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城取物語  作者: おんたま
第一部
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20/75

二十話 壁⑤

 北郭正面の門を打ち破ってから、すでに二刻ほどが経過していた。


 もはや正門の周囲に人影はない。

 味方の兵は皆さらに郭を上り、ついには香山城本城までたどり着いている。


 そしてその本城から先ほど、火の手が上がった。

 重隆は配下に対して、「火を放つな」ときつく命じていたから、それはおそらく敵大将が命じたことなのだろう。

 それほどこちらの兵が押し込んでいるのだった。

 ならば決着が着くまで、そうは時間がかからないはずだ。


 重隆と職隆の二人は顔を上げ、城の様子をじっと見つめていた。

 本陣の中でのこと、その周囲も同様である。

 そこにいる全員が一点を見つめたまま、誰も身動きひとつしない。


(早く……早く……!) 


 焦れる内心を表情に出さないようにしつつ、重隆は思った。

 知らずに手は握りこぶしを作っている。

 手間取りはしたが、ついにここまで話を進めた。

 あとは最後の決着をつけるだけなのだ。


 敵は正門にかなりの兵を集め、その防衛に尽力していた。

 ともすれば、北郭においてはこの正門こそが一番の難所であったかもしれない。

 実際、この正門を攻めている間が重隆にとって最も気が抜けない時間帯であった。


 しかし、そこを一度抜けてしまえば途端に話は早くなる。


 開いた門から雪崩れ込むようにして城内に侵入していく兵たち。

 その進軍はおどろくほど早い。

 彼らは香山城の本城を目指して一直線に前進していった。

 その間、道を遮る敵兵は次々と無残に倒されていく。


 頼みの正門が破られた衝撃で、相手の戦意がひどく下がったことがこちらに有利に働いた。

 加えて重隆と職隆は、兵が正門を抜いた際、予備に取っておいた兵を前線に投入している。


 五十名。彼らは本来、南郭に回すはずの兵であった。

 これで正門を攻める際に失った兵を補えば、本隊の戦力低下は抑えられるはず。


 その職隆の予測は間違っていなかった。

 後詰のおかげで本隊の進軍速度が遅くなることはなく、まもなく部隊が本城前に到達したとの伝令が来た。


 それから二人は、じっと堪えて前線から来る報告を待っている。


 しばらくして、上の方で一段大きな鬨の声が上がった。

 思わず、重隆は腰掛けていた椅子から立ち上がった。

 右を向く。

 職隆も立ち上がっていた。

 視線が合う。

 すぐに職隆がある一点を指さした。


 そちらに目をやると、上の郭から駆けてくる兵が見える。

 その兵は坂道を転がるようにして走り、みるみるうちにこちらに近づいていた。

 まもなく息を荒らげながら、伝令、伝令と叫んでいるのが聞こえるようになる。


 念のため、彼を立ち止まらせようと動いた部下を重隆は声をかけて退けた。


 そしてついにその兵が重隆たちの目の前までやってきた。

 若い兵だった。

 彼は倒れこむようにして地面に膝をついた。


「城主香山重道、討ち取りました!」


 一瞬の後、それまでの沈黙が破られた。

 周囲からおおと歓声が上がった。


「首は?」


 気を急くようにして重隆が尋ねる。


「すぐに、ご確認いただけるかと。最後まで抵抗していた兵も順次降伏しております」

「そうか、わかった。もう前線には戻らなくていい。よく休め」


 そう言うと、重隆は控えている下男を呼び、この疲れきった若い兵をいたわるように命じて陣幕から連れ出させた。


「やりました」


 兵が出て行った後、職隆がほっとしたように感想を漏らした。


「やった」


 重隆が答える。

 その表情は常日頃の渋い顔とそうは変わらない。

 しかし、じわじわと胸の内からこみ上げてくるものはやはりあるようで――。


「職隆の言った通りであったな」


 つい、本音が出た。

 職隆が父親の顔を見やった。

 重隆が自分の息子を人前で褒めることはめったにない。

 周囲の部下も驚いたようだった。

 それほど、重隆が今回の戦を重要視していたのだと誰もが再確認した。


 結果的に、職隆の提案は正解であった。

 正門を破った際に後詰を出せなければ、本城が落とすまでにはまだしばらく時間がかかっていただろう。

 あるいは、今日一日掛けても終わったかどうか。

 敵の援軍が来ないうちにとは思っていたが、戦の長期化を避けられたのはことに幸いだった。


「南郭の方はどうなったでしょう」


 気を取り直すようにして職隆が言った。

 それを合図に皆が今度は南郭の方に目を向ける。

 三段目の郭辺り。まだ戦闘は続いているようだ。


「北郭から南郭に行くには、一度兵を麓まで降ろさねばならないのか?」


 重隆が部下に尋ねた。


「山間の道は細く、大人数を動かすのは難しいかと」

「ならば本陣に残っている兵を使っていい。最低限を残して、早々に南郭に向かわせるのだ。既に決着が着いたことを大声で触れ回れ。北郭の方は、ひとまず降兵をとりまとめておくだけでいい。もちろん武器は取り上げておくように」

「承知致しました」


 命令を受けた部下の一人がその場から駆け去った。

 これでとりあえずは一段落が着くはずだった。

 峠は越した。


 そうして命令を下し終わると、重隆は自分がずっと立ちっぱなしでいたことにようやく気づいた。

 妙に足も疲れている。

 なので何度かふくらはぎの辺りを揉んでやると、重隆はゆっくりとまた椅子に腰を下ろした。



 周囲を敵に囲まれていた。

 南郭の状況は依然として悪い方向に突き進んでいる。


 味方の兵は、およそ半数近くまで数を減らしているようだった。

 動ける軽傷者を含めてその数だから、こちらの被害はやはり大きい。

 撤退も難しくなっていた。

 郭の奥の方に入り込んでしまっている。


「もう少しで戦が終わるんだ! 耐えろ!」


 誰かが声を挙げ、その通りだと幸村は大きな声で叫びたかった。

 本城から火の手が上がったのは、すでにこの郭にいる全員が知っている。

 見上げれば、黒い煙が嫌でも目に入るのだ。

 しかもさきほど、北郭の方で鬨の声が上がるのも聞こえた。


 つまりこの戦はもはや、決定的な局面に至っているのだと考えて間違いない。

 味方はもちろん、敵もおそらくそのことには気づいている。


 だから幸村はなぜまだ戦闘が続いているのか、本当のところ、理解できなかった。


 敵はもう自分自身の去就(きょしゅう)について考えるべきではないのか。

 それとも何かの意地なのか。何も考えたくないのか。


 答えが出ないうちに、また槍が突き出されてきた。

 幸村は体を横に振って避ける。

 その拍子に、左腕が後ろにいた味方にぶつかった。


「邪魔だ!」


 謝る暇もなく、続けて勢い良く薙ぎ払われた槍を幸村はしゃがみこんでかわした。

 怒鳴った味方も危うく紙一重で、体を反らして避けている。

 すぐに姿勢を戻した幸村は敵の体を蹴りやって、また一定の距離を取った。 


 少しでも気を抜けば、即座に死につながる。


 体が重たかった。

 疲労に加えて、精神的にも追い詰められた。

 それをごまかしてくれる戦の興奮も、体から抜けきってしまってすでに久しい。


 それでもまだ、生きることを諦めるつもりはなかった。

 槍を構え直す。

 まだ戦える。


 すると、右手で聞き覚えのある声が上がった。

 幸村はそちらに一瞬、視線をやる。


 また一人、味方がやられていた。

 自分の部隊にいた人間だった。

 槍で腹を貫かれている。

 ひと目見るだけで、もう手遅れだとわかった。


 それなのに。


 幸村は自分の目を疑った。

 その男のすぐ横にいた吾助が彼を助けようとして敵に向かっていく。


(やめろ!)


 叫ぶには遅かった。


 突っかかっていった吾助の槍を敵が避けた。

 そのまま姿勢が前に崩れたところで、吾助は腕を蹴られる。

 その衝撃で、槍が手から離れた。


 しかし、吾助は諦めない。

 そのまま素手で敵に向かっていく。

 吾助は相手から獲物を奪うつもりのようだった。

 ただ、見るからに吾助とその敵では体格が違う。


 思わず、駆け出しそうになった。

 さきほど吾助には助けられた。

 ならば自分も助けに行くべきだ。

 道を切り開くため、幸村は間近にいた敵兵に向かって槍を振るう。


 だが、気が急いているので攻撃は大振りになり、ろくに当たるものも当たらない。

 逆に槍を向けられ、幸村は身動きが取れなくなった。


 そのうち左手にもう一人、敵が現れた。


 幸村の注意が一瞬、脇に逸れる。

 そして、目の前にいた敵兵は幸村のその隙を確実に捕らえた。


(あっ!)


 気づいた時には既に槍の柄が目の前にあった。

 そのまま幸村は側頭部に強い一撃を受けると、膝を折り、その場に倒れこんだ。




 どれほど気を失っていたのか。

 幸村はゆっくりと目を開ける。


 太陽の光が眩しかった。

 それに目が慣れると、はるか遠くに白い雲。

 そして一面に広がる青い空が見える。


 今日は朝から快晴だった。

 風こそ冷たいものの、日の当たっている場所はそれなりに暖かい。

 あれこれと忙しく、そんなことを気にしている余裕も幸村にはなかった。


 ふと、気づいた。


 無性に腹が空いている。

 胃が何かに締め付けられるように縮こまって、軽い痛みを感じるほどだ。


 朝に一度、量の少ない干し米を口にしただけではとても足りなかった。

 なんたって戦の間であるから、仕方のないことではあったが。


 村に帰ったら、またどこかの店で美味い飯を食おう。

 たまには行ったことのない店に向かってみるのもいいかもしれない。

 とりあえず、志野がいる店だけには行かないようにして――。


(……ん?)


 違和感を覚えながら、幸村はゆっくりと息を吸って、吐いた。


(今、ってどこにいる――)


 そう思った瞬間、急に喉が詰まった。

 呼吸をするのが難しくなり、幸村は小さくうめく。

 何度か咳をしてやると、いくらかマシになった。

 それでもまだ少し苦しい。


 しかしそれで目が覚めた。

 正気を取り戻した。

 幸村は大きく目を開く。


(そうだ、敵に殴られて)


 頭をやられたせいだろう。

 意識が混濁していたようだ。

 それでも目が覚めたということは、ひとまず死んではいないのか。


 体は動かない。

 首から下の感覚がひどく遠かった。

 まるで意識だけが先んじて眠りから覚めているよう。

 唯一、首の後ろだけがやけに冷たく感じる。

 地面に直接、肌が触れているからだろう。


 それに気づくと、幸村はだんだん気分が悪くなってきた。

 頭はがんがんと揺れるようである。


 加えて、まぶたを動かすたびに、こめかみの辺りが引きつるように痛んだ。

 あるいは、そこを槍で打たれたのかもしれない。


 しかし、こうして痛みを感じるのはまだ自分が生きているという証明でもあった。

 ゆっくり呼吸をして痛みを我慢する。

 そのうち、次第に耳がはっきりと聞こえるようになった。

 周りは騒がしい。

 戦はまだ続いている。


 そしてようやく、体を起こすまでに至った。

 頭痛もいくらか収まった。


 自分の体を手で触ってみたが、大きな怪我はないように思えた。

 運が良い。止めは刺されなかったようだ。

 しかも今敵味方が争っている位置は、幸村のいるところから少し離れた場所に移っている。

 幸村に注意を払っている兵はおらず、騒がなければおそらく今は安全だ。


 ひとまず、立ち上がった。

 同時に足元に落ちていた槍を忘れず拾っておく。


(そうだ、吾助は)


 思い出した。

 幸村は吾助が戦っていたはずの方向に視線を向ける。


 そして今度こそ、声が漏れた。


 吾助が倒れている。

 その横には敵兵が一人、槍を逆手に持ってかかげていた。

 止めを刺すつもりなのか、穂先が吾助に向けられている。


 もはや躊躇ちゅうちょしている暇はなかった。

 幸村は手元の槍を握り締めると振りかぶり、それを敵に向かって思い切り投げつけた。

 それは始まりから終わりまで、まったく自然な動作だった。


 勢い良く飛んだ槍は、兵の背中側からその右胸を貫いた。

 敵の手から槍が落ちる。

 兵も倒れた。

 それを確認した幸村は、その場に一直線に駆け寄っていく。


 まず吾助の様子をうかがうと、息はまだあった。

 死んではいない。

 幸村は大きく息を吐いた。


 しかし、吾助は右肩から血を流している。

 よく見ると、顔も青ざめていた。


 血を失いすぎたのかもしれない。

 そう判断し、幸村は自分の服の端を裂いて、傷の止血を試みた。

 傷口をぐるぐるに巻いて、とにかく圧迫していく。


 その作業中、今度は下の郭の方から大勢の叫ぶ声が聞こえた。

 幸村は耳を澄まして聞いてみる。

 城主が討ち取られたという内容だった。


 幸村は今度は小さく息を吐いた。

 このまま、どうにか生き残ることができそうだった。

 そして彼はふと、自分が投げた槍を受けた敵に目を向ける。


 男はまだ生きていた。

 地面に倒れ、ひゅうひゅうと細い息を漏らしていた。

 その口からわずかに血がこぼれる。


 意識が朦朧としているらしく、視線はふらふら揺れていた。

 幸村に反応するだけの力も出ないようだ。


 まもなく男は、小刻みに震えだした。


 幸村はそれを見ているだけで、何も思えず、何もできなかった。

 ついには男が身動き一つしなくなった。

 呼吸もいつしか、ぴたりと止まった。


(自分が投げた槍で、人が死んだ)


 それに気づいた途端、まとわりついてきた何か黒いものを振り払うようにして幸村はかぶりを振った。


 しかし、それで事態が好転することはもちろんない。

 受け入れるしかなかった。

 極力避けていた事態がついに訪れた。


 幸村はその手を人の血で汚した。

 一線を越えてしまった。

 もう後には戻れないのか。


 段々と包帯を巻く手が震えて止まらなくなるのを、幸村はただただそのままにしておくことしかできなかった。


 そのうち、少しずつ意識が遠くなった。

 幸村は吾助の治療をどうにか終えると力尽き、その上に覆いかぶさるようにして倒れこんだ。


 彼の頭からはだらだらと血が流れている。

 薄れ行く意識の中で幸村は、味方の鬨の声をまた遠くに聞いた。

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