最終章 平井入道芳眼討伐之次第 後
狛若は与三郎よりはるかに幼かったが、世の裏も表も見透かしたような目をしていた。僧正の庇護を受けるためにはどんな言葉を選び、どんな振る舞いをすればよいかを、まるで長年仕えてきた者のように心得ていた。それは、狛若が香大寺で生きていくなかで身に付けた術だったのだろう。与三郎は、その幼い肩にどれほどの重みが課せられてきたかを思い、胸の奥に確かな痛みを覚えた。
――みほとけの教えとは何ぞ。衆生を苦界より救うためにあらずや。
ほんらい弱き人々をこそ救うべき高僧が、あろうことかこの世のありとあらゆるところに充満する不条理のひとつとなって、おおかた銭の力にモノを言わせてその身を買い受けたのだろう、狛若に苦しみと恥辱を与えてきたのだ。
「御仏にお仕えする身なればこそ、餓え苦しむことなく日々を暮らすことができるのであるぞ」
圓曼は、このようなことを繰り返し言い聞かせることによって、稚児たちを心の随まで支配し、身も心もほしいいままに弄んできたに違いない。そしていま、圓曼は、十をこえて古くなり、好むところではなくなった狛若を厄介払いするついでに、与三郎に付して、この過酷な旅へと追いやったのである。
そんな自らの境遇に気づきもせず、それでも圓曼に忠節を貫こうという狛若!
「どうしても行くというなら!」
与三郎の心を知らない狛若が脇差で突き掛かってきた。
「よせ狛若!」
狛若を組み伏せるなど与三郎にとっては造作もないことであった。ついてきたくないならどこなと去れと申し向け袂を分かつのもひとつだろう。しかしなんの力も持たない狛若が生き抜いていこうと思えば、誰かに仕えるしかない。食い扶持を得んがために、名も知らぬ何者かに笑みを浮かべる狛若の姿が、与三郎の脳裡によぎった。その笑みは、与三郎に向けられたものと寸分も違わぬものであった。
狛若は既に一度壊されている。このまま生かしておけば、同じように何度でも壊される。
(ならば――)
嵩にかかって狛若が突き掛かる。切っ先が与三郎の腕をかすめた。熱さにも似た痛みが走った。狛若の手首を与三郎が掴んだ。力を込めれば砕けるのではないかと思われるほど華奢な手首であった。だから与三郎は、壊さぬよう強く握らなかった。代わりに手刀でたたくと、狛若は驚くほどあっさりと脇差を手放した。
与三郎が狛若を軽く突き放すと、狛若が何事か口走ろうとした。与三郎は鬼喰を横一閃振り抜いた。狛若の身体は静かに崩れ落ちた。
狛若が消えた現世には暗闇と静寂ばかりが残った。
与三郎は狛若の首を抱いて、近くの川までとぼとぼと歩いた。月明かりに照らされながら、赤く汚れた狛若を洗う与三郎。白く血の気を失った狛若は、どんよりと半開きにした目を与三郎に向けていた。与三郎は狛若を据え置いた。
与三郎は鬼喰を構えると、河原にあったひときわ大きな石をこれで叩いた。鬼喰はちょうど真ん中あたりで二つに割れた。割れた刀身は中空に舞い、青白い月明かりをきらきらと反射しながら河原に突き刺さった。
与三郎は鬼喰をその場に打ち捨てると、二度とこれを拾うことはなかった。与三郎は、代わって左文字の太刀を帯びた。狛若は一部始終を見ていた。
与三郎は狛若を平包でやさしく包むと、香大寺へと向かった。
狛若は日一日と傷んでゆき、下顎が落ちた。しゃれこうべばかりになったのを機に、両のこめかみを穿って念珠を通した。与三郎と狛若の道行く姿に、人々は眉をひそめた。子どもは泣き出し、僧ですら目を背けた。生きている者にするように、しゃれこうべに語りかける与三郎の姿を見た者もあった。しゃれこうべを穿った念珠の侍の風聞は拡がっていったが、他人の目など与三郎にとってはもうどうでもいいことであった。
与三郎は、平井入道討伐を復命するためと号して香大寺へと舞い戻った。そこかしこから槌を打つ乾いた音が響き、辺りいちめんに新木の香りが充満している。しばらく見ない間に、香大寺の修築はずいぶんと進んでいた。




