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第三章 遊女屋乱闘之顛末 後

 与三郎は暖簾をくぐった。その瞬間、甘ったるく、きつい香の匂いが鼻を衝いた。まとわりつくような匂いであった。

「お客人、刀はここにてお預かり致します」

 脇に控えていた男が求めた。腕組みをし、値踏みするような目を向けている。

「預かるだと?」

 与三郎が片眉を上げた。

「ったくこれだから田舎もんは……」

男がうんざりした口調で小さく呟いた。

「決まりでしてね。中で刃傷沙汰でも起こされちゃあこっちとしても困るんでね」 

 なおも刀を預かろうとする男。

「起こさねばよいだけのことだ」

 愛用の鬼喰を、見も知らぬ他人に預けるつもりなど与三郎にはさらさらなかった。しかし男は、うっすらと笑みが浮かべながらなおも言った。

「そういう話じゃねぇんですよ。それがここでの決まりなんですよ、だんな」

 騒ぎを聞きつけたのか、周りにも同じような男が二人、三人、いつの間にか湧いて出てきている。与三郎は囲まれていた。与三郎は舌打ちした。

「ならば帰る」

 踵を返そうとした瞬間、腕を掴まれた。

「おっと、ここまで来てそれはねぇだろ」

 男の手に力がこもる。

「放せ」

 与三郎が低く言ったが、男は笑ったままだ。与三郎は腕を振り払った。反動でよろけた男が、羽目板に倒れかかった。

「なにしやがる!」

 空気が変わった。与三郎は背にしていた羽目板に鬼喰を立てかけて構えると、男に一発拳を打ちこんだ。

 用心棒どもは刀こそ抜かなかったが、数で押し寄せてきた。与三郎が握った拳を振り下ろすと、用心棒は無防備な頭頂部を強か打たれてその場に悶絶した。

「この野郎!」

 更に打ち掛かってきた一人。与三郎の胸ぐらを掴んで羽目板に押しつけようとした刹那、与三郎がその鼻っ柱に肘を打ちこんだ。

「ほげぇ~!」

 鼻血を吹き出しながらこれも倒れ込む。次の瞬間、与三郎の身体が大きくぐらついた。用心棒のひとりが、与三郎の肩のあたりを強く引っ張ったためだった。

 与三郎は、体勢を崩しながらも咄嗟に手を伸ばした。背後に立てかけていた鬼喰を取ろうとしたのである。しかし与三郎の手が届くよりも先に、さらにもうひとりの用心棒が鬼喰を奪ってしまった。

「やっぱり預かっておくのが正解だったな」

 鬼喰の奪取に成功した用心棒が、いやらしくにやつきながら言った。打ち倒された仲間の用心棒どもが、鼻血を拭いながら立ち上がる。各々の手に脇差が握られていた。

 与三郎は奥歯を咬んだ。

(しくじったか)

 踏み込めば斬られようし、下がれば囲まれる。一瞬、動きが止まった。

 そのころ表通りでは、遊女屋での騒ぎを聞きつけて、店のなかを覗き込もうという人だかりができていた。

「なにごとですか」

 与三郎の跡をつけてきた狛若、野次馬のひとりをつかまえて訊ねるも

「どうやら喧嘩らしい」

 という以上の情報を得られない。

 遊女屋の中から怒号と打撃音が響いたかと思うと、幾人かの遊女が、悲鳴を上げながら逃げて出てきた。扉ごと吹き飛ばされた用心棒が、土煙を上げながら表通りに転がる。

「バケモンが!」

 用心棒が顔を腫れ上がらせながら毒づいた。追撃してきたのは与三郎であった。

(素手じゃないか!)

 衣のところどころに斬られた傷が見えるが、幸い身体には届いていないようだった。

(なにやってるんだ。鬼喰さえあればあんな無頼風情……)

 そう思って見ていると、さらに数人の用心棒が与三郎を追って出てきた。そのうちの一人が、見慣れた大太刀を握っている。どう見ても鬼喰である。

(バカ!)

 狛若は思わず心のなかで舌打ちをした。

(……知らん)

 狛若は無関心を装おうとした。

 だから駄目だと言ったのに――。

 闘争に背を向けて立ち去ろうとする。

(私には関係ない……)

 舌打ちひとつ。

(押領人討伐のためなんだから……)

 狛若は踵を返した。

「どうした、さっきまでの威勢は」

 脇差を構えた男がにじり寄って言った。見れば与三郎、左腕から血を流している。斬られたらしい。与三郎は敵から視線を外すことなく、じり、と足を動かした。

 その時であった

「与三郎さま!」

 野次馬をかき分けながら駆け寄せてきたのは狛若であった。狛若が大きく振りかぶって投げ渡したのは、圓曼より授かった左文字であった。与三郎は左文字を過たず掴み取った。

「げっ!」

 立場は逆転した。

 与三郎は左文字の鞘の先端で、鬼喰を握っている用心棒の腹を突いた。

「ぐえっ……!」

 息が詰まったような呻き声を上げて、膝から崩れる用心棒。与三郎は左文字を振るって用心棒どもの脇差をことごとく打ち落とし、腹を突き、顎を打った。

 闘争は終わった。

 用心棒どもは、痛む身体を互いに扶け起こしながら

「二度と来んな!」

 捨て台詞を吐いて店の中に逃げ込んでいった。鬼喰は与三郎の手に戻った。

 狛若が与三郎に駆け寄り、今日買ったばかりの印籠から何やら取り出した。軟膏であった。傷を手当てする狛若。

「すまなかった」

 謝るしかない。

「はぁ~……」

 狛若がため息を吐き、そして続けた。

「ひと言言って終わりに致しとうございます」

「……はい」

「与三郎のバカ!」

「……」

「あなたは田舎もんなんですからこうなると思ってましたよ。女となると目の色変えて、やれ印籠がどうだ路銀がああだと屁理屈ばっかり。ほんとみっともないったらありゃしない。だいたいこれがなんのための旅かあたなは本当に分かってるんですか? 私たちには大事な大事なお役目が……。聞いてるんですかっ!」

「聞いておる」

 ひと言言って終わるはずだった狛若の説教は、しばらく止まらなかった。

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