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出会い

「――なぜ、私は泣いているのだろうか」


 薄暗い、静まり返った袋小路。

 その老剣士は、必殺の間合いで刃を構えながら、自身の頬を伝う一筋の水滴に困惑していた。


 目の前で壁に追い詰められているのは、排除対象の少年。

 容赦なく剣を振り下ろし、その命を絶たねばならない。

 それが私に課せられた役目だ。

 

 だというのに。


 少年の首筋へと刃を向けたその瞬間――私の魂が、ひどく軋んで慟哭をあげた。

 なぜだ。

 ただの標的を前にして、なぜ私の両手はこれほどまでに震え、斬ることを激しく拒絶する――?


 そんな過酷な運命が待ち受けていることなど、今の少年はまだ何も知らない。

 ――当の少年フェルスは、呑気に山を降りていた

 私は今日、この場所で死ぬのかもしれない......エルマは心の中で呟く。


 3メートルはある巨大なイカ型の魔物が彼女の前に立ち塞がり、次々とビームを打ち込んでくる。

 曲線軌道を描き迫ってくるビームは避けるのが難しい。

 その一方で、急所に一発でも当たったらひとたまりも無かった。

 1回に1発しかビームを打ってこないのがまだ救いだとエルマは痛感する。


 ブウーンと音を立て、ビームがエルマのブロンドの髪をかすめる。

 思わずゾッと寒気が押し寄せた。

 それで気が散ってしまい、足がもつれてしまった。

 次の攻撃を避けきれない。


 ブウーン。

 今度のビームはエルマの頬をかすめた。

 ッ!

 エルマはその美しい顔を苦痛のあまりしかめた。

 踏み込んだ一足が足元の泥を跳ね飛ばし、衣服を茶に染める。


 こんなはずでは無かった。

 彼女は中央都市の魔術アカデミーを主席で卒業し、歴史に残るあらゆる魔物の生態を網羅し、最適な魔法を0.1秒で演算できる。


 だと言うのに。


 このイカのような魔物は彼女が知っているどの魔物にも当てはまらない。

 動きが速すぎる。

 攻撃力が致命的すぎる。

 そして何より、恐ろしかった。


 魔法は当たらず、簡単に避けられてしまう。

 魔物に当たらなかった火属性魔法があたりの植物を燃やし、これ以上足の置き所が無い。


 ブウーン。

 波状のビームから身をかわし、火と魔物から離れようと後退する。

 魔物はすかさず着いてきた。

 後退し続けながらエルマは魔法の錬成をする。


 大気中の粒子に力を込めお決まりの呪文を詠唱すると、今までのアカデミー生活での経験に裏打ちされた自信が自然と戻ってくるかのようであった。


「煉燼の灯火よ、我が命に応じ、敵を灰燼に帰せ――『プロミネント・バースト』」


 エルマは魔物から目を離さず叫ぶ。

 大気中の粒子は火属性魔法特有の動きを始めると、次第に結合し、火花の形になる。

 次の瞬間、巨大な火の玉になった火花の集合体は、徐々にスピードを上げながら魔物の方へと向かっていく。


 これで勝負がつくだろうか。

 エルマは警戒心を切らさず、魔法の着弾を見守る。

 プロミネント・バーストの着弾まで残り0.2秒。大気中の粒子密度は最適、術式の組成も完璧。


 なのに、イカ型の魔物はまるで空間そのものが傾いたかのように、別の方向へと不自然に引き寄せられていく。

 魔物が引き寄せられた方向を振り向くと、少年が一人立っていた。


「危ない!逃げて!」


 エルマの意識がそれたせいで火球はコントロールを失い、地面に落ちていく。


「火の玉、落ちたら火事になっちゃう。大変だ」


 少年はつぶやいた。


 今はこんなことを言っている場合じゃない。

 エルマはどうにかして少年を守るため策を練った。

 火事どころの話ではない。

 生命の危険が二人に及んでいるのだ。


「収納魔法」


 ふと、少年が呟く。

 二人の顔を照らしていた火の玉の明かりがたちまち消える。

 火の玉はもうどこにも無かった。


 どういうトリック?

 魔法特有の粒子の活動は認められなかった。

 エルマは驚いたが、すぐに動き出した思考を一旦停止させる。


 気を取り直して魔物の方を振り向くと、少年に覆いかぶさっていた。

 まずい。

 エルマは急いで少年の方へ駆けていく。


 しかし魔物はそれよりも早くその何本もある足を全てエルマに向ける。

 足の先が白く輝き、今にもビームが打ち込まれそうだ。

 エルマは少年に気をとられる前にまず自分の身を案じれば良かったと後悔した。


 10本の足から10本のビームが飛び出し、うねる。

 避けられない......!

 エルマは杖を身代わりにするように前に出し、身をかがめて目を閉じた。


「収納魔法」


 エルマはまだ自分が生きていて耳が聴こえることに驚きつつも目を開ける。

 ビームは全て跡形も無く消えていた。

 代わりに紫色のドロドロとした空間が、エルマと魔物の間に、盾のように立ち塞がっている。


 これが魔法だというのだろうか。

 紫のドロドロの中には魔法を発動させるのに必須の粒子の活動が一切なかった。

 それどころか、万物を構成する粒子そのものが無かった。

 あまりの現象にエルマは声を失う。


「ほら、仲良くしないとダメだよ」


 少年は魔物に何やら話しかけている。

 そして魔物は嬉しそうにその足をくねらせ、少年の周りを浮遊している。


「どうして......危ないわ!」


 エルマが少年と魔物の方に向かって歩くと、イカは再び威嚇姿勢をとり、足を高く掲げた。

 ビームを打つ準備姿勢だ。


「どうして?仲良くしないとダメだよ」


 少年は呑気にこう呟くと、魔物の足を撫でた。


「でも人に危害を加えたからには仕方がないね。今はこうするしか無いんだ、ごめんよ。解体魔法」


 ドサドサッ。

 重い物音を立てて魔物は地面に落ちた。

 いや、正確に言えば魔物だったものだ。


 その残骸は足、胴体、口、という風に綺麗に切り分けられていた。

 あまりにあっけなくあまりに不気味な終結だ。


 少年とエルマの間に一筋の風が吹き抜ける。

 エルマは思わず激しい戦慄を覚えた。


 少年は、先ほどと同じ紫のドロドロとした空間を宙に展開すると、魔物の遺骸に手を合わせた。

 そしてそこに鼻歌でも歌いそうな手つきで魔物の肉を次々と放り込んでいく。


「嘘でしょ......」


 エルマは目の前で繰り広げられている光景を観察し、頭の中で整理する。

 収納魔法なんて、聞いたことがない。

 いや、あれはそもそも魔法ではない。

 もしあれが魔法であるならば、私は魔法学の基礎から全てを書き直さなければならない。


 思わずエルマの指が震える。

 それを隠すように杖を強く握りしめる。


 エルマの目には、先ほどまでの死の恐怖と同等レベルの、抗いがたい知的好奇心の炎が宿り始めていた。


「ねえ、君、名前はなんていうの?」


 少年に問いかけるエルマの声は、僅かに震えていた。

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