ハイパー・ウェポン・ラボラトリ
こぢんまりとした名織の今に、永遠に額に閉じこめて起きたいほどの美貌が、ひとつ。
それは部屋を見回し、
「ここが名織の部屋なんだ。結構いいじゃない、暮らしやすそうで」
ラ・ダッジュ・ストラス。
聖天使。華術の祖。七聖の一。美の収束。
白を基調としたドレスを身軽そうに着こなして、場違いの美が名織の部屋にたたずんでいる。
彼女はヒューマンで言えば二十歳ほどの風貌だが、実年齢は200歳を越えるエルフだ。
名織とは、華術を通した知り合いである。
「狭いですけれど、座ってください」
と名織が言うのにストラスはそれを聞こうともせず、
「――――――」
何かをささやくと、おもむろにテーブルに術式印が転写された。
「わーーーっ!? 私のテーブルーーーっ」
名織の独り立ちの時にパパとママに買ってもらった思い出の品なのに、さらに難儀なことになってしまったじゃないか!!
……と言えるはず――ある。今回は。
「ストラスさん! これは私の独り立ちの時にパパとママにかってもらむぎゅ!」
「だまって。ほら」
頬を包み込むようにぎゅっとつぶされたまま、名織はストラスの足下を見た。
部屋に何かがひっくり返っている。それは――蜘蛛。まだら模様のおどろおどろしい蜘蛛が、殺虫剤でも浴びせられたように、仰向けになってもがいていた。それをストラスはつまむと、
「えいやっ」
ぱきっ。ガラス細工を壊すような乾いた音がした。
「……ストラスさん、それってもしかして」
「そう。盗聴器だよ。私にくっついてたやつ。あの裁判所みたいな会議室から出た直後だったわね。
まったく、人気者のツラいところよね~」
「そ――それ、術で動いていたものですか?」
名織は、この部屋の警戒は十分すぎるほど厳密にしていたつもりだ。
それがまさか、部屋の中まで掻い潜られているとは。
ストラスはそれをさっと懐にしまう。
「まあ、あなたじゃまだ気づけないこともあるわよ。それにあなたの結界は立派だわ。今の盗聴器も、おそらく私の聖力を起動力にするものだったろうから、それから見つけられたかもしれないじゃない。だからいちいち気にすることはないのよ」
ストラスは名織の頭を撫でる。
そんな風にフォローしてくれる彼女の人柄が、七聖たるゆえんの一つなのかもしれない。
「お久しぶりです、ストラスさん」
後ろを付いてきたルスが、うれしさをにじませて言った。
「んー、とは言っても3ヶ月ぶりくらいじゃない?
時間感覚違うからなんか私はそんな気しないわねー」
ルスが差し出した右手をストラスはそのまま素通りして、ルスの右胸をもにもにともみ始めた。
「――うむ、ほどよい堅さである」
その強いまなざしに凛とした物言い――途轍もない高貴感を醸し出しているが、途轍もなく下品である。
「……そりゃどうもです」
恥じらい半分呆れ半分でルスが揉まれていると、
「あ、あのおっ」
頬を上気させたほのりがストラスの横に立った。
さっきからほのりはがちがちに緊張して、数十世代前のからくりロボットみたいな動きになっている。
「あああ、あ、の、ストラスさま! あ、ああ、あくしゅしゅてくだしゃいっ!」
テレビでしか見たことのない超大物がいることに、ほのりも緊張を禁じ得ないのだろう、ストラスは「いいわよ」とほのりが差し出した右手をのけ――そのまま両手でもみもみと胸をもみ出した。
聖天使のような微笑を讃えながら。
「はんっ!? ふぇ、っっ、ん!??!」
「ほほ~やっぱり若いヒューマンは柔らかいわねぇ……うっへっへぇ」
「ストラスさん、そこまでです! そこまで!」
「えー待ってもうちょっとおおお!」
しびれを切らした名織が、ストラスの手を彼女の背後から強引に引き剥がした。
「ぷー、なんで止めるのよ~~」
「そうだよ名織、どうして~? ぷー」
「当たり前ですし、っていうか、ほのちゃんも私を攻めないで!?
とりあえずみなさん適当なところに腰を下ろして――
………………はっ!」
――ふと冷静になって名織は気づく。この空間、突っ込み役が自分しかいない。
「じゃ、じゃあ抱きしめてください!」とリクエストするほのりにストラスはまたも調子に乗っていちゃいちゃしはじめた。
「むぎゅ~~! あはは、この子かわいいね名織!」
「はいはい、そうですね。もういいです。
まったく、ストラスさんにそんな魅力があるとは思えないけど」
「ふふん、私の美貌にイチコロじゃないやつなんていないのよ。名織、あんたをのぞいてはね!」
「うぁああ……ああ、しゅとら、しゅ、しゃん……うごふ、かほりが、かほりが……!」
ストラスはその精錬されたミルクのような色の頬をほのりに押しつけて、彼女をトランス状態にさせていた。もうしんでもいい、と、うわ言がきこえる。
「あいかわらずその性格、治ってないんですね。治すつもりもなさそうですけど」
「この性格はこの性格でかわいらしさがあるじゃない。容姿が美しいんだからかわいい分を性格で補ってるのよ! ところでお菓子ない? おなかすいちゃった」
ストラスの魅力でぐでんぐでんになったほのりをストラスはやさしく遺棄すると、四つ這いで部屋を物色する。ポテトチップをどこからか見つけるとさっそくばりぼりと食い始めた。
「なんですかかわいい分って! っていうかああも~~~、
とりあえずあとでそのポテトチップ食べてください!」
「ばりばりばり。いいじゃない、公務とかあるとこういうの食べられなへっくしょい!」
手も覆わずにくしゃみ。この七聖、今日は公衆向けの遠慮や品位をどこかに置いてきたらしい。
「おやじですか!」
「二百年生きてりゃだれでもおやじよ。ところでギャップで萌えって偉大よね」
「そんな残念なギャップいりませんしあなたに萌える理由ないですし!」
「ところで名織、話は聞いているわばり。
この子がばり愛しの名織と同一人物だってことをねばりもぐもぐばり」
「食べながら突然シリアスになるのやめてくださいって!! ていうかほのちゃんの前でなんで突然それ言うの!?」
ストラスの超会話に振り回されるどころか、ブン回され、いい加減疲れてきた。
というか秘密にしておきたいはずのことをいきなり言われても――
「ん? 名織、私それ聞いてたよ~」
と、このようにほのりは困惑するに違いな――
「……はい!? ほ、ほのちゃんいま、なんて」
「だから、ルス先生が名織だってこと、私聞いてたよ。ルス先生本人から」
「……その話を私は聞いてないんですが!?」
「だって聞かれなかったし、同じ人物なら別にいいかなぁ~って。えへ」
などと笑ってごまかそうとするほのり。
ルスをにらむと、その視線をわざと無視してルスは重ねた手を頬に持ってくるとかわいく首を傾げ、
「この前みたいにまた準絶滅危惧種の無脊椎動物について語り合いたいですね~、ほのちゃん♪」
「ねー、るーちゃん♪」
「―――――るーちゃん!?」
一瞬、脳が拒否した。なんだそのあだ名。
いったいどれだけ仲良くなってんだ。
「だって親友ですもん、それくらい言いますよ」
「「ねー♪」」
お互いが小首を傾げてにっこりスマイル。
刹那、名織の中に、もやもやっとした泥濘に足を取られたような不快感がもりもり芽生え、ジャックと豆の木よろしく天まで突き刺さりそうだ。
「ま、まあべつに、いいですけど。
そっちはそっちのコミュニティで勝手にやってくださって、何ら問題ありませんし?」
と素っ気なく言ってみたら、最後のひとかけらまでポテトチップを食べ終えたストラスが名織の左隣に座ったかと思えば、頬をもにもにとつついてきた。
「あーやきもちやいてるーなおりかわいい~」
「やめてくだふぁい、ふゆふぁいです!!」
ほのりもそれに混ざって、右隣に座ると名織の頬をつつきはじめた。
「えへへ~名織~ういやつういやつ~~♪」
「……もふかっふぇにしふぇ……」
▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽
「おもしろい茶番を言うわねって最初は思っていたけれど、どうやら本当のようね。
揉み心地のいい方の名織に、抱き心地のいい方の名織。うん、二度おいしい」
ようやく落ち着いてきて、ストラスはやっとまともに話をする気になったようだ。
名織は、時系列を少し整理する。
「えっと、ストラスさんはルス先生と以前にも面識があるんですね」
「そうよ。この世界でまず私を頼りに来てくれたって言うんだから、嬉しいわよね。
それが今からちょうど一年くらい前だったかしら」
名織は先の動議を振り返り、
「ていうかこのままでいいんですか、ダイヤ――
アイシャ先輩がエルレクリーフさんと闘うことになってしまったんですが!」
「ん~? 名織はどっちの心配をしているのかな?」
「ど……どっちって……それは……どっちもですけど」
名織にとっては、どちらも実力は不明。エルレクリーフも、アイシャの闘いも、過去にVTRで見ただけだ。
エルレクリーフはこの前の、ルスとの闘い。
アイシャは、昨年の学園術士大会本戦の対セルティ。
名織の分析では、どちらもパワー系のやりとりが主軸。
そして、どれだけの手札をもっているのかは不明。
「エルレクリーフ、ね。彼の戦いはまあまあすごかったわよね。
ま、多数の刃を操るだけの脳じゃ無さそうだし、期待しておこうかしら」
この場に彼の気配――アルガとヒアルピアのものまで無いが、聞かれなくてよかった、と心中安堵した。
こんな風に挑発したら名織の部屋の家具はおろか、建物ごと壊滅する気がする。
ストラスは「あ」と思い出したように、
「さっきの裁判? 緊急動議だっけ? の主題の件だけれど。
これは何とかしてもみ消すよう努力はするわ。さっきの疑義についてね」
名織の目が点になる。一方でルスは当たり前だと言うような無反応。ほのりはデバイスを使ってしきりにストラスを激写している。話を聞いていない。
「も、もみ消すって……いいんですか、あなた七聖ですよ? 公平な審判をしないとその地位が――」
「ばかね、名織は。人類にティアンスとディバイドなんて分けられている時点で、公平なんてものはこの世に無いのよ」
「……じゃあ、宗次くんに肩入れするってことですか」
それは、願ってもないことだが。
こんなことでいいのだろうか。名織がした努力は、なんだったのか――
「あの猫ちゃんが言ってたこと、少し当たってるんじゃないかな。
この世界は、ティアンスの天下。だからディバイドの力に嫉妬して、恐怖する。
ここで潰しておきたいと願っている。屁理屈もこじつけも、ヨーロッパ中世の魔女裁判なんかと変わりない、あンの小生意気な小娘が黒と言った時点で、宗次は黒になる。幸いあの子はニュートラルだと思うから、まだやりやすいけれど。
宗次も多分そんなこと言ってただろうし、名織だって十分それはわかってるでしょ」
生意気な小娘――アイシャのことだ。
ストラスは頬杖をつくと、名織へ疑問符を向けた。
「ねえ、宗次の学園での目標って聞いた?」
「……えっと、デビルを倒すこと?」
「それ以外のこと」
「……仲間が必要ってことです。それを七聖のダンさんに言われたとか――」
「ふーん、仲間。宗次は仲間って言ったんだ」
「ほんとは違うんですか?」
「んー、ニュアンスは一緒だよ。……でも、やっぱり全然違う。かけがえのない、仲間だよ」
「――かけがえのない」
名織が反芻し、それを聞いたストラスはくすっと笑う。
「まあ、仲間なんだったらかけがえのないのは当たり前だけれどね。宗次は友達いないから、その言葉をつけなくても、仲間って特別なのかもね」
「ストラスさんは宗次くんを知ってるんですよね」
「えーえー、知ってますとも。名織よりもずーーーーーーっと前にね」
ぶーぶー、とストラスはまたもふざけたような雰囲気にシフトしてきた。
「……いや、なんで怒ってるんですか」
「だって……だってね! あのときの宗次は魔界帰りで日が浅くてずぅっとふさぎ込んでたのよ。
私のような天使を前にしてもね。
私のような天使を前にしてもよ!?
それなのになに? あなたのお遊戯みたいな即興創作に見とれちゃってさ。
以来回復しちゃってさ。は?って感じ。動物園連れて行ってあげたら名織のお土産とか買ってるし。
いつかプレゼントするからとか言っちゃってんの。何よそれあんた会話すらしたことない相手よ!? 信じらんない!」
それはきっと、カエルのストラップを宗次が買ったいつかのことを言っているのだろう。
「私は私の前で私を貶すストラスさんのほうが信じられませんけどね!」
「抱き心地がいいほうの名織~~~宗次をちょうだいよ~~」
ストラスは寝転がると、ばたばたと手足を動かしはじめた。
まるでだだをこねる子供だ。
「知りませんし、私の所有物じゃありませんしそもそも物じゃないですし!」
「あ~も~寝る!!」
「「「え」」」
「~~~~~~~~~~…………かー、くぴー」
「「「ね、寝た……」」」
そのままいびきをかきはじめたストラス。
その韋駄天もかくやの寝入りの早さに、三人は呆気にとられた。
「自由人……そこがまた……いい」
ほのりなんかは感動している始末だが。
「……さて。鴇弥さん、ちょっと私についてきてくれます?
ちょっとこれから、所用を済ませたいので」
ルスはすっと立ち上がると、名織に見下ろしながらそう提案した。
「最強の武器を手に入れるために、これからやることがあるんです。
全ては、宗次くんのために」
「……最強の……武器?」
▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽
「Hey! たのもう!」
ルスに誘われやってきた場所は、生徒会室だった。
ルスは開口一番に扉をノックしたかと思えば、返事も待たずに扉を開けた。
「……なんです、騒がしい」
動議ぶりにお目見えするのは、学園生徒会副会長、吾方直士。
名織はルスにほいほい付いてきたものの、最強の武器ってなんですかと問うてみても、ルスからは秘密ですの一点張り。もう何がなにやらなんのこっちゃで、ルスのねらいについて検討もつかない。
ルスは何らかのレポートを読んでいた吾方の机をバンと勢いよく叩く。
そして、
「ハイパー(H)・ウェポン(W)・ラボラトリ(L)に行くための承認をお願いします」
と言った。
「……教師だったら別に僕の許可はいらないでしょう?」
「いいえ。許可をいただきたいのは私でなく、こっちの子です」
ルスがそう言って、手で直接ずずいと差し出したのは、もちろん名織だ。
吾方のただでさえ凍えるような剣呑な目つきは、いっそう険しさを増す。
「理由ない立ち入りは許可を出せないですね。いったい何のために」
「宗次くんのためですよ」
にこー。と、答えたルスは天真爛漫な子供よろしく口の端をつり上げた。
「一生徒だけをひいきしてそういう待遇をするのは、教師としてどうなんだ。
生徒会としても、同じことが言える。さっさとお引き取りいただきましょう」
「ダメなんですか? 宗次くんのためと言えば、あなたも動いてくれるかなって思ったんですが。フフ」
妙なことを言い放ち、名織ははてなを頭に浮かべる。
しかしその言葉は、確かに吾方の心を揺り動かした。
「ちっ……あんたいったいどこまで知っている。僕のことを」
「さあ。ただこれだけは知っていますよ。宗次くんと最初に関わった日のことは」
「――――」
吾方はまるで心臓を射抜かれたように目を見開いて、しばらくじっと固まっていた。
明らかな動揺。そして数秒ほどの沈黙を経て。
「クルガーラジ先生、鴇弥を残して席を外してください」
どうぞどうぞごゆるりと、と手を振って退室したルスを名織と吾方は見送る。
吾方は静かに生徒会室の扉を閉めると、残った名織へ向き直った。
その顔は神妙そのもの。
「吾方先輩、宗次くんと何かあったんですか……?」
「…………あのな鴇弥。これは僕の墓場まで持ってくるつもりだったことだ。
余りに恥ずかしい。口外したら僕はきっと君を殺しに行く」
超不穏。名織はそのただ者じゃ無い形相に気圧され「はい」と返事せざるを得ない。
二人は据え付けのソファにて、向かい合わせに座る。
「僕のある特務ミッションの話をする。ちょうど一年くらい前だったか。
地下街区域でのことだ。初めて組んだ僕のパーティは、上級生のリーダーが一人。下級生が二人。同級生が一人。僕は副リーダーを努め、ある場所へ潜入した。
深くは守秘義務に関するが、君の関わっていた組織のことだった」
「――集社ですか?」
吾方は無言。
それは、ある意味での肯定。
「僕は……これも守秘義務には反するが、言おう。僕は僕の判断ミスでチームの全員を失った。
僕の判断ミスによるものだ。もちろん、僕は――敵をとろうとした。
けれど、それは無謀にも死を選択することと同じだ。
けれど、けれどそれでも僕は復讐したかった。
そんな折、僕は逢坂宗次に助けられたんだ」
「……宗次くんが地下街区域にいたってことですか?」
「そうだ。僕は装備を整えて、覚悟も終えた。
潜入先へまさに行くところだった。
……ヤツは言ったよ。あんたの後ろには亡霊がついているって。
その亡霊が――僕に行くなって言っているんだ……って。
それだけだったらまだいい。その亡霊から、僕に関するパーソナルな情報や、その亡霊のもつパーソナルな情報を、次々と言い当てやがった。
僕についていた亡霊は、僕が殺してしまった仲間たちだった」
名織は思い出す……宗次とトーマが闘ったとき、完全なる狼になったバロットが死者の魂を聞いていたことを。
そして思い出す。大きな大狼。宗次の父親――アルガのことを。
「だから、僕はやめたよ。やめざるを得ないだろう、そんなことを言われたら……」
「でも吾方先輩、いまいち今宗次くんのことを毛嫌いしていることと繋がらないんですが。
宗次くんを下等生物と言っていたくらいですし」
「――ふん。僕はツンデレなのさ。それは照れ隠しだ」
「……嘘ですよね!? ていうかデレては無いですよ!?」
そんな照れ隠しはないしそんなツンデレもいない。誇大広告もいいところである。
どんだけ憎しみがまろびでてたと思ってるんだ。
吾方はめがねをくいっと直し、
「僕はあいつのことが嫌いだ。
……今まで自分が下だと捉えて疑わなかったディバイドに助けられるなんて……と、悔しくてたまらなかった。
けれどそれ以上にあいつをいつか越したいと思うし、そのためにあいつの立場を守りたいと僕はそう思っている。
この学園から勝手にリングアウトすることは、この僕自身が許したくないんだ。せめて僕が一勝するまではね。
だから、僕は僕の立場をなげうってでも、あいつに協力する覚悟はあるさ」
――あなたも人間味あんまり無いような、と思ってたけれど。じつはいいところあるんですね。
「ん、鴇弥、何か言ったか?」
「い、いえ別に」
「……とにかく今、あいつがいないなら僕たちでなんとかするしかない。
というか僕はこの件に関してはこれ以上、何もしないけどな」
それはきっと、もう何も出来ることがないからだ。
「生徒会室を出るぞ。そこのゴリラ先生と研究所に入る」
名織がわかりましたとソファを立ち、扉へ向かうと。
「なあ。一つ聞いてもいいか。鴇弥」
と、引き留められる。
「何ですか?」
「君は……集社を脱退したんだったな。そのとき、何もいざこざはなかったのか?」
「え? はい。トーマ先輩との一件があった後、すぐに集社に連絡して脱会の旨は宣言してあります。
集社側は、特に何も言ってきませんでしたし……それきりでしたけど」
「そうか。ならいい。
いや、君みたいな広告塔がそんなにスムーズに抜けられるなんて、と、思ってね」
「……けど、一連の件については……代表の方は優しくて――未だに、信じられない気持ちもあります」
「その代表の名は、なんだっけ」
「イラエ・ヒューズさんです」
「……そう、か」
吾方の、それはそれは歯切れの悪い返事。
何かが詰まっている。何かが納得できない。
けれどそれを、名織に言う必要はないと、彼自身は思っているのか。
▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽
吾方と名織は話をしながらHWLに向かう。ルスはそんな二人の背後を、会話に加わるでもなくついてくる。
「HWL内に入るには、生徒会長――いない場合は生徒会長代理である僕の承認が必要となる。厳重な管理体制が布かれているからな」
「中の研究者さんは普段出られないんですか?」
「ああ。許可がないとトイレに行くことすら出来ないらしい。
HWLは、皐月会長の遊び場と揶揄されてもいるくらいだ。
研究費用のほとんどはヴィオンテクニカル社――聞いたことがあるだろ? 会長一族が興した会社だ。そこが負担している。
正直ここは普通の企業だったら赤字倒産を何度繰り返しているかわからない。ここの構成員も基本的には学園の生徒だからな。
そこまで自由に研究が出来るのも、会長のおかげなんだ」
「その赤字ばかりの研究で得た成果ってあるんですか?」
「S・デバイスの改良くらいだろう。鴇弥は知らないだろうけど、会長がこの研究所を立ち上げてから、デバイスのパフォーマンスは飛躍的に向上している」
「…………それだけですか」
皐月のことだから、きっと何か別のことを企んでいる。名織は直感でそう思った。
「知らん。でも非合法のことも多少はしているだろうな。それがヴィオン家という奴らだよ、まったく」
そして、研究棟の最奥、HWLの前に三人は立った。
ロケット弾ですら、はじき返しそうな重厚な金属扉が出迎える。
吾方が円柱状のキーをソケットに挿入すると、金属扉は高らかなサイレンの音と、噛み合わさる金属の音色とともに、壁の中に仕舞われていった。
「中には20人ほど研究者がいるんだが――研究主任と副主任の二人がとんだ変わり者でね。
二人は兄妹なんだが特に妹のほうは――たとえば自然の光なんて浴びたくないと言っているくらいだ」
「まあ、最近変人は見慣れてきたんで大丈夫です」
「そうか。ならいいさ。中を見てもあんまり驚くなよ。僕はここで待っているから、しっかり堪能してくるといい」
「いやいや、何のフリですか。ただの研究所ですよね」
入ってすぐ、各部屋をつなぐ通路がある。近未来的な通路に、まず、
「こ、ここ殺さないでぇ!!!!」
こちらを認めるなり命乞いをしながらぴゅーと逃げていく男がいて。
「りーど・ふぁいる……えんびじゃ、データ、goto,goto,if loop,loop……んはあああぁああ」
「ちーさなしょうりょくで……こうしゅつりょくのじゅつ、ぶつ、ぶつ、黒い猫……でて……ぶつ、ぶつ」
「ああ、あ、と三日。そこまでにさんぷるがほし……んひっひくうへっへへはははははははは」
うわ言をつぶやくものたちが、死屍累々といった様相で、折り重なるように倒れていた。
「フリじゃなかった!?」
「ヒトは……納期とプレッシャーに追われると人格が壊れる。
皐月会長はこれを見てなんて言ったと思う?」
「就職する前に体験できてよかったじゃない、とか?」
「……お前、すごいな。一字一句間違ってない」
しかも、即答してしまった。
「おかしいですよ、おかしいでしょう、こんなの……ひっ!?」
名織は廊下の壁が目に入り、さらにぎょっとする。
壁には――ペンキのような――よく見れば研究試料に使う薬品のような赤色をしたペーストで
“今の副主任NGわーど かこ みらい”
と書いてあった。
「な、なにこれ……」
「さー。なんでしょうねぇ」
ルスは急に素っ気なくなるあたり、何か事情を知っているのだろう。それを問いただしたところでかわされることは名織にもわかってきたので、訊こうとはしない。
名織は吾方に見送られ、ルスとともに奥の部屋を目指す。ルスの狙いは、研究主任らしい。
HWLの中は、いろいろな種類の部屋が据え付けられていた。
素材庫。科学室。電子制御室。トレーニングルーム。調理室。貯蔵庫。廃棄庫。
恐ろしいのは、たまたま開いていたその部屋のどれもが、まるでバイオハザードでも起きたかのような様相を呈していたことだ。
21世紀に勃興したデス・マーチという文化は、未だ根強く働き人たちをむしばんでいるらしい。
そして、やってきたのは研究所の奥にある、研究主任室だ。
「やあやあ、突然のアポイントでびっくりしました。
よくいらっしゃいましたね。私が浅羽カイン、研究主任をやっています」
笑顔で迎えてくれた男――切れ長の目に、エルフとヒューマンの混血を象徴するハーフロングの耳。
なんだ、普通の人じゃないか――と名織はちょっぴり安心。
ただし、今まで歩んできた狂気の空間を見れば、この研究所のトップがいかにイカレた人物なのかは火を見るより明らかだ。
浅羽カインは用意してくれていたらしいコーヒーを注ぎ、
「本当は妹――副主任のセインにもご挨拶をさせたかったんですが、研究に夢中でして。
いや、あいつの場合はそれだけではないんですが。実はええ、ヒト嫌いなんですよ」
「人間種がお嫌いなんですか?」
「あの子自身僕と同じハーフエルフですが、ヒューマンもエルフもみんな嫌いですよ。
というかディバイドも含めて、彼女が好きな種族はいないと思います。
そして僕はディバイドが嫌いです。あなたはそうです。僕の研究室の敷居はまたがないでいただきたい」
露骨に、笑いながら拒否を前面に押し出すカイン。
ルスもまた、善人のの皮を被ったような営業スマイルで対抗する。
「へぇ、そんなことを仰って果たしていいんですかねぇ。
あなたの今停滞している研究が、ようやく進み出す気がするんですけれど」
「……どういう意味です?」
「手短にお話しします。
私たちに必要なモノは、次の――来年の学園術士大会優勝者に贈呈される武器。
クイーン・オブ・グローリィ」
浅羽カインは余裕そうな表情を、驚愕の色にさっと塗り替えた。
「どうしてその名前を知っている!?
ちょっと待ってください、だいたいそれは私の夢の中の絵空事です!
まだまだ着手出来る段階ではないしどうして――
はっ 電波か!? 変わった術か何かで僕の心を読みとったのか!」
オカルトとテクノロジーって似てる。名織は場違いにもそう思った。
ルスは肩をすくめて、
「まあ、来年までこの研究所自体持つのかはわかりません――最近はあまり目立った成果も出てないでしょう?
そんな中でもこの情報は、喉から手が出るほど欲しい研究材料ではありませんか?」
「――どうしてそんなことを知っている。それも電波か何かを使ったんですか?」
「ふふふ、まあ、似たようなものです。けれど今はそんなことどうだっていいんです。
あなたが来年完成させるだろう武器を、私たちが掴み取ります。だからあなたはそれを必ず完成させてください」
けれどカインの反応はにべもないもので、
「……僕の考えている今のクイーンオブグローリィは、ディバイドとは相性が悪い。
だからあなたが持ったところで、それは宝の持ち腐れというものです。
僕はその武器を、ティアンス用に作りたいと思っていますから」
「……ルス先生、それでいいんですか? この人の作る武器、宗次くんに合わないんじゃあ――」
心配になった名織は、ルスにそう耳打ちしたが、
「違いますよ」
ルスは否定した。そして、察しの悪い名織に露骨な嘆息をすると、
「名前からもわかるでしょう、あなたの武器ですよ、鴇弥さん」
「はい?」
「あなたが強くならないで、どうするんですか。
栄光の女王になるんですよ、氷結のお姫様。あ――今は戦士でしたっけ」
「……わたしの……ぶき?」
ぽかんとした名織を置き去りにして、ルスはカインに向き直って話をすすめた。
「カイン主任、聞いてください。このマクシムスは、クイーンオブグローリィとの合成品――いや急造品でありもはや模造品です。
術者の力に応じてその者が持つ魔力や聖力に反応して、武器の効果を発揮する――しかし私に合わせてしまったおかげで、その真作は贋作になってしまった」
「いったい、あなたは――」
疑問には、いっさいルスは答える気はないらしい。そのカインのしかけた質問を遮るように、
「これをお貸しします。ですからクイーンオブグローリィの研究を、一刻も早くお願いします」
「……しかたがない。やってみましょう――そこまで仰るならこれは僕がお預かりします」
カインは眉に皺を寄せ、条件をつける。
「ただ、確実に出来る保証はないです。壊してしまっても開発が頓挫してしまっても、文句は受け付けないですよ」
「それで未来への枝が一つでも増えるのなら、私は本望です」
「……まるで過去を見てきたような物言いをするんですね?」
そうカインが訝しんだ反応を見せた直後だった。
部屋の奥の自動扉が開かれる。そこには、生ける死体のような、よろよろとした足取りでこちらへ近づいてくる女がいた。
「未来……過去……何か……わ、わ分かったの……わかったのね……!?」
ルスにしがみついて、ぐいぐいと彼女の服を掴んで問いただしてくる女。その声はやけに低い。何かの薬品を飲んでのどを焦がしたのかというほどだ。
女の髪はまるで手入れを放棄した庭草のように、ぼさぼさで伸び放題の黒髪。そのつや色はシャワーを浴びず数日間醸成させた者こそがなし得る風味と色合い。
名織はその女から距離を取り、
「えっと……こ、この人は??」
カインは、満面の笑みを浮かべていった。
「紹介します。浅羽セイン副主任です。僕の自慢の妹なんですよ。
ほらセイン、暴れるのをやめて」
まるで言うことを聞かない愛犬をなだめすかすようにして、セインを強引に引きはがした。
かと思えばカインは、彼女のキューティクルを悠久の彼方に置いてきた黒髪を、嬉しそうになではじめた。
――この人、シスコンだ。しかもめっちゃ甘やかすタイプだ。
「セイン、今日は君が喜ぶゲストが来てくれたよ。
ほらこちら、よくメディアで君が見ていた鴇弥名織さんだよ」
「……と……き、や?」
ホラー映画のジャパン風幽霊よろしく、ゆっくりと、ゆっくりと。浅羽セインはその首を曲げ、
そして、笑った。
にたり、と。
名織は体の芯が荒縄で締め付けられるような恐怖にかられた。
「なおり……たん? なおりたん、名織たああああん!!!」
「ひっ――ひいいいいっ」
セインは名織に抱きついたかと思うと、ふごふごと鼻をうなじに耳におでこに這わせまわる。
「ほ、ほんものォ……ようやく会えたねフヒヒ、なおりたん、なおりたんんんんんんんんんんはあああぁ」
名織の体中に鳥肌が立っていた。彼女の織りなす香ばしさが嫌でも五感に植え付けられていく。
「か、かかカインさんこの人ヒューマンとか嫌いじゃなかったんですか!?」
「いやいや。ヒト嫌いなセインなんですけど、ただ一人君だけは信奉しているレベルで好きなんですよ。
妹に愛されるなんて、うらやましくてしょうがないなぁ」
「それを先に言って!!」
そしてこの兄、妹の暴走を止めるつもりが一切ないらしい。
セインはやけに濁った瞳を細めて、まるでペットをあやすような甘い声を出す。
ただ、もともとが低い声なのか、恐怖の相乗効果を織りなしたような猫なで声だった。
「ねえ、なおりたん。ちょっとお茶していこう? ぇへ、いろいろお話しようよ……えへ、げへ、へへへへへへ……」
研究者特有の細っこい腕のくせに、やけに強烈な牽引力で名織はセインの部屋に引っ張られていった。
「い~~~~~や~~~~~~で~~~~~~~す~~~~~~~~~~~……」
▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽
HWLを出て吾方と別れ、名織はルスへ不満を爆発させた。
「知っていましたね。知っていてわざとセインさんに引き合わせましたね!」
「私だって同じ事を経験しましたよ。でもまあセインちゃんの前情報さえ訊いてくれたらどんなひとなのかは答えたのになぁ」
「…………~~~~~~」
声にならない声で非難をするしか、名織の怒りの発散方法が無かった。
「まあ、そう怒らないでください。どうせ、手に入れてきたんでしょう?」
「……これのことですか」
研究所のキー。これがあれば、あのHWLに自由に出入りできるということだ。
「ちなみに、私がそれを使うことはついにありませんでしたけれど。まあ、一種のトラウマになっていましたし。
けれどあなたは、私と違う未来の可能性を広げるのなら、きっと有効でしょう。
浅羽セインと仲良くなってみるのも、いいですね?」
「……エーソーデスネ」
「彼女の部屋、見たでしょう?」
ルスの問いに、名織は彼女の人柄よりもいっそう奇妙だったセインの部屋を思い出す。
「はい。……あれはいったいなんなんですか? あのおびただしい――武器呼出の術式印は」
武器呼出、その術式印はどの術士でも扱う。
ディバイドも少し術式印デザインや行使の仕方は違うが、魔術、聖術、双方の基本となる術だ。
それが、部屋の中に無数にちりばめられていた。武器呼出の基本的な構造式に、何通りものアレンジを加えた術式印が、いくつもいくつも転写されていた。
「なんで、武器呼出の研究なんかしようと思ったんでしょうね」
「彼女はきっと禁術の研究をしているからです。だって彼女、死にますし」
名織は意表を突かれ、はじけるようにルスを見る。
ルスは笑っていなかった。
「まあ、わかりませんけどね、そこらへんは。ただ、私がいる世界の皐月会長に教えてもらいました。
会長は武器呼出――異空間移動の基礎を応用して、それを未来・過去という四次元軸を自在に移動できないかというテーマを彼女に与えたんです。
それで研究させてはいましたけど、彼女、ある日どこかに失踪したんです」
「……どこかって。どこへ」
たった今一緒に話をしたひとが、いずれ死んでしまう。
その事実は受け入れがたく、頭が理解に追いついていない。
「それはわかりません。彼女はアレンジされた武器呼出の術式印だけ残して、忽然と消えました。研究所の中からですよ。
……あぁ、行方不明って言う意味では死ぬという言い方は不適切ですね。
けれど私の世界はそんな世界でしたよ。翻って言えば、彼女は誰かがアクションを起こせば助かるのかもしれない。
私の世界は失敗だった。いろいろなモノをデビルに奪われてしまった――そんな世界だからこそ、今度は出来れば強欲にみんなを助け出したい。
あなたは骨を折ってもそうする覚悟、ありますか?」
そんな突然すぎる質問に、名織は言葉を詰まらせた。
「……そんなこと、いきなり訊かれても――たとえ私が“はい”って言ったとしても、ルス先生には嘘っぽく聞こえると思います」
「そうですね。私が力なく即答する時って、だいたい私的には何も考えてない時ですもん。
けれど、そうですね――そんな風に答えに窮しているときは、まじめに考えようとしている証拠です」
ルスは、鴇弥名織という存在を分かりすぎている。
だからこそ自分という存在に念を押す。
押さずにはいられないのだろう――悲しみの轍をもう踏ませないために。
「あなたの最終目標はトップクラフトになることでしょうが、宗次くんはあくまでもデビルを殺すことです。
たくさんのひとを救うために、デビルを殺さなければなりません。これから様々な人々と、手を取り合わなければなりません。
私も、あなたも。みんなみんなみんな救うために」
「……はい」
「無理にうなずかなくてもいいですよ。
かつての私はずっと、心のどこかで、そんな得体の知れないモノとの邂逅を拒否していました。
そりゃそうですよ。
私は何も分かっていなかった。
私は未知の敵と未知の恐怖に対して、理解しきれなかった。
過去の私は本気も覚悟も、何もなかった。
……私も今の彼より強くなくてはならない。じゃないと、彼を守るなんてできはしないから」
「……本当に――好きなんですね。宗次くんのこと」
「もちろんです。
きっと私は、私という存在は、魂ごと――何に生まれ変わろうとも、宗次くんに恋をしちゃうんでしょうねぇ」
少し困ったようにルスは笑う。
戒めも覚悟も、宗次のために彼女はひたすらにそれを育ててきたのだ。
名織はどんなふうにもがけばこの世界を救えるのか、まだわからない。ルスはまだ、名織の任務について、詳しく教えてくれることはないだろう。
せめてルスが仕組んだ歯車がうまく調和してくれることを、今は願うしかない。
クイーン・オブ・グローリィ(栄光の女王)――
まだ見ぬ名織の未来の相棒が、きっとその未来を変えるための歯車の一つだ。




