向き合えない
絵は自分で描きました。
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薄暗い路傍が視界に広がった。――ワタシのなかの記憶に見たこともない街並みが広がっていく。光一つない路地と絢爛に輝くネオンの街並みの境界線にワタシは……否、ジン・ジェスターは立っていた。
むわりと濁った空気。ツンと刺す消毒液に似た知らない匂い。すぐ奥で、薄汚い姿の人たちが騒ぎ、何かを祝うように声をあげている。
眩い光と騒音。すぐ近くのことなのに遠くに思えた。ジン・ジェスターは暗がりで俯いたまま、会話を拒むように珈琲を啜り続ける。
不意に、バン! と、ちょい背中が背に走った。
「熱ッ……! なんだよ……ステイン」
珈琲をこぼしながらジンは悪態をついて振り返る。背をたたいたのは【錆染】だった。追憶のなかでは、彼の特徴的な錆色の外骨格も大盾もない。
「まだなよなよしているのか!? たかが同胞が一人、二人死んだだけじゃないか。お前はヒーローじゃあるまいし、お前が守れるのはほんのごく一部だけなんだよ」
「……三人だ。守れるかどうかの話じゃない」
ジンは辟易として頭を抱えた。深いため息がコップのなかの黒い水面が揺れる。【錆染】は気にする様子もなく、あっけからんとした様子で欠伸をかいた。
「どうにもならないから死んだんだぞ。お前は大勢を守るなんてできない。助けられるやつしか助けられないんだ」
「どうにかできないことはなかったはずだ。アールシュ、ジウン、クリーシャ……。皆、親しくしてくれた。信頼できるやつらだった」
「ああそうかよ。お前もバカだな。オレはあっち行ってるからな。誰も死んだやつは私のためになよなよしてくださいなんて思っちゃいねえのに」
――記憶が深くまで根付いていく。眼球が痛んだ。ジンの痛みじゃない。……曖昧になったワタシが痛んでいる。どうしてこんな言葉を交えられるのに、二人は刃を向け合えるの? ワタシがこわしてしまったから?
止まらない追憶の渦の中で吐き気がした。拒絶できない過去の事象がありのまま進み続ける。
悩み、苦悶する姿を、遠くから見上げているような感覚になった。視界が入り乱れている。時折、ただ瓦礫が目前に映り込む。現実と過去がぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
「娘がいる奴もいたんだ……。何もない俺が率先して犠牲になるべきだったんじゃ――」
ジンは【錆染】がその場からいなくなっていることに、今気づいたようだった。言葉が途切れ、宙ぶらりんになって、沈黙は遠い騒ぎ声に呑まれていく。
――息が詰まりそうだ。ワタシの知らないこと、ワタシがただ時間のなかに閉じ込められている間に刻まれた来歴が、こんなにも苦しい。
「へっ、暇そっすね」
静寂も騒音も貫くように、少女の声がジンの肩を跳ねさせた。嫌々振り返ると、ピンクと金の入り混じったネオンライトに照らされて、ヴィコラ・ミコトコヤネは妖しく笑みを返した。
ひんやりとした空気に触れて赤らんだ頬。強風とともに揺れる黒い髪。藍の影。――冷凍睡眠装置缶のなかで眠る少女の、本当の表情だった。
「……暇だと、何か悪いのか? 酒は飲まない主義なんだ。いちいち騒ぐのも気に合わない」
「まーまーぁ、いいじゃないっすかぁ。ジン・ジェスターっすよね? ほら、ちょっと協力するつもりで、ね?」
グイと手を引っ張られた。熱を帯びた小さな手に、連れられるまま光のほうへ。便利屋達の人混みへ。
見せつけるように指が交差して訳も分からないまま踊らされる。くるりと。
「……なんのつもりだ。見ろ。奴らの顔を」
困惑とからかいの視線を前にジンは顔を歪めた。しかしヴィコラはむしろ計算通りとばかりに視線を集めようとジンを引き寄せ、背伸びをしながらジンの顎をクイと持ち上げる。
「むしろ狙い通りなんすよねぇ。わたし、これでも人気者なんで。ちゃんと視線の感情ぐらいは区別したらどうっすか? 困惑じゃないっすよ? 羨望と、嫉妬」
刺すような眼差しが強まった気がした。ジンは一層、表情を引き攣らせる。
「率先して犠牲になるべきかどうか悩んでるんすよね? わたしはそういう人間を実験材料にしたいんすよ。悪びれなく使えるから。どうすか? わたしの造ったあぶなーい武器……使ってみない?」
だらけた声が伸びた。酒気を僅かに帯びていて、小悪魔めいた囁きが皮膚を撫でる。
「……ステインの差し金か?」
呆れて、思い悩んでいたことが上書きされていく。じっとヴィコラを見下ろすと、彼女は翡翠の視線を僅かに泳がせて、微笑で誤魔化した。
――――ワタシもこんな風に出会えていたら違ったかもしれないのに。どうしてワタシはワタシなの。
頭痛が重なり合う。自分に嫌気が差すほどどうしようもなく嗚咽が、胃の底まで痙攣させて、追憶が断続的に途絶えた。喧騒のなか響いていた音楽が繰り返す。ときに銃声が、悲鳴が。無数の過去が刃となっていく。
ザザ、ザザと。激しいノイズを虫が這うみたいに頭の中をかき鳴らして、何度も繰り返す。ワタシのものではない記憶。ワタシがこわした人間との……。
「もう、嫌ぇ、…………。おねが、い。やめて……ください」
必死に声を振り絞った。現実が見えない。顔を見上げようとも追憶から逃げることができなかった。




