第一話「マリア・カーマイン」
マリア・カーマインという女性を簡単に表すならば、まず「赤」である。その首元で縛ってある長い髪であったり、身に纏っている鎧であったり、自身が悪と決めた相手に対して苛烈に死を与えるその戦闘であったりが、その「赤」という印象を抱かせる。ギルドランクBという上位者であるマリアには「紅騎士」なんていう、よっぽど大仰な二つ名がついていたりもする。……もっとも、それは彼女の容姿が華麗であり、超越者に至らぬ一般人に近い英雄という親近感からの固定の支持者が、敬愛と信仰の上で付けたのが理由だろうか。
そもそも、その職業自体は「冒険者」であって、「騎士」ではない。正確に言うなれば、「騎士に近い格好と戦闘スタイルで活動する冒険者」である。気恥ずかしい二つ名を呼ばれた時に、いつか反論したが、そんな面倒な言い訳にはお構いなく、その堅い貞操観念と騎士道に近い主義を持つマリアを、彼女を知る者達は「紅騎士」と呼ぶのだ。
そんな「紅騎士」たるマリア・カーマインに、最近では良く一緒にいる人物がいる。
基本的に、マリアは自分が頭の固い性質であることを把握し、他者と相容れない意識を持っているため、ソロで動くことが圧倒的に多い。具体的には、パンを盗んだ子供は見逃すが、パンを盗んだ大人は見逃さない。もちろん万事そうとは限らないが、大まかに言ってこういった、人受けの良い罪の処断を行う。それは時として、パーティーを組んだ場合諍いの原因となる。同じ罪なのに、こっちは良くはこっちは悪いのか、と。とはいえこれは気質の問題で、根源的な善悪の判断の問題ではない。マリアは例え法や社会的に矛盾があっても、自分を曲げようとは思わない。諍いを起こすぐらいなら、そもそもソロであったほうが面倒が無い。それが結果である。
不思議なものだな、とマリアは思う。
もし、自分と共に行動する人間がいるなら、それはきっと、自分より年齢が上で、確かな経験と実力を持って自分を導いてくれる存在ではないだろうか、と考えていた。あるいはその逆で、まったくの駄目人間で、自分がしっかり導いてあげなくちゃ、と思える人物か。……マリア自身は、なんとなしに後者が有力だろうな、と思っていたのだが、そのどちらにも当てはまらない人物が、自分の隣にいるのだ。
ゴスロリ服とそれに見合う愛らしい容姿をした『彼』―――シズキという人物は実に捉えどころの無い、不可思議な人物であった。
マリア自身が「赤」という言葉で要約するのなら、シズキと言う人物は「変」という言葉で纏まるのかもしれない。
基本的に彼は一般人だ。一緒にいてなんら不都合の無い普通の人。
……ただ、高度な教育を受けているのか、扱う言葉であったり態度であったりが貴族階級に近いものを感じるが、それに伴う特権階級意識は感じられない。かといって大商人の子息という風では決して無い。金銭のやり取りをどちらかと言えば嫌う傾向にあり、そういった管理は実に雑だ。そういった点が貴族らしいのだが、あるいはその教養と雑な生活態度から学者かと考えたが、それにしては好奇心が足りず、さらに合理的な判断を無視する傾向がある。食べきれないのが毎回わかっている癖に大目の注文をするその行動であるとか。単純に子供なのか、とその幼い容姿も合って思うが、それにしてはあまりにも複雑な精神をしている。
言語化すれば相当面倒な人物に思えるが、実際に一緒に行動を共にすれば、そんなことはあまり気にならなかったりもする。ベースは一般人。先にあげた問題もシズキ本人が自己解消ができる程度の迷惑でしかない。
それでいて狂人にも思える。
何故そう思うのかは、様々な要因があるのだが、例えばシズキのマリアに対する態度が、時に強い視線を送ることもあれば、酷く無関心なときもあったりすることであったりとか。
掴みどころもあり、掴みどころもない。故に、実に掴みどころの無い人物。
酷く、曖昧な存在だ。
思えば、彼―――シズキとの出会いすらも曖昧な記憶しかない。概要として、彼と出会い、彼が男であると認識し、彼が一緒に旅でもしませんかと言い、自分がそれに頷いた記憶はある。しかし、その場の情景や事の細部が思い出せない。何故彼と出会ったのか、何故自分が頷いたのか。ただ脳裏に過ぎるのは、ざわめく森と鮮烈な夕日と黒い『影』。
それと同時に、自分が言い放った言葉も、同じように覚えている。
―――おまえは何なのだ、という言葉。
マリアは頭を振る。
―――私は既にシズキと何度も寝食を共にする、旅の仲間だ。別に、どんな存在であろうが、シズキのことが嫌いなわけではない。むしろ十分な好意を抱いている。それで十分ではないか。
マリアは、そう思う。
―――さぁ、仕事をしよう。
思考を切り替え、相棒たるシズキに魔法を放つ準備をするように告げ、マリア・カーマインは剣を抜き放ち魔獣へと切りかかった。




