第10話「第20層、視聴者200万の壁」
第20層。二度目のボス階層。
広い空間の中央に、それは立っていた。
黒曜石の蟷螂。全身が黒い鉱石のような外殻に覆われた巨大な蟷螂だ。岩甲蟲を超える体躯。二本の鎌腕が、闇の中で鈍い光を放っていた。
見た瞬間にわかった。第10層の岩甲蟲とは格が違う。
記録珠の視聴者数が急上昇していた。130万、150万、170万。
「第20層ボス、黒曜石の蟷螂です」
声を出したのは、自分を落ち着かせるためだった。
蟷螂がこちらを認識した。三角形の頭部が、ゆっくりと旋回する。複眼が光った。
来る。
鎌腕が振り下ろされた。
横に跳んだ。鎌が地面に突き刺さり、岩盤が砕けた。衝撃波だけで身体が持っていかれそうになる。
火球を撃った。蟷螂の胸部に命中。だが、黒曜石の外殻に弾かれた。岩甲蟲と同じだ。表面からでは通じない。
違うのは、こいつの方が速いこと。
二撃目の鎌腕が横薙ぎに振られた。しゃがんで避ける。風圧で耳が痛い。
三撃目。上からの叩きつけ。転がって避ける。着地した場所の岩盤が粉砕された。
速い。硬い。重い。三拍子揃った最悪の相手。
だが、観察はできている。
鎌腕を振るうとき、胸部の外殻がわずかに開く。関節の構造上、腕を大きく振ると胸部に隙間ができるのだ。
そこだ。
問題は距離。隙間は鎌腕の付け根のすぐ横。つまり、鎌の射程内に入らなければ狙えない。
火球では無理。飛び道具では隙間に入らない。
火の刃の出番だった。
右手に魔力を集中させた。掌から薄い炎が伸びる。十秒。十秒だけ維持できれば、一撃分の距離は稼げる。
蟷螂が四度目の鎌を振り上げた。
私は、その懐に飛び込んだ。
『また突っ込んだ!!』
『この人正面突撃しか知らないの!?』
コメントが叫んでいるのが視界の端に映った。
鎌が振り下ろされる。だが、懐に入った私には当たらない。鎌の軌道は外側に向かう。内側は死角だ。
胸部の隙間が、目の前にあった。
火の刃を突き立てた。
刃が外殻の隙間に滑り込み、内部に食い込んだ。蟷螂の全身が痙攣した。甲高い悲鳴が空間に響く。
だが、倒れない。
火の刃が消えた。十秒の限界。魔力が足りない。
蟷螂が暴れた。鎌腕がでたらめに振り回される。懐から弾き飛ばされ、地面を三回転がった。
背中を岩盤にぶつけた。息が詰まる。痛みで視界が明滅した。
立て。立て。
蟷螂が体勢を立て直そうとしている。胸部からは煙が出ている。火の刃は効いた。だが、致命傷には至っていない。
魔力の残量を確認する。火球は二発分。火の刃はもう維持できない。記録珠の稼働を止めれば、あと一発分は絞り出せる。
配信を止める?
200万人が見ている。今この瞬間を。
――止めない。
もう一つ、手がある。
蓄魔石のピアスに触れた。温かい石。半日かけて溜めた魔力が詰まっている。
フィオナが言っていた。「一気に放出すれば火球三発分」。
切り札だ。使い所は今しかない。
右手に火球を練りながら、左手でピアスに触れる。蓄魔石から魔力を引き出す。
二つの魔力が合流した。右手の火球が、通常の倍以上に膨れ上がった。熱で空気が歪む。
蟷螂が突進してくる。
私は、全力で投げた。
火球が蟷螂の胸部に命中した。
今度は弾かれなかった。先ほどの火の刃で傷ついた隙間から、炎が内部に侵入した。
黒曜石の外殻が、内側から赤く光った。亀裂が走る。蟷螂が悲鳴を上げた。全身から煙が噴き出す。
外殻が砕けた。
蟷螂が崩れ落ちた。黒い破片が散らばり、地面に転がった。
静寂。
膝から力が抜けた。座り込んだ。全身が震えている。
記録珠の画面を見た。
視聴者数、200万。
金文字が画面を埋め尽くしていた。
『黒鉄の騎士より:圧巻。これが、お前の実力だ。』 ―― 5金貨
『名も無き商人より:王都の店が全部足を止めて見てた。全員拍手してる。』 ―― 3金貨
『深淵を覗く者より:第20層単独撃破。歴史に刻まれるべき偉業だ。』 ―― 5金貨
200万。
エレノアと同じ数字に、並んだ。
「……ありがとう、ございます」
声が掠れていた。
「第20層ボス、撃破しました。皆様の応援が、ここまで連れてきてくれました」
ぼろぼろだった。背中は打撲で痛い。右手は魔力の酷使で痺れている。左腕の痣は袖の下で脈打っている。
でも、笑った。
「これからも、配信は続けます。まだまだ、先がありますから」
記録珠の光が、薄くなっていた。魔力の残滓だけで、かろうじて灯っている。
「それでは、また次の配信で」
光が消えた。
真っ暗な第20層で、私は一人で座っていた。
達成感があった。疲労があった。そして、小さな不安があった。
200万に並んだ。ここから先は、追う側ではなく追われる側にもなる。
エレノアが黙っているとは思えない。
さて、と。
まずは、地上に帰ろう。セリナが待っている。グレンがいる。フィオナがいる。
立ち上がった。足元がふらついた。壁に手をついて、一歩ずつ歩いた。
第20層の出口に向かいながら、ふと思った。
ここまで来た。婚約破棄から38日。たった38日で、聖女と並んだ。
でも、まだ終わりじゃない。
並んだだけじゃ、意味がない。
超えないと。




