手記68
※一部に流血や、暴力的、もしくは生理的嫌悪感を伴う描写がある場合がございます。
苦手な方はご注意ください
「い〜ち〜…………にぃ〜い〜…………さ〜ん〜…………」
食堂から響く都合二度目のカウントアップを聴きながら、オレは息を整える為にも一度何処かへ隠れるべきだと考え、未だ目を覚ます気配の無いアルマを担いだまま、可能な限り急いで客間の方へと向かうのだが……
「ハァ……ハァ……ヤバい……むり、吐きそう……」
……度重なる負荷により体力の限界はとうに超え、気力を振り絞りながら歩みを進めるも、最早それすらも難しくなりつつあった。
た、だけど……諦める訳にはいかない……今アルマを守れるのは、オレだけなんだ!!
そうやって折れそうになる心を必死に繋ぎ止めつつ、流れ落ちる汗を拭いながらもどうにか建物の中央を貫く通路を進み、客間のある区画の二本目の通路を右へ曲がって、オレは久我くん達の部屋があった並びへと足を踏み入れる。
……すると、そこはオレの部屋があった区画とは違い廊下の両側に部屋が立ち並んでいるので、此処ならば隠れ場所に都合が良いと思いつつ、暫く身を落ち着けられる場所を探してその中程にまで差し掛かった直後、オレは辺りに微かな異臭が漂っている事に気付いた。
昼間来た時は何故か気付かなかったけど……これって、一度だけ見た事のある汲み取り式のトイレと似た匂い、だよな……?
多分、臭いの元は一番奥にある久我くん達の部屋からだろうが……これは、うーん……久我くん達の部屋がある奥には、あんまり行きたくないな……この臭気だけであの光景が頭に浮かぶしさぁ……
仕方ない……なら、何処かこの辺りで隠れるとしようか。
これだけ沢山ある部屋の中へ入れば、流石の樋口さんでも探すのに手間取るだろ。
内心では別の通路へ行く事も考えはしたが、一刻も早く落ち着きたかったが故に、オレは手近にあった部屋の扉を開け、真っ暗な部屋へと足を踏み入れると、鍵を掛けてから浅く早い呼吸を落ち着ける為、ゆっくりと大きく深呼吸を繰り返す。
「や、やっぱり……ハァ……もう少し……ハァ……奥の通路に……ハァ……入るべき、だったかな……?」
鼻腔にあの臭いが未だ残っている所為か、違う部屋にも関わらず、深呼吸をするたびに何処からか異臭が漂ってきているような不快感を覚えはするものの、今更移動する程に体力の余裕もなく、そうやって独りごちりつつ、扉を背に休憩していると……
───ペタ……ペタ……
……不意に、何処かから彼女の足音が聞こえたような気がして、オレは慌てて息を殺し、耳を澄ませた。
まさか……もう追いつかれたのか!?
いやいや、食堂のように追われながら逃げ込んだ場所とは違って、此処には壁もあるし、早々バレないよな……?
あまりの驚きに一瞬、背筋に冷たいものが流れるような感覚を感じつつも、必死に廊下へと意識を向けてみるのだが……
「な、なんだ……ただ葉っぱが窓に当たってただけかよ……」
……気を張っていた為か、伸びた木の枝が風でほんの少し窓に触れた物音に、反応してしまっただけらしい。
続いた音の方向が廊下ではない事に気付き、よくよく聞けば足音とは似ても似つかないなと思いつつ、視線を窓へ向けたまま深く息を吐き出しながら、ふと暗闇の中自分とアルマの呼吸音以外聞こえていない事に、微かな不安を覚えた刹那だった……
「…………ん〜さまの…………じゃ〜……」
……遠くから、再び彼女の歌声が響き始める。
どうやら再び百を数え終え、こちらを追いかけ始めたようだが……何でまた歌っているのだろう?
まぁ、声の響き方からして、まだ中央通路にいる様子ではあるけれども……
「……ととおして………ゃんせ〜……」
……なんか、さっきよりはっきり聞こえるような?
まさか……ねぇ?
「ごようの……もの〜とおしゃ…ぬ〜……」
そう考えた直後、益々はっきりと聞こえるようになった歌声と共に、ひたりひたりと足音も微かに聞こえ始めたからか、オレの背中に再び冷たい汗が流れる。
これ……確実に真っ直ぐこちらへ向かっているだろ……?
どうやって!?
食堂に関しては、オレが包丁を手に取ったりで物音を立てたりしていたし、呼吸音の反響からも居場所がバレたと推察出来るが……流石にこうなると他の要因があるとしか……
……ん?待てよ……?
あの処刑の瞬間に、樋口さんが森田の力を得ていたのだとしたら……どうだ?
それなら、この追跡も説明が出来るような気が……
「このこのななつのおいわいに〜……」
うーん……しかし、何だっけこの曲……?
聞いた覚えはあるけど……
「おふだをおさめにまいります〜……」
……なんて、呑気に考えている場合じゃない!!
今まさしく、この壁の向こうに樋口さんがいるんだぞ!?
思わず思考が逸れてしまった隙に、至近距離から歌声が響き、驚きからオレの心臓が痛いくらいにバクバクと脈打つのだが……
「いきはよいよいかえりはこわい〜……」
あ、あれ?通り過ぎた……?
居場所がばれてるってのは、考えすぎだったのかな……?
緊張感で嫌な汗が背中を伝う中、彼女は壁を一枚隔てた廊下をゆっくりとした調子で歌いながら奥へと向かっていったので、オレはほっと胸を撫で下ろしながらも、引き続き注意深く聞き耳を立て続けた。
「こわいながらも〜……」
そうこうしていると、別の部屋の扉が開く音が聞こえ、その後廊下から物音が聞こえなくなる。
……移動するなら、今か?
状況から、彼女が別の部屋を探し始めたのだと判断したオレは、なるべく音を立てないようにして慎重に鍵を開けた。
すると、その直後───
「と〜お〜りゃんせ〜とおりゃんせぇ〜……」
───向かって廊下の奥側の部屋の壁が一部消え、真っ赤な瞳がこちらを覗きこむのと同時に、彼女の歌声が部屋の中に響く。
「マ〜サトくぅ〜ん〜……みぃ〜つけたぁ〜……」
突然の事に固まってしまったオレを他所に、彼女は不気味に声を弾ませながらそう告げると、自らが通れる程度の穴を瞬く間に開けて、楽しげな笑みを浮かべたまま、部屋へ入ってきた。
待て待て待て待て!?
こちらを油断させた上で、壁抜きだと!?
「ふっざ……けんなっ!?ルール無用にしたって限度があんだろ!?」
彼女の力を忘れていた訳ではないにしろ、想定していない方法でいきなり現れた為、思わず手に持っていた包丁を落としながらも慌てて扉を開け、部屋の外へ出てから再び食堂方面へと走り始めると……
「あらあら、マサトくんったら……まるで、お化けでも居たみたいな反応ねぇ……」
……どうやら、オレの絶叫が余程面白かったらしく、背後から樋口さんのクスクス笑う声が聞こえてくる。
う、うっせぇよ!?
お化けよりタチ悪いからに決まってんだろ!?
悪趣味な真似しやがって!!
オレはなぁ!?お化けは勿論だが、殺人鬼に追い回される話も、もれなく苦手なんだぞ!?
……などと悪態とも泣き言ともつかない言葉を飲み込むと、オレはアルマを抱えたまま、もっと休息を寄越せと要求してくる身体に逆らいながらも食堂を過ぎ、どういう訳か開けっぱなしになっていた玄関から、外へと向かった。
館の外がどういう状況なのか定かではないが、簡単に居場所を突き止められてしまう以上、最早此処から離れるしかない。
そう考えて、オレは何度も訪れた中庭を通り、街のある方向へと足を向けたのだが、もう間も無く庭を抜けられるという辺りで、オレはある異変に気付く。
……何か……微かに、煙たくねぇ……?
それに……道の先から、人の声も聞こえるような……?
というより……アレ、森が燃えてるんじゃあ……?
向かおうとしていた方向から、沢山の人の叫び声のようなモノが響き、薄暗いはずの空の一部が赤々と照らされている事に気付いたオレは、すぐさま立ち止まって改めて周囲を確認してみた。
すると、どうやら火の手はこの館を取り囲むようにして上がっているらしく、進もうとしていた方向以外にも、森の何箇所かから煙が立ち上っているのが確認できる。
これは、何が起きて……って、ちょっと待ってよ……もしかして、今の状況……詰んでいるのでは……?
だって、四方八方が燃えていたら、刻印の影響関係なく、どの道この館から離れられないじゃん!?
かと言って、隠れてやり過ごす事すら出来ない今、館へ戻るわけにもいかないし……
一体、どうしたら……一か八か、森を突っ切るべきなのか……?
いや、落ち着け……オレ一人じゃないんだし、此処は少し冷静に整理してみよう。
建物に反響してはいるけれど、まず沢山の人の怒声が、オレが向かおうとしている先だけでなく、至る場所から聞こえているよな?
そこにアルマを抱え、無策のまま突っ込む……と?
うん……どう考えても、突破は無理だよね……?
よし!とりあえず引き返すとして……そうだな、ひとまず館は避け、周りの森にでも一度身を隠そう。
でもって、こまめに移動しさえすれば、闇夜なら流石の樋口さんでも早々……うん?何だ?
───ガリッ……ガリガリッ……
館の内部へ戻るのではなく、周囲の森の中の暗闇に紛れれば、暫くは身を隠せるだろうと思い、余り人の声が聞こえて来ない方向へ行こうと身を翻した直後、館の入り口の方から正体不明の音が響き始めたのだった。
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次回更新予定は 9月6日(日)18時となります




