92話~よう、松本~
「鈴木さん…」
オトハ様の電話も通じず、俺の心は不安で押しつぶされそうだった。特区の内部が、思ったよりも深刻なのだと気付かされたから。
回線がパンクしてるなんて、災害級だ。もしかして、内部でもデモが起きているのか?
俺の頭の中には、2人の笑顔が浮かんでは消えていた。
年末に3人で過ごしたあの楽しい日々が、遠い過去の物になろうとしている。そう感じてしまい、言いようのない恐怖が心の中で膨れ上がっていた。
俺はまた、失うのか。大切な人達を…。
「…先輩、先輩!」
「うん?ああ、済まん。どうした?」
「しっかりして下さい、先輩。もう直ぐ繁華街を抜けて、ゲートが見えてきますよ」
そうか。もう直ぐゲートか。
俺は言い知れない恐怖を唾と共に呑み込み、顔を上げる。スマホをオトハ様に返し、フロントガラスの向こう側に視線を向ける。その時、繁華街の端が見えた。
ゲート前の様子が、目の前に広がる。
「なっ!?」
だが、いざゲートが見えるようになった時、俺はその光景に息を飲んだ。
地面が見えないくらい、大勢の人が詰めかけていた。そして、その人達を押さえようと、壁の前に局員が1列で"並ばされて"おり、彼らの後ろには迷彩服を着た男達が厳しい目で立っていた。
自衛隊だ。彼らの中には、装甲車や護送車の様な車両に乗っている者までいた。
いや、護送車じゃないな。何か機関銃の様な物がボンネットに取り付けられている車。あれは…放水車か?
アレが、一星秘書官の号令で出動した自衛隊だろう。まるで暴動鎮圧の装備じゃないか。
そんな強硬な自衛隊に対し、集まった男達も引かない。必死に、何かを叫んでいる様子だった。
まさに、暴動1歩手前の様子であった。
「まっちゃん。一旦止まろう。あの中に突っ込むのは危険だ」
下手すると、テロリストと間違われて撃たれる可能性がある。
そう判断した俺は、車を近くの駐車場に駐車させて、1人で車を降りる。
「様子を見てくる。2人の事は頼んだぞ?まっちゃん」
「了解です、先輩。お気を付けて」
「ありがとう。そっちもな」
オトハ様の事は松本君とバンに乗っている局員達に任せ、俺は集まった人達に近付く。
「済みません。なんの騒ぎですか?」
「女性の為だ!」
俺が最初に話しかけた男性は、ただ赤ら顔でそう返してきた。随分と興奮している。
他の人も似たようなもので、興奮気味に声と拳を振り上げるばかりだった。
それを、矢面に立たされる局員が受け、その後ろで自衛隊員が睨んでいた。
何なんだ?この状況。
「おい、貴様」
後ろから声がした。振り返ると、鷲塚達が俺の後ろに並んでいた。
あら?お前達も来ちゃったのか。
「そのような雑魚に聞いても、埓があかんぞ。聞くなら、もっと前に行け」
言うが早いか、鷲塚達はズカズカと民衆に割って入り、両手を広げる局員の前に仁王立ちになった。
「おい!遠藤!これは、どうなっている!」
「あっ、鷲塚先輩…」
必死に手を突っ張っていた局員は、鷲塚の顔を見た途端に泣きそうな顔になった。彼は「聞いてくださいよ」と声を震わせる。
「長官が出ていかれてからすぐ、自衛隊が来たんす。ここは我々の指揮下に入ったとか言って、勝手にゲートを閉じてしまって」
「なにぃっ!?閉じただとぉ!?貴様、何故そのような蛮行を許した!物流が完全に止まってしまうではないか!」
「しっ、知らないっすよ!兎に角、暴徒を1人も入れるなって命令で。僕らはただ、それに従えって言われて…」
そうか。それでみんな怒っているんだ。
俺がゲートの方を見ると、そこは分厚い扉が降りており、その前に装甲車が数台止まっていた。
これでは、特区が干上がってしまう。区外からの物流が命なのに、それを断つなんて何を考えているんだ。
俺は年末のスーパーを思い出した。女性達が争奪戦を繰り広げたあの惨状。それに巻き込まれる鈴木さんと佐川さんを思い浮かべる。
自然と、俺の足はそちらへ向かっていた。
「そこのお前、止まれ!」
ゲートに近付くと、装甲車の上で監視していた隊員が、厳しい声と視線を投げ掛けてくる。それでも止まらない俺を見て、隊員は荷台から飛び降りる。車内からも、仲間と思われる迷彩の兵士がぞろぞろと出て来る。
俺は彼らの前で止まり、ゲートを指さす。
「ゲートを開けて下さい。物資を、特区へ供給して下さい」
「それは出来ない。お前たち暴徒の侵入を阻止するのが、我々の任務だ」
「その任務が、女性を苦しめているんです!ゲートを開けて下さい!」
「出来ない!これは任務だ!上からの命令だ!」
ぐっ。そうか。上からの。
これが、一星秘書官の指示。プロジェクトを進める為だったら、女性を苦しめても良いと思っているのか。自衛隊の刃を、国民に向けても良いと思っているんだな。
なんて身勝手な。
「黒川」
俺が拳を握りしめていると、鷲塚が肩を掴む。
「こいつらは何を言っても無駄だ。俺達でやるぞ。コントロール制御室にさえ入ってしまえば、ゲートも開放出来る」
おお。そうなのか。
俺が頷くと、鷲塚が前に出る。腕を組み、隊員達を睨み付ける。
「そこを退け、貴様ら。俺は一等管理保安監の鷲塚だ。局内に戻らせてもらう」
「それは出来ない。局員は第一線で住民の制圧任務をしてもらう。それが上層部からの指示だ」
「貴様らに従う義理はない!俺に指示出来るのは、鞍瀬長官と乙葉様だけだ!」
「抵抗する気か!?これは総理の指示だぞ!」
鷲塚達と自衛隊がぶつかる。それを見て、周りの男たちも声を上げる。
俺を、見る。
「黒猫さんだ!」
「黒猫さんが来てくれたぞ!」
「みんな、道を開けろ!黒猫さんがやってくれるぞ!」
「道をこじ開けろぉ!」
「「「「おおおぉおおお!!」」」」
男達が一斉に、ゲートへと詰めかける。それを見て、他の自衛隊員達もこちらへと駆け寄る。放水車が動き出し、人々に強力な水鉄砲を浴びせる。
だが、
「「おせぇ!おせぇ!」」
「黒猫さんを中に!」
「女性の為に!」
「「「女性の為に!!」」」
人々の熱は治まらない。寧ろ、激しく燃え上がってしまう。老人も、少年も、サラリーマンも、飛び職人も、みんな怒りの形相で前に進む。頑なにゲートを守ろうとする局員と自衛隊員に掴みかかり、揉み合い、装甲車に体当たりをし始めた。
「くそっ!押し切られるぞ!」
「放水銃だけではダメだ!催涙弾を使え!」
「ダメです!管理局員にも当たります!」
「構わん!使え!」
圧倒的な人数差に、自衛隊も押され始める。これは不味いと催涙弾まで投下されるが、群衆の勢いは全く落ちない。
そして彼らは、とうとう腰に下げた黒い塊を手に取る。そして、引き金を絞った。
パンッ!パンッ!
発砲。
でもそれは、空に向けて撃たれた威嚇射撃。
それでも俺は恐怖を感じた。自衛隊が発砲した事もそうだが、それでも群集が引かなかった事に。彼らはもう、銃声くらいじゃ動じなかった。
もう、実際に血が流れないと止まらない。そうなれば、ここは戦場になる。
大虐殺の始まりだ。
「皆さん!一旦引こう!別のやり方を考えるんだ!」
ダメだ。ヒートアップしたみんなの耳には、俺の声なんて届かない。
「鷲塚!」
「邪魔だ!貴様ら!退け!ゲートを開けろぉ!!」
鷲塚達も止まらない。自衛隊と取っ組み合い、殴り合いに発展していた。
くそっ。このままじゃ…。
俺が最悪の未来を想像した、その時、
声が聞こえた。
『あー、あ〜…皆さん!ちょっと、こっちに注目してくれんか?』
マイクから聞こえる、大音量の男性の声。
この声は、まさか…?
〈◆〉
「ええっ?」
走り出した先輩の背中を見送っていると、それに続く白服の男達の背中も見えた。
それを見て、僕はつい声を漏らしていた。
「どうしました?先生」
「いえ、あの、僕達だけになっちゃって」
これじゃ、慰問会も開けない。器具はバンの中にあるみたいだけど、僕1人じゃ無理だもん。
せめて、これを使わないといけない事態にならないといいんだけど…。
そんな風に祈ったせいなのか、事態は悪くなっていった。群集が動き出し、自衛隊と衝突してしまった。その中心に居るのが、黒川先輩。
ちょっと、先輩。暴動が始まっちゃってますよ。しかも、この黒猫コールは…先輩が祭り上げられちゃってる!
「これは、僕が何とかしないと…」
「お任せ下さいっ、先生!」
僕が頭を抱えると、助手席に座っていたアコさんが胸を叩き、車から飛び出してしまった。
あっ、待って!
慌てて追いかけると、彼女はバンのスライドドアを開けて中を物色していた。
「先生!これが慰問会の道具ですか?なんだかいっぱいありますね!」
「うん。そうだけど、ちょっと声のトーン落として」
見つかったら、大変な騒ぎになっちゃう。女の子がこんな所に居るって。
そうお願いしても、アコさんは「何でしょう?これ、気になります!」とテンションが高いまま。
うん。これは、早めに組み立ててしまおう。
「アコさん。そのポールをこっちに刺して」
「こうですか?うん?」
そう思ったけど、上手くいかない。アコさんはかなり不器用で、組み立てるのに難航していた。
「私も手伝いましょうか?」
「いえ!オトハ様はそのままで」
彼女は降ろしちゃいけない。こんな危険なところ、何があるか分からないもの。本当なら、アコさんも車に乗っていて欲しいくらいだ。
ああ、でも、このままじゃ慰問会が出来ない。誰かに手伝って貰いたいけど、でも、誰も正気じゃない。
どうしよう?
頭を悩ませていると、エンジン音が聞こえた。随分と荒いエンジン音。それが、こちらに近付いてくる。
ブォン!ブォン!
ブブブブーン!
その音の方から現れたのは、数台のバイク。改造された、ヤバいバイク群。
「アコさん!僕の後ろに!」
「はっ、はい!」
彼女を隠すと同時、バイクが僕の車を包囲する。ヤバめの特攻服を着たヤンキーと、スーツを着た人達がバイクから降りる。
近所の暴走族?スーツの人は、まさかあっち系の人?
フルフェイスヘルメットを被るスーツの男達に、僕は震えながらも立ち向かう。何とか、アコさん達だけでも逃がさないとと考えながら。
すると、スーツ姿の1人が近付いてきた。手を挙げて気さくに挨拶をする。
「よう、松本」
「えっ?」
その声。
驚いてしまった僕を見て、スーツの男が笑い声を上げる。そのまま、ヘルメットを取った。
ニカッと、良い笑顔を浮かべる男性。
「悪りぃ、悪りぃ。遅れたわ。今どんな状況?」
「係長…」
そのスーツの男は、岩本係長だった。
ここに来て援軍!
「流石は君津の元暴走族」




