来訪者
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名織の足は、自然と自警部部室へと向いていた。
「お疲れ様ですー……あれ?」
数人の部員は出かけているのか、いない。3班長のイギルはいつも入り口近くの筋トレスペースでダンベルを持ち上げているはずだが、姿がない。
ふと周囲を見ると、イギルは応接スペースの壁に腕を組んでもたれかかっている。
……イギルのほかに誰かいる。
ぺらぺらぺらぺらと、まるで誰かに急かされるようにページをめくる音が響いている。名織はそちらへ近づいた。
応接スペースのテーブルには、まるでテーブルが崩れるのではないかというほどの大量の本が、所狭しと積みあがっていた。
「……副会長?」
それを食い入るように眺めている生徒会副会長、吾方直士。緊急動議で「裁く側」となる、今は名織の敵――
と、目が合った。
厚みのある黒いフレームのめがねは、彼に強烈な知性を感じさせる。
「なんだ、鴇弥」
「い、いえ、どうして自警部にいらっしゃるんですか。
それにこんな前時代的なメディアの本いっぱい取り出して、一体――」
「……愚かな」吾方は不満あらわに鼻を鳴らし、
「学園書庫データベースに載っていない情報が、こういった紙媒体のメディアにまだまだたくさん載っているんだ。
君は緊急動議に備えて何かしているのか。さしずめ、ただ『召喚』というキーワードを書庫データベースに検索をかけてその情報を少し漁ったに過ぎないだろうな。
まったく、裁かれる側がそんなに浅はかでは明日はつまらないものになるだろうな」
「――な、、、ぅ」
名織はぐっさりと図星を刺され、反論のひとつもできずに固まった。
「ふん、あと僕とこれ以上余計な話はするなよ。裁く側と裁かれる側が一緒にいたら清廉な動議の場を汚すことになる。
というか僕は資料を読み切ったからもう帰る! せいぜい上手い言い訳のひとつでも考えておくことだな」
「……!!」
名織の怒りのまなざしに臆することもなく、吾方は鼻を鳴らして部屋を出て行ってしまった。
「あ、相変わらず嫌な奴だな――っていうか片付けてから帰れよ!」
と、本人の前で言えればかっこいいイギルの言。
「いや……イギル先輩。案外、そうでもない、かも」
「ん? 何がだ」
「だってこの本、見てください。明日の動議の資料じゃないですか」
「ああ、確かにそうだがそれがどうした――おい鴇弥どうしてそこでため息をつく」
「いーえべっつになんでもありません」
イギルには吾方の意思が読み取れないらしい。そりゃため息のひとつもつきたくなる。
吾方の残していった本の城にはすべて、ご丁寧にジャンルごと区分されており、付箋まで付いている。
召喚に関連すること、過去の魔術・聖術裁判の判例集、学校の違反資料、そして禁術資料。
付箋の位置は吾方の几帳面さを現すかのように、一冊一冊、階段状に見やすく貼り付けてある。
まるで、誰かに見てほしい……そう言いたいようだ。
吾方先輩は、味方なんだ。きっと。たぶん。……おそらく。四捨五入すれば。メイビー。
あのディバイド嫌いな態度から完全に信用できるわけではない。が少なくとも、この本の山は、彼を信じるに値するソースとなっていた。
「イギル先輩。今からこの資料を読み込むのでちょっとあっちで筋トレしててください」
「んー? はっはは、水臭いことをいうな、鴇弥! それを読むのか? 今日はやることがないからな。俺でよければ何か手伝おうか!」
「いえ。すごい邪魔です。ちょっと視界に入らないでください」
「………………ぉぅ」
心なしかひと回り縮んだイギルの背中を見送り、名織は手近な本を開き始めた。
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さて、朝繭ほのりは恋愛脳である。
たいしておもしろくもない講義のレポートを書いている合間に、上級生から餌付けされた黒ごまプリンをほじりながら考え事をしている。
夕暮れは山の稜線に蜂蜜のように溶けていったのはもう3時間も前。帰ってきた名織と一緒に食べようと思ったプリンだったが、もう限界だった。
「……はぁー」
ほのりはため息を吐く。
悩んでいた。
それは世界中のだれもがきっとどうでもよくて、世界中で自分だけが世界一問題にしなければならないこと。
「……宗次さん、今頃何してるんだろう」
彼がなにやら大変なことになりそうなことは、名織から聞いている。宗次がしばらく学園を不在にしていることも。そして名織もその件でてんやわんやであるということ。
そのために、ほのりだって宗次と会えないし、名織とも最近会話が少ない。
ほのりは考える。名織と宗次の距離感のこと。
今はイベントとかで忙しいから進展がないのもわかるが、それにしても――じれったい。
「……会いたいなぁ」
名織が宗次と会いたいのかはわからない。いやきっと彼の行方を心配していることは言っていた気がするから会いたいというのは外れではない。
でも、好いているから会いたいというわけでは絶対にない。――とほのりレーダーは判断している。
「私は、好きだから会いたいもぉん」
けれど。
自分が何をしたいのか、なんだか自分でもよくわからなくなってくる。
ほのりは宗次が好きで。名織も好き。名織は宗次が好きじゃないから、宗次を好きになってほしい。
でも、それだとライバルが増えてしまうことになる。それも、強力でとっても仲のいいライバルだ。
でも、好きということ自体、ほのりはまだよくわかっていない。
小学生のとき一目ぼれした子は、サッカーが得意で、かっこよくて、だから好きだった。
それは、憧れ。
憧れは、イコール好きなのだろうか?
恋愛ってそもそもなんなんだろう。そばにいたいと思うのがその感情なのか。
会いたいと思う気持ちがそうなのか。
――いや、私はそもそも名織のことをどう思ってるんだろ。ライバルにして何が楽しいのか。
「でも、そんなことわからないよぉ……あ~またこんがらがってきちゃったなぁ」
ほのりには、自分の気持ちがてんでわからない。わからないから宗次ともっと会わなきゃいけない。もっと話さなきゃいけない。
名織とも。
だから、このごたごたが早く過ぎ去ってほしい。そんな答えに行き着いては、
「あいたいなぁ~~」
最初のほうに戻る。
そして、思考回路が何度かぐるぐると回り終えたとき、
ふと、ほのりは異様な気配を感じ取った。
「……ん」
ほのりは起き上がる。
玄関から、ひたひたと、何かが歩いてくる。
なんだ。明らかに、人間ではない。
「…………………………え」
ほのりは、一瞬その姿に言葉を失って、
「わんちゃん?」
再び、言葉を発することができた。
どう考えたって寮の中に犬がいることがおかしい。犬がここに入れることがおかしい。
けれどそんな疑問が浮かぶ前に、ほのりの心をただひとつの感情が支配した。
「――――きれい」
ほのりが犬と認めたその生き物は、澄んだ夜の月のように、透き通っていた。
切れ長の目は凍てつくような温度でほのりを真正面にとらえる。
その瞬間、息さえできなくなった。
近づいてくる。近づいてくる宝石のような瞳から、目をそらすことができない。立ち上がることもできない。逃げることも、でき――
ぺろり。
「ぅひゃっ」
くすぐったい。頬をなめられたのだ。犬は――まるで人間のように口の端を上げた。
笑っている、ように見える。
『ふむ、その言動は悪気のないものか……とても素直なようだ。だが、狗ごときと人くくりにするとは、礼を弁えぬな。
警戒心も甘い。たとえば私が未知の化け物であったら君はとっくに首を噛み切られているぞ……』
説教を始めた。
氷付けの体を一瞬で溶かされたように、ほのりは口が動くようになった。
「ていうかわんちゃん、しゃべれるのあなたー!?」
というか、ほとんど口が滑っていた。
荘厳な様相に気圧されそうになるが、それでもこの犬?としゃべりたかった気持ちが勝っていたのだ。
『しゃべっているわけでは……これ、撫でるな。これ以上の無礼は許さんぞ、私は』
「あ、ごめんなさい」
『よい』
――そっ(撫でようとする)
シッ――!(的確に手を前足で叩かれる)
「あぅっ」
ぎろっ(途轍もない眼力でにらまれる)
「ひい、ごめんなさいもうしませぇん!」
恐怖より、目の前の生き物の可愛らしさ・撫でたさが勝ってしまった。
だが、身動きできないほどの眼力を再びやられたら、きっと今度こそほのりはそれ以上に手痛い目に会うだろう。
ひたひたと部屋の奥に歩いた狼は、なぜかほのりのすぐそばに座り込んだ。
「あのうぅ……あなたは一体どちら様なんですか?」
奇妙。不気味。であるのに、――この存在はどこまでも神聖な雰囲気を放っている。
神様、と言われても不思議ではない。
だが、この存在は、ほのりの検討とだいぶ外れた言を放った。
『……親』
その存在の口はまったく動いていない。
まるで、ほのりの頭に直接語りかけているようだった。
「えっと……誰の、ですか?」
『そなたの、想い人のな』
「えっ!」
ほのりは、何かを言おうとする。宗次のことを――
だがそれは、叶わなかった。
言おうとした瞬間、まるで吐きそうなほどの空気の違和感と、脊髄を走り抜ける悪寒がほのりを襲った。
「――あ、ぅ……!!?」
『娘よ。私のそばを離れるな。この階には結界を張ったが、それでもあれらの瘴気は強すぎる。
気を失ったら、すまぬな』
「え、どういう――――」
ほのりは状況がまったく飲み込めない。これから起こることも、今起こっている存在のことも。
その存在は、瞬く間に大膨張していく。
毛がぶわりと急成長して、ほのりの体をやさしく包んでいく。
そして、その存在が犬でないことに、ほのりはやっと気が付いた。
これは、狼だ。神話上のみに存在するフェンリルのような、人間と相対することのない、異界の怪物。
けれど、そのせいだろうか。ほのりの震えはだいぶ収まった。そして冷静さも戻っていった。
だが、悪寒は止まない。玄関から、その悪寒は近づいてくる。狼はその脅威から身を守ってくれている。
この感覚が瘴気なのかと、ほのりは戦慄した。たしかに瘴気の気持ちの悪さは感じたことがある。
けれどこれは、文字通り桁違いだ。
捻じ曲がった魔の空気が、壁などたやすく貫通してほのりにまとわり付いている。
何が来るのだろう。狼は守ってくれるのだろうか。この部屋は、血に染まるのだろうか。
「あ、あ、あの、逃げ、ない、の?」
震える声でほのりは狼に聞く。狼は答えない。
足が震える。背中が凍っていく。ほのりは狼の毛を抱きしめるように固まった。
そして――――
玄関の自動扉の開く、シュッという静かな音。
誰かが靴を脱ぐ。脱いで、近づいてくる。
ひたひたと軽い足音が、一人分。
「た……ただいまー、ほのちゃん」
名織、だった。物憂げな表情をまるっきり隠さない、鴇弥名織。
そして、その後ろに――まるで、幽霊のように浮かび上がる二人組。
男と女。
一人は肩まで伸びる黒髪。一人は腰まで伸びる白髪。
伸びた髪は目元をすっかり覆い隠す。
わかる。これが、悪寒の正体だ。
「えっと、紹介するね」青い顔のまま、名織は言う。
「こっちがエルレクリーフさんで、こっちがヒアルピアさん」
名織はまるで急な友達を招き入れた風な口調で、
「え、えへへー。さっき、会ったからね、その、連れてきたんだけど。
明日、この人たちが動議に参加することに、その、なると思うから……あ、あはは…………
……本当にごめんなさい」
と、どんより謝った。




