第12話 【川崎の夜風と、動き出す歯車】
「すべてのピースが出揃った。
康介、隆平、そして逃げ回る樫野里
奈……。私の掌の上で、存分に踊ら
せてやろうじゃないか」
東京の冷たい夜空の下、巨大な龍の
牙が、二人の若い男たちの首元へと
静かに、そして確実にその照準を
合わせ始めていた。
かつての八王子の薄汚い雑居ビルを
引き払い、俺たちが新たな拠点として
構えたのは、街を見下ろすタワマンの
一室だった。
三田線の西巣鴨から歩いて3分の好
立地だ。
コーヒーメーカーの音が部屋に心地
よく響いていた。
部屋の中の空気感は一年前のそれとは、
まったく違っていた。
デスクの上には何台ものノートパソコン
が並び、常に世界中のデータ通信を
捉えるファンの音が低く唸りを上げ
ている。
康介は、淹れたてのコーヒーのマグ
カップを手に取り、部屋の隅で
モニターと向き合う隆平に声をかけた。
「なぁ、隆平。八王子からここに
引っ越してきて正解だったな。
あのままあの場所にいたら、劉のじじい
の監視網に完全に囲い込まれて身動きが
取れなくなっていたかもしれない」
隆平はキーボードから手を離さず、
目を画面に固定したまま答えた。
「場所の問題じゃない。動かなければ、
どこにいても同じことだ。
とは言え、上がりも折半にしてもらった
ことだし、ここはもうお前の住まいに
していいぞ」
「ん? ……、お前はどうする?」
「白金や高輪の客の相手は、康介に
任せる。俺は、ハイソって柄じゃ
ないから、川崎にでも、部屋を探すよ」
「ほう、……。川崎かぁ」
「ギャンブルやる為じゃないぞ」
「まぁ、そうだろ。俺じゃないからな」
「ふっ。分かってるならいい。程々(ほどほど)に
しとけよ、康介」
康介の競馬、競輪好きを知ってる隆平
が、クギを刺した。
「お前のことだ。当たりは付けるんだろ?」
「うむ。もう、粗方揃ってる」
「ん? ……」
「事務所もあっちの方がいいと思う」
「そうか? ……」
「ここからは、埼玉や千葉方面に出向く時、
都合がいい。川崎なら西に向かう時、
便利だ」
「なるほどな。……、そっちの家賃は、
事務所の経費ということにしておこう」
「おう。ありがとよ」
「いいって」
そんな話をしたのが、10日ほど前の
ことだった。
【 川崎の拠点にて 】
神奈川・川崎の事務所。
「マリリンのクローンを作る前金と、
樫野里奈の捜索の仮払いで、劉に1億
請求するっていうのは、どうだ?」と、
康介。隆平は「……」。無言。
「俺らのスキームに、劉が投資するって
考えればいい」
「ふむ。……」
「俺らは、どうせ奴らと渡り合って
いかなきゃならん」
「おう!」
「敵対するより、引き込んでおいた方が、
当面は安全だ」
「なるほど。……」
「要は、『トカゲの尻尾』にならなきゃ
いいってことだ」
「だな。……」
「マリリンのクローンの準備はできる
だろ?」
「そっちは、任せとけ」
「よし! なら、俺が劉と話をつけて
くる」
「……」
「ペットのクローンスキームが軌道に
乗れば、劉にとっても投資に見合う
回収があるだろう」
「うむ。……」
「マリリンのクローンを渡せば、初
めに受け取る1億は、納得させられる」
「樫野里奈の方は、どうする?」
「それが問題だ。何としても、劉より
先に探し出さなきゃならん」
「……。俺のブレインや仲間を総動員
してみよう」
「頼む。上手く探し出したら、劉に
気付かれないように、俺らが保護する」
「うむ。俺らの身を守るカギでもある
しな」
「そういうことだ」
「俺達が駆け出しの頃、八王子の
街中で、隆平によく職質してた巡査
いただろ?」と、康介。
「ああ。あいつな、……」
「あの、巡査。今も八王子の交番か?」
「いや、……。たしか、……」
「ん?」
「本庁に栄転したはずだ」
「ほぉ~。……、何て名前だった」
「たしか、……。内膿」
考え考え、隆平。「それが?」
「それが?じゃないぞ、隆平」
「ん? ……」
「奴が本庁なら、俺達にも好都合じゃ
ないか!」
「そうか?」
付き合ってられん、という
ような顔をして、康介は続けた。
「部署はどこなんだ?」
「確か、……。組対、……」
「ソタイだと?!」
「……」
「藤田なら、知ってるんじゃないか?」
「だな」
その話は、その時はそれまでで終わった。
この川崎という土地柄は、裏でコソコソ
動くには都合がいい。下町の路地と、
新興の住宅街が入り交じっているから、
尾行するにも、捲くにも好都合だった。
康介達は、劉から引き出した前金一億
円のうちの当面の資金を元手に、この
拠点を足がかりにして新たな一歩を
踏み出していた。
表向きはペットの捜索や富裕層向けの
特殊な仲介業務、そして水面下では
マリリンのクローン事業の最終調整。
しかし、そのすべては、目の前にある
巨大なリスク――香港系マフィアのボス
・洪腹劉一郎(劉洪貴)との危険な
力関係をコントロールするための布石に
すぎなかった。
【 マリリンのクローンの進捗と、一億の重み 】
「で、マリリンのほうはどうだ?」
康介はソファに腰掛け、マグカップの
湯気を吹きながら尋ねた。
隆平は画面のウィンドウを切り替え、
東南アジアの特設施設から送られて
きた最新の生体データと高解像度の
映像を康介に見せた。
「順調すぎるほど順調だ。細胞の安定化
から胚の着床、そして代行母動物による
育成まで、すべてのプロトコルが完璧に
噛み合っている。
毛並みのパターン、瞳の虹彩の色、わず
かな癖に至るまで、元のマリリンと寸分
違わぬ個体が育っているよ」
画面の中では、ケージの中で元気に跳ね
回る小さく愛らしい犬の姿が映し出され
ていた。それが、ペットロスの飼い主の
絶望を狂喜へと変え、劉に対する一億円
の「免罪符」となる絶対的な証拠品だ。
「そうか……。これなら、劉のじじいも
文句の付け所がないな」
「ああ。引き渡しの日程を調整し、
予定通りにこの個体を差し出せば、
初めに要求した一億の前金は完全に
我が物になる。だが、忘れるなよ。
金を払わせるということは、それだけ
奴との結びつきが強まるということだ。
下手にボロを出せば、一瞬で首を刎ね
られる」
「分かっているさ。だからこそ、
もう一つのピースが必要なんだろ」
俺はコーヒーを一口飲み、視線を隆平の
隣のモニターに向けた。
「『樫野里奈』の居場所は、どこまで
絞り込めた?」
【 北関東に消えた足跡 】
隆平の表情が、わずかに険しくなった。
「そこなんだが……尻尾を掴みかけて
いる。だが、相手も伊達に劉の組織から
機密を持ち出して逃げたわけじゃない。
相当に周到だ」
「どういうことだ?」
「里奈は東京を離れ、北関東の地方
都市を転々としている。住民票や
クレジットカードの履歴はすべて
偽名か、あるいは他人の名義を巧妙
に借りたものだ。だが……」
隆平はマウスを操作し、一枚の古い
駐車場の防犯カメラの静止画を拡大した。
そこに写っていたのは、大きなマスクと
帽子で顔を半分以上隠した、一人の
女性の横顔だった。荒涼とした地方の
スーパーの駐車場、曇天の下でうつむく
ように歩くその姿には、かつて銀座の
高級クラブで『椎名凛』として華やかに
輝いていた面影は薄れていたが、その
鋭い眼差しの輪郭だけは間違いなく
彼女のものだった。
「これだ……!」
俺は思わず身を乗り出した。
「間違いない、樫野里奈だ!」
「ああ。茨城県のひたちなか市周辺
の小さなアパートに、ごく最近まで
潜伏していた形跡がある。だが、
俺たちがそのデータにたどり着いた
のとほぼ同時に、向こうもわずかな
通信の揺らぎを察知したのか、すでに
その部屋を引き払い、さらに北へ
移動しようとしている」
「逃げ足が早いな……! 劉の部下
たちも、この動きに気づいてるのか?」
「いや、そこはまだ大丈夫だ。劉の
連中は東京中心部や関西の主要な
ルートを重点的に洗っているからな。
北関東のローカルなネットワークの
隙間までは、まだ完全に網が張られ
ていない。だが、時間の問題だ。
あと数日もすれば、奴らも里奈の
新たな足跡に気づくだろう」
多摩川の冷たい夜風が、街に吹いて
いるようだ。ヒュウと音を立ててる
だろうが、二人の耳には届いていない。
一億円の資金を巡る劉との心理戦、
完璧に仕上がりつつあるマリリンの
クローン、そして逃走を続ける樫野
里奈の行方。
すべての歯車が、音を立てて狂おしく
回転し始めている。
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康介は、冷や汗を拭いながら
相棒の横顔を覗き込んだ。
「……おい、隆平。
劉のバックにいるのは、
香港の『セイント・ドラゴン』だ。
向こうは中国本土の
生殖医療の闇ネットワークや、
国家レベルのインテリジェンスに近い
情報網を持っているんだぞ。
俺たちがいくら
個人の暗号化チャットで隠れたって、
相手が本気で国家やマフィアの
サイバー部隊を突っ込んできたら、
一瞬で丸裸にされるんじゃないのか?」
明日も 20:00 に、投稿します。
よろしくお願いいたします。




