Ice Slush Warrior
寮への帰路で、名織は物思いにふけっていた。
「禁術。どうやって使ったの。いったい、誰が……」
禁術。
それは大量破壊(殺人)術全般。生命を生贄とする術全般。死者冒涜術。生態系変動術。無差別発動術。術式印無限循環術。
そして深くかかわりを持つであろう召喚術。
宗次とは関係ない、時間術(時間術は未来跳躍、過去遡行を含む)。悪魔契約。
「あのヒト(ルス)は、未来から過去へ来た。禁術を使って――」
名織の念仏は力なく、壁に染み込む前に虚空に溶けてなくなっていく。
吾方の資料はすべてデバイスでスキャンした。重要な箇所にマークもつけている。
宗次を救う件について、抵抗するための材料はじゅうぶんある――
あの宗次が連れてきた二人は、根本的に違う。
いや、二人という表現はおかしい。あれは、二体と呼ぶべきだろう。
その二体を呼ぶための代償を払った形跡。呪術の形跡。特殊なルーンを含めて召喚した形跡。
フィールド上の術式印痕は試合後しばらく保存されるのだが、その試合記録にはまったくそんな形跡が見られなかった。
――それを説明すればいい。本当は、彼らが人間でない証明もあれば万々歳なのだが、それは欲張りすぎだ。
おそらく、いやきっと、上手くいく。
そう安堵したら、今度は今まで置いておいた問題が気にかかってしまう。
「どうやってデビルなんかと接触できたの。なぜ、そのデビルに殺されずに済んだの。どうして……」
時間術。ルスがここにどういう禁術を使って来たのか――
それはきっと、もう一つの「悪魔契約」という禁術に大きく関わっている、のだろう。
悪魔契約についても探してみた。気になるのは、代償およびそれを捧げることによる能力。
そして、「何の悪魔」に捧げたのか、ということ。
吾方が選出した資料はすべて禁術としてひとまとめにしている本ばかりである。禁術というものは歴史書など、歴史を紐解く以外に参考となるものがないのだ。
ルスは、どの時間軸とも違う世界に来ることで、自分とは関係のない世界の宗次しか救えない。
そして嫉妬という罪を背負うことで自分の身を蝕んでいく。
それと引き換えにこの時間軸へと来ることができた。
そんな設定の過去の例など――
「……なんで一つもなかったんだろう……」
そう、結果はまったく・何も見当たらなかった。
大量破壊術や死者冒涜術の例は数あれど、悪魔契約に至っては、過去のおとぎ話のような事例しかない。
しかも悪魔契約の悪魔というのは伝承の悪魔種とはまったく違って、殴るとか蹴るとかすごい力だとか火を吐くだとか、RPG序盤の雑魚キャラみたいな能力しかない。
それなら、現在聖術の研究によって発達した式神術を使ったほうが、何倍も戦闘における効率はよい。
だからこそ、悪魔契約についての資料は、何の役にも立たなかった。
悪魔種という存在については、もはや伝承レベルの曖昧さではあるが、大抵の悪魔を記述する際のスタンダードになっているエピソードが存在する。
名織は適当にアミギミア国立図書館から寄贈された、古い書物を選び、ページをめくる。
そこにはただ三体きり――悪魔の名前とその概要、出現の時期などが書いてあった。
母
咎
虚
地球と併合するより昔、アミギミアの祖、グレア存命の時代に、悪魔は現れたらしい。
悪魔は自らをそう名乗り、アミギミアを恐怖の渦に陥れた、と文献にはあった。
具体的な破壊行為は、目を覆いたくなるほどに醜悪。
推定1億まで勃興したアミギミアの全世界人口を半分にまで減らした、という。
そのエピソードは三者三様であるが、虚と呼ばれる者がアミギミアじゅうを破壊しつくした張本人であり、咎はそれに反して母とともにアミギミア側についた、という。
そして、虚が去った(封印された、とあるが詳述されてはいなかった)後、母と咎はアミギミア最大勢力のエルフ側に迎合し、しばらくは平穏だったという。
その後、母と咎は禁術を使って逃亡した。
当時のアミギミア国都の民草・国軍・文献・城や城下町すべてを焼き払いつくして。
ゆえにこの3名のデビルについて、当時の研究施設が城内や城下に集中していたせいで、説得力の高い資料はまるまる焼失してしまった、ということである。
母と咎の行方はすぐに知れて、国外の大術士・剣士たちを総動員して2名率いるデビル軍勢と真正面から向かい合い、アミギミア側の勝利となった。
母と咎は戦地にて屠られ、塵も残さず焼き尽くした、とある。
肝心な2名の能力については、曰く――
母は死者をも治癒する能力を持つ。
咎は時間を自由に操る能力を持つ。
たった、これだけだった。
虚については破壊術の詳細が載っているだけで、特に役に立ちはしない。
名織は落胆した。落胆したが、わかったことは一つだけ。
「虚は、生きているの……?」
つぶやいて、廊下の角をまがる。
ふと、思う。宗次の特務ミッションのことだ。何故こんなにも突然になって特務ミッションで不在にするのか。
それは、動議の場に自らが立たないことで、少しでも自分が呼び出したたモノの存在を認めてもらうため?
いや、それが理由ならちゃんとそう説明するはずま。ルスや、宗次が――
説明できないこと。
それは、命にきっと関わること。
だから名織に説明できない。
名織が反対するからだ。特務ミッションで、口外禁止の危険なことをするからだ。
「宗次くん、まさかデビルと――」
そこで、名織はいったん思考を中断し、立ち止まる。
いつまでたっても、目的の階段にたどり着かない。いやそれどころか名織は一階の自警部室にいたわけで、少し歩けばすぐに外に出る扉にたどり着いたはずなのに。
いつの間にか、3階に上っている。
「ど、どうかしちゃったの、私!?」
独り言も、ここまで遠くに響き渡るとやけに虚しい。だが、虚しいだけではない。
奇妙だ。
誰もいない。講義はもう終わったにしても、講義室を根城に勉強や遊んでいる生徒が少しくらいいてもいいじゃないか。
外は陽が落ちきってしまいそうである。夜は目前だ。
そして、その奇妙さはようやく名織の感覚に深く入り込んでくる。
じっとりとした、いやな空気。この感覚は瘴気によるものだ。窓を触ってみようとすると、まるで水の波紋のように空気が振動する。断ち切れなさそうな何かが、この空間全体に張られているのだ。
まるで学校の七不思議みたいな、単純でくだらない結界。頑丈な不可視の壁。
そしてこの外側には強烈な忌避を放って、近くに誰も寄せ付けない役目を果たしているだろう。
「先生方くらいは気づかないのかな…!」
それか、気づいた上でこの有様なのか。名織は試されている。
結界の術者に。あとは、馬鹿でなければこの事実を掌握する教師の一部にも。
結界には上位の術者では外からも気づくことはできるだろう。だが、それを破ったりこの中に自分の意志で入ろうとするのは、至難の技と言っていい。
「……誰!?」
名織が振り向いた廊下の先に――ヒトらしきモノが佇んでいる。
長い長い長髪。腰まで伸び、顔を覆い隠している。体はだらんと脱力し、戦闘のせの字も見せようとしない。
その姿を、できれば一秒も見とめてはおきたくない。それほどに不快で、強力な瘴気を放っている。
名織にはわかる。
あれは、自分を敵対している。
映像越しにも忘れられない、あの姿と瘴気の濃すぎる迫力。それは、名織が求めていたモノ――の、はずだった。
「いざ尋常に」
くぐもった女の声は、続ける。
「このヒアルピアが相手をします」
「どうして」
名織はすでに、この瘴気に飲まれている。
胆力だってルスとの闘いの少し前に鍛えた。
――けれど、試合以外の“死合”について、まだ、まだ、まだ、まだ、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ、経験値が不足している。
「闘う理由が、私にはありません!」
突然のことに脳は混乱し、バトル用の思考へと切り替えきれない。
自分が傷つく覚悟はまだいい。相手を倒す覚悟が、宗次との試合でもそうだ。不足しすぎていたのに。
また、こんなにいきなり戦うなんて。
それにこっちには、まったく理由が見当たらない。
「……………………………………………………私には」
来る。
そう思った瞬間、唇は滑っていた。
「武器呼出!!」
レイピアを構えると同時に、ヒアルピアの速攻。大槍が、勢いよく貫かんばかりに飛んできた。
何もないところから。突然手品みたいに発生して。
それを寸でで弾き飛ばす。ひとつ、ふたつみっつよっついつつむっつ――
ヒアルピアは、その瘴気に似合わぬきれいな声でささやいた。
「傷をつけたほうの、勝ち」
「あぁ、もうッ!」
ヒアルピアの手が、ピタリと止む。そして、彼女の髪の奥から片目が見えた。こちらを、射抜くように睨んでいる。
あれに目を合わせたら、心臓が絡め取られそうだ。
名織は、これを切り抜けるためにも決断しなければならない。
「わかりました、この勝負受けます!!」
戦闘において感情抑制のリソースは割きたくなかった。だから聖術の力無しで、より速く、より強い相手と渡り合う訓練をやってきた。
それが、この異形の前ではまったくの無力。
絶対零度の眼差しが、脊髄をたちまち凍らせるような錯覚を引き起こす。あらゆる不快感が一度に襲う。及び腰になる。次の瞬間体が貫かれるのではないかという絶望への妄想が加速する。
これは、私が相手できるモノじゃない。
「――あはは、こんなんじゃだめだ。私」
あんまり自分がおかしくて、笑ってしまう。
少し、瘴気に汚染された空気を吸う。
聖力の濃度も、同様にじゅうぶんある。
そして、震えていても動ける体がある。ならば。
「らぁぁぁああああああああっ」
走る。追撃は来ない。近づく。まだない。レイピアの届く間合いに入った瞬間、ヒアルピアの手から一条の槍が現出。
魂を喉にせり出し、ねじ切るように振り絞ってレイピアをぶち当てる。
ギンッ!!!
鼓膜を震わせる金属音。レイピアの柄が辛うじて名織を守ってくれる。
声は不思議だ。幾つかの冷静さと熱量を何処かから取り返してくれるから。
大きな金属音とともに、刃を弾き返す。その力に任せ飛びのく。眼前の敵と間合いを離す。相手の攻撃の特徴を振り返る。
聖力は名織のシナプスに代わり、この状況の打破の方法を識ろうとする。
この間、0.1秒を切る。
しかし、その努力は報われない。
ゆったりと構え直す敵。あれはわざとだ。虚仮威しでは決してない。自分には相応の余裕があると、名織を笑っている。
名織を、なめきっている。
――今のところ片手槍のみ。相手の間合いに入れ。いや、それで本当に良いのか。相手の手の内は何だ。
あの、大量の剣の刃が降り注がない保障など、何一つない。
選択する。
懐に入り叩く。そして、レイピアで迷いなく突く。
そうしたい。だが、本当に上手くいくのだろうか。
私がその瞬間串刺しになるということは。
希望的観測をするな。相手は、人間じゃない。
……迷いは勢いを崩す呪いだ。
けれど、狂戦士と化させない薬でもある。
「――フゥゥッ」
名織は、手をだらんと脱力し、全てをリセットする。
ヒアルピアはきっと踏み出さない。それは名織の本能が告げた。彼女の最初の六条は、あくまでも名織をたきつける為。
だから本能に従う。彼女に勝つ一手を、この窮地で選択する。
至短時間で限られる詠唱フレーズを小声で構築していく。
「《グレアより産み落とされし風の神子、フェルツェ》。
read:file《sp》、stand by――」
私は、氷雪の姫君。
でもそれは、ギャラリーが勝手に決めた事。
私は、姫なんかじゃない。
勇敢で、冷静で、時々すっごく大馬鹿な――あの、もっとお馬鹿な彼の背中を追う、
片極の戦士――。
「風よ、起これ!!」
叫んだのは、ただの風の聖術。邪魔な瘴気を少しでも払う、魔術使いの相手への常套手段。
「airy mur felt<私は、魅了する>――!!」
それは、詠唱ですらない、おまじない。
それを叫び一歩駆け出したほんの一瞬、名織の目に、幻が映った。
眼前に見えたのは、黒い男。
白のマントを羽織っているはずなのに、彼のイメージは全てを飲み込んでしまうほどの、黒。
かつて、自分のことを完膚なきまでに叩きのめした逢坂宗次の姿が重なる。
まるでこれじゃ、走馬灯だ。
無数の槍が、名織を引きちぎろうとその頭上を、胴の横を、足元を、すべてをさらってしまおうと覆い尽くす。
だが。
私は彼に、近づいてみせる。
「氷境壁弐式<バウンダリーウォール・セカンド>――!!」
空間を、すべてを厚い氷壁もはや発現と言える速度で構築。
絶対零度の超速度氷壁が、すべての槍を飲み込み、その勢いを完全に殺し尽くす。
真正面にはヒアルピアの一条。それは名織の胸を貫かんとするように加速する。
名織は、それを防ぐことなどしなかった。
レイピアの刃が、ただヒアルピアの首筋だけを向き、力の限り貫こうとする。
ガギッ!!!
互いの勝負の一閃は、突然の急襲によって遮られた。一振りの刃が、レイピアと槍の軌道を断ち切るようにして現出したのだ。
それは槍ではない。刀剣、だ。
「やめにせよ」
一人の黒髪の男が、二人の間に立っていた。
もう一人のヒトではない存在。エルレクリーフ。
エルレクリーフは二人にそれぞれ一振りの刃を向けていた。
ブワッと、まるで極寒のはずの部屋にうだるような熱波を送られたような猛烈な不快感――瘴気が名織を襲う。
こんなのがそばにずっといたら、頭がおかしくなる。
「ヒアルピア。この娘と闘り合いに来たのではない。わかっているか?
「兄さん、私の勝ちです」
「いいえ」
名織はこの瘴気にやられそうになりながらも、ヒアルピアへ口を挟んでみせた。
「私の勝ちですよ、もうその槍は動かない。動かせない」
さっきの聖術のせいか、頭が朦朧として、気を抜けば倒れてしまいそうだった。それでも、ヒアルピアに負けたなんて、名織の本心が許さなかった。
だが、ヒアルピアも声はきれいで小さな癖にやけに強情で、
「いいえ、手加減しているだけ。その気になればあなたなんて――」
子供のようである。
「それは言い訳です。全力を出してないだけで、それはあなたの負けの言い訳」
「「……!!」」
「もうやめろ。みっともない」
異形の片方にもっともなことを言われ、突然名織の中に冷静さが蘇ってきた。
ヒアルピアの眼はまた髪で覆われる。
「はい。ただ、この娘の力を少し見てみたくなっただけです。ごめんなさい、兄さん」
名織は、ふらふらになった足元にぐっと力を入れ、後ろに下がって二体との距離を取る。
相変わらず瘴気の不快感はあるが、それ以上に名織を焦がすのは、くやしさだった。
速度が足りない。気迫もない。あの術一つでへばる気力も、所作も、鮮やかさも、術の効果的で素早い発現も。
ダメだ。ダメだ。彼に追いつこうとするのなら、私は全てが足りなすぎる。
エルレクリーフを従えているのかはわからないが、少なくともエルレクリーフには宗次についていく要因があるのだ。
きっと、宗次は目の前の二体と同じか、それ以上に強い。
「やあやあ、鴇弥さん。ご機嫌はいかがでしょう」
名織は、結界が張られていたはずの階段から上がってきた人物を睨みつけた。
言うまでもなく、このどこか名織の面影のある声の調子は、ルスである。
「あなたですか? ここに、この方たちを呼び込んだのは――」
「ご名答! だって彼らは明日の重要参考人ですから」
どうやらさっき不在にしたのはこれが原因らしい。
「……この方々をわざわざ招いてどうするんですか。何が起こると思うんですか。前代未聞です」
思わず、さっきの自分の考えとは正反対のことをルスにぶつけてしまった。
こんなまろび出る瘴気を隠せないようでは、ティアンスたちの中に入れてしまって無事で済むわけがない。
が、そんな名織に臆すわけのないルスは黒髪を手ぐしにかけながら、
「そもそも前代未聞の闘いにしてしまったのだから、その解決方法も少しくらい変化球だって間違いじゃないです。
だって彼ら、もう一目で人間じゃないってわかりますよね。いやぁこれはいい動議になりそうです。
そして、今ここに宗次くんはいない。彼らが召喚によるものではないと証明できそうね」
「このこと、宗次くんは知ってるんですか!!」
「ええ、お話の概要は彼が学園を空ける前に、説明済みですよ、トラギヌス・オルタさんが」
自分に話してくれていないことが、(おそらくさまざまな事情があるとはいえ)名織にはショックだった。
「なんで私には言ってくれないの」
超小声だったが、思わず口にまで出てしまう。
そんな名織の気持ちも知らず、ルスは笑って肩をすくめた。
「私だって、明日がどうなるかなんてわかりません。
でもこれはきっとチャンスですよ。この異形の彼らをあなたが引き受けることにより、宗次くんが証言台に立つよりずっと説得力が増します」
「……とりあえずこの方たちはどうすれば」
「あなたの家に連れ帰ってください」
即答。
「……ほのちゃんが」
「非常に気の毒ですが、一夜は我慢して」
「ルス先生一応付き添っていてもらえますか」
「動議の尋問員の方々に疑義を持たれるのは好ましくない。疑義の点では今だってこのやりとり、充分危ないんですよ。それに」
「……なんですかこの後に及んでまだあるんですか」
「私どうやら、宗次くんのお父上様に嫌われているみたいなので」
「はぁ?」
素っ頓狂な声が出てしまった。ルスは困ったように笑って、
「大賢ウルフのアルガですよ」
「……今、寮、に?」
「そうですよ。アルガがこの二方の目付け役で」
名織は、疲れも忘れて渾身のダッシュで廊下を後にした。




