第二章 関守之紀助 後
事を荒立てまいと冷静に振る舞っていた行商も、さすがに気色ばむ。
その時であった。関守のひとりが狛若を一瞥した。何事か思いついたように、みるみる喜色にわく。
「よっしゃ、銭を支払われへんと申すならしょうがあれへん。ないもんを出せと言うほど俺も話の分からん男ではない。その代わり、それなる稚児を貸せい。もしそうすると言うんやったら、お前とお前はここを通したる」
行商と与三郎を指差し、そして続けた。
「なぁに、少しの間だけよ。全員が用を済ませたら返したる。終わるまで一刻もかかるまい。どうよ」
「そいつぁ銭よりありがてぇ!」
「久方ぶりよ!」
先ほどまでの気だるそうな雰囲気から一転、いやらしく笑う関守ども。全員が全員、頭のてっぺんから爪先まで、狛若をなめ回すように眺めている。品定めでもしているかのように。
与三郎一行の後ろにはずらりと行列が並んでいた。誰も、ひと言も発しない。人々の目が、狛若に注がれていた。
狛若の視線が一瞬与三郎に向いた。狛若は、目が合う前に瞼を閉じた。
狛若はふっと息を吐いた。次に瞼を開いたとき、その目からは感情は消えていた。
狛若の白い指が静かに水干の紐を解き始めた。
目を血走らせた関守どもが、前のめりになる。
「待て」
狛若の手に手を添えたのは与三郎であった。力はさほど強くなかったが、離そうとしなかった。
「お前、いまなにを……」
「え? あ、なにって……」
狛若は紐を解く手を止めた。
「邪魔立てするな!」
「ここを通りたくねぇんかい!」
「続きを見せやがれ!」
歓声から一転、怒号する関守ども。
決然と瞳を見開く与三郎、その背から鬼喰が抜き払われ、五尺五寸の刀身が陽光にきらめいた。
「やるか!」
「てめえ!」
負けじと、鑓或いは錆刀を構える関守四人。
「うわっ! 喧嘩や!」
「逃げろ!」
列を成していた人々、とばっちりを恐れて潮が引くように退き、突然始まった闘争を遠巻きに眺める。たちまち即席の闘技場が出来上がった。
関守のひとりが鑓を突き出したが、与三郎は半歩退いて逆袈裟に鬼喰を振りあげると、柄が切れた。与三郎は、切り上げた鬼喰をそのまま振り下ろし、棟打ちで関守の頭を打った。関守は昏倒した。関守の頭は、巻いていた鉢金ごと不自然に歪んでいた。
「野郎!」
錆刀と手鑓をそれぞれ構えた関守二人が、一斉に襲ってきた。与三郎は手鑓を払った。関守は退いた。
与三郎が呆然と立ち尽くす錆刀の関守に向き直り、鬼喰の切っ先でその喉を突くと、関守は呻いて死んだ。
「冗談じゃねぇ……!」
切れた手鑓を放り出して逃げ出す関守。残る一人も、得物を放り出して逃げだそうとした。そこへ、番所からぬっと姿を現し立ちはだかった者がいる。
「き……紀助さま……!」
見れば五尺になんなんとする金砕棒を携えた大男。身の丈は与三郎さえも超え、肥った巨躯を腹巻きで押し包んでいる姿は、地獄の鬼もかくやと思わせる威容であった。関守どもの頭目である。
「貴様らどこへ逃げようってんだ」
「ひえぇ……逃げるなどと……」
前門に紀助、後門に与三郎。
窮した関守二人は紀助を避けてなおも逃げようとしたが、紀助が金棒をぶん回すと、揃ってくの字にひしゃげる関守二人。
「うわーっ! 自分の手下を殺した!」
群衆から悲鳴が上がる。
紀助は血走った目を与三郎に向けた。
「貴様、ただで済むと思うなよ」
金棒を上段に構えてそびえる紀助。与三郎は鬼喰の柄を両手に握り、棟を肩に担いで構えている。
先に動いたのは紀助であった。金棒を振り下ろす。与三郎が身をかわすと、棒が深々と大地をえぐった。跳ね上げられた小石が勢いよく与三郎の頬をかすめた。
(当たれば死ぬ)
迫る紀助。与三郎が、鬼喰を構えたまま後退した。
横一閃、棒を振るう紀助だったが、与三郎はかわした。次の瞬間、与三郞は大きく体勢を崩した。棒を捨てた紀助が、与三郞の襟を握ったからだった。
与三郞も鬼喰を投げ捨てた。拳や肘で激しく打つが、離さないどころかなおも締め上げてくる。与三郞は紀助にぶん回された。宙に浮き、激しく柵に叩きつけられる与三郞。動けない。定まらない視線がちらりと鬼喰を捉えた。遠い。
「与三郎さま!」
狛若が呼ぶ。同時に、石を紀助に向かって投げつけ始めた。これに行商が続く。
「よせ……狛若」
言うが早いか、たちまちその数が増えた。野次馬に過ぎなかった群衆が、関所の頭目に向かって激しく石を投げつけ始めたのである。
ために紀助の視線が群衆に向いた。隙は一瞬だったが十分だった。与三郞は鬼喰を握ると、低く走り込んで紀助の脛を切った。
紀助が倒れ込んだ。
「やったぞ!」
「殺しちまえ!」
群衆から怒号が聞こえた。
「殺せ」
紀助が低く言った。与三郞は鬼喰を上段に構えた。やるか、と思われた瞬間、与三郎が狛若をちらと見た。水干の紐は、ほどかれたまま風に靡いていた。
与三郎は紀助の首を刎ねた。
「通れる。銭がなくても通れるぞ……」
静かだった人々に言葉が戻った。脇差を手に、柵や番所を結わえている荒縄を切る人もいる。関所はめきめきと音を立てて崩れ去った。人々は、笑顔で「元関所」を通過していった。
与三郎が鬼喰を拭いながら狛若に言った。
「……二度としてくれるな」
狛若は、ほどきかけていた水干の紐を、今度は固く結び留めた。




