名織の憂鬱?
「名織、ありがとうねっ」
すたすたと歩く宗次を追いかけていたほのりは、追いついた名織に屈託のない笑みを浮かべた。
「ごめんね、ほのちゃん。
本当は私がああいうこと、言わなきゃいけないのに」
「んーん、彼らは名織の同級生だもん、あんまり空気を悪くしたくないしね。
その点私は自由ですから! えへん」
「……どうして付いて来る?」
戯れていた二人の方へ、宗次は立ち止まり体を向けた。
ほのりはあわてふためきながら、
「だ、だってあのっ。かばってもらいましたしっ。あっ申し遅れました、私、朝繭ほのりっていいますっ」
「……あれは俺に非がある。
あんな目に遭いたくなければ、俺に一切近づかないでくれ。じゃあな」
再び背中を向ける宗次の前へ回り込んだほのりは、手を広げ宗次の進行を妨害。
「……なんのつもりだ」
「かっ、患部を見せてほしいんです」
ほのりは少し強引に、敵意を放つ宗次の腕の袖をめくる。
名織も近づきそれを見れば――
まるで蛇がのたうち回ったような、黒ずんだ鬱血の痕があった。
……この人、本当に誰かに狙われているんだ。
そんな半信半疑だったことを、名織は今さら確信した。
昨日の出来事は現実感が無くて、人違いで狙われているんじゃないか、などという思いをどこかで捨てきれなかったのだ。
現実逃避、とも言える。
「ひどい……」
ほのりがつぶやくのを何でもないように、
「俺はどこにいてもああいうことをされる、それが今わかってよかった。
じゃあな」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ほのりは、去ろうとする宗次のケガしていないほうの腕をすかさず掴んで、引き留める。
「あなたの腕、治療させてくださいっ」
「余計なお節介は焼かれたくない。俺は行く――」
「だめです。痕が残ったら大変じゃないですかっ。
それに治療棟へ行かなくても済みます、っていうか、絶対私が治しますっ」
「だめだ、しつこいぞ……!」
「やです診ますっ!! 救ってくれたのは、事実ですからっっ」
ただならぬほのりの決意のこもった声に、宗次は気圧されたようで――
「……さっさとやってくれ」
▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽
三人は休憩スペースへ着くと、宗次を適当なイスに座らせた。
ほのりは包帯などが入った治療キットをポーチから取り出し、
「いちおう、将来の志望は看護師なんです。だからこういうの持ってて」
「……別に聞いてない」
ほのりは布の下敷きを丸テーブルに敷き、宗次の腕をその上に載せる。
「ちなみに、動物の解剖とかやってたので、血とかは平気ですよぉ」
「……聞いてない」
「♪」
ほのりは冷たい言葉もなんでもない風にあしらって、S・デバイスを起動。
浮かび上がったデバイスの仮想画面には、多数の術式が羅列されていた。
次にほのりは、裁縫針が数倍の大きさになったような金属針をじゃらじゃらと数本取り出す。
治療針と言い、それぞれに別々の術式を組み込んで消毒・肌の再組成・癒合等の役割を担わせるものだ。
「<………………>」
画面を見ながら、ぼそぼそと治療の聖術式を唱えるほのり。
すると治療針が静かに浮き上がって、宗次の腕の周りをふわふわと浮遊する。
やがて布に浮かび上がった術式が発光していく。
「<………………>」
ほのりの額にはやがて玉の汗が浮かぶ。
それほどに治療術式は繊細で、発音、呪文の順序など慎重に唱えなければならない。
宗次の裂けた肌は聖力により消毒、癒合される。
ゆっくりとだが確実に、目に見えて元通りになっていく。
せっせと治療を施すほのりと、無言でどこか居心地悪そうにする宗次。
同じ黒髪のコンビを端から見ていた名織は、ちょっと思う。
――……なんだか、兄弟みたい。
そして十分後。
「……はぁっ」
苦しげに治療を続けていたほのりはため息をつくと、浮いていた治療針をつまんで回収していく。
「これでほぼ完治しましたよぉ。あとは……まあいらないでしょうけど、念のため包帯を巻きます。
違和感はないですよねっ?」
「……あぁ」
ぐっと腕に力を込める宗次は問題なさそうにこっくりとうなずく。腕はすっかり健康的な状態に戻っていた。
ほのりは包帯を少し遅めに巻きながら、
「……あのう、私ですね。いつも疑問に思うんです。
こんな奇跡みたいな力が、なぜ地球に聖力が多く存在するのかって。
ていうか――そもそも聖力とか聖術とかっていまいちよくわからなくて。
それにディバイドの――瘴気のこともあまり学んでないのでよくわからないんです。
あ、私中等部から来ているんです」
「……?」
いきなり何の話だ、という顔をする宗次へ、
「あの、この機会にちょっとだけ、私に教えてほしいのですがー……
なんて。えへ」
ほのりははにかみ、名織はその意図を察した。
――あれこの子、いい感じになろうとしている?
どうせあしらわれるだけで終わりよ、と悲観的な展開を名織は見据えていると、
「……聖力とはそもそも何なのか――か」
意外にも、宗次は食いついてきた。
知識系の話題には食指が動くのだろうか。
「聖力はもともと、聖術を発動させるための原動力となるエネルギーだ。
そのエネルギー源の説は諸説あるが、聖力の正体は浮ついたまま答えは出ていない。
術式と反応するまで観測すら出来ない、超能力のようなものだ。
俺は、太陽などの恒星エネルギー説が最有力だと思うが。
……それは瘴気や魔力も同じだ。
ただ瘴気はきわめて地球上には少ないから、魔術を使うのにも難がある」
超人的な力を行使するための媒体。それが聖力であり、魔力。
宗次の漠然とした答えに、ほのりは質問をぶつける。
「その、瘴気と魔力ってどう違うんですか?
術を使う源ってことで、どちらも聖力とイコールのような気がするんですけど……」
「いや、この二つは別物だ。
聖術は、聖力をそのまま術へと変換できるが――
魔術は魔力を変換させなければならず、さらにその魔力は瘴気を変換しなければならない、という一つ余計なプロセスがある。
魔力を作るために瘴気が必要となる……それだけだ。
けれどその魔力への変換が、地球のディバイドは非常に下手――
例えば地下街区域のディバイドでも、瘴気を魔力に変換するプロセスができず、ディバイドの魔術自体そうそう見られない。
ちなみに、魔力や聖力は人体に無害だが、瘴気は中毒作用がある。
瘴気になじまず育ってきた者は、ティアンスもディバイドも関係なく中毒になる。呼吸困難、心拍の乱れ、冷や汗、ショック症状……」
「逢坂さんは、どうして魔術を使えるんですか?」
「……アミギミアにいた。
そこは瘴気が豊富にあった。俺はどうしてか、中毒にならずに済んだんだ。
なぜかは未だわからないが――とにかく俺はそこで魔術の修行をしていた」
宗次の顔が、若干表情が陰ったように見えた。しかしほのりは気づいていないのか、
「ほえー……逢坂さんって努力家なんですね!」
「そんなことは……ない」
ほのりの賞賛に、まんざらでもない風に心なしかちょっと恥ずかしげな宗次。
その光景に、なんだか名織は違和感を覚えた。
――べっつに……なんとも思ってないですし!
そう思いながらも、むくむくと芽生えた感情を分析する。
別に好きなわけじゃない。けれど、理不尽で不当な差別を受けているのが気にくわないだけ。
自分を蔑ろにするなら、どうしてほのりも蔑ろにしないのだ。
そんな目に見える差別がいやだし――なにより心の狭い自分も、いやだった。
――私、考え方がすごく小さいよ。
けれどどうしても割り切ることができない。
それはやっぱり自分が子供だからなのだと思う。
相手の事情や背景を考える前に、この人が好きだとか嫌いだとか、そんな単純な感情が心からあふれてくる。
ほのりが包帯を巻き終えると宗次は腕をさすり、
「……あの授業は履修を取りやめる。安心しろ」
「それは――だめだと思います、逢坂センパイ。
自分で一度決めたことは、貫かないと、ですよ。
じゃないとせっかく入学した意味がないですから。ねー、名織?」
「えっ? あ、あぁ、うん……そうだね」
「……」
宗次は、黙ったままうつむいた――かと思うと突然ほのりががたん!と席を立ち上がり、
「ちょっと私トイレ行ってきます!!
名織、あとは説得よろしくね」
「えぇっ!!? ほのちゃん!?」
ウインクしたほのりは勢いよく走り、鼻先のトイレへ去った。
……どうして自分がいきなりバトンを渡されたのかわからなかったが、とにかく。
目の前の――ほのりが消えたとたん、不快そうな感情を露わにする宗次と対峙する。
「ほ、……ほのちゃんにお礼くらい言ったらどうだったんですか」
と言うも、ガン無視を喰らう。
「あう――ぷにぷにちゃん、ほんとにこの人、私のこと好き……なのぉ」
と小声でめげてから、負けじときりりとした表情で見返した。
「あの……私も……一度やると思ったことを諦めるのは、どうかと思います」
「俺に関わるなと言った。何回言えばわかる?」
「じゃあ私は駄目でどうしてほのちゃんはいいんですか? おかしいです」
と聞いてしまい、名織は内心で自分の言を後悔した。
――な、何を言ってるんだ私。これまるっきりなんか嫉妬してるめんどくさい女の子の言い方じゃん!
などと焦っていると、宗次は淡々と言葉を返す。
「お前は、やろうと思えば俺の情報なんてすぐに調べられるはずだ。だが彼女は違う。
それに彼女とももう会わないつもりだ。
……だいたい、さっきの不意打ちは、普通の人間種はじゃ反応できないーーだが、お前はわずかに反応していたな。
だからお前にはいっそう関われないんだ。
お前はその気になれば簡単に俺に踏み込める。それをいい加減に分かれ」
有無を言わせないきつい口調だった。
――これって、逆に自分の腕は認められている、ということなの?
それを聞く前に、宗次は立ち上がると名織に背を向けて歩き出す。
名織はほとんど反射的に、宗次のコートを引っ張っていた。
「逃げないでください。
……気になるんです、あなたのことが。少し、本当にほんの少しだけですけど!
どうしてあなたは、トップクラフトを目指しているの。
名声を手に入れて、それからどうするの?
そんなものあってもしょうがないと思います」
宗次は前を向いたまま、
「……お前は、名声や権威の価値を知らない。
それがどれだけ、ディバイドにとって尊いものか、わからないのか……」
「い、いえわかります!! ……その、何となくは」
宗次は少し観念したように、名織へと振り返る。
「……ディバイドは、ディバイド自身に関わる研究をすると、それが世間的に影響力があればあるほど命を狙われる」
「……え?」
「研究の世界のことは知らないか。それならそれでいい。
重要なのは、俺がそういった研究をしている、ということだ。
地下街区域の一部で、凶悪な魔術犯罪者が我が物顔で街を占拠しているのは知っているな」
「……はい」
「彼らの鎮圧に、何度と無く国の軍が動いた。だが、結果は芳しくない。
国の主力部隊を投入しても、逮捕するどころかティアンス殺しにまで発展している。
大した魔術を使わなくても、だぞ。
それが、俺のように魔術をもっと自由に使えるようになれば、どうなる?
そんな可能性の知識を持っているディバイドがこの学園にいれば、どうなる?
穏健だったティアンスでさえ、血相を変えて俺を阻止しても何ら不自然じゃない。
――俺はそれくらいのものを持っているんだ。
俺はティアンスとディバイドの地位をひっくり返すほどの事を持っている。
その全容をお前に語れば、お前だって命を狙われる」
名織は、半ば放心した。
なにを言っているのか、理解が追いつかない。
だが宗次は待ってくれない、名織をふりほどこうとする。
名織はあわてて言葉を考えた。
「じゃあ! じゃあ、あなたは自由に研究をするために、トップクラフトに――」
「違う。研究なんて、目的にはなんら必要ない。やめようと思えばやめられる。
それに俺は世間のディバイドの世間評価を変えようとしているわけでもない。
ただ、俺は“持っている”だけだからな。
それにトップクラフトになったところで、命を狙われるのは変わらない。
最終的に俺は魔界へ行く。それだけだ」
「……まかい?」
まかいとは、あの魔界だろうか。
どうしてそんなところへ――と聞こうとしたが、それはきっと教えてくれないと思ったため、
「……一つ教えてください。
トップクラフトになるだけで魔界へ行けると思うんですか?
それは大きな、……」
言い掛けて、宗次に眼力で制される。
「魔界出入管理員の一人に、二つの条件を提示された」
「……魔界出入管理員!? 会ったことがあるの?」
魔界出入管理員――
そんな肩書きの人物に一介のディバイドが会うなんて、絶対にあり得ないことだ。
「条件の一つは――在学中にトップクラフトになり、かつある程度の影響力を持つレベルに成長せよ……ということだ。
だから絶対の強さを誇示し名声を得なければ、相手にすらしてもらえない」
「……もう一つの条件は?」
「……これ以上お前が俺に踏み込むな、ロクなことにはならない。
今度不用意に関わるつもりなら――斬る」
宗次は名織の手を振り払い、走った。
「………………斬るつもり、ないくせに」
正直、宗次の優しさが節々に見られるため、彼への怖さなんか微塵もなかった。
……それよりも宗次より、宗次が持つモノへの恐怖の方が、今の名織には段違いでおそろしい。
「な~おりっ」
後ろから軽快な声がかかり振り返れば、にこにことしたほのりが絡んできていた。
「……ほのちゃん遅い」
「うふふ。見てたよぉ見てたよぉ。
これは朝繭ほのりによって仕組まれていた罠だったのです!
で、仲は深められたかなぁっ?」
「なっ……そんなことしてませんし、するつもりもないですっ!」
「でも、ヤキモチやいてたじゃん、さっき……」
さっき、名織が機嫌が悪くなったときのことを言っているのだろう。
名織は即座にぶんぶん首を振り、
「あっ、あれは違います!!」
「あれ、そうなのぉ?
でもねー、私もうすんっっっっっっっごく緊張した! ひゃー」
てれてれの赤ら顔になったほのりは、ほおを手で覆い、
「ふぁー、もーひゃー!
治療術もこんな時のために練習しておいてよかったよぉ。実戦ははじめてだったけど……うまくいったぁ!」
「……ほのちゃん。
絶対に彼に近づくのはやめて。あの人だけは、危険だよ」
浮かれきっているほのりへ、名織は彼女の手を取って懇願する。
ほのりはどこまでも簡単に考えているのか、
「でも、それじゃさっき教室にいたティアンスの人と一緒なんじゃない?
みんなで寄ってたかってばかにしてさ」
「違うよ。これは差別から言ってることじゃなくて、彼だけは特別なの」
「でも、結果的には一緒だよ。宗次さんはずっとひとりぼっちってことなの?
それで名織はいいの?
少なくとも私は……どうなっても、後悔しないよ」
「それでも、だめ」
「……やだ」
ほのりの顔からも、笑顔が消える。
「あの人は本当に――むぎゅぁ!?」
ほのりはぶにゅぶにゅと名織の頬をこね、
「名織、確かにね、授業中に狙われるなんてよっぽどだよ。
私も正直、怖いけど……でも、なんていうか、入っちゃったんだよ、スイッチ」
「……!?」
障害が大きければ大きいほど、恋は加速する――と、名織は聞いたことがある。
そして名織は今、ほのりの障害として立ちふさがっている構図なのだろう。
この恋愛脳少女にとっては。
だが名織にとっては大切な友達だ、止めないわけにはいかない。
「だ、だめらっへ! いつはらひょんなに無鉄砲になっはろ!」
「あの人の巻き添えとはいえ、窮地を救ってもらったもんっ!
それにっ……それに……」
突然ほのりの力が脱力した。がくん、と頭を垂れる。
そしてほのりはぷるぷるふるえ、
頬は上気して、今にも感情をすべて吐き出してしまいそうな――
恋する女の子の顔になっていた。
恋愛脳が、正常な感覚を麻痺させているとでも言うのだろうか……そんな予感が脳裏をよぎる。
「しょうがないじゃん……実際の宗次さん、かっこいいんだもんっ!
それに、私のはじめてを捧げたんだよぉ!?」
「ち、治療の術のはじめて、でしょ!? いきなりヘンなこと言わないで!」
「それにあの人のかばい方と体の起こし方。愛が、こもってた」
「ない、ないからそんなの!」
「それとも名織ぃ、」あくどい顔を作ったほのりは、「ちみが私の恋人になってくれるのかなぁ?
ん~~……チュッ」
「ひぁ!?」
ほのりは出し抜けに名織の頬にキスをして、名織がたじろいだ隙に離れた。
「いずれにしても忠告が少し遅かったようです。
さあ、食堂へ行きましょうじゃぁありませんか! おいしいメニューが待ってるもんね~」
「ちょ、話はまだ終わって――!!」
名織はスキップするほのりをあわてて追いかける。
――そのときほのりは、いや名織でさえも――あんな悲惨な事件に巻き込まれるとは、思っていなかった。
「……いきなり何をナレーションしてるの、ほのちゃん?」
――いや、なんとなくだょ、うん。
「………………」
とはいえ。
絶対にほのりを宗次に近づけさせまいと、名織は誓った。




