フェルス
「俺?俺の名前はフェルス」
少年、フェルスは肩にかからない程度の長い黒髪を風になびかせ、飄々としていた。
動物の皮でできた服は彼の野性的な雰囲気を際立たせている。
「君は?」
フェルスは聞き返す。
「エルマよ。エルマ・ヴァレンス」
「エルマっていうのか。いい名前だな。出会えて嬉しいよ」
エルマはフェルスに褒められて悪い気はしなかった。
この少年、フェルスは不気味な力を持っているが、フェルス自身に不気味な要素は無いとエルマは思った。
「それで、さっきの魔法は何なの?普通粒子を介した4元素の魔法しか人は使えないはずだけれど」
エルマは自分が得意とする火属性魔法のことを思い浮かべながら話を続けた。
足元には依然として火属性魔法の残り火が燻っている。
「あれは収納魔法だよ。ものをしまう魔法。でも4元素?なんだろう、聞いたことないな。名前からしてこの火の魔法もその一つなんだね」
フェルスは足元の火を眺めながら呟く。そして急に
「収納魔法」
と魔法を発動させると、紫色のドロドロを宙に展開した。
エルマは思わず杖を持つ手に力を込め、身構える。
何度見ても、この世界が欠落したかのような不気味な魔法には慣れない。
目を凝らして見てもやはり魔法には粒子の運動が無かった。
それにしてもこの少年、フェルスは魔法を発動させて一体何をするつもりなのか。
「早く消さないと燃え広がっちゃう」
フェルスは紫色のドロドロの中から僅かばかりの水をちょろちょろと放出した。
しかし火は水の勢いに比べて遥かに強く、効果は無い。
エルマはフェルスが何をしているのか察し、水属性魔法を発動させる。
「汚れを払い、凪げ。帰還せよ――『アクア・レクイエム』」
エルマは大気中の粒子を滑らかに移動させた。
途端に小さな水の波が発生し、火を押し流す。
エネルギーが過剰供給された火種には冷却波を当てるのが最適な解答だ、エルマは心の中で呟く。
エルマは「アクア・レクイエム」をもう3回発動させると、全ての火を消し止めた。
フェルスは目を輝かせてその様子を眺めている。
「かっこいい!すごい勢いの水だ。俺も使えるようになりたいなあ」
「かっこいいかしら?ただの初級魔法よ。大体誰だって使えるはずだけど」
エルマはフェルスに返答すると、この少年はそもそも4元素の魔法という概念を知らないんだった、と思い出す。
当たり前の常識を下敷きにして話を進めてはならないな、と心の中で思いながら、エルマは謎に満ちたフェルスの情報を得るため、質問をした。
「君は、フェルスはどこから現れたの?ここ一帯には『禁域』の山とノルトの街しかないけれど」
「『禁域』がなんだか知らないけど、そこの山に今までずっといたよ」
「......!」
質問をしたのにエルマの謎は広がった。
フェルスが来たと言っている場所、それは「禁域」と呼ばれており、謎の力によって入ることができない未踏の地であった。
いつ禁域に人は立ち入れるようになったのだろうか。
エルマは考える。
この少年、フェルスはずっと山にいたと言った。
つまり、立ち入れないと思っていた山には今までずっと人が住んでいたことになる。
「『禁域』、いや、山の中に他に人はいたの?」
エルマは素朴な疑問を口にする。
「いや、俺一人だけだったよ。あ、でもいつだったかな、冒険者二人組が外から来て滞在したことがあったよ。エルマは聞いたことある?グラハムとイサクっていう名前なんだけど。また会いたいなあ」
エルマはその名前に聞き覚えが無かった。
「禁域」に外部から侵入した人間がいるなんて、信じられない。
禁域を守る透明の防壁は最上級魔法を当てても侵入できないことで有名だ。
その未知の人物、グラハムとイサクはただものではないだろう。
エルマの背中に戦慄が走る。
禁域の謎、未知の人物。どれも不思議でならない。
だが、今はそれ以上に、目の前で呑気にしているフェルス自身の異常性が気になった。
エルマは警戒心を悟られないよう、努めて平静な声を作った。
「グラハムにイサク、聞いたことないわね......それにしてもフェルスは山に来る前はどこにいたの?」
「物心ついた時からずっと山だよ。ずっと一人だったから誰かと話したいなと思って山を降りてきたんだ」
「そうなのね、それは寂しいわね」
エルマはずっと一人でいる寂しさを想像して身震いした。
自分ならきっとずっと一人では耐えられないだろう。
なぜずっと一人だったのか、気になるところはありつつも、エルマは少しだけフェルスに対して同情心を感じた。
「だから、友達になって欲しいんだ。その4元素魔法?のことも知りたいし、山の外のことを教えて欲しいんだ」
エルマはこのフェルスの唐突なお願いに面食らった。
あまりにも謎が多すぎて友達になるだなんて考えられなかった。
それにたった今出会ったばかりだ。
だが、エルマもフェルスの魔法の秘密を知りたかった。
それに、自分の知っている魔法体系に組み込めば新たな理論を確立できるのではないかという野心も感じていた。
フェルスと友達になり行動を共にすればそれが叶う――エルマは打算的に考えた。
みすみすこのチャンスを逃すわけにはいかない。
「いいわ。友達になりましょう。魔法のことでも社会のことでもなんでも教えてあげるわ。代わりにさっき使った魔法を私に教えてちょうだい」
「うん!嬉しいな!友達ができた!」
フェルスが無邪気に喜ぶ一方、エルマは未知の魔法、いや、魔法ですら無い何か、について知ることができる喜びに震えていた。
エルマの緊張の糸はほぐれ、完全に気を抜いていた。
その背後から迫る新たな魔物の影に気づくことも無く。
同じ頃。暗い部屋の、高く積み上げられた本と本の間で、男――グラハムは、唐突に手元の羽ペンをへし折った。
彼の視線の先にあるのは、机に広げられた地図。
その一角、人が決して足を踏み入れることができない「禁域」の山を示す地点が、静かに赤く明滅していた。
結界が、破られた。
その事実を頭で理解した瞬間、グラハムの額に理由のわからない冷や汗が滲んだ。
……なんだ、この胸の奥が粟立つような感覚は。
不快感を押し殺した冷徹な声で、扉の向こうの部下に告げた。
「……禁域及びその周辺に異変発生。監視を強化しろ」




