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城取物語  作者: おんたま
第一部
22/75

二十二話 悪い夢②

 遺体を発見したとあっては、もはや狩りどころの話ではない。


 事態を把握した二郎は一度遺体の前で手を合わせた後、いったん草むらから離れて大きくため息をついた。そして彼は少し離れたところでげえげえと酸っぱいものを吐いている幸村に声をかけ、近づいてその丸まった背中をさすってやる。


 しばらくして、幸村がようやく落ち着いたのを見計らってから、二郎は「いったん村に戻るしかないな」と言った。


「わら袋にでも入れなきゃ連れて帰るのは無理だ」


 まさか遺体をそのまま担いで帰るわけにはいかないだろう。まだかすかに残る吐き気をこらえながら、幸村は頷く。というか、素手で死体を持ち上げるなんて状況、幸村の精神が耐えられそうにない。


(血に慣れなきゃとは思ったけど)


 それにしたって刺激が強すぎた。人の死体など、幸村の想定した事態をはるかに超えている。踏むべき段階をいくつも飛ばしている気分だった。同時に幸村には目の前の二郎がなぜこんなに落ち着いていられるのかまったく理解できない。


(人の死体って、珍しいものじゃないのか?)


 戦があったわけでもない、人里からそう遠くもない山の中にぽつんと死体が落ちている状況。顔を歪めたままの幸村に対して、二郎が口を開く。


「大丈夫か? 駄目そうなら、もう少しここで休んで――」


 その言葉に、幸村は大きく首を振った。そうやって気遣ってくれるのはありがたかったが、もう早くこの場を立ち去ってしまいたい。


「わかった」


 二郎は幸村の意図を汲み取ってくれたようだ。そして背中をさする手が止まる。


「……ただ、薄く土だけはかけていかないとな」


 それがこれ以上山の動物に手を出されないためだと気付いたのは、二郎にぱしんと背中を叩かれた後のこと。


「お前も手伝ってくれ」

「……」


 正直、嘘だと言って欲しかった。「兄さんだけでやってもらえませんか」という言葉がよっぽど口から出そうになった。


 しかし、幸村はぎりぎりでその言葉を飲み込む。彼にも多少の意地があった。さんざん人に気を遣わせた挙句にそう言ってのけるのは、あまりに自分が情けない。


 幸村は一度深く呼吸をした。そして覚悟を決めると、二郎の後ろについて再び草むらに近づいていく。


「……っ」


 それでも、だった。二度目であっても何秒と直視できなかった。これはもう覚悟がどうとかいう話ではない。


 なにせその遺体は、体の半分が人としての体裁を保てていなかった。森の動物に冷えきった肉を削がれて、中身の柔らかい部分が、腸が引きずり出されている。


 さらに周囲には撒き散らかされた血の跡があり、とにかく凄惨だという一言に尽きた。あるいは、自然に還るという言葉のほんとうの意味を、まざまざと見せつけられたと言えばいいのか。


 幸村が動けずにいると、素早く二郎は厚着していた上着を一枚脱いで遺体にかぶせた。それから両手で地面の土を掬い、低い位置から遺体の上にふりかける。


 その丁寧な扱いは遺体の尊厳を守るためだろう。そんな二郎の姿を見た幸村は、弾かれたように遺体のそばに近寄った。そしてしゃがみこみ、同じように土をかけてやる。


 すでに嗅覚は麻痺していた。それでも土をかけている間、喉の奥から湧き上がってくる何かを幸村は必死で我慢しなければならなかった。




 二人が村に戻れたのは、昼を少し過ぎた辺りのことだ。


 村の入口で見かけた村人の男を捕まえると、二郎は山に死体をあったことを大げさな身振りを付けて話した。それで男の方も大事なのだと即座に理解したらしい。


 それからすぐに村中に話が広まった。もとより小さな村である。幸村と二郎が村の長おさの家を訪れ、あらかたの事情を説明し終わった頃には、すでに十人ほど手の空いた者が村長の家に集まってきた。


「その場所までの案内を頼む」


 顔中皺だらけの村長は集まった者の中から五人を選び出した後、二郎の顔を見ながらそう言った。頼むとは言いつつ、口調はほぼ命令に等しい。断ることなどできそうにない。


 もとよりそうだろうとは覚悟はしていたが、しかしこうしてはっきり言葉にされると、疲れた体がさらに重くなったようだった。幸村はまたあの山に登るのかと、あの死体の前に立つのかとひそかに意気消沈する。


「ああ、三郎は家に帰っていいぞ」


(えっ?)


 しかし、続けて村長の口から出た一言に幸村は顔をあげる。


(今の表情を、見咎められたか)


 とっさに幸村はそう思った。村長に会うのは今日が初めてだったが、おそらく村長の三郎への評価は皆と同じくらいには低いだろう。


 ここでさらにその駄目押しをするわけにはいかない。幸村は反射的にその申し出を断ろうとした。


「……」


 だが、村長と目を合わせた幸村はすぐに黙り込んでしまう。


 それは別に村長の視線に気圧されたからではない。村長の視線の中に、幾ばくかの気遣いが含まれているのを感じ取ったからだった。


 どうやら村長は幸村の顔色の青さに最初から気付いていたらしい。


 もちろん、幸村にそう言ったのは単に足手まといを連れていかないという判断もあるのだろう。むしろそちらの理由が大きいかもしれない。とはいえ、初めて家族以外の気遣いを受け、幸村の内心は複雑に変わった。


 そして結局幸村は村長の言葉をそのまま受け入れて甘えることにする。調子が悪いことは確かで、そう思ってしまうと反発する気力も萎んでしまった。今日に関してはもう諦めてしまうのがよいのだと思うようになった。


 そうして幸村が一人で家に戻ってくると、居間の囲炉裏の周りには家族三人のほか数人――おそらく近所の人たち――が集まっていた。彼らは皆額を近づけ合い、ぼそぼそと何事かを話し合っている。


 彼らは幸村が帰ってきたことに気づくと、有無を言わせず彼を座の中心に引っ張りこみ、見たこと聞いたこと全ての事情を話すように迫った。いや、『迫った』というより『強要した』と表現する方が近いかもしれない。


 なにせ娯楽、と言っては語弊があるかもしれないが、代わり映えのない日常に突如として起きた大事件である。


 この時点では山で誰かが死んでいたという情報しか流れておらず、村の者は皆、事件の新たな情報を求めていた。そのせいで、日頃の幸村に対する態度も忘れ去られたようになっている。


 できれば落ち着いて一人になりたかったが、そんなことができるような状況でもない。幸村はなるべく事実だけが伝わるように彼らに事情を説明した。


 また悲惨な遺体の様子などは思い出したくもなかったものの、取り調べを受けるように質問されてしまったのでしぶしぶ最低限の内容を答えた。それで気分はいっそう悪くなった。


 まもなく皆に話せるような話もなくなると、ちょうどいい所を見計らって、幸村は気分が悪いからとその場を逃れた。


 それから彼は家の一室にこもると、目をつぶり膝を抱えて、一人うずくまっていた。




 二郎たちが遺体を連れ帰ってきた時には、すでに日も半分落ちかけていた。彼らは六人組で山を登り、交代しながらわら袋を担いで戻ってきたらしい。


 遺体の主は、やはりと言っていいのか、村の人間だった。蓮介れんすけという名で、五十も過ぎた老体の遺体。


 後の調べによると、彼は二日前から姿を見せていなかった。残念ながら蓮介自身に家族はなく、そのため近所でも差し迫った話にはならなかったという。


 ちなみに彼が家族を亡くしたのは、十何年も前の流行病のせいだった。彼はその時、妻と子、さらに親類までも皆一度に亡くしている。幸村が漏れ聞いた話が正しければ、蓮介はそれから口数が少なくなり、周囲と交わることも少なくなったのだとか。


 だから彼は十何年もの間、ほぼ一人きりで暮らしていたようだった。


 その生活がどんなものであったか、幸村には想像がつかない。ただただ寂しいものとしてしまえば、ひどく悲しい話だった。いや、それこそ幸村の勝手な感傷で余計なお世話に過ぎないのだろうけれど。


 また歳の割に蓮介は、ずいぶん健康体であったそうだ。時折、山にも登っていたらしい。今回も何か目的があったのだろう。山菜でも取りに向かったのか、その辺りの理由に何ら不思議な要素はない。


 ただ問題となったのは、蓮介があの場所で倒れていた原因だった。周囲には崖も何もなく、怪我をするような場所ではないのだ。急に具合が悪くなったのならまだしも、毒蛇でも出たのであれば、あの場所の周囲では注意しなければならない。まして狩りなどもってのほかだろう。


 その他不審に思う人間も何人かいたようだったが、まもなく歳も歳であったから怪しむ必要はないというのが大方の見方になった。そして結局、蓮介の遺体は帰ってきた日の翌日に荼毘だびに付されることになる。葬式は村人一同が総出で世話をしてやり、昼を過ぎる頃には蓮介もまた一族の墓に収められた。


 そして葬式を終えた次の日のこと。


 幸村は二郎に引っぱり出されるようにして連れられ、また山に登ることになった。早い内にケチの付いた分を取り戻そうとしたのだろう。根性がある。


 そして今度は前回と違う山に登ったのが良かったのか、遺体を発見することもなく、運よく二人は鹿を一匹捕まえることができた。


 それでようやく二郎の気分も回復したかに思えたのだが、新たな問題が起きたのは葬式が終わって三日が経った後のこと。


 その問題というのは、蓮介の残した『財産』についてであった。 

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