79話~丁度いい余興ね~
夢を、夢を見ていたんだ。とても刺激的で、官能的で、幸せな夢を。
オトハ様が目の前に現れて、僕を褒めてくれた。柔らかい彼女の手は、夢であっても心地良かった。
ああ、こんな素晴らしい夢を見る才能が、僕にあったなんて。僕は自分が誇らしい。もっと心地良い夢を見ていたい。
そんな幸せな時間が、不意に終わる。
下から突き上げる様な衝撃と共に。
「いった…」
「おおっ、起きたか。まっちゃん」
衝撃を受けた顎を摩っていると、隣から声が聞こえた。見ると、黒川先輩が見慣れたハンドルを握って、こちらをチラリと見た。
よく見るとこれは、僕の車だった。
「済まんな、まっちゃん。車借りてるぞ?」
「ええ、それは全然良いんですけど」
元々、先輩に運転してもらうつもりだったから。だって…あれ?なんでそう思ったんだっけ?先輩のお迎えなら、僕が運転するのが普通だと思うけど?
何か大切な事を忘れてしまったと、僕は必死に思い出そうとする。
丁度、その時、
「おい!もっと優しく運転しないか!」
後ろから、可愛らしい声がした。
えっ!?
驚く僕の隣で、先輩が苦笑いを浮かべる。
「ごめんな、アコちゃん。ちょっと小石を跳ねたみたいだ。実は俺、運転は得意じゃないんだよ」
「そんなの知らん!オトハ様がいらっしゃるんだぞ?」
えっ!?オトハ様?
驚いて後ろを振り向くと、スクリーンの向こう側でしか見た事のない彼女が、車窓から詰まらなさそうに外を眺めていた。
女神様が、スクリーンを飛び出して僕の車に。
ああ、夢だ。夢の続きだ。
「そう言われても、俺ではどうしようも…あっ、そうだ。まっちゃん」
「えっ?」
急に話題を振られ、僕は戸惑う。
そこに、先輩が無茶ぶりしてくる。
「気が付いたなら、運転交代してくれよ。次のコンビニで停めるから」
「いや、ムリムリムリ!」
今だって、意識を保っているのがやっとなのに、これでもしハンドルを握っている最中に何かあったら、取り返しのつかない事になっちゃう。
僕が必死に首を振ると、先輩は「なるほどなぁ」と考える素振りをする。
何か、嫌な予感がするぞ?
「なら、今の内に慣れてしまえ。彼女達と会話して」
「ええっ!?」
「丁度良いだろ?後ろを振り向かなければ、お2人の姿は見えない」
「そりゃ、そうですけど…」
僕が躊躇していると、後ろで美しい笑い声が。
オトハ様だ。
「丁度いい余興ね。ならアコ、何か質問なさい」
「ええっ!?自分がですか?」
「そうよ。何時もうるさいくらいに聞いてくるじゃない。お前」
「うっ…うるさい…」
アコ様がちょっとしょげている。
可哀想だけど、何処か親近感が湧くな。
「では、この準特区とやらは何か。聞かせて下さい」
「ああ、それは俺も知りたい。頼むぞ、まっちゃん」
みんなの視線が、僕に刺さっている気がする。
それだけで、心臓がドキドキするけど…さっき程じゃないな。もしかして、オトハ様に直接触れ合って、少し慣れたのかな?
「ええっと、準特区の事ですね。ここは特区と名前が付いていますけど、女性の皆様がお住いになっている訳ではありません。女性の皆様に直接奉仕出来る人達…主に管理局員達が住まう地域です」
他にも、議員さんや警察のお偉いさんなんかも住まわれていて、所謂特権階級の住宅地になっている。
それだからか、ここには国会や最高裁判所なんかの首都機能も集まっている。特区の区長さんとかも偶にいらっしゃって、色々と議論されているって話しだ。
「そうして、女性の皆様もいらっしゃる事があるので、ここは準特区と言う名前が付いているんです」
「なるほどっ。そう言う事でしたか!」
耳元で元気な声が聞こえた。見ると、アコ様の可愛らしいお顔がすぐ近くに。
ひぃっ!
「他には何かないのですか?準特区と言うことは、女性の来場数が多いとか」
「えっ、ええっと…いらっしゃる女性は、それ程多くないかと。いらっしゃるのは、会議とか、行政に用事のある方くらいなので。それでも、区外に出られる女性の大半は、この準特区に足を運ばれます」
「大半…と言う事は、準特区以外に行く女性もいると言う事ですか?」
「それは、海外の特区に行かれると噂が」
僕が何とか答えると、アコ様が更に近付く気配を感じる。甘い匂いが、僕の鼻をくすぐったい。
うはっ。
「海外!良いですね、海外!オトハ様は何処かに行かれた事はありますか?」
「何度か、ワシントンに行った事があるわ。けれど、日本の特区と然程変わらないわよ?」
「へぇ。ワシントンっ!良いですねっ!自分も行ってみたいです!」
「俺は何処も行ったことはないな。日本中なら、旅行と出張で飛び回っているけど」
「貴方には聞いていませんっ!」
先輩の発言に、アコ様が鋭いツッコミを入れる。
ちょっと気難しい子なのかな?でも、普通に会話に入れる先輩はカッコイイ。
僕もこんな風になれたら…。
そんな風に思っていると、熱を感じた。すぐ側で、熱い視線と共に。
「先生は、何処か行かれた事はないのですか?」
「はっ!?先生?」
すぐ耳元で囁かれた言葉に、僕は色々度肝を抜かされた。
それに、アコ様が「はいっ!」と元気に答える。
「色々と物知りですので、先生とお呼びさせて頂きますっ。それで先生。先生は何処に行ったことありますか?」
「ぼっ、僕は、ドイツとかハワイに行った事があります。えっと、修学旅行と卒業旅行で」
「ドイツ!ハワイ!素晴らしい!」
僕の腕が、何か柔らかい物に掴まれる。見ると、アコ様の手がそこに。
ふぁぁあっ!?
「先生!教えて下さいっ。ドイツはソーセージが美味しいと聞きました!ハワイでは国民がアロハダンスを踊り、アロハシャツを着ていると聞いた事がありますが、それは事実なのですか?」
「いや、あの、アコ様。近い…」
僕が頑張って声を絞り出すと、アコ様の顔がニュッと後ろから現れる。キラキラした目で、僕に問いかける。
「教えて下さいっ、先生!自分、気になります!」
「はぅ…」
慣れたと思ったけど、やっぱり慣れない!
僕は意識を保つので精一杯だった。
〈◆〉
「よーし。着いたぞ」
車を官邸前の駐車場に駐車して、俺は声をあげる。
結局、運転は全部俺がしていた。松本君は気絶する事なく生きていたが、アコちゃんからの質問攻めに手一杯の様子だった。だから、交代する事が出来なかった。
まぁ、それは良い。元々この話を彼に振ったのは、彼に女性耐性を付けて貰いたかったからだから。
だから、アコちゃんといっぱい話せた事でそれはクリア出来たと思うのだが…。
「では先生!行ってまいりますっ」
「あ、うん。あの、気を付けて…」
「はいっ!また帰りも、宜しくお願いしますっ!」
思ったよりも、アコちゃんに気に入られてしまった様子。それなのに彼は、全く嬉しそうじゃない。
どうしたのだろうか?
「まっちゃん。アコちゃんは苦手か?」
「えっ?」
2人の帰りは昼を過ぎるとの事だったので、昼食を食べに車に乗った我々。そこで、思い切って松本君に聞いてみた。
すると、彼は暫くポカンと口を開けて、その後で慌てて首を振った。
「違います!違います!めちゃくちゃ可愛かったです!」
「では何故、そんな顔をしているんだ?」
「いや、だって。緊張しっぱなしだったでしょ?自分。まともに喋れなかったから、きっとお2人からも呆れられていると思って…」
自信無さげに告白する松本君だったが…いや、ちょと待てい!
「何が呆れられるだ。凄い盛り上がっていたじゃないか」
少なくとも、横で聞いていた俺はそう思った。
海外の話から始まって、食事の話やファッションの話に飛んで。そしたらオトハ様もご興味を持たれて、どんな服が流行っていたのかを松本君が細かく説明して…。
「最後の方なんて、オトハ様にも褒められていただろう。下手なラジオを聞くよりも、退屈が紛れたって」
「いや、あれって、褒められていたんですかね?」
分かり辛いけど、俺はそう思うぞ。
少なくとも、
「アコちゃんからも大好評だったろ?めっちゃ懐かれてたし、握手まで交わして」
「あっ、そうでした。僕、アコ様と握手…握手までしてしまって…」
松本君がそう言って、手を震わせる。だから、握っていたハンドルがお留守になる訳で。
バカバカお前!車がカーブに突っ込むぞ!?
…前にもこんなやり取りしなかったか?
「ありがとうございます。先輩」
「感謝の前に、先ずはハンドルを握ってくれ」
助手席からハンドル握るの辛いんだわ。
「いえ、そっちもなんですけど。お2人に会う機会を作っていただいて」
「ああ、いや。そっちは感謝の必要は無いよ。君が頑張ったから成立した邂逅だ」
ただ女神様を崇めるだけで終わっていたら、きっと彼も他のみんなと同じだったはずだ。考え方を変えて、見方を変えてくれたから、こうして彼女達と話すことが出来た。俺を助けるためにと、一歩前に進み出てくれたから得た能力だ。
「これからは、まっちゃんも一緒に入区しような?」
「いや、流石にそれは。もうちょっと時間をください」
う~ん。そうか。
なら、またこういう機会を何度か設けるしかないな。
…オトハ様。また区外へ行かれることとかあるのかな?後で聞いてみるか。
そんな算段を立てていたが、それは難しそうだった。
昼食を摂り終えた我々が官邸に戻って来て、受付でオトハ様達を暫く待っていると、難しい顔をした彼女が戻って来た。オトハ様の様に呼ばれたのだろう他の女性の方々も、一様に黙り込み、直ぐに自分の車に乗り込んでしまう。
何かあったのだろうか?
「行くわよ」
事情を聞くよりも早く、オトハ様が我々を急かす。
ここで聞いても無駄だと思い、俺は彼女達を駐車場まで案内する。そして、運転席に乗り込んでから聞いてみた。
「何かございましたか?オトハ様」
「……」
俺の問いかけに、オトハ様は無言を返す。
無視…ではないな。バックミラーから見える彼女は目を伏せて、何かを考え込んでいる様子だった。
そして、暫くして、
「ええ。少し、厄介な話をされたのよ」
「厄介、ですか?」
一体、どんな話があったと言うのだろうか?
憂いた表情のオトハ様に、我々3人は顔を見合わせた。




