務所でパラリーガルみたいな
サラリーマンをやってるが、趣味でプロ
グラミングにどっぷり浸かってるIT
オタクだ。俺がアルバイト代を払って、
裏のネット調査を依頼してる『IT小僧
連合』のリーダー格兼、司令塔さ」
「お前……自分じゃなくて、外注してた
のか?」
「当たり前だろ」
隆平は鼻で笑い、手を離した。
「俺一人で世界中のハッカーとドンパチ
やれるわけがない。俺はあくまで仕事の
依頼主であり、資金を提供するスポンサー
だ。実務は専門のオタクたちに任せる
のが一番効率がいい。
……おい、藤田。聞こえてるぞ。状況の
報告を頼む」
『ああ、ビンゴだったよ。茨城県のひた
ちなか市。例の防犯カメラの映像から
足取りを追って、周辺の店舗のフリー
Wi-Fiの接続履歴と、使い捨てのプリ
ペイドスマホの基地局データを照合し
たんだ。ウチの小僧たちが徹夜で
スクレイピングを回してね』
「樫野里奈の居場所が、完全に特定でき
たってことか?」
「そういうこと。今は『中野有希』って
偽名を使って、ひたちなか市内の寂れた
ロードサイドの弁当屋でパートをしてる。
ウチの若いのが、その弁当屋が使ってる
安いクラウドのシフト管理システムに
ちょっとだけ『お邪魔』して確認した。
明日は一日、シフトが入ってないから、
アパートにいるはずだ」
「弁当屋……? あの銀座で羽振りを
利かせていた女が、地方の弁当屋で
パートだと?」
俺が思わず声を上げると、スピーカー
越しの藤田が笑った。
「そっちの相棒さん? まあ、生きる為
には背に腹は代えられないってことで
しょう。口座もクレジットカードも使え
ないんだ。日払いで現金が手に入る仕事
に潜り込むしかないのさ」
「よくやってくれた、藤田」
隆平は満足げに頷いた。
「約束通り、お前の口座と、動いてくれ
た者たちの暗号資産ウォレットに、特別
ボーナスを上乗せして振り込んでおく」
「毎度あり。弁護士事務所の安月給じゃ、
趣味のサーバー代も馬鹿にならないから
助かるよ。良い小遣い稼ぎだ。……あ、
そうだ、隆平。一つ嫌な兆候がある」
「なんだ?」
「昨日から、ひたちなか市の周辺の監視
カメラネットワークに、東京の怪しい
IPアドレスからのポートスキャンが
頻繁に入り始めてる。たぶん、お前らが
警戒してる『香港のあいつら』の部隊だ。
奴らも、あの女の足跡に気づき始めてるぞ」
「……チッ。やはり嗅ぎつけてきたか」
「ウチの連中に偽のトラフィックを流さ
せて、少しだけ奴らの目を逸らしておく
けど、長くは持たない。動くなら、
今夜か明日の朝イチだね」
「分かった。藤田、お前は引き続き奴ら
の通信の妨害と、監視の継続を頼む」
「了解。じゃあな」
通話が切れ、タワマンの一室に再び静寂
が戻った。
俺はバーボンのグラスをテーブルに置き、
隆平の隣に歩み寄った。
「聞いた通りだ、康介」
隆平はモニターにひたちなか市の地図を
映し出し、赤いピンを立てた。
「藤田たちのおかげで、里奈の正確な
アパートの場所は掴めた。だが、
劉の連中もすでに鼻先まで迫っている。
タッチの差だ」
「俺たちが先にひたちなかへ飛んで、
里奈を確保するしかないな」
「ああ。だが、力ずくで攫う訳には
いかない。相手はマフィアから逃げ回っ
ている極限状態の女だ。少しでも強引な
真似をすれば、狂ったように逃げ出すか、
最悪の場合は自暴自棄になる」
「……対面で、交渉するしかないって
ことか」
俺の言葉に、隆平は静かに頷いた。
「康介、お前の出番だ。お前は一度、
里奈の捜索の件で彼女の周辺を嗅ぎ回っ
ていた過去がある。警戒されるかもしれ
ないが、逆に言えば『劉の直接の部下
ではない』と説明できる余地がある。
俺は裏で車の調達と退路の確保、それに
藤田たちとの通信網の維持に専念する」
「現場の説得は、俺に丸投げってわけかよ」
「そうだ。俺はIT小僧たちの司令塔
であり、このスキームの盤面を回す役割
だ。泥臭い対面の交渉や、相手の懐に
飛び込むのは、探偵としての場数を踏ん
できたお前の専売特許だろ?」
隆平の言葉には、康介への信頼があった。
「……分かったよ。どうせ、最初から
そのつもりだったんだろ」
康介はクローゼットを開け、
黒いジャケットを引っ張り出した。
「目立たないレンタカーを手配してくれ。
明日なんて悠長なことは言ってられない。
今夜のうちに常磐道を飛ばして、ひたち
なかに入る」
「すでに手配済みだ。地下のタイムズに、
国産のハイブリッドカーを借りて来て、
用意してある。ナンバーも偽装までは
いかないが、足がつきにくい法人名義の
リース車両だ」
「相変わらず、手回しが良すぎるぜ、
相棒」
「俺たちのような素人が、マフィアと渡り
合うには、事前の手回しと金の使い方が
すべてだ」
隆平は立ち上がり、車のキーを康介に
向かって軽く投げた。
康介はそれを片手で受け止め、
ジャケットのポケットにねじ込んだ。
「康介、交渉のカードは明確にしておけ」
隆平が鋭い視線を向ける。
「『俺たちは劉の弱みを握っている。
俺たちと組めば、新しい戸籍と安全な
逃亡ルートを用意できる』……そう伝
えろ。彼女が本当に生き延びたいなら、
俺たちの手を取るしかない状況を作り
出すんだ」
「任せとけ。あの女がどれだけ肝が
据わっていようと、今の絶望的な状況
なら、差し出された蜘蛛の糸には必ず
すがるはずだ」
タワマンの窓の外、東京の夜景は相変
わらず冷たく輝いていた。だが、康介の
足元はもう震えていなかった。
金で買った安全な拠点を背に、仲間達
から買い上げた情報を武器にして、
康介たちはついに反撃の第一歩を踏み
出そうとしていた。
「行くぞ、康介。劉の犬どもより先に
あの女の首根っこを掴んで、このゲーム
の主導権を完全に俺たちのものにする」
「ああ。大勝負の始まりだ」
康介たちは、ひたちなかの冷たい夜風を
予感しながら、静かに事務所の重厚な
ドアを開けた。
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冷え切った夜のハイブリッドカーが、
常磐自動車道をひた走る。首都高の
眩い光の海を抜け、茨城県へと続く
道は、闇の色を濃くしていく。
ハンドルを握る康介の横顔に、
ダッシュボードのオレンジ色のイン
パネの光がぼんやりと反射している。
明日も、 20:00 に、投稿します。
よろしくお願いいたします。




