第三章 遊女屋乱闘之顛末 前
与三郎と狛若は宿場町に入った。稲富荘に至る道中の、唯一の宿場町であった。表通りに人々の往来や、商いの声が絶えない。圓曼大僧正に御供して、門前の市に出かけたことが一再ではない狛若も、はじめて訪れた宿場町には興味津々であった。
「わぁ! ご覧下さいませ与三郎さま!」
とある店先に駆け寄った狛若が歓声を上げた。見れば黄金や朱で彩られた印籠。
「きれい……」
「欲しいのか」
「はい!」
輝く狛若の表情。
「買えばよいではないか」
「あ……」
路銀を管理しているのは狛若であった。買うか買わないか、狛若が自分で判断すればいい。銭を支払うのは狛若なのだ。理屈で言えばそういうことになるのだが、狛若は紅い頬を膨らませながら言った。
「もう! そういうことではないのです!」
じゃあどういうことなんだと問ういとまもなく、狛若は懐から取り出した巾着を与三郎に押しつけた。与三郎は蒔絵の印籠を買い求めた。年老いた店の主人は、与三郎から銭を受け取るとこう言った。
「子守も大変だねぇ」
「まぁな」
与三郎が、買ったばかりの印籠を与えると、狛若が小躍りして喜んだ。
二人は宿を見つけなければならなかった。
街道を行く与三郎の視界に、艶やかに着飾った若い女の姿が映った。女は流し目を使いながら道行く男どもに声をかけていたが、与三郎にはそうしなかった。稚児を連れて歩く与三郎は、遊女にとっては客ではなかった。
二人は宿に入った。
「時に狛若」
いつになく神妙な様子で切り出す与三郎。
「なんでしょう」
「路銀に余裕はあるか」
印籠を買った手前、ないとは言えない。
「え……はい、まぁ……」
「いくらか貸してくれ」
「え……? いったい何に使おうっていうんです?」
狛若が明らかに警戒している。目の色を変えて銭を求める与三郎の様子が、異様に映ったのだろう。
「なんでもいいから貸せ」
「博打じゃないでしょうね」
「違う」
「じゃあなんなんですか」
「いいから貸せと言っている」
「困ります。なにに使うのか教えてもいただけず、ただ貸せとだけ言われましても……」
気まずい沈黙の後
「……女を買いに行く」
与三郎が怖い顔をしながら言うと
「……駄目です」
にべもなく断る狛若。
「なぜだ!」
「路銀に余裕がありません。そんな余計なものに……」
「ほぉ~、余計なものか。よくそんなことが言えたな狛若」
「……なんなんですか」
「そなたさっき買い求めた印籠、あれはなんだ。何のために使う?」
「何って……あ、そうだ。いろいろ入れるためです」
「いろいろ入れるため? なんでそれが蒔絵の印籠でなければならなかった。そこまでして必要なものだったのか、あれ」
「……」
「あんなもん飾りだろう」
「それは、その……」
今度は狛若がしどろもどろにならなければならない番であった。
「余計なものと申したが、あれこそ余計な買い物だったのではないのか。違うか狛若」
指摘を前に、狛若は継ぐべき言葉を失っていた。
「もう知りません!」
ひと言言い放つとともに、自棄を起こしたように懐から銭の入った巾着を投げ捨てる狛若。
「なにを怒っておる」
「知りません、知りません」
膝を抱えてそっぽを向く狛若の眼に、涙がいっぱい溜まっていた。ぎょっとする与三郎。
(悔しかったのか、言い負かされたのがそんなに……)
与三郎はそう思うことにした。
「すぐ戻る」
与三郎は巾着を握りしめると、そそくさと宿を出て行ってしまった。
「……与三郎のバカ」
狛若が呟いた。与三郎に、狛若の声は聞こえなかった。




