第2話「最初のダンジョン、最初の投げ銭」
朝日がまぶしかった。
一晩で世界は変わらない。けれど、一晩で私の立場は変わった。
王都の大通りを歩く。すれ違う人々の視線が、昨日までと明らかに違っていた。好奇、同情、野次馬根性。いろんな感情が綯い交ぜになった目で、私を見ている。
昨夜の配信、見られていたのね。
記録珠は起動者の魔力署名と紐づく。一度見た配信者の魔力署名を映写板に記憶させれば、次回の配信を自動で受信できる。昨夜120万人が見たということは、その一部が署名を記憶させてくれたということだ。
冒険者ギルドは王都の東区画にあった。石造りの重厚な建物で、入り口の上に交差した剣の紋章が掲げられている。
扉を開けた瞬間、酒と汗と革の匂いが押し寄せた。
朝から酒場のような喧騒だった。受付カウンターに並ぶ冒険者たち、壁に貼られた依頼書、隅のテーブルで地図を広げる一団。
場違いだ、と思った。昨日まで公爵家の令嬢だった人間が来る場所ではない。
けれど、場違いだからこそ面白い。前世のOL時代に転職したときも、最初はそうだった。
受付で登録を済ませた。ギルド証は銅のプレートだった。最低ランクのE級。名前と登録日が刻印されている。
「あんた、昨夜の嬢ちゃんか」
声をかけられた。振り返ると、カウンターの奥から大柄な男が出てきた。
片足を引きずっている。右足だ。古い傷のようだった。腕は丸太のように太く、目つきは鋭い。酒場の主人と冒険者を足して割ったような風貌だった。
「グレン・バルトロスだ。ここの酒場を仕切ってる」
「リゼット・フォン・クラリオンです。本日登録しました」
「知ってる。昨夜の配信、うちの映写板でも映ってた」
グレンは腕を組んだ。品定めするような目で、私を上から下まで見た。
「公爵令嬢がダンジョンに潜る。正気か?」
「正気です」
「魔法は使えるのか」
「火属性を少々」
「少々、ね」
グレンは鼻で笑った。けれど、目は笑っていなかった。
「第1層なら死にはしない。だが舐めるな。ダンジョンは、舐めた奴から食われる」
「肝に銘じます」
「……まあ、行ってこい。話はそれからだ」
素っ気ない言葉だった。けれど、止めなかった。それだけで十分だった。
深淵の回廊の入り口は、王都の外壁を出てすぐだった。地面に大きな裂け目があり、石段が地下へ続いている。入り口にはギルドの管理官が常駐していた。
ギルド証を見せて入場許可を得る。
石段を降りる前に、記録珠を取り出した。
さて、と。
配信開始。魔力を流し込むと、記録珠が淡く光った。
「おはようございます。リゼット・フォン・クラリオンです。昨夜の宣言通り、本日からダンジョン配信を始めます」
白文字のコメントがすぐに流れ始めた。
『来た! 本当にやるんだ』
『朝から待ってた』
『公爵令嬢がE級冒険者って草』
視聴者数、2万。昨夜の120万に比べれば少ない。でも、朝の配信で2万人が集まるのは十分すぎた。
石段を降りた。
第1層は薄暗い洞窟だった。壁に苔が生え、天井から水滴が落ちている。空気がひんやりと湿っていた。
足元を確認しながら進む。ドレスは脱いできた。ギルドの売店で買った革の胸当てと動きやすいズボン、厚底のブーツ。見た目は完全に駆け出し冒険者だった。
最初の魔物は、角兎だった。
兎、と呼ぶには大きい。犬ほどの体躯で、額に鋭い角が生えている。赤い目がこちらを睨んでいた。
心臓が跳ねた。
実戦は初めてだ。学院で魔法の座学は学んだ。的に向かって火球を撃つ訓練もした。けれど、生きた魔物に魔法を撃つのは、これが初めてだった。
角兎が跳んだ。
速い。
考えるより先に、右手を突き出していた。
「燃えなさい!」
火球が掌から放たれた。狙いは甘かったけれど、狭い通路だ。角兎の横腹を掠めた。毛が焦げる匂いが鼻を突く。
角兎が怯んだ。その隙に、もう一発。
今度は直撃した。角兎が壁に叩きつけられ、動かなくなった。
息が荒い。手が震えている。たった一匹の角兎に、こんなに消耗するとは。
前世の記憶がなんの役にも立たない領域だった。プレゼンの度胸と、魔物との戦闘は全くの別物だ。
コメントが流れた。
『おおおお! 倒した!』
『詠唱が「燃えなさい」って、令嬢すぎる』
『フォームめちゃくちゃだけど火力はある』
詠唱が令嬢すぎる。……まあ、否定はできない。
その後も第1層を進んだ。角兎を三匹、洞窟蝙蝠を二匹。倒すたびに少しずつ感覚が掴めてきた。火球の射出角度、魔力の配分、距離感。全てが実戦でしか学べないことだった。
一時間ほど探索して、魔力の残量が心もとなくなった。記録珠の稼働にも魔力を使っている。欲張ればどちらも尽きる。
引き際だ。
「本日はここまでにいたします。第1層、五匹討伐で終了です」
コメント欄に白文字が流れる。
『もう終わり?』
『無理しないのは賢い』
『明日も来てくれ!』
そして。
視界の端に、青い文字が浮かんだ。
青文字。銀貨だ。
『がんばれ令嬢』 ―― 5銀貨
初めての投げ銭だった。
続いて白文字の投げ銭がぱらぱらと。1銅貨、3銅貨、10銅貨。小さな金額だけれど、一つ一つが画面に表示されるたびに、胸の奥が温かくなった。
知らない誰かが、私の配信にお金を払ってくれている。
前世でも知っていた感覚だ。でも、自分が受け取る側になるのは初めてだった。
「ありがとうございます」
声が少し震えた。慌てて咳払いをした。泣くところではない。
「明日も配信いたします。それでは、また」
記録珠の光が消えた。
最終視聴者数、15万。
地上に戻ると、ギルドの酒場にグレンがいた。カウンターの中で、グラスを拭いている。
私の顔を見て、一言。
「生きてたか」
「生きてます」
「何匹やった」
「角兎三匹と洞窟蝙蝠二匹です」
「……第1層にしちゃ上出来だ。火力はある。だが、フォームがなってない。避け方も知らないだろう」
図星だった。角兎の突進を避けたのは、ほとんど偶然だった。
「明日もここに来い。潜る前に、基本の動きだけ教えてやる」
ぶっきらぼうな声だった。でも、目が少しだけ柔らかくなっていた。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。俺の訓練は厳しいぞ」
グレンはそれだけ言って、背を向けた。
ギルドを出た。夕方の王都は橙色に染まっていた。
ポケットの記録珠に触れた。今日の投げ銭は、合計で銀貨5枚と銅貨47枚。前世の感覚で言えば、初日の収益としては微々たるものだ。
でも、ゼロじゃない。
昨日まで、私には何もなかった。婚約を破棄され、名誉を汚され、味方もいなかった。
今日、私にはギルド証と、五匹分の実戦経験と、15万人の視聴者と、銀貨5枚がある。
明日はもっと深く潜る。もっと上手く戦う。もっと多くの人に見てもらう。
そのために今夜は、筋肉痛に耐えながら眠るとしましょう。
――ああ、全身が痛い。公爵令嬢の身体は、戦闘向きにできていない。
でも、まあいいわ。
痛みがあるということは、前に進んでいるということだから。




