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「――――あぁぁ!!」
「ちょ、うるさいわね、静かに!」
――――――ぴちゃん。カビが張り付いた天井から、どこからか漏れ出した水粒が、途切れ途切れに床を弾いている。
しばらくすると、元の静寂が蘇ってくる。
荒げた声を出して赤面する宗次にオルタはあきれたような顔を向け、
「アンタ、顔ものすごく赤いけれど変な夢でも見ていたの?」
「……いや、別に」
宗次はオルタの顔を見られず、手で顔を覆い隠す。
――なんて夢を見ていたんだ、俺。
いや、違う。今のは夢じゃない。おそらく夢と現実の間に没入させる魔術だ。宗次はその発信者のことも、しっかり理解している。
「アルガ、なんてことを」と、遙か遠くの親に対して毒づくことしか出来なかった。
おそらく名織は、同じ夢を共有した。そういうことがアルガには出来る。これは魔界において絶え間なくアルガとの意思疎通を図る方法として何度もやってきたことだった。
しかしそれを他者と自分でやるなんて。まして名織とやるなんて、一体全体、何をアルガは企んでいるのだろうか。
「……なんだかよくわからないけど。とにかく、そろそろ寝ぼけた頭しゃっきりさせて、行くわよ。
そろそろ“協力者”と合流するから。
……ほんと大丈夫? あなたの顔なんか茹だって――」
「い、いや……なんでもない。気にしなくていいから」
「ハァ、もう。しっかりしなさいよね。別に寝てスタミナを回復するのはまったく問題ないけれど、大声を出して敵が来たらどうするってのよ。だいたいあなた緊張感があんまりないっていうかさ……」
くどくどと説教が始まる。ここに来て5度を数える小姑のような物言い。
きっと前世ではお小言ばかりのお局か、相当な苦労人だったに違いない。
「文句ありそうな顔してるわね?」
「そんなことない」
「ハァ。逢坂いい?ここからの段取りは私とあなたしか知らない。本当に油断していると足下救われるんだからね。だから私と会った時みたいに、そもそも私に用心するくらいでなきゃ」
「……わかってる」
「ならばよし。じゃ――」
視線を虚空へ向け「時間よ。じゃあ、しばらく歩くわ。
ここからはトラップの術式もあるはずだからいっそう気をつけて」
時計のようなものは一切見あたらないが、一体何を見ていたのだろうか。その先の知れない視線は宗次の顔へ向けられ、
「手はずとして、これから第三者に会う。そこでその第三者にこの潜入計画を話し、共闘する。
あらかじめ宗次はその第三者を信用してはならないとは言ったわよね」
「ああ」
宗次はうなずきながら、頭の片隅で契約精霊エルレクリーフ、ヒアルピアのことを気にかけていた。
ヒアルピアというエルレクリーフのブレーキ役がいてくれるが、それでも心配だ。
宗次はうすうす感づいてはいるが、ヒアルピアは時々暴走する時がある――
が、そのトリガーがなんなのかは、宗次にはわからない。
――却って大事になっていないといいけど。
「バロットもルーファもあの生徒会長も、さっき言ったとおり、示した手はずを実行中。
それぞれ違う行程で潜入等することになっている。
一分一秒もミスはしちゃいけないんだからね。わかってる?
私たちは私たちで潜入して、任務を果たす。……ねえ、ちゃんと聞いてるの?」
宗次はうなづいた。さっき飯を食った場所での話だ。
この施設へは学園の制服は全て置いてきたし、身分証、ハンカチやアクセサリーに至るまで、個人を特定するようなモノを出来る限り排除している。
小綺麗な浮浪者といった風体である。
オルタのでは続ける。
「……さっき、教会のことを説明するって言ったわよね。
今回、ミッションを与えたやつらのこと……逢坂も存在は知っていると思うけれど、改めて説明しておく。それは“グレア教会”よ。
もともと異世界アミギミアにあったグレア教会だけれど、地球へと活動を広げてもっと拡大した最大宗教。我々、ティアンスと聖術のルーツを持つ宗教。ティアンスの術士だったら必ず所属登録しなくては、正式な術士になれない。
術士になろうとしているけれどグレア教に属さない者はすべて、この時点でグレア教へ改宗する決まりなの。
教会はティアンスの保護、育成や他の組織への干渉および監視を行い、禁術が再び世に出ないようにすること、ディバイドの勢力が拡大しないこと、デビルを出現出現させないこと……とかね、幅広く活動している。
聖術兵器の開発も行っている。ルス先生のような甲冑兵装、わかるでしょ――ティアンス教会が最初にそれを製作した。
教会の上層部にはね、ディバイド差別主義者がごろごろしている。グレア教の教えでは、ディバイドたちは相容れない存在と教えているから。
その上教会は、まだクリーンとは全く言えないような要素をはらんでいる。
教会が寄付金を実力上位のティアンスに意図的に資金を流しているというきな臭い話もある。そしてこの特務ミッションのこともそう。健全な組織なら、デビルがどうなんて秘密裏の案件に、部外者たるあなたを巻き込んでいることこそ、おかしいのよ。
そして……別に隠すつもりはなかったけれど、私自身――教会に派遣された暗部の構成員よ」
「……オルタの目的は? 教会の目的と同じなのか」
「――私の目的は二つある。一つは、暗躍する集社の恥部をさらけ出し、メタメタにつぶすこと。もう一つはこの施設にいるであろうデビルの回収。私の直属の上司にそうしてこいと言われている。
ただ――、私は上司や組織を信じ切れないでいる」
「どうして?」
「だって、これから会おうとする人物だって教会から派遣されているのよ。最低監視対象であると言うこと。そして、そいつに命を狙われるという可能性はゼロじゃない。
今も言ったけど私とそいつで教会の中で解決してしまえばいいわけでしょ?
あなた自体が危険な目に遭う可能性が極めて高いのよ」
それは、このミッションのための捨て駒、ということなのだろう。自分も、オルタも――
「それに、私の出自――正体のこと。アンタには、絶対に明かす必要がある。
……あなたなら、もう気づいてるかもしれないけれどね」
言って。
「――オル、……た!?」
オルタは背中を向けたかと思えば、まとった小汚いローブや上着をためらうこと無く脱ぎ始める。
「な、なにしてっ――」
宗次の制止だかなんだかもわからない言葉は、オルタには届かない。
上衣の全てをあっという間に脱ぐと、小さな唇をふるわせた。
「……言って」
「?? ……?……?」
何をだ。
と聞けない。聞いてはいけない気がする。
宗次は頼りないフロアの電灯に照らされる、陶磁のような肌に向けて、
「……き、きれいだね?」
言った。
多分これで間違いは――
「ハァ。あんたほんっっっっっっっっとに、鈍感だわ!!」
「!?」
「私が! 前あんたとの戦闘中に影の中に放り込んだ紙切れ!! あったでしょ!
それが私の正体につながるって言ってんの!」
「そ、そんなに怒らなくてもいいだろ!」
「ああもうあんたしゃべんな! さっさとほら紙を出す!」
はて、なんだろうそれは、と目をそらす口実が出来て、宗次はそっぽを向いて考えた。
戦闘中に影に投げ込まれた紙切れ。たしかルスとのバトル中、ルスがそのメモのことについて言っていたような気がする。
そういえば、すっかり忘れていた。
宗次はしゃがむと四次元ポ○ットよろしくガサゴソと影の中を物色する。
その紙切れはすぐに見つけられた。
「いいから、さっさと唱えて。そのメモに書かれていることを!」
さっきからめちゃくちゃ騒がしいが、そのことをオルタに言ったらまた怒られそうだ。
宗次は下を向きながらぶつぶつと、
「……こ、Code:S・I――」
わしょっ。宗次は頭を鷲掴みにされて中断。させられた。
「わ・た・し・の・目・を・見・て・言・い・な・さ・い」
気がつけばオルタは胸部を上着で隠しながら、宗次に羞恥とも憤怒ともつかない表情を向けていた。
その彼女の瞳の奥底が――まるでトンネルの奥に見えるわずかな光のように灯っていた。
「……こ、Code:S・I・B・I。Alternative」
言い終えた直後、体の中心から頭や指先に向けて、鮮やかな光がオルタの体をほとばしっていく。
「メンテナンスモード。アクチュエーター、コンピューティングデバイス、ワイヤリング、スパイナルナーヴス、すべて正常。…………どう?」
「え……すごい」
月並みというか、もうがっかりレベルだったのか、「なによそれ」とオルタは肩を落とす。
まあ確かに、信じられないとか、嘘だろとか、そういうことを言った方がよかったかもしれない。
オルタの瞳の赤い光は消えた代わり、今度は瞳の表面から緑色の光を発している。
まるで、オールグリーン、正常をその瞳で現しているかのよう。
「ここまで言っておいてなんだけれど、まず私は“出自”というものを明かすことは出来ない。
だって、私にだってわかんないんだもの。
私には以前の記憶が無い。まったく。ちっとも。ぜんぜん。
どうして教会の暗部なんかにいるのか。どうしてこんなにもデビルを憎んでいるのか。
私の性格は、どんな環境から構成されてきたのか――悔しいけれど、悔しいのに、わからない」
宗次は一体、なんと返してやればいいのかまったくわからない。
「逢坂、私はアンドロイドだからこの場のとんでもない瘴気に耐えられる。
チェインポイズンだって、さわったって平気よ。表面の人工皮膚が少し爛れるだけだから」
汚水管理施設というより、まるでダンジョンなこの場を宗次は見渡した。
並のティアンス――いや、ディバイドでも、この瘴気の中にずっといれば、精神をおかしくしてしまうかもしれない。だからこそバロットはまだ耐えられるとして、皐月やルーファにこの施設の外で作戦を展開してもらっているのだ。
宗次は、わずかに落ち込んでいるようなオルタに、どんな言葉をかけていいやら逡巡する。しかし、彼女は大変なことを――おそらく皆に内緒にしているであろうことを宗次には打ち明けてくれたのだ。
「その……大変だったんだな。打ち明けてくれて、ありがとう」
今度は完璧に決まって――
「はっ! そんな同情はいらないわよ!」
悪手だった。
「そうよワルイ!? 私はこんなさも感情豊かそうにしゃべるけどしょせんは機械、ロボットなのよ! どうよ参った!? 1と0ですべての物事を区別してさ、でも妙にリアルに作られちゃっていろんなことを考えるしドジだってする無駄な機能だらけのポンコツプーピーなのよ! ごめんね!?
私の開発者は私にヒトらしさという願望を押しつけたクズに違いないわ! 本当に最悪よこんなの!」
ポンコツプーピーとはなんだろう。死語ですらないと思う。
「ご、ごめん、アンドロイド?と接したのは初めてで」
「へえ。ちまたで売られてるやつまだ見たことないんだ?
でもね珍しくもなんともないわよ、私みたいな鉄クズがさもニンゲンみたいに話すのって!」
まくし立てるように畳みかけてくる、というよりは言葉を投げてぶつけられているようだ。
彼女はこの事実を打ち明けなれていない上に、相当なコンプレックスを持っているらしい。
端的に言って面倒くさい事態だ。
宗次はとりあえずなだめようとするが、
「なあ、オルタちょっと落ちつ――」
「私は、アンドロイドはアンドロイドらしく、命令されて、死ぬまで動くわ。
自分の本当の正体もはっきりしないままね。私にそれを探す時間を与えられるのかどうかてんでわからない。この作戦が終わったらスクラップにされるかもしれない。
なによ、ニンゲンだって所詮私と同じ人工知能じゃない。
赤ちゃんは幼いから何も知らなくてだから言葉をインプットさせる。文節や文章の構造を理解して、知識を得て、複雑な計算能力を身につけて……だいたいニンゲンの感情だって変数で決まるじゃない。悲しみや怒りや楽しさの変数は外部入力の値によるものなのよ。その人が持つ特有の係数を掛けてそこにスタックしてあげれば感情を持った人間種の出来上がり。ロボットだって同じ原理で動いているのにそこになんの差異があるってのよ」
半脱ぎのまま詰め寄られ、宗次はしどろもどろになりながら、
「は、話が難しくてわからない。つまり何が言いたいんだ」
「ニンゲンだって、プログラムの集合体ってことよ!」
「オルタ、別にそこまで気にすることじゃないと思う!」
「は? だって。気持ち悪いじゃない。私は親も知らない。思い出せない。
けれどデビルを殺さなきゃいけないって思っている――
こんなところだけ、私が知らない誰かに都合良くロボットの部分を利用される」
Alternative――その意味は『二者択一』もしくは『代わり』。
そこから自分のオルタという名前がついたというのだろうか。
誰が、どんな目的で。
「自分を作った人もわからないのか?」
「……わかんないわよ。
……はぁ。
ごめん。私のことなんてどうでもよかったわ」
ようやく回路の冷却装置が駆動してくれたのか……
オルタはむっつりと口をつぐんでしまう。
今のオルタには、何を言ってもわからないと思うけれど。
宗次は本心で思ったことを、今度はオルタの目を見て言った。
「オルタ。悩む事なんて無いと思う」
きょとん。今度のオルタは、反論もしない。
「アンドロイドに生まれて悩んでいるんだったら、それはもう普通の人間と同じだ。
俺も出自は良かった。途中までは、良かったんだ。
でも昔のことなんて――父さんと母さんの少しの記憶以外、全部無い。
けれど、過去なんて変わらない。自分の体の構造も、記憶も、みんな同じで変えられるわけがない。だから俺は、与えられたものを大切に……大切にして、生きていく」
「……水と電気で動くような体って、生きているって言えるのかな」
「血より効率はいいんじゃないか」
「なによそれ。ジョークのつもり」
ぽりぽりとほほをかく。べつにそんなことを言ったつもりはないが。
「「………………」」
二人、しばらくフリーズする。
そして――
「……オルタ、どうした?」
ぱさ、と上着を取り落とすオルタ。それを恥ずかしがる余裕が、宗次にはない。
オルタの様子が、おかしいのだ。緑に発色する瞳を見開きながら、オルタは苦しげに嗚咽する。
「――――ぁ、がっ、はっ」
「オルタ!」
発作。オルタは手を握ると、その手の中からひときわ強い光が現れる。
握った手を広げ、青白い光を発する針のようなモノを一本、オルタは浮かべた。瞳の焦点は定まらず、何らかの強制力が働いているかのよう。
光の針は聖力を受けて、まるで自ら意志を持つかのようにピンと立っている。
瞬間――パッ!!と閃光を放つと、そのまま霧散するようにして消えてしまった。
強制力からようやく脱したか、オルタは力なく崩れ落ちる。
「オルタ!……大丈夫か?」
「え、ええ……宗次、私の目を見てメンテナンスモード終了と、言っ……て」
「――メンテナンスモード終了」
緑の光はフッと消え去り、ところどころ発光していたオルタの体は元通りになる。
だが、オルタの息はあがったまま。
「ごめん逢坂。……あの術……私にもわからない。
意味はあるんだろうけれど、おそらくわからなくさせられている。
記憶や知識が――おそらく私の作成者によってマスク(隠蔽)されているってこと」
誰かが。意図的に。
「でも……でもだよ、人生で重要な岐路に立っているとき。
“これ”をやっておけばきっといいことがあるって。
そんな直感的な情報だけが、私にはインプットされている。だからアレは――多分きっと、悪いことじゃないんだと思う」
「……それが、今なのか?」
「そうよ。でも……私はこのIFコードで動く自分の体が、だいきらい」
私は一体、なんのために生きているのよ――
苦しくうめくように、そんなことをオルタは言った。
しばらくして落ち着くと宗次に背中を向け、上着を着始める。
「これについて私が知っているのは術名だけ。“クロノフラグ”よ。さて、こんなんで信用してくれたか、わからないけど――私のカードはこれで全部よ。ていうか信用してくれなきゃ、困るからね。
私はあなたを守るから、ちゃんと私のこともしっかり守りなさいね」
宗次は先へ行くオルタの背中を追ってついていく。
孤独な少女――彼女は自分の真実を見つけられるのだろうか。
宗次は迷う。迷うが、その一言を言えない。
その背中に“一緒に生きる目的を探しに行こう”と声をかけること。
そこまで言える勇気が今の宗次にはなかった。だからこそ、いつか。このデビルの件が終わったときに――




