ベクター魔導物理研究所
ギルドを出るとエルマは早く休みたい思いからまず宿を探そうと思い立った。
しかし、ゼノがそれを遮った。
「お二人さん、良かったら今日は私の家に来ないか。個室は10部屋くらいあるしもちろん無料だ。布団があり得ないくらいふかふかだぞ。その代わり師匠とスライムは研究に参加してもらうがな」
ゼノはソワソワした様子で二人に提案する。
エルマはちょっと迷った。
個室が10あるのも信じられないが、なによりゼノが部屋を綺麗にしているイメージが無かった。
何かの理論に向かってひたすらに研究し、それ以外のことなどお構いなしの印象だったのだ。
だが、宿代を浮かせられるのはありがたかった。
フェルスの魔法がゼノに知られることへの抵抗はもう無かった。
もはや手遅れだったからだ。
むしろ、ゼノの理論を通してフェルスの魔法を観測したい気持ちが強かった。
「いいの?お邪魔させてもらいます」
エルマは丁寧にゼノに礼を言った。
「ゼノ、泊めてくれるなんてありがとう!実験楽しみだよ」
フェルスも礼を言う。
人の家に泊まったことなど無かったので、フェルスはワクワクしていた。
「そう決まったら急ごう」
そう言ってゼノはフェルスとエルマを先導した。
しかし、向かった先は街の内側の安全な住宅街などではなく、大きく開けた外側の草原だった。
あたりは暗くなりつつある。
「……ねえ、ゼノ。家が一向に見当たらないんだけど、どこなの?」
エルマは不安に駆られてそう尋ねると、ゼノは草原の奥に見える「何か」を仰々しく指差した。
それは、隕石の衝突か大爆発でも起きないとできないであろう巨大なクレーター跡だった。
その底に、石造りの、一点を除けば綺麗な三階建ての建物がある。
その一点とは、建物を真っ二つに引き裂く亀裂だった。
ゼノは胸を張ってフェルスとエルマの方を見る。
「見たまえ!これこそが我がベクター魔導物理研究所だ!先日の粒子観測の実験で力を込めすぎてしまってな。連鎖爆発で二つに割れてしまったのだ。だが十分住める。それに風通しも良い!」
「真っ二つ!?こんなことある?」
エルマは驚きのあまり叫んだ。
「だが転んでもただでは起きないのがこの私ゼノ・ベクターだ。見よ、これを」
ゼノはツヤツヤした黒い塊を取り出すと、自慢気にエルマの方を見た。
「連鎖爆発の理論を解析し作った爆弾なのだ!」
「そんな危険なもの早くしまって!絶対に近くでそれいじらないでよ!!」
エルマは血相を変えゼノを爆弾ごと遠ざける。
「おお、このひび、芸術的だ」
フェルスはというと、研究所をじっと眺めていた。
稲妻型に刻まれた研究所のひびが彼の美的感覚を激しくくすぐったのだ。
フェルスが収納魔法から白いスライムを引っ張り出すと、スライムもまた、主の興奮に呼応するように暗闇の中でまばゆく輝き、プルプルと嬉しそうに跳ねた。
研究所に入ると、中はエルマの予想とは違い、かなり清潔に保たれていた。
ほこり一つ落ちていない。
夜風は入ってくるが、快適そのものだった。
「すごいわね、よくこんな豪華な建物を草原に、それもクレーターの跡に作ったわね」
「ふふん、すごいだろう、すごいだろう。これも私が粒子の結合点を把握して作り上げたものだ。最大効率で作ったのだぞ。強固な建物であることは間違いない。まあ、連鎖爆発には負けてしまったがな」
エルマは関心したが、建物の強度を上回るゼノの爆発力に恐ろしさも感じた。
「ゼノ、実験している部屋はどの部屋なの?見てみたいな」
フェルスはゼノの方を向いて唸るスライムをなだめながらせがむ。
「師匠、やはりそれが気になるのだな。それでこそ我が師匠だ。実験室はこっちだ」
「ちょっと、実験とかは明日に回して今日はもう休みましょ。二人とも疲れてるでしょ」
フェルスもゼノも、言われてみれば疲労困憊していた。
二人とも新しい概念にたくさん出会った一日だったので、疲れは溜まっていたのだ。
「それもそうだな、浴室と寝室に案内しよう。ご飯はそのあとだ」
ゼノはエルマの提案に賛同し、まず戦闘や壁の修復で溜まった汚れを落とすよう二人に促す。
「エルマは向こうの東棟の風呂を使うといい。師匠はこちら側の西棟のものを使ってくれ。着る物一式はここにあるぞ」
ゼノは手際よく二人に衣類を手渡す。
「慣れてるわね。よくお客さんが来るのかしら」
エルマは思わずゼノに尋ねた。
「いや、私もGランクだからな。皆に無視されるし招く客などはおらん。だが、いつか大人数でワイワイ一緒に過ごしたりご飯を共に食べるのが夢だったんだ。いつその機会が訪れるかわからんからな、準備だけは欠かさなかったのだよ......」
ゼノの背中からは哀愁が漂っていた。
エルマは思わずゼノに同情する。
「だから部屋も10部屋、いや、それ以上あるのだよ。好きな部屋を使うといい」
「ありがとう、そうするわ」
エルマは自分の使った風呂と同じ側にあった東棟の部屋を選んだ。
寝室に荷物を置く。
ふと気になって布団を触ってみると、予告通りふかふかだった。
宿屋でもこんな布団には出会ったことが無かった。
フェルスとエルマはそれぞれ風呂を済ませ、一番最初に足を踏み入れた、一番大きな部屋、つまりリビングに戻ってくる。
そこには豪華ではないが食べる分に十分な食事が用意されていた。
「すまんな、料理はあまり得意ではないんだ。最適な調理法は分かるのだが、いつも火加減を間違えてしまう」
「そんなことないわ、美味しそうよ。何から何まで本当に助かるわ。布団もふかふかだったし」
エルマは率直な感想を告げる。
「粒子の反発をとことん計算して作った布団だ。そこらの布団とは出来が違う。よくぞ気がついたな」
ゼノは明らかに喜んだ表情をした。
フェルスもニコニコして料理を見つめ、白いスライムを抱えている。
白いスライムはどことなくツヤツヤしていた。
フェルスはスライムを風呂に入れたのだろうかとエルマは疑う。
「料理美味しそう。ありがとう、ゼノ。それに風呂もすごかった。いつも冷たい水を浴びていたから新感覚だったよ」
フェルスはゼノに感謝を伝える。
ゼノはフェルスとエルマに喜んでもらえて感無量であった。
こんなに家が賑やかなのは初めてのことなので、自分の家であるというのにどこかぎこちない動きになる。
こうして三人は食事を済ませ、激動の一日は過ぎ去った。
エルマが翌朝目覚めると、既にフェルスとゼノは起きていて、何やら楽しそうに会話をしていた。




