第12話「第25層、限界の先へ」
第25層に入ったとき、グレンの言葉が蘇った。
「あいつは、第25層で死んだ」
火が得意で、無茶ばかりする仲間。
私は今、その階層にいる。
第21層から第24層は、地獄だった。
瘴気の濃度が跳ね上がり、防御膜の維持だけで魔力の三割を持っていかれた。蓄魔石のピアスはフル稼働していたが、吸収量が瘴気の侵入に追いつかない。
一日の探索を終えて地上に戻るたびに、身体が重くなっていた。
左腕の痣は、いつの間にか肩まで達していた。
朝の着替えのとき、セリナに見られた。
「お姉様……それ……」
セリナの顔が蒼白になった。
「大丈夫。痛みはないの」
嘘ではなかった。痛みはない。ただ、疲労の回復が日に日に遅くなっている。前世の感覚で言えば、慢性的な体調不良のようなものだった。
「ダンジョン、少し休んだ方が……」
「第25層まで行く。そこで一区切りつける」
「でも」
「約束するわ。第25層を踏破したら、三日間休む。それでいい?」
セリナは唇を噛んだ。納得していない顔だった。でも、頷いてくれた。
Day 50。第25層。
その階層は、赤かった。
壁が赤黒い鉱石に覆われ、地面からは蒸気が立ち上っている。温度が高い。瘴気が蒸気に混じって、呼吸するだけで喉が焼けるようだった。
グレンの仲間が死んだ場所。
朝の訓練で、グレンが珍しく多くを語った。
「第25層の魔物は、紅蓮の百足だ。全長は岩甲蟲や黒曜石の蟷螂を遥かに凌ぐ。通路の端から端まで、巨体がうねっている。全身が高熱を帯びてる。火属性が効きにくい」
「火属性が効かない?」
「百足自体が高熱の生物だ。外側から火で焼いても温度差がなさすぎる。効果が薄い」
「では、どうすれば」
「俺の仲間は、中から焼こうとした。口の中に火球を撃ち込んだ。成功した。百足は倒れた」
「……それなら」
「だが、百足が倒れるとき、体液が爆散した。高熱の体液だ。仲間は全身に浴びた」
声が止まった。
「三日間、持ちこたえた。だが、火傷が深すぎた」
グレンの声に感情はなかった。感情を殺しているのだとわかった。
「口の中を狙うな。もっと確実な方法を見つけろ」
「……はい」
そして今、第25層にいる。
記録珠を起動した。
「第25層です。ここは、かつてA級パーティが仲間を失った階層です」
コメントが静まった。
『グレンさんの仲間の……』
『気をつけて……』
赤い空間の奥から、地面を揺らす振動が近づいてきた。
紅蓮の百足が姿を現した。
巨大だった。通路をいっぱいに埋める体躯。無数の脚が壁と床を掴み、うねるように進んでくる。全身から陽炎が立ち上っていた。
火球を試しに撃った。百足の外殻に命中。
手応えがなかった。火が表面で散るだけで、ダメージが通っていない。グレンの言った通り、火属性の通常攻撃では温度差が足りない。
口の中を狙うのは禁止されている。グレンとの約束だ。
では、どうする。
百足が突進してきた。横に跳んで避ける。巨体が通過し、壁に激突した。岩が崩れる。
観察する。百足の身体。高熱を帯びた外殻。無数の脚。そして、脚の付け根に――
関節がある。
脚の関節部分は、外殻が薄くなっていた。高熱の核は体幹にあり、末端の脚は温度が低い。
火が効かないなら、物理的に壊す。
だが、私に物理攻撃の手段はない。剣も持っていない。
――待て。
火の刃。
火の刃は、火球と違って「切る」力がある。温度で焼くのではなく、魔力の刃で断つ。
温度差ではなく、物理的な切断力。それなら、高熱の外殻でも関係ない。
右手に火の刃を形成した。十五秒の維持。この間に、できるだけ多くの脚を切る。
百足が旋回してきた。私は百足の側面に走り込んだ。
一本目。脚の付け根に火の刃を振り下ろす。関節が切断され、高熱の体液が噴き出した。避ける。二本目。三本目。
百足が暴れた。巨体がのたうち、壁を崩す。四本目の脚を斬ったところで、火の刃が消えた。十五秒の限界。
距離を取る。百足は片側の脚を四本失い、バランスを崩していた。壁にもたれかかるように蠢いている。
もう一度、火の刃を。
魔力を練る。だが、手が震えた。魔力の残量が少ない。配信の維持、防御膜、攻撃。三重の消費が限界を超えている。
蓄魔石に触れた。第20層のボス戦で使い切った後、半日ずつ充填してきた。今の容量は七割ほど。
切り札を使うか。でも、まだ先がある。第30層までたどり着くには、切り札を温存すべきだ。
自力で行く。
残りの魔力を全て右手に集めた。火の刃ではなく、火球でもない。
火の槍。
火球を細長く引き伸ばし、貫通力に全振りした形態。理論は知っていた。練習はしていない。
ぶっつけ本番。
百足が残った脚で体勢を立て直そうとしている。頭部が持ち上がった。口が開いた。
口の中。グレンの仲間が狙った場所。
でも、私は口の中は狙わない。
狙うのは、脚を失った側面。外殻が歪み、内部が僅かに露出している部分。
全魔力を込めて、火の槍を投じた。
赤い光が空間を貫いた。
百足の側面に命中。歪んだ外殻を貫通し、体幹の内部に突き刺さった。
百足が絶叫した。全身が痙攣し、高熱の体液が噴き出す。
私は既に距離を取っていた。グレンの仲間の二の舞にはならない。
百足が崩れ落ちた。巨体が横倒しになり、地面が揺れた。
動かなくなった。
コメントが爆発した。
『倒した!! 口じゃなくて側面から!!』
『新技!? 火の槍!? いつの間に!?』
『グレンさんの仲間のリベンジだ……』
膝が折れた。座り込んだ。
魔力が空だった。記録珠の光が消えかけている。
「第25層……踏破です」
それだけ言うのがやっとだった。
記録珠の光が消えた。
赤い階層で、一人。息を整える。
左腕の痣が肩を超え、首の付け根に届こうとしていた。
限界が近い。わかっている。
でも。
「……グレンさん」
誰にも聞こえない声で呟いた。
「あなたの仲間は、ここで倒れた。私は、その先に行きます」
立ち上がった。来た道を戻る。一歩ずつ。
地上に戻ったとき、ギルドの前にグレンが立っていた。
私を見た。左腕を見た。首元を見た。
何も言わなかった。ただ、肩を貸してくれた。
「……ありがとうございます」
「馬鹿が。約束通り三日休め」
「はい」
初めて、素直にそう言えた。




