第一章 山越之顛末 前
旅の二人の距離が開いていく。狛若は、大柄な与三郞についていくのがやっとであった。与三郞はたびたび後ろを振り返らなくてはならなかった。
平井入道討伐の命を受けたことは与三郞にとって名誉だった。与三郞は、自分自身の武名に誓って、伊佐嶋荘代官を討伐した十年前のように、たったひとりで平井入道を討伐するつもりであった。そんな与三郞に、どう見ても武力に欠ける稚児が附された所以は、要するに監視のためであった。
「ここから先、難所が続くであろうからお前では無理だ。帰れ」
このように申し向けて、狛若ひとり引き返させるのもひとつだったかもしれない。しかし路銀を握っているのは狛若であった。引き返させるにしても、路銀を渡してもらわねば旅は続けられず、もしそんなことをすれば「与三郞は路銀を奪って逐電した」などとあらぬ疑いをかけられかねなかった。
卑怯な振る舞いを疑われることは、与三郞にとって堪えがたいことであった。与三郞は、狛若が追いつくのを待たねばならなかった。
街道を行く二人の前に山が見えてきた。最初の難所であった。
「与三郎さま、山には村を捨てて食い詰めた百姓が賊となって棲みついていると聞きます。いまから入れば山を下りる前に日が沈みましょう。明日の朝まで待った方が安全です」
狛若が警告した。与三郞は一瞬考えた。
もしここで山に入ることを主張すれば、狛若は山賊を恐れて寺に帰ると言い出すかも知れなかった。もしそうなれば、与三郞が追い払ったのではなく、狛若が自分の意思で任務を断念したことになり、建前上は与三郞が追い出したことにはならない。
少しの沈黙のあと、与三郞はひと言
「入る」
とだけ答えた。
狛若はなにごとか思案をめぐらせている様子を見せたあと、与三郞の考えに反して
「分かりました」
と答えた。与三郞のアテは外れた。
山に入るとすぐに小屋が見えてきた。迷わずこれへ入ろうとした与三郞を、狛若が止めた。
「小屋は駄目です。先を急ぎましょう」
体力に劣る狛若の方がむしろ積極的に進むことを主張した。与三郞は意外に思った。
山の一日は早い。日は急速に傾いていった。与三郞は夜に備えて山頂を目指したが、狛若は
「いけません。沢に向かって下りた方が賢明です」
まったく逆を主張した。
「頂きを目指すのが定石と聞いておるが……」
与三郞が言うと
「賊が待ち構えているに相違ございません」
狛若は続けた。
「小屋も頂きを目指す定石も、賊の罠です。いままで寺では、賊に襲われ逃げ込んできた旅人を何人も助けてきました。皆そう言ってました」
だからこの山でひと晩を過ごす場合は、どれだけ寒かろうが小屋に泊まらず、たとえ遠回りになったとしても、頂きではなく沢を目指すのが賢明なのだと狛若は言った。
(ただの世間知らずではないな。この小僧)
与三郞は狛若を少し見直した。
与三郞と狛若は沢付近まで下りた平地にたどり着いた。ずいぶんと開けた場所であった。与三郞はここを宿営地と定めた。
春は着実に近付いていたが未だ冬の寒さを色濃く残していた。二人は、そこら中から枯れ木や枯れ草を集めた。寝床をつくり、或いは薪にするためであった。狛若は薪に火をつけた。火を絶やせば一夜にして凍死してしまうに違いなかった。
焚き火に枯れ木をくべながら与三郞が訊ねた。
「別当は、何故お前のような稚児に供を命じたのだ」
「修行じゃと仰せでした。かわいい子には旅をさせよと。圓曼さまは、山崩れに呑まれた村から、赤子だった私を救ってくれたのです。圓曼さまの御諚とあれば、私は地獄へも参りましょう」
狛若は続けた。
「寺ではつらい修行もございました。圓曼さまはそのたびごとに、よくぞ堪えた、偉かったぞとお褒め下さいました。最近新しく幼い稚児が入りました。圓曼さまもお忙しいらしく、いまはその者に付きっきりで、狛若には、修行の成果を発揮せよと仰せになって、与三郎さまの供を命じられたのです」
狛若は、焚き火に顔を赤く照らされながら、時に寂しげに、時に誇らしげに決意を語った。
「狛若が最後まで与三郎さまに尽くし、平井入道討伐を遂げることができたならば、圓曼さまはきっと、きっと前々のとおり狛若をお側に置いて下さるに違いありません」
(なるほど、道理で……)
帰ろうとしなかったわけだ。
(前々のとおりというわけにはゆくまい)
与三郞は、開きかけた口を噤んだ。




