潜在的イリーガル
芝生の植えられた、風が吹き抜ける青い若草がそよぐ敷地――教会の前に広がる区画。
そこに宗次は立っていた。
ひと気はない。ただあるのは、晴れた夜空のみ。
やがて一人の人物が、草むらの茂みから静かに歩み寄ってくる。
上背で、鍛えられた肉体が服の上からでもわかる、巨漢。
口を一文字に引き結んだ、長い白髪を後ろで結ったエルフは現れた。
制服姿で、自らの正体を隠す様子もない。
「……ヴェンデ・ロゥファダ・トーマ。あんたが首謀者か」
宗次の視界はとうにぼやけてしまって近づくまでわからなかった。呼吸も荒いままだ。毒の進行は深刻さを増していた。
「おう! しばらくぶりだな、逢坂宗次。生徒会交渉部・内渉科長のトーマだ。
おまえを殺しにきた」
犯罪者とは思えない、自信に満ちた軽快な声色だった。
「……俺を……殺す……」
「そうだ。ここがおまえの死に場所にはふさわしい。
正々堂々来てくれたことは、本当に感謝する。ありがとな!」
ヴン――何かの術が発動した。いつの間にか広場の四隅には顔を隠した人物が一人ずつ立っており、それらが聖術を発動したのだ。青白く発光する聖術のバリアが、広場を覆うように顕現する。
トーマは腕を組みながら、
「防音及び絶対防壁の結界だ。おまえが死んだら解いてやる」
「……術の監視設備が作動する。強力な術は足が着くぞ、トーマ先輩」
「そいつも折り込み済みだ。俺はどうなろうが構わんさ」
彼の笑みは、後輩に見せるような、余裕と頼りがいのあるそれだった。宗次を殺すことに、なんの躊躇も後悔もないのだろう。
マントを脱ぎ捨てたトーマはファイティングポーズを取る。
「俺のすべてを以て、おまえを殺す。逢坂宗次!」
トーマは地面をえぐるように蹴り、瞬時に肉薄。
宗次の鼻先に手のひらが迫る。覆われる瞬間、宗次は大きくのけぞって腕をいなし、足をかける。
トーマはかけられた足によりバランスを失すが、受け身を取って立て直し、
「ハァッ!!」
トーマは手を向け、手のひらに描かれた術式印が青白い光を放つ。
――術の発動は一瞬だった。空間術・中でも波動術の類。
瘴気によって倍加した宗次の筋力が、土をえぐって蹴る。ぎりぎりかすりながら、聖術の延長線上から躱す。
――――ズォッッ!!!
トーマの手のひらを向けた先――空気が歪み、芝生が轟音とともに爆散し、めくり上がる。びりびりと宗次の鼓膜が揺れ、発生した暴風に体が持って行かれそうになる。
舞う粉塵は程なくして、結界の内側を激しく覆い尽くす。
トーマは、濃厚な土煙の向こうから、咳一つこぼさずに言う。
「二つ名“破砕機――powderizer”たる俺の力量だ。
頼むから怖じ気付かねーでくれよ。殺しにくくなる」
トーマの詠唱の声は、感覚の大半を奪った毒によって、宗次の耳にまで届かない。
「ハァッ!!!」
「ぐっ……!!」
爆ぜる拳の術と、寸ででそれを避けるしかない宗次。
ひたすら自分の経験が培った勘によって、疾走し、波動術からすれすれの距離でかわし続けていく。
決して、こちらから攻撃は出来ない。
攻撃をしたら、何が起こるのかわからない。
この学園における“法”がどちらへ味方するか。
宗次はとうに結論づけている――
このバトルフィールドにおいて“正当防衛”などという言葉は、ない。
そんな最悪の事態を考え、勝たなければならない。
「さあ! さあさあ!! 俺とバトルしたいと言っていたろーが!!
俺もおまえと同じ、シールドはない。さっさと一撃加えてみろ!!」
その誘いにだけは乗れない。だが、いつまでも避けきれるはずもない、土煙の中からトーマの手が、まるで地獄の誘いのように伸び、
「喰らえッ開華の掌!!」
トーマの手のひらが青白い光に包まれる。
瞬間、宗次の体が風によって、あらぬ方向にえぐられるように曲がりながら、聖術の壁に強く叩きつけられる。
「が、はっ――」
ごりごりと、宗次の中で重たい音がした。手足の骨が何本か折れた感触がする。体中に、得も知れない痛みに襲われ、視界がさらに白んでいく。
懐にしまっていた刀の柄が、ぽろりとこぼれ落ちた。拾おうとしても、どうにも出来ない。
もう限界だった。たった一撃だが、強力な拳。それに、回りきった体内の毒――もはや指先も動かすことが出来ない。
粉塵が収まる間、追撃はなかった。
かろうじて意識の糸をつないでいる宗次は、ぼんやりした頭で虚空を見つめる。
そこからやがて、トーマが姿を現した。
「さっき、ルーファが言っていた――神経毒が回っているようだな。
結構強力らしいんだが、よく動けるな。敵ながら感心するぜ」
トーマはこぼれた刀の柄を握る。それにさわるな、と宗次は叫びたかった。
トーマは刀の柄を宗次の手に握らせ、
「……俺は手のひらに肌との親和性が高い特殊金属を埋め込んで、術式印をその都度描画している。
だから発動が早いんだ。なあ、逢坂。おまえのその刀身のない愛刀を、なぜ使わない。
手足を斬ればよかっただろ」
「……ディバイドは、ティアンスを、攻撃は出来ない」
まだ会話出来る自分自身に、宗次はおどろいた。
宗次は結界の壁にもたれたまま、力を振り絞って頭を使うことに徹する。
「……あんたは、何故俺を殺そうとする――」
「冥土の土産か。……いいだろう。
俺は集社に属している。もちろん、集社の情報を集めるために仕方なく、だ。
本当はあんな、ディバイドの地位を守る団体なんぞ反吐がでる」
名織も加入しているディバイドの為の組織、ディバイド参画集社。
トーマは続ける。
「その集社はな、全世界にはびこる魔術犯罪者を放逐するという活動をしているのは知っているか。
おまえは、そのイリーガルに認定されたんだ」
「な、に?」
……ただでさえ朦朧としているのに、わけのわからないことを言われ、意識が飛びそうになった。
「もっと言えば、潜在的イリーガルだ。将来イリーガルとなる可能性が非常に高い者でな。最重要排除案件だ。
俺はその排除を命ぜられた」
「…………そんなことを、大々的にしているのか」
「なわけねーだろ。集社の暗部の活動だ。
それに俺が選ばれた。それだけのこった。実に合理的なことだと思うぜ、おまえは魔界に行くつもりだったんだろ?」
宗次はうなずくことが出来なかった。それをトーマは察知する。
「魔界だけには行っちゃならない――デビルがいるからだ。
そして、おまえはデビルに会おうとしている。デビルを刺激しようものなら、この地球や、アミギミアに被害が及んでも何らおかしくないぜ。
おまえが黒い歴史を作り出しちまうだろう、その鍵になる。
その鍵を壊せば、魔界の道は無事閉ざされてめでたしなわけだ」
いつの間にか、自分の目的をも調べられていたようだ。
宗次は最後の力で、反論を試みる。
「……どうして……単に、あんたたちは魔界やデビルから目を背けているだけだ。
そこに住むデビルは、いずれあんたたちの意志に関係なくやってくる――地球を、アミギミアを……」
「その前に戦争が起きるんだよ、おまえのせいで!」
トーマは怒りをたぎらせながら、宗次の胸ぐらをつかみ上げた。
「アミギミアと地球は、おまえが魔界に行ったことで起きる不都合がきっとやってくる。
ただ、俺が集社へ入ったのも、おまえを殺すために俺が積極的に集社に属するのも……大犯罪者を未然に処理し、未来の戦争をくい止めることが出来るからだ」
「……いつか必ず……デビルはこの世界にやって……
だから……こっちから出向いた方がいいに、決、ま、て……」
「ふん、これじゃ平行線だだ。だからお前を殺すっつってんだ。
どちらがより正しい意見かは、死合で決める。単純明快だろ?」
――あんたがうらやましい。
俺を殺しても、あんたには自分の居場所があるんだろう――?
そう言ってやった……つもりだったが、もうトーマには届いていない。
「俺はおまえを殺したら、甘んじて自分の罪を受け入れるつもりだ」
がつんッ
頭に衝撃が走った。蹴られたのか、殴られたのか。それも宗次には判別できない。
いったいここは、誰のための世界だ。
俺たちティアンスのためだ。
貴様らと共生なんてできない。
できるわけがない。お前たちディバイドは、魔界から出てきてはいけない存在だった。
英雄は、魔物殺しは――裁かれん。
……あのスライムは……俺が――
そんな声が聞こえてきた気がする――そして、
スライム。
たしかにそう聞こえた。宗次が気にしていた、もっとも聞くべきことをトーマが言ったのだ。
宗次は、意識を少しだけ取り戻す。“それ”をはっきりさせるために。
「……スライム……殺したの、か」
「ああ。『おいで、こっちだ』――どうだ、お前の声を似せる術だ。
これくらい知ってるだろ。
バカなスライムは、まんまと引っかかった。学園に魔物を飼っていい決まりはないのでな」
「……素直で、いい子だった」
宗次は、地面の土を力無く握りしめる。
「いい子? おまえは感性もねじ曲がってるな」
……いつの間にかぞろぞろと、何かをつぶやくものたちが現れる。
たちまち、宗次の足下からいくつもの術式印が現れる。青白い光――聖術によるものだ。
宗次の意識は、激しい衝撃によって切断される。
▽ △ △▽ △ △
△ ▽ ▽△ ▽ ▽
だらんとうなだれた逢坂宗次に、トーマをはじめとする十数名ものヒューマンとエルフ、そしてわずかなディバイドが、こぞって追撃を加える。
「朱ぇ脳漿ァ、ぶちまけろ悪魔!!」
さらに一撃。もう一撃。トーマは波動術を顔面に浴びせていく。
どこもかしこも出血の隠しようがない体は、誰の目から見ても痛々しい。
「……トーマさん、もうやめましょう。
絶対に死んでます」
こぞって息の根を止めにかかるこの状況を嫌になった一人が、そう告げる。
「ひ……人を殺しちゃった」
泣きそうな女子までいる。トーマは汗を払うと、人員を集め叫んだ。
「よくやってくれた。おまえたちは正しいことをした」
言い方を間違えれば、激昂すらするだろう人員をなだめるため、努めてトーマは冷静だ。
「まず、落ち着け。
お前たちは胸を張れ。これからの行動はただ一つ、お前たちはまずすべて俺に責任があると言え。
お前たちは立派に将来の術士になるべきだ。
この場の、俺以外の全員がだ」
落ち着きがあり、統制を執ることが出来るのは、この行為が自分の絶対の正義と信じて疑わないから。
「それじゃ、トーマ科長はどうするんですか!」
生徒会役員らしい一人が、そう叫ぶ。
「逢坂宗次を殺めることが世界の為になる。
だからこそ後悔はない。むしろ安堵してるくらいだ。
俺のことなんて、今さら考えても仕方ないだろ?」
薄く笑うトーマは、デバイスを起動させた。瞬時にコール状態となる。
その相手は、皐月だ。
『……トーマ、今までどこにいたの。生徒会室に出頭しなさい』
「ああ。もう用も済んだしな」
皐月は、その意図をすべて理解したらしい。
『……なんてことを。逢坂宗次を、殺したの』
「俺の人生なんて、逢坂を野放しにするくらいなら安いもんだ」
『……自分の正義を貫き通す悪が、一番厄介なのよね。
自分が、悪いことをしたなんてちっとも思ってないでしょ?』
トーマはデバイス通話を切断。
仮想画面を閉じ、もう一度、安堵のため息とともにつぶやく。
「……これで、ルーファも……」
しかし、トーマの顔は一気に険しくなった。
血だまりになっていた場所は、いつの間にか黒い池だまりになっていた。
「――散れ、お前らっ!!」
察知して、叫んだときにはもう遅い。
「え?」「うわぁ!!!」「いやあああ!!」
逃げ遅れた数名が、質量のある“闇”に、体ごと巻き付かれていく。
“闇”は帯のようにからみつき、からみつかれた者は身悶え、叫び、ほどなくして気を失った。
「……おまえらの力はそんなものか、ティアンス」
やけにはっきりとした声が、足下から聞こえた。
トーマはまるで、あり得ない夢を見ているようだった。
こちらに背を向けたまま、逢坂宗次が立ち上がったのだ。
「化け者め!!」「やれ、やれっ!」
トーマ以外の者が、拘束術式と、聖術弓矢、さまざまな術式印が展開する。
宗次を青白い光で取り巻き、宗次はそのことごとくを、
「……五月蝿い」
――――――スゥッ
からみついた聖術の鎖や縄を刀で――まるで空気にナイフを入れるような手つきで、静かに断ち切っていく。
聖力を練って作られた矢が飛んでくる。しかしそれも、
「やめろ」
宗次は矢に向けて手をかざす。瞬間、宗次の手を跳ね飛ばすはずの矢が――スッと、音もなく宗次の体に吸い込まれて消えた。
黒い液体の中に、白の絵の具が沈んでいくように。
刀の刀身は、闇夜のごとき漆黒に染まっていた。
追撃するための聖術の術式印は、宗次を中心に拡散される瘴気によってみるみるその効力を失い、打ち消されていく。
トーマは悔しげな声をにじませても、指揮をしなければならない。
「皆、いったん待避しろ!!
――くそ、くそ、お前は化け物だ、俺は間違っていなかった。
お前を絶対に、人々のために殺してみせる!!」
宗次はため息を吐きながら、トーマへようやく振り返る。
血塗りの顔は、しかし、傷跡を一つとして残してはいない。
宗次の瞳は深淵のような色をして、トーマの心に入り込んできた。
――俺は、きっと殺される。
そう思うと、トーマはかちかちと歯を震わせるだけで、何も言えない。
抗う、戦うという選択が、なぜかすっぽりと頭から落ち抜けて――考えることさえも及ばなかった。
宗次は、はっきりとため息をついた。
「……ただの小物に手をかける価値はない。
俺は確かにおまえを殺せない。
だが――お前が何度殺しても、俺は殺せない」
宗次の足下は、枯れ果てた芝を覆う瘴気に包まれている。宗次は瘴気を足下から垂れ流しながら、教会の中へと入っていった。
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