変えることはできない
繰り返されるフラッシュバック。視界を刻む白と黒の閃光。
音が支配し、喉元にまでこみ上げた酸っぱさが鼻腔を突き刺すなか、五感が混ざり合って――呑まれる。
……ジン・ジェスターは暗がりのなか返り血を拭った。
握り締めている透き通った刃が赤黒く染まり、拳銃は得体の知れない冷却液を揮発させて赤熱している。
ゆっくりと、絡み縛りついた緊張の糸を解くように、何度も深く息を吐いていく。そして薄汚れた扉を押し開けた。
散らかった小さな部屋。ガラクタと合成食品の包装紙、無數の空き瓶ばかりが転がっていた。薄暗く、モニターのブルーライトが引き攣った笑みを浮かべるヴィコラの相貌を照らす。
「へへっ……無事に生きて帰れたみたいっすねぇ? どうっすか? わたしの造ったアメウズメ一式は」
くるくると椅子で回りながらヴィコラは嘲っているのか、だらけているのか分からない笑みを向ける。にへらぁと。……部屋が蒸し暑いせいでじんわりと汗が滲んでいた。
「……充分過ぎるぐらいだ。おかげで仕事もすぐに片付いた。裏切り者の始末も楽に済んだ……が。なぜ俺の部屋にいるんだ? ふざけてるのか?」
「家賃が払えないんすよぉ。ステインはなんか……不都合なことがあったらすぐにでも殺してきそうだし。ジンはそういうのがなさそうかなぁって。鍵なんてわたしの液体金属があれば無意味なんすよねぇ」
透き通った金属で造られた鍵を、飄々と見せつけるヴィコラ。
ジンは絶句したように硬直したが、脱力しながら拳銃を抜いた。躊躇いなく、その小さな額に押し付ける。
「なぜそんなにも無警戒なんだ? おかしいだろう。お前にどれだけ技術があろうが。こうなれば無力だ。いつ俺がおかしくなるかもわからない。なぜ力を持ったままでいない。どうして無防備でいる?」
「こんなか弱い女の子を撃ったら死んじゃうっすよ? そしたら誰が武器を用意するんすか? 洗濯もしてあげたのに。あっ、でも料理はできないっすねぇ……」
相変わらずくるくると、まるで撃てないだろうと訴えてくるようにヴィコラは椅子を回した。背を向けて、カタカタとキーボードを打ち鳴らす。そして、振り返る。……青い光に照らされた横顔がにへらぁと、蕩けた。
「暴力で脅してもいい作品はできないっすよぉ? 信じる信じないはともかく、そーんな気張ったって仕方ないことは肩の力を緩めて、……冷めた甘いお粥をたべるぐらいの感覚でいいじゃないっすかぁ」
ガチャンと。勢いよくリクライニング。そのままバランスを崩してヴィコラは後ろ向きに倒れた。へっと、自分を鼻で笑って、お腹を出したまま見上げる。
「……ね? こんな女の子殺す意味なんて、金の卵を生む缶人を殺すぐらい無意味なものっすよ? あ、わたしは卵生じゃなくて胎生っすけどねぇ。ともかく、仲良くしよ? それにこの部屋で一人は贅沢過ぎるっすね。広さが」
べちゃりと床にへばり付いたままそんなことを言って、ヴィコラは天井を仰いだ。
「お前はイカれてる……」
ぼやいたまま言葉が途切れる。……ジンは、ほだされるように曖昧に頷いた。
瞬間、何度もノイズが奔る。ザザ、ザザザと。不快な耳鳴りと共に視界が霞む。眼下に横たわる少女の身体が重なりあうようにブレる。
そのたびに、一瞬一瞬に血が広がって、相貌が、小さな身体が巨大な影に押し潰される。苦痛に呻く声が溢れて――途切れた。
ブツリと、視界が黒く染まる。長い間、眩い光のなかで目を瞑っているようだった。瞼が重くて、突き刺すみたいに目が痛くて。
それでも段々と、ぼやけた視界に錆びついた兜が映り込んだ。水音が遠くで響いていてる。地を這うこの身体を濡らしている。
メリア・イクリビタは水たまりに反射する自分自身をぼんやりと見つめて、震える手で頬を撫でた。それで、段々と現実にまで逃げたことを理解していく。
グイと髪の毛を鷲掴まれた。強引に顔を持ち上げられる。痛みはなかった。メリアは力なく呻いて、虚ろな眼差しを向ける。紫紺の蛍光が双眸の奥で揺れていた。
「なぜこんな記憶で苦しんでいる? お前は自分がしたことをまだ直視しちゃあいないじゃないか。ただ記憶と同化してお前自身が曖昧になっただけだ」
「っーー……。ワタシは、彼女を――……」
とっくに導き出されていた答えを口にしようとして、鋭い殴打が脳を揺らした。音が劈く。痛みと衝撃と共に、金属が摩擦するような耳鳴りが響き続けて、口の中で血の味が滲んでいく。
「知った口を聞くな。メリア・イクリビタ・プロトアルファ。記憶の事実から逃げようとするんじゃあない」
頭蓋が軋み鳴るほど力強く、頭部に指が食い込んだ。苦悶しようとも、痛みが止まることはなかった。《造り物の規定》達の冷めた視線がずっと、ずっと突き刺すだけ。
「【錆染】、これは必要なことですか?」
エルドラだけが尋ねた。蒼い瞳でメリアを見下ろして、痛みを分かち合うように頬を引き攣らせる。
「彼女はまだ光を見ているんだ。光がある者ほど恐ろしい存在はない。地上に出て、彼女が抵抗をすれば、必然的に呪いの残っているジン・ジェスターが死亡する。オレは余計な犠牲は生み出さない主義なんだよ。ヒーローだからな」
錆びついた外骨格を踏み鳴らしながら、芝居掛かった大げさな素振りでそう豪語した。しかしすぐに【錆染】は、便利屋然とした態度に戻って、メリアを地べたに押し付ける。
「――苦痛と向き合え。お前の目に残る光の罪を見ろ。それとも、受け入れることさえできないか? 過去を変えることは不可能なのに」
くぐもった声が耳から離れそうになかった。また、脳が満たされていく。犯されていく。また、ワタシ自身が乖離して、何者でもない曖昧な存在に溶けていく。しかし、メリアは抵抗しなかった。
苦痛で忘れかけていた理由を、噛み締めるように、堪えるように歯を軋ませる。それだけで熱がこみ上げる。涙に滲んだ瞳が見開いてくる。
――たった一人、向き合ってくれた友人。地の底のワタシを救ってくれた恩人。……ワタシにとって大切な人。
ジン・ジェスターのことが知りたい。ワタシがしてしまったことの全てを。彼がどんな想いで地の底に、偶然を装って落ちてきたのかを。
「そうだ。それでいい。オレたちは生まれたときから絶えず後悔をするしかない存在なんだ。だからお前は罪を知ろうとした。自由を求めるは本能だったんだろう? だから全てを知ったうえで理性で選べ。自らが進むべき道を。自分が自由を享受していい存在かを」
情景が瞬いた。断片的に胸のなかを明滅し、入り乱れる。目の奥を掻き毟って、瞼の裏を過ぎていく。灯火が消える一瞬のように、記憶は束の間に何度も燃え上がった。
――やがて五感が混ざり合う。見覚えのある白い壁。薬品の臭い。壊れる前の施設の一画が広がっていった。




