スライム
ぴょこん。
あまりに弱々しい物音を立て、その魔物は姿を現す。
「この魔物なんだろう?かわいいねえ」
フェルスは思わず声をあげる。
エルマはフェルスの放った「魔物」という単語に反応し、杖を構え振り向く。
それは――最弱の魔物、スライムだった。
「スライムね」
エルマはほっとした声をあげる。
またイカ型の魔物が出てきたらひとたまりもない。
あの魔物はなぜだか異様に強かった。
だが、相手がどんなに弱い魔物でも警戒心を絶やしてはならない。
スライムとはいえ攻撃はしてくる。
エルマは杖を前にかざし、大気中の粒子に力を込め始めた。
粒子が振動し始める。
スライムも反応してエルマに飛びかかろうとしている。
「待って」
フェルスはエルマとスライムの間に立ち、スライムをかばっている。
「こんなかわいくて綺麗な魔物、見たことない。ペットにする」
「ペット?」
エルマは思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
ペット?
頭の中で再び言葉を反芻する。
魔物は危険だ。
どんな見た目であれど。
それがエルマがアカデミーで習ったことだった。
それをペットとは、どうかしている。
第一ペットにしても魔物は人間に攻撃してくるだろう。
「危ないわよ。攻撃されるわ」
エルマはフェルスに注意を呼びかける。
「大丈夫。ほら、こっちにおいで」
フェルスはスライムに優しく呼びかけると、スライムは嬉しそうな様子でフェルスの手の方にプルプルと近づいてきた。
一方、エルマには敵意を剥き出しにして、威嚇している。
エルマは言葉を失っていた。
魔物が人間に懐いた――
そんなことありえない。
目の前で起きている事実を必死に否定しようとしたが、やはりスライムはフェルスに懐いていた。
エルマはイカ型の魔物を思い返す。
あの魔物は嬉しそうにフェルスの周りを飛んではいなかったか。
あの魔物もフェルスに懐いていたのだろうか。
フェルスはスライムを両手で抱き抱えると、存在しない毛並みを撫でるかのように手でさすった。
スライムは気持ちよさそうに身を任せている。
「この魔物は綺麗だし、それに食べても美味しくなさそうだ。うん、やっぱりペットにしよう」
「ちょっと待って、美味しくなさそうって、魔物を食べ物だと思ってるの?」
「そうだね、お腹が空いたら食べることもあるな。基本は木の実とか魚を食べることが多いけどね」
エルマは絶句した。
「魔物を食べるですって!? 人間が摂取すれば体内が汚染されて死に至る……それを食べるだなんて......」
「魔物を食べてお腹壊したことはないけどなあ。山にはいっぱいいるから、たまに食べてるんだ。でもあのイカみたいな魔物はもう食べ飽きたな」
「え、あの魔物他にもたくさんいるの?」
エルマは自分の顔が引き攣るのを感じる。
自分を殺しかけたあのイカ型があと何体もいる。
そう考えると、あまりにも恐ろしかった。
毒である魔物を食べるフェルスと、何体もいる凶悪なイカ型の魔物。
この2つの信じがたい情報に、エルマは危機感を抱く。
自分が今まで学んできたことはなんだったのか。
それはとても狭い世界の中の常識だったのではないか。
エルマは驚きつつも、新しい現実をまっさらな心で受け止めなければ、と深呼吸する。
同時に、禁域の解放と共に恐ろしいイカ型の魔物たちが外に出てきた可能性に思い至る。
おそらくそのせいでエルマとイカ型は遭遇したのだ。
あんな魔物が世に解き放たれたら、世界は終わってしまう。
早くギルドに報告しなければ。
エルマは焦った。
「急いでギルドに向かうわよ、あのイカ型の魔物が世に出たら大量の死傷者が出るわ」
「そんな危険かな?あの魔物、怖い?」
「危険だし怖いわよ。私を殺そうとしてたでしょ」
「確かに」
フェルスは納得して考え込んだ。
どうしてフェルスに魔物が懐いてエルマには攻撃するのだろうか。
フェルスは自分がおかしいのかエルマがおかしいのか分からなくなり混乱した。
フェルスが手元のスライムを見ると、フェルスの手に身を擦り寄せている。
だが、エルマが近づくと途端に体を硬直させ、威嚇の音を立てた。
自分の常識は人にとって常識ではないのかもしれない――フェルスは山から降りてきた自分が世間知らずであることをしみじみと感じた。
エルマはフェルスが魔物を手懐けたことに驚いていたし、食べると言った時も驚いた顔をしていた。
やはり、もっと世界のことを知りたい。
フェルスはそう痛感するのだった。
「ほら、ギルドに向かうわよ。ここから一番近いギルドはノルトの街のギルドね。向こうに城壁が見えるでしょ」
エルマはフェルスに説明した。
フェルスは興味津々といった顔でそれを聞く。
ギルド、いい響きだとフェルスは思った。
かつてグラハムとイサクが街やギルドについて語っていた。
「ギルドって人がたくさん集まってるところでしょ?魔法使いたちが仕事をしているのは知ってるよ」
「そうよ。知ってるのね。魔法使い以外もいるわよ。山から来たなら当然ギルド員の証は持っていないと思うし、発行もしないといけないわ」
「そうなのか。それは知らなかったな」
フェルスはギルドへ行くのを楽しみに思っていた。
一体どんな世界なのだろうとフェルスは期待する。
そして危ないからとスライムを収納魔法でしまい、歩き出す。
こうして二人は最寄りのギルドのあるノルトの街へと歩みを進めた。
――ノルトの街で起こる一連のトラブルなど、この時はまだ予想だにしていなかったのである。




