文化祭一日目(後編)
■文化祭一日目(後編)
昼休憩に入った蒼紫は、控え室へ戻り、執事服を脱いだ。
午前の接客で張りつめていた空気が、布を外すたびに抜けていく。
クラスTシャツに着替え終えると、
蒼紫は喧騒から少し離れた廊下の窓際へ移動し、深く息を吐いた。
ほんの数分だけの静けさが、身体にじんわりと染み込んでいく。
そんなとき——
「蒼紫くん!」
明るい声が背後から響いた。
振り返ると、クラスTシャツに着替えた紅莉が、
軽く息を弾ませながら駆け寄ってくる。
紅莉「よかったらその……一緒に文化祭回らない?」
胸元を押さえながら、どこか期待を隠しきれない笑顔を浮かべていた。
蒼紫「分かった。一緒に行こう」
紅莉の目がぱっと輝く。
紅莉「うん!」
その返事は、午前中のどの声よりも弾んでいた。
こうして二人は、文化祭の賑わいの中へ歩き出した。
■『暁熱志の激熱たこやき』
廊下には屋台の呼び込みや笑い声が響き、校舎はどこも人であふれていた。
紅莉は歩きながら、少し照れたように口を開いた。
紅莉「ねぇ蒼紫くん。行きたいところとかある?」
蒼紫は少し考え、午前中の水瀬とのやり取りを思い出した。
蒼紫「一年B組のたこ焼き行ってみるか。暁が頑張っているらしい」
紅莉の目がぱっと輝く。
紅莉「えっ、いいね! 私も気になってたの!」
蒼紫「じゃあ決まりだな」
紅莉は嬉しそうに頷き、蒼紫の横に並んで歩き出した。
廊下の角を曲がると、すでに人だかりができている教室が見えてくる。
——一年B組『暁熱志の激熱たこやき』
教室の前に近づくにつれ、
周囲の空気がほんのり熱を帯びていくのが分かった。
紅莉「あれ? なんか、あったかい……?」
蒼紫「とりあえず、並ぶか」
人だかりの隙間から覗くと、鉄板の前には暁を中心に、数名の男子が並んでいた。
彼らの周囲には、まるで陽炎のように揺らめく赤いオーラが漂っている。
鉄板の下に手をかざすたび、赤い光が灯り、
鉄板がじゅわっと音を立てて温度を上げていく。
紅莉「わぁ……魔法で温度調整してるんだ……!」
蒼紫「暁は文化祭でも全力だな」
暁は赤いオーラを調節し、たこ焼きを高速でひっくり返していく。
生地が膨らみ、表面が香ばしく色づく。
暁の隣の男子たちも、指先に赤い光をまとわせながら鉄板の温度を微調整している。
その息の合った動きは、まるで炎を操る職人たちのようだった。
紅莉は小さく息を弾ませ、蒼紫の横顔を覗き込んだ。
紅莉「ねぇ蒼紫くん……すごいね、暁くんたち」
蒼紫「まさか、魔法でたこ焼きを焼くとはな」
そのとき、暁がこちらに気づき、右手を軽く挙げた。
暁「おお!! 蒼紫! 来てくれたのか!!」
紅莉は軽く会釈し、蒼紫は軽く手を挙げて応えた。
暁「よーし! 焼きたての激熱を出してやるからな!覚悟しとけよ!」
蒼紫「……熱すぎるのは遠慮したいんだが」
暁「遠慮すんな! 文化祭は熱くなきゃ意味ねぇ!」
紅莉はくすっと笑い、蒼紫の横で楽しそうに列が進むのを待った。
列が少しずつ前へ動き、やがて受付の机が見えてくる。
その前に立っていたのは――水瀬だった。
水瀬はお客さんに笑顔で対応していたが、
蒼紫たちに気づいた瞬間、その表情がわずかに揺れた。
水瀬「来てくれたんですね。蒼紫くん……それに神崎さんも……」
明るい声の奥に、かすかな戸惑いが混じったように聞こえた。
紅莉「あっ!水瀬さんだ!」
蒼紫「暁が張り切ってるみたいだな」
水瀬「うん……今日ずっとあの調子で。でも……来てくれて、嬉しいです」
最後の一言だけ、ほんの少しだけ声が小さくなった。
会計を済ませて列を進むと、鉄板の前で暁が豪快にたこ焼きをひっくり返していた。
暁「おーし、できたぞ! 特製の激熱たこやきだ!」
湯気が立ちのぼる舟皿を、暁が誇らしげに差し出す。
紅莉「わぁ……おいしそう……!」
蒼紫「……見た目からして熱そうだな」
二人は屋台の横に設けられた簡易テーブルへ移動し、並んで腰を下ろした。
紅莉は恐る恐る一つを箸でつまみ、ふーっと息を吹きかけてから口に運ぶ。
紅莉「……っ、あつ……! でも、おいしい……!」
頬を赤くしながら、目を細めて笑う紅莉。
蒼紫も恐る恐る、たこ焼きを口に運ぶ。
蒼紫「……っ、熱いな。けど、美味いな」
紅莉はたこ焼きを冷ましながら、蒼紫の方へ向き直った。
紅莉「ねぇ蒼紫くん……この後はどこに行く?」
蒼紫は少し考えるように視線を上げ、人混みの向こうを見やった。
蒼紫「……氷山先輩たちがお化け屋敷をやっているらしい」
紅莉「そうなんだ! 熱いの食べた後だし、ちょうどいいね」
紅莉は嬉しそうに微笑んだ。
たこ焼きを食べ終えた二人は、二年A組へと足を運んだ。
■『雪女の館』
「……ここ、だよね?」
紅莉は入口の前で足を止め、薄暗い廊下の奥をのぞき込んだ。
教室の扉には大きく『雪女の館』と書かれた紙が貼られ、
その隙間から水色の冷気がふわりと漏れている。
蒼紫「……氷山先輩らしいな」
中は薄暗く、魔法で作られた冷気が足元を這うように漂っている。
紅莉は思わず蒼紫の袖をつまんだ。
紅莉「ひ、ひんやりしてる……本物みたい……」
蒼紫「ただの演出だ」
そう言いながらも、蒼紫の吐く息も白くなっている。
そのとき──
「……蒼紫くん……」
背後から、か細い女の声。
紅莉「ひっ……!」
紅莉は思わず蒼紫の腕にしがみついた。
蒼紫「……っ」
突然の距離の近さに、蒼紫の肩がわずかに跳ねる。
蒼紫が振り返ると、白い着物を着た“雪女”が立っていた。
長い黒髪、青白い肌。
ただし──
蒼紫「……凛先輩」
紅莉「なんだ……凛先輩か」
紅莉は蒼紫から離れて、胸をなでおろした。
雪女の正体は氷山凛。
口元に笑みを浮かべ、両手を広げて蒼紫に近づいてくる。
凛「蒼紫くん、寒いよ〜? 抱きしめて温めて〜?」
紅莉「こ、怖いっていうか……なんか違う……!」
蒼紫は軽く横に避け、
凛の“抱きつき雪女アタック”を自然にスルーした。
凛「ちょっと〜! 反応薄いよ蒼紫くん!」
今度は真正面から無表情の雪女が現れた。
氷山冷だ。
紅莉「ひゃああっ……!」
冷は無言のまま、
蒼紫の顔のすぐ近くまですっと滑るように近づく。
蒼紫「……冷先輩、近い」
冷「……驚かないの、つまらない」
凛「ほら冷、もっとやって! 蒼紫くんビビらせて!」
冷は無表情のまま、蒼紫の肩に冷気をまとった手をそっと置いた。
紅莉「さ、さむっ……! え、……本物……?」
蒼紫「ただの魔法だ」
紅莉は蒼紫の袖をぎゅっと握りしめ、半歩だけ後ろに隠れる。
凛「後輩ちゃん、かわいい反応するね〜!」
冷「……この子、いい悲鳴」
氷山姉妹はクスクスと笑う。
蒼紫は二人の雪女を軽くかわし、紅莉を連れて奥へ進む。
蒼紫「……出口はあっちだ」
凛「また来てね〜蒼紫くん〜!」
冷「……次は驚かせる」
二人の声が、冷気の漂う『雪女の館』に静かに響いた。
外に出た瞬間、紅莉は肩の力を抜いて大きく息をついた。
紅莉「……はぁ〜……怖かった〜……!」
蒼紫「そんなに怖かったか」
紅莉「怖かったよ! あの冷先輩の無表情、反則だよ……!」
紅莉「でも……文化祭って感じで楽しかった!」
蒼紫「……そうか」
紅莉「蒼紫くんは? 今日は……どうだった?」
蒼紫は少しだけ視線を横にそらし、いつもの淡々とした声で答える。
蒼紫「楽しかった」
紅莉はその一言だけで、ぱっと表情を明るくした。
紅莉「そっか。ならよかった!」
紅莉は少し寂しそうに下を向いた。
紅莉「そろそろ戻らないとね」
蒼紫「そうだな」
紅莉は顔を上げ、いつもの明るさを取り戻したように微笑む。
紅莉「改めて、今日はありがとう!とっても楽しかったよ!」
蒼紫「こちらこそ、ありがとう」
蒼紫は短く返し、優しく微笑んだ。
蒼紫「帰ったら執事か……」
文化祭の喧騒の中、二人は歩き出した。




