カエルのストラップ
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「――どこに行ったの、宗次くん」
名織の焦りといらだちが募る。
いくら呼び出しても、名織の着信に宗次が応えることはなかった。
すべての電話呼び出しが“不通”。メールも送ったっきり帰ってこない。
ルスとのバトルまでの時間はあと1分を切り、名織は相当な焦りを感じていた。
宗次がいないこと、名織が指名されたこと。これは偶然などではきっとないのだろう。
名織がターゲットとして当たったのは、ルス本人の作為が及んでいるとしか思えなかった。
バッジを取られたら、宗次もろとも終わりだ。だがやらなければならない以上、仕方がない。
しかし、そう考えられてもやはり肝心のパートナーがいないことは大誤算だ。
「……やるしかない、か」
ルスはデバイス機能をしまい、覚悟を決めた。
錆びて劣化の進んだ廊下の姿見に、自分の不安げな顔が写る。
「ダメ。こんな弱気じゃ、最初から勝てない」
なぜ彼女は自分が嫌いなのか。なぜ彼女は宗次を好きなのか。
彼女の目的と正体は何なのか。
そして、おそらく自分をバトルに指名したことに目的がある――それはいったいなんなのか。
それぞれの事実がまるで線で結ばれる気がしないが、ともかくその問いを解決させたい。
彼女と自分には何らかの共通点がある――きっと。
少し目を閉じ覚悟をし、再び目を開ける。
廊下の反対方向に、青い服を着た女性が立っていた。
「こんにちは」
その女性は、努めて教師らしく、名織に挨拶してみせる。
本物の“鬼”と鬼ごっこする時が来た。
基本方針は逃げる――ただそれだけ。
“敵に踊らされるな。逃げろ”
その宗次の忠告だけは、忘れてはならなかった。
デバイスのタイムカウント機能、残り1分からスタートさせた。
宗次は、名織の心の支えだった。名織は名織の知らないところで、宗次を支えていた。
今はバトルのことばっかりで、自分が口を挟む余裕もないほど、宗次はバトルのプロフェッショナルで――だから頼りっきりで、ルスとの戦い方もほとんど考えてくれて、迷惑をかけっぱなしで。
だからこそもっと強くなって、彼に追いつきたい。
それまで私は、彼を守ろう。それを胸のバッジに誓う。
「鴇弥名織さん」
「……はい」
すでに、ルスは武器を装着していた。
それは――鈍く銀色に光る金属の籠手。あれが、ルスの二つ目の武器。
「ぜひ、死ね――」
ただただ無機質で、表情の無いルスの声が心に突き刺さる。残り53秒。
準備術式に登録されたいくつかのルーン。
慎重に選択しなければならない。選択肢を間違えれば一分は持たないだろう。
「アリ・ムア・フェルト。栄光を私に」
そして、まるで弾丸のように人が飛んできた。
スリムな肢体に250kgを越える超筋肉。まともに喰らったら一撃で死を迎える。
名織は、思い切り跳躍してそれをしのぐ。とともに旧校舎に張り巡らせた罠術式の一つを展開。
「串刺し!!」
床から氷の槍が、まるでそこに忍ばせていたかのように超速で生成、ルスを突くように激しく伸びる。
氷槍はルスの体に幾本も突き刺さらんとするが、ルスの持つ異常硬度の体によって弾き壊される。
名織はその間に着地、ルスに背を向け走った。
廊下に描いたルーンに手をかざす。
氷の槍をなぎ倒し、こちらへ向かうルスの足には、光の鞭がからみついた。
名織は振り返らない。廊下の端の階段へ到達すると、踊り場の壁を蹴って下の階へ、
そこには、ルスがいた。
ルスの頭上から瓦礫がパラパラと崩れてくる。名織はまた、仕込んだルーンに手をふれる。
床面一帯がパキパキと凍った音を鳴らし、アイスバーンが形成された。
表面は同時発現された炎術でごうごうと炙られる。一瞬にして水気を帯び輝く氷は、滑り床でささいな足止めになるか。
「……くだらないですね!」
ルスは、己の持つ筋肉と体重をフルに使い、足を地面に食い込ませながら走る。それでも、速度は先より全く劣る。名織は、ルスとは別方向に伸びる廊下へ走る。
攻撃ターゲットになる間に張り巡らせていた、罠術式の残り二つとなったストックを展開していく。
一つ。<シャワー・アロー>。
無数の氷の矢が廊下の手前から奥めがけ疾駆する。
ルスは腕で十字を作り、上半身を保護しながら矢を破壊し突き進む。
二つ。<ストーン・ヘッド>。
天井と床、上下から氷山の如き氷の層を瞬時展開し、ルスの進路を阻む。
「破!!」
裏拳による、気合い一閃――上下の氷山が粉々に粉砕され、ルスは追走し続ける。
まるで子供のお遊びをあしらうように、一撃でこちらの抗いをはねのけられた。
そして、また逃げる。
これを逃げれば、あるいは――。
たどり着いた先は、旧体育館。名織は中へ飛び込むように入った。
瞬間、ルスが名織の肩をつかむ。
悪鬼のような表情が名織の顔をにらみつけ、手が胸へのばされ――
ピピピピピピピピピピピピ――
デバイスのけたたましいアラームが響く。もう終わったでしょう、とでも言いたげに。
ルスは名織の肩からゆっくりと手を離す。
名織は、緊張で止まっていた呼吸を、どうにか再開させた。
ルスは――ぱち、ぱち、と力無く拍手した。
とても、つまらなさそうな表情で。
「おめでとう。1分持ちこたえることができました。
あなたは私のイベントからは除外されました。再選出されればどうなるかはわかりませんが」
そしてルスの表情が少し綻ぶ。彼女は続けた。
「では、私と勝負をしましょう。私が勝つ前提のつまらないものですが」
「……しょう、ぶ?」
と、わけのわからない顔をしながらも、名織は意図を理解する。
――おそらく、ルス先生の本当の目的はこれだ。
「あなたは、挫折を味わったことがない。
ただ聖術の使い方が、人より少し優れているだけ。
それに加え偶然が偶然を呼んだ結果、あなたは1学年で1位という哀れな慢心と錯覚を覚えてしまった」
しかしこの妄言の意図を、全くつかめない。
「錯覚、なんかじゃ――」
「そしてあなたは挫折から、苦しみから免れ続ける。それは逢坂宗次くんがいるからです。
そう、彼の力がなければきっと来年は10位に位置できていればいいほど、あなたはちっぽけな凡人でしかない。
あなたは最高のパートナーを手に入れました――
けれどそれは、あなたにとっても彼にとっても大きな間違いだった」
「………………ッ」
名織は、屈辱にふるえる唇を噛み、小瓶を取り出す。
宗次に渡されたものだ。
これ以上、相手の意図に乗せられてはいけない。どうにか、状況を打破しなければならない。
「鴇弥名織。それを使うのは逃げです」
それをルスは、あろうことか咎めてきた。
そしてあろうことか、小瓶の意味を名織よりも知る。
「その小瓶は、宗次くんとつながった瘴気です。
それを媒介にして、宗次くんのところまで行ける、ワープのようなものです」
「……な、んで、あなたが?」
それ以上の詮索は断ずるように、
「けれど。あなたはそうやって、私から逃げるんですか?
あなたはそうやって、いつも辛い場所から逃げ続けるんですか」
「……私のこと何も知らないくせに、いい加減知ったふうに言わないでください!」
「あなたの心も体も、すべて理解しているつもりです」
ルスは、籠手をはめた手をぎゅっと握りしめる。
自らの闘志を手の内に握り込むかのように。
「あなたの力がどれほどちっぽけか、私がわからせます。
まあ、腕の1本や2本くらい折れても平気でしょう。
このイベントからの脱落はないのですから、気楽に――本気でやりましょう」
「……私、弱くありません。それでも本当にやるんですか」
「ふふっ。では私と手合わせをしてくださいますね。鴇弥名織」
冷静になろうとして吐く名織の息は、震えていた。
「……私は、あなたが嫌いです。どうしてそんなに私にこだわるの?」
「ではそこで、あなたに問題を一つ提示しておきましょうか」
そんなところで教師らしい口振りで、人差し指をピンと立てる。
その余裕に腹が立つ。
「――私は何者か。
その答えをこのイベント中に見つけておいてください。
あなたがにぶちんさんでなければ、ピンとくるはずですよ」
私は、勝てるだろうか――その結果を考える前に、手は黒い小瓶を服の中へしまっていた。
“敵に踊らされるな。逃げろ”
そんな宗次の忠告が、一度泡のように胸に湧いて――すぐ、消えてしまった。
勝てる勝てないではない。闘わなければならない。
自分がここまでコケにされて、悔しい者はいない。
そうさせるほど、目の前の女性が名織の闘志を高ぶらせる。
“最後には、逃げればいい。どうせ失格は無いのだから”
そのきわめて合理的な選択はどうしてか、とてつもなく卑怯で、後ろめたくて、惨めな気がした。
退くという選択肢は、もはや無い。
やるしか、ない。
「私の氷は防御だけじゃない!」
「そんなこと、重々承知しています!」
こっちに向かってくる恐怖――簡単に殺人できよう人物が、地を一蹴りで名織に近接。
ルスは鋼の甲冑でも着込んでいるのかと言うくらい、接近にためらいがない。
「――“鋼鉄針<スティール・ニードル>”!!」
聖術の発現――鋼鉄のような硬さを帯びた氷の円錐が数本、ルスをまるでえぐろうとするようにして突き出される。
それをルスは、籠手でたった三振り。
バキ、バキバキッ!!
あっという間にそれを崩す。
「くっ!」
ルスの目標は、名織の腹。
「シールド最大展かッ、」
――――――ドンッッッ
空気の凝縮された一撃が、名織を撥ね飛ばす。
ほんの一瞬名織の意識が飛び、そしてまたつながる。壁にぶつかる直前、シールドの強度を背後に及ばせた。
体育館のステージ下が名織ごと、木くずをまき散らして粉々に吹き飛ぶ。
「……かはっ、」
咳込む。大打撃を喰らってもなお、名織のシールドは空中で回転を続けている。
「鴇弥名織。絶対防御の氷壁を、作ってみなさい」
よろよろと立ち上がった名織に対し、ルスは注文した。
「……なぜ」
「あなたの闘志を燃やすため」
……ばかにしないでよ。
「馬鹿に、しないで――!」
名織は頭を垂れ、デバイスへと意識を集中させる。
明らかに、名織に隙が生まれる。
だが、ルスが攻撃を繰り出すほど無粋でないことはわかっていた。
そうでなければ、その挑発の意味がない。真っ向から、ルスは勝負しようと言うのだ。
絶対に破壊できないほどの強度を誇る氷の壁を、ルスは二本の腕のみで破壊しようとしている。
それに応える。そして、勝つ。
名織は目をつむったまま、自分が構築しきれる術式の連なりをイメージとして落とし込み、組み込んでいく。
意識下で生み出されたルーンはデバイスへと転写されていく。
デバイスへと転写されたルーンは、名織が指先で座標指定した位置に、青白く光る巨大魔術陣が形成された。
「出でよ、私の、最大出力の氷壁――!!」
聖力が結びつき、壁が構築されていく。ダイヤモンドよりも硬い聖力を配合した氷壁が、まるで城を守る要塞のような威厳を放ち、地から天へと伸びる。
「………………あっ、ぐ……、が、かはっ」
全身がびりびりにしびれ、咳に混じって血が口元から流れた。
体に負担をかかるほどに命を消費するほどの氷壁だ。そう簡単には絶対に破れるはずのない、ほぼ無敵の氷壁だった。
――ドン!!!!!!!
氷の向こうで、まるで大砲のような音と、地響きが場に轟く。
氷の壁が、揺れている。
「――な、にを」
ドン!!!!! ドン!!!!!
激しい打撃音が、場に伝播する。ルスが氷壁を叩くたび、ものすごい量の空気が流動し、名織の髪や服をなびかせる。
名織はひゅーひゅーと喉から息をして、半分もうろうとしながら、その揺らぐ壁を見ていた。
――そして、
「私の拳で簡単に破れる氷なんて、誰もいりません!!」
バァンッッッ!!
きらきらと結晶が舞い、その氷壁は大きなヒビを走らせ、
びし、びし――びしり――ひびが入り、そして。
堰を切ったようにバリバリバリとけたたましい音を立てながら、氷の要塞が朽ち、崩壊しはじめた。
名織は血の咳を吐きながら、肩の力は抜け、まるで他人事のようにそれを眺めていた。
――ああ。この前の、宗次くんとのバトルと同じだ。
なぜか不思議と、絶望感はなかった。
また壊されてしまったという諦めだけがあった。
――私は、強くないんだ。そして先生や宗次くんの、足下にも及ばない。
そう思うほどに、ルスは実力も戦略も覇気さえも、違う。
そう名織が考えているうちに、名織のそばにルスの腕がシールドを局部貫通。
急速に名織の腕に、重い衝撃。
めぎっっ
「あがっ……かはっ!」
強い音の感触があった。相手の拳が肩にごりごりと食い込む音、キシキシときしむ音、ビキビキと割れる音。
その三つが、拳の先を通して神経を伝わる。
吹き飛ばされた名織は、地面をこすりながら、土埃にまみれながら、ごろごろと転がった。
肉体強化がある程度施されたはずの腕は、虫の手足のように簡単に折れてしまった。
間接が反対側に曲がっている。
「――はっ、、はぁ、はぁ……はっ、はっ」
痛みが前進を伝播し、緊張のせいか息の喘ぎが止まらない。ようやく、せり上がった胃液の酸味と、口の中の血の味を実感する。
「大丈夫、左腕がイっただけです」
どこまでも平和そうに、ルスはそう言いのけた。
シールドは、何事もなかったように補修、再展開される。バッジは取られていない。自分はまだ、戦える――
けれど、足が動かない。
この意味のわからない戦いを続けることができるせいで。
こんな、泣きたいほど惨めな拷問に耐えることができるせいで。
だから、そんな苦痛を味わうのがいやなせいで、動かない。
「……なによ……なに、これ?」
くやしい。くやしい。くやしい。
「鴇弥名織、あなたはもっともっと慣れるべきです。たくさんの痛みに、たくさんの悲しみに」
黙れ。黙れ。
くやしい。くやしい。くやしい。
「でないとあなたはきっと痛い目を見たとき、立ち直れなくなる。
あの人の隣にいることが、きっと怖くて苦しくて辛すぎて、仕方がなくなってしまう」
聖力による神経保護作用が、痛みを最大限まで鎮静化する。
それを制御する為の精神力と体内の聖力が、じりじりとすり減っていくのを感じる。
ただ、それ以上に、どうしようもない悔しさが、自分の脳を汚染していく。
名織の中の冷静が、熱情に飲まれて死んでいく。
「……もう来ないのですか? それは心が折れてしまったからですか?
『私が何をしたの』そう聞いて、ギブアップですか?
『こんな人に、勝てるわけがない』そう言って楽になりたいですか。
一撃喰らっただけで闘う意志を失うのも、ただただ甘い」
ルスは、名織を煽るように、冷たい言葉でねじ伏せようとする。
「…………ふ、く、ふううううぅぅぅぅ……」
深呼吸する。痛みは聖力の作用によって完全に消えた。
名織の士気は急激に空気を取り入れた火のように、激しい炎を揺らめかせる。
倒れるまで、闘おう。
勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい。
「……コール」
“コール(武器呼出)はこの相手の場合、意味がない。
普通の筋力と武器では、傷一つ付けられない――”
宗次は言っていた。
青白い光とともに、名織の手許に武器が握られる。
細剣。ルスの前では情けないほど頼りない。
巨人につま楊枝。そんな対比こそお似合いな武器だ。
それでも、勝機の少しでもある方法なんて、唯一これしか思い浮かばなかった。
「ごめん、宗次くん」
何分前かの徽章への誓いを、名織は打ち捨てた。
名織はストックしていた術を、ルーンに表現して一息に解放する。
「――ボウヴァイン・アンカー<鈍重な錨>」
ルスの足下に巻き付くように聖力の青白い光が現れ、錨を模した巨大氷が空中から出現した。巨大な錨は、地面にズシンと音を立てて突き刺さる。
錨の先端は、青白い光によってルスにつながれていた。
「――金剛石の輪舞曲<ダイヤモンド・ロンド>」
二度目の光が放たれた瞬間――瞬く間の雪嵐。
そうとしか表現できない猛吹雪が、旧体育館を飲み込んだ。
猛吹雪はルスを、凍り付けにしようとする。
「くだらない」
ルスのその一言を皮切りに、名織は思い切り踏み出す。
まるで華術の舞台に立ったような異常な神経の昂揚が、自分を支配する。
レイピアに思い切り聖力を注入し、とびきり硬くした細剣で、
「――疾ッ!!」
一撃、
ガキッ!!
刃物を捉える音がしたが、ガントレットに剣ごと砕かれてしまった。レイピアの折れた刃が、サク、と雪に刺さる。
ルスは足下を一歩も動かさない。仁王のごとく、威厳を振るうように立つだけだ。
「コール!!」
それでも、名織は続けざまにレイピアを召還し、突く。
折れてもいい、倒れるまで、ルスが降参するまで――
名織は、新しいレイピアを呼び、折れてまた呼び直し、ルスを突き続ける。
「“コール”ッ“コール”ッッ、“コール”ッ!!!!」
がきンッ、ガギ、ガギ、ガ、ガガガガガガガガガガガガッ!!!
耳鳴りがする。音が遠い。涼しい顔で剣を受けるルスが憎い。憎たらしい。
剣戟は音を捨て去るように、名織の異常出力の筋肉に合わせてダンスする。
細剣が届く。だが弱い。かわされる。弾かれる。もっと強く突く。払う、突く。
ルスが反撃。身を屈め回避し、腹へ剣閃。それも籠手であしらわれる。
ルスは一歩も動かず、名織の剣に応える。寒さ故の緩慢さで名織がリードされているわけではない。手加減されているのだ。
――これでは、ダメだ。右下、左上、胴!!
腰、二の腕、足――入り込める場所のすべてに剣を突き入れる。
だが、もう少しのところで届かない。
もっと強く、速く、速く、強く、もっと強く速く強く強く強く――――――
「ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
――ぶツッ
そんな、機械の電源を勝手に切られたような音が、頭に響く。
「?ぁ――――あ、っ」
異常。
心臓が、痛い。まるでねじ切れるような痛みのせいで、息ができない。
名織の体が痙攣し切ったようにひきつって、動かない。まるで、すべての信号が停止したような。
「ぁ、が、ぎ――――が」
言葉にならない、絞りかすのような声が喉を震わせる。
胸が思い切り引っ張られたように、強い痛みのまま硬直する。
味わったことがない。この痛みはいったい、なんなのだろう。
そして視界は急に白んでいき――やがて。
何 かの転げ落ちるような音 が聞こえ、どこ かに 頭 を 打 って
「………………少し見直しましたよ。鴇弥名織」
▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽
「――――――――――――――かぁ、はっ」
白んだ世界を、まぶしいと認識する。酸素が突然体全体に送り込まれたような衝撃がして、名織の意識は唐突に覚醒した。
「ここ、は?」
名織はもうろうとする意識を振り払う。名織が見ているのは、自分がまだ朦朧状態になっているらしく、ゆらゆらと動く天井だった。
居心地があまりよくない。医療スタッフの頭や背中が、自分の視界に見切れている。
自分は、緊急救護装置付きの担架に乗せられているようだった。
「あ……あの、わらし」
まだ痙攣を起こしている唇でそう聞こうとすると、頭側のスタッフが応えた。
「起きましたか。鴇弥さん、聖力欠乏によりシールドを保てなくなりました。失格です。
一時心臓停止になりました。骨折もしていますので、念のため一日間病棟で療養してください」
おぼつかない手つきで胸をさわり……バッジの感触がないことから、その意味をやっと理解できた。
宗次もろとも、失格だ。
「……なしゃけ、ない」
聖力欠乏。初心者でもやらない、初歩中の初歩のミス。それを自分は把握することもできずに、抵抗すらできず倒れてしまった。しかも、パートナーの宗次のことすら考えもせずに。
だから、口からふと出たその言葉が名織のすべてだった。
ただただ情けなくて、宗次に申し訳なくて仕方がない。もはや絶望で涙も出ない。
いろいろな感情がぐちゃぐちゃになる。そこで、自分が何かを握っているのに気がついた。
「――それ、貸しておきますと言ってましたけど」
足の方の医療スタッフが言う。
体がこわばる。“貸しておく”――その言葉の意味がまるで理解できない。
「……なに、こえ」
医療スタッフは「さあ」と答えるだけ。
名織は、奇妙な物体を握っていた。緑色の毛に、飛び出た目玉、そして真一文字に結ばれた口。
口の端には愛嬌のように小さな舌がぺろんと飛び出ている。
「……ルス先生は“私の宝物なので、絶対なくさないように”と」
わけがわからない――そう言うほかに無い。
それほど普通でどこかにあるような、カエルの人形だった。
こんなものをどうして、今のタイミング渡すのだろう。その理由がさっぱりわからない。
手のひらに収まるほどの、カエルのぬいぐるみストラップ。
全体的に、少し色が褪せてしまっているようだ。
「………………ごえん、……なはい……そうじ、くん」
カエルのストラップは、名織の手の中で潰れた。
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