第3話「炎と鍛錬と、酒場の老兵」
「遅い。足が止まってる」
グレンの檜棒が横薙ぎに振られた。私は咄嗟にしゃがんだ。風圧が頭上を通り過ぎる。
「避けたら終わりじゃない。次の動きに繋げろ」
言われた瞬間には、もう次の打ち込みが来ていた。
転がるように横に跳ぶ。膝を擦った。訓練場の土が口に入った。
これが五日目の朝だった。
グレンの訓練は、毎朝二時間。基本は単純で、檜棒の打ち込みを避け続けるだけ。ただし、グレンは元A級冒険者だ。手加減はしてくれるが、それでも常人の全力に近い速度だった。
「公爵令嬢様はよ、魔法に頼りすぎだ」
グレンが檜棒を肩に担いだ。訓練の合間の小休止。
「火力はある。認めてやる。だが、魔力が切れたらどうする。足だけで生き残れるか?」
「……まだ、無理です」
「わかってるなら上出来だ」
グレンは水筒を投げてきた。受け取って、一気に飲んだ。
五日間で、身体が変わり始めていた。公爵令嬢時代には存在しなかった筋肉が、腕と脚に薄くついてきた。まだ貧弱だけれど、初日よりは確実に動ける。
そして、ダンジョンも進んでいた。
第2層から第5層まで、一日一層ずつ。配信しながらの探索は魔力の消費が激しく、三時間が限度だった。けれど、三時間あれば一層分は十分だ。
第3層で石蜥蜴と遭遇したときは、正直怖かった。角兎とは比べものにならない硬さで、火球が弾かれた。
そのとき、グレンの訓練が活きた。
火球を囮にして横に回り込み、腹の柔らかい部分に至近距離で火を叩き込んだ。鱗の焦げる匂いがした。倒れた石蜥蜴の素材は、ギルドで銀貨3枚になった。
コメント欄が沸いた瞬間を、私は今でも覚えている。
『立ち回りが三日前と全然違う!』
『グレンの訓練、効いてるな』
『成長が目に見えるのが楽しい』
そう。配信の強みは「過程」だ。完成された強さを見せるのではなく、成長の過程を共有する。前世の配信文化で学んだことが、この世界でも通じていた。
五日目の配信は、第5層の探索だった。
第5層は霧が立ち込めている。視界が悪い。壁に触れながら進むしかなかった。
記録珠の映像も霧で白く霞んでいるはず。でも、それが逆に緊張感を生んでいた。
「第5層です。霧が濃くて、三歩先も見えません」
コメントが静かになった。視聴者も息を詰めているのがわかる。
霧の中から、低い唸り声が聞こえた。
鉄牙狼。第5層の主だ。灰色の体毛に覆われ、名前の通り鉄のように硬い牙を持つ。ギルドの資料では、E級冒険者は複数人での挑戦が推奨されていた。
私は一人だ。
唸り声が近づいてくる。一匹じゃない。二匹、いや三匹。霧の向こうに、赤い目が光っている。
逃げるか。戦うか。
五日前の私なら逃げていた。でも、今の私にはグレンの訓練がある。
深呼吸した。魔力を練る。
三匹同時は無理。だから、まず一匹を引き離す。
右手に小さな火球を作り、左の壁に向けて投げた。火球が壁に当たって破裂する。音と光で一匹の注意が逸れた。
残り二匹が同時に飛びかかってきた。
一匹目を横に転がって避ける。地面を蹴って立ち上がりざま、二匹目の横腹に火球を叩き込んだ。至近距離で放った火は、毛皮を貫いて肉まで焼いた。
悲鳴を上げて転がる二匹目。残った一匹目が体勢を整えて突進してくる。
距離が近い。火球を撃つ暇がない。
グレンの声が脳裏に蘇った。「魔法が間に合わないなら、まず避けろ。避けてから撃て」。
身体を捻った。牙が肩を掠めた。革の胸当てが裂ける感触。痛みが走る。浅い傷だ。
すれ違いざまに、背中に火球を押しつけた。
鉄牙狼が吹き飛んだ。壁に叩きつけられ、動かなくなった。
最初に引き離した一匹が戻ってくる。けれど、こちらには距離がある。火球を練る時間は十分だった。
正面から撃った。まっすぐに、狙いを定めて。
直撃。
三匹目が倒れた。
霧の中に静寂が戻った。
肩から血が滲んでいる。息が荒い。でも、立っている。
コメントが爆発した。
『一人で三匹!? E級が!?』
『かっこよすぎる……』
『この嬢ちゃん本物だわ』
そして、金色の文字が流れた。
『黒鉄の騎士より:見事だ。鉄牙狼三匹の単独撃破、大したものだ。』 ―― 1金貨
金文字。1金貨。
これまでの投げ銭は白文字か青文字だった。金貨の投げ銭は、エレノアの配信でも高額の部類だと聞いている。
黒鉄の騎士。匿名の投げ銭名だ。誰かはわからない。けれど、この人は確かに私の戦いを見て、金貨を投げてくれた。
「ありがとうございます、黒鉄の騎士様」
声は震えなかった。五日前より、確実に強くなっている。
「本日の配信はここまでです。明日は第6層に挑みます」
配信終了。視聴者数、35万。
地上に戻ると、グレンがいつものようにカウンターにいた。
私の肩の傷を見て、眉を寄せた。
「やられたか」
「鉄牙狼に少し。でも三匹倒しました」
「三匹……一人で?」
「はい」
グレンが黙った。長い沈黙の後、ぽつりと言った。
「……昔、俺の仲間にもそういう奴がいた。火が得意で、無茶ばかりする奴だ」
初めて聞く話だった。グレンが自分の過去を語るのは、これが初めてだった。
「そいつは、第25層で死んだ」
空気が凍った。
「無茶をするなとは言わない。冒険者に無茶をするなと言っても無駄だ。だが、一つだけ覚えておけ」
グレンの目が、まっすぐに私を見た。
「引き際を間違えるな。ダンジョンは、また来れば済む。命は、やり直しがきかない」
重い言葉だった。元A級冒険者が、仲間を失った経験から絞り出した言葉だった。
「……はい」
それだけしか言えなかった。
グレンは頷いて、背を向けた。「肩の手当てしてから帰れ」と、いつものぶっきらぼうな声で。
ギルドの医務室で簡単な治療を受けた。傷は浅く、翌日には塞がるだろうと言われた。
帰り道、夕暮れの王都を歩きながら考えた。
引き際を間違えるな。
前世でも、同じことを上司に言われた気がする。仕事に熱中しすぎて倒れたとき、病院のベッドで。
今世では、同じ失敗はしない。
でも。
第6層が、その先が、呼んでいる。
もっと深く。もっと強く。もっと多くの人に見てもらうために。
記録珠をポケットに入れ直した。明日も、配信がある。




