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終末に珈琲を飲む  作者: 終乃スェーシャ(N号)
四章:光を灼いた日
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忘れることはできない

 異界の生物のためのビオトープだろう。分厚いガラスの向こうでは蔓状の植物が生い茂り、薄緑の水がせせらぐ音がした。


「お前も随分変わったな。ヴィコラとよくやってくれてるみたいじゃないか」


 帰路の最中、【錆染】は声をかけた。ぼんやりとガラスの向こうを眺めながら、流し目にジンを一瞥する。


「前はいつ死んでもおかしくなさそうだったのに、今のお前は輝いている。眩しいぐらいにな。女は男を変えるってのはマジらしいな」


「お前のお節介のおかげでな。それで……わざわざ恥ずかしいことを言いに来たのか?」


 ジンは頬を引き攣らせた。だらりと座り込んで、同じようにぼんやりとガラスの向こうを眺めていく。


「オレは冗談を言いに来たわけじゃあない。もうすぐ忙しくなるから先に祝いに来ただけさ。ド底辺が今じゃ色付きの便利屋だろ? おかげでオレまで希望が持ててくる。いつか変われる気がするんだよ」


 【錆染】は平然と臭い言葉を吐いて、酒瓶を投げ渡した。ジンは淡々と受け取りながら、この状況を照れ臭そうに鼻で笑った。


「そのことだが――」


「知っている。便利屋をやめたいんだろう? だからラインフォード社に専属契約をしてこの島まで移住できた。社員になれば便利屋でもなくなる。……知っているさ。それも含めてお前の光を尊敬してるんだ」


 静寂の中、真摯な言葉が響いた。ジンは数瞬、虚を突かれた様子で呆然としたが、すぐに小さな笑みを返した。


「……ステイン。恥ずかしいが、お前には感謝してる。酒は……まぁ、便利屋を辞め終えたときぐらいはヴィコラと一緒に飲ませてもらうかな」


「そうしてくれ。オレの妹によろしく頼む」


 ジンは飲んでいた珈琲を吹き出した。激しく噎せ返り、口元を拭いながら疑惑の目を向ける。


「何慌ててるんだ。冗談に決まってるだろう? 血は繋がっちゃいないさ。…………じゃあな。便利屋と元便利屋になる男。二度と会わないぐらいが幸せだろうから。またなとは言わないぞ」


「……嗚呼」


 【錆染】は背を向けて去っていった。ガシャン、ガシャンと。重い足音。背に影を差して、やがて見えなくなった。


 ――――二人は緊張することもなく親しげで、ジンの身体と混ざり合った五感から眺め続けるほど、胸の奥を締め付けていく。


 圧迫された痛みが苦しくて、嗚咽は止まりそうにない。この暖かで心地よい居場所にワタシはいない。……彼らの居場所をワタシが壊してしまった。


 ジンは惜しむように俯いて、透き通った刃を握り締める。――ザザザと。視覚と聴覚を掻き毟るノイズ。数瞬、白と黒に視界が明滅し、手は返り血に染まっていた。


 段々と加速的に追憶が進んでいく。壊してしまった時に近づいていく。過去のなかで、ジン・ジェスターは幼い子供に……否、ワタシの同胞達に引導を渡した。深く嘆息をして彼らの屍を見据えると、覗きこむようにヴィコラの顔が視界に入る。


 グチャグチャに記憶が混ざっていく。周囲の建物が不定形に揺らいで、ぼんやりと、冷凍睡眠(クライオニクス)装置缶が置かれていた部屋を映し出す。


「さみしいっすねぇ。最近、あんま会えてないから拗ねちゃうっすよ?」


「契約期間の業務が終われば正式にラインフォード社の保証を受けられる。アメウズメ工房に対しても正式なライセンスをくれるんだ。そうすればヴィコラ、君の夢を叶えられる」


 ジンは淡々と、整備の終えた銃器と槍を背負った。


「……ちょとぐらい休んで珈琲を飲んだってバチは当たらないと思うっすよ?」


 ヴィコラはにへらぁと、必死な笑みを浮かべて囁く。彼女を見つめて、わずかに肩から力を抜くように、【錆染】からもらった酒瓶をテーブルに置いた。


「終わったら珈琲じゃなくてそれを飲もう。ステインのやつがくれたんだよ」


 ジンが部屋を後にするのを止めようとして、ヴィコラは咄嗟に手を掴んだ。ぎゅっと、そのまま手繰り寄せて、言葉足らずなまま弱弱しく抱きしめる。


「ねぇ……ジン。わたしたちにとって大切なこと、覚えてるっすか?」


 ピタリと足を止めた。


「嗚呼、覚えている。……砂糖を溶かし損ねた珈琲だとか、」


 ――それはワタシの知らない思い出だった。真っ白な空間で、地の底に何百年居たって手にできないもの。


「買ったばかりなのに傷をつけたテーブルも、地下だった所為で届かなくなったホログラムのノイズも」


 ――ワタシが知りえない情報の集まりを、二人は確かめあうように言葉にしていく。


「雨の日に滴る地下水の音も、少しカビついた臭いも」


 おまじないのように紡がれていく。


「…………覚えているとも。一緒にいるから好きになれるんだ」


 ジン・ジェスターは穏やかな声色で言い切った。腕を掴む細い指が解けていく。


 一体化した五感の奥で、メリアはただ静かに二人を見続ける。歯が浮いて、口を閉じることもできなかった。グラつく視界。追憶の向こうで水音が響いている。


「はぁぁぁ……。本当に無茶はしないでほしいっす。大変だったんすよ? ジンが化け物の血を飲み干したときなんて。あの血がどれだけ危険だと思ってるんすか」


「けどおかげで力を手に入れた。……心配してくれるのはわかるけど、あの言葉は照れ臭い。あまり言わせないでくれ」


 問題ないと、言い聞かせるように周囲に亀裂を走らせた。ヴィコラのコップから零れ滴る珈琲の水滴が空中で停止する。


「時空の切断と停滞だっけ?」


「正確に言えば少し違うな。保存と切り取り、貼り付けだ」


 亀裂が消えると、静止していた水滴が地面に落ちて弾けた。むき出しのコンクリートにわずかなシミを作って消える。


「ほんとうにとんでもないっすねぇ。けど少し安心したっす。よろしい。行っておいで。……ジン、どんなことがあってもね。さっき言ったことだけは忘れないでほしいっす」


 ヴィコラの言葉を背に、ジンは今度こそ部屋を後にした。カツン、カツンと。響く靴音。


 ――行かないで。離れないで。


 過去を変えることなんてできないのに叫ぼうとして喉が引き攣る。メリアは見ていることしかできなかった。

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