66話~ならば尚更です!~
区長達に見てもらいたい物がある。
そう言い放った鈴木さんは、黒川と頷き合う。そして、カバンから書類の入ったファイルを取り出した。
…これは?
「こちらは、葛飾区にお住みの方々から頂いた署名です。川が汚れた事による、被害を訴えるものです」
「「えっ」」「うっ」
こちらからも向こうからも、驚きの声が上がる。長谷川区長も予想外だったみたいで、澄ましていた顔を少しだけ歪ませていた。
それに、鈴木さんは書類を捲り、各ページに並んだ名前を見せつける。
私も覗いて見たけれど…うん。筆跡は見事にバラバラね。かなり達筆なものから、字を覚えたての子供っぽい物までズラリと揃っていた。
これだけの数を、よく集めたわね。きっと、この会議が開かれるまでの時間でかき集めたんでしょう。会議が紛糾することを見越して。
これを考えたのは、鈴木さん?いいえ。流石にそれは荷が重いわ。
きっと黒川が考えたのね。発電所の問題だけだと、足立区が動かないと予測して。
私は驚いて、彼を見る。すると彼も動き出す。
カバンから手のひらサイズの機械を取り出し、それにスマホを乗せる。そして、機械を壁際に向けると、そこの白い壁にスマホの画面が映し出された。
機械は小型プロジェクターだった。
「次に私からご報告致します。部屋の照明を、半分だけ消して頂けますでしょうか?」
壁際に立っていた受付に願い出る黒川。
それを受けた彼女は苦い顔をしたが、区長が頷いたので渋々実行する。すると、映っていた画像がより鮮明になった。
黒川がその画面を、手で指す。
「これからお見せするのは、我々が取材した葛飾区住民の声です。今朝撮ったばかりで、編集などはされておりません。見難いところはあるかと思いますが、ご了承ください」
つまり、嘘偽りない証拠だって言いたいのね。なかなか腹黒いじゃない。
私が笑顔を我慢している間にも、動画が始まる。映ったのは、私よりも遥かに歳上の老婆だった。
『ええ、そうね。川の様子が随分と変わってしまって、残念に思うわ。夕日を眺めながら散歩するのが日課だったけど、ここ最近は出来なくなってしまったもの。川が汚れて、臭いもキツくなったし』
老婆の動画が終わるとすぐ、また別の動画が再生される。今度は場面が川原に移り、そこでキャッキャと笑い合っている女子高生の集団だ。
『えっと、学校近くの川についてでしょ?うん、そう。結構臭ってくるよ。なんかヘドロと言うか、金魚の鉢の臭い?夏休み、マミん家で嗅いだことのある臭いでさ』
『ちょっ、エミリ、あたしの名前出すなし!』
『あっ、ごめん、ごめん。でさ、あたしら部活でテニスやってるんだけど。放課後になると、それが校庭まで臭って来るんだよね。だから部活も、今は殆ど出来なくなっちゃって』
『区大会負けたの、絶対あれのせいだし』
『間違いないね。ところでお兄さん、質問に答えたんだから、あたしらにもお姉さんにやってたアレ、やってくんない?』
『手繋いで階段降りてたっしょ?うちら、そう言うの憧れて…』
女子高生が迫ってくるところで、急に動画が止められる。
黒川だ。
ちょっと焦った様子で、こちらに頭を下げる。
「済みません。関係ない部分まで流してしまいました。次は、川沿いのお店に取材した時の物です」
黒川がスマホを操作すると、別の動画が流れ出す。今度はカフェみたいな場所で、マスターが頬に手を当てていた。
『ええ。困っているわ。今年の夏からずっと、ここら辺はハエとか蚊が発生する様になってしまって。今は冬なのに、それでも夜になると飛んでいるのよ?どうしてなんだろうって思っていたけど…川に泥が溜まっているのが問題なんてね』
「そんなの、足立区が原因かも分からんだろ!」
堪らずと言った感じで、都市計画課の女性が叫ぶ。憎々しげに、黒川を睨みつける。
それを、黒川は真っ直ぐ見つめ返す。
「確かに、この女性が言った事について証拠を得ている訳ではありません。しかし、我々も川辺で蚊を確認しております。この時期に蚊が発生するのはよくある事でしょうか?」
黒川が私の方、私の横に座る江戸川区の職員と浦田所長に問いかけると、2人は「いいえ」「そんなん聞いた事無いわ」と否定する。
黒川が足立区連中に向き直る。
「砂の動きを追うのは難しいですが、川辺に泥が溜まっているかはすぐに分かります。宜しければ、我々で調査を致しますが?」
「うっ…」
都市計画課のおばさんは、悔しそうに黙る。
反対に、長谷川区長は微笑みを浮かべて肘を着いた。
「分かりました。少なからず、泥による影響で周辺住民には被害が出ている様ですね。その件に関しましては真摯に受け止め、すぐに是正する様に致します」
おお。やった。やったわね、黒川。
私はつい、笑みを浮かべて彼を見ていた。
でも、黒川の表情は優れない。険しい顔で、区長に向き直った。
「是正とは、何をさせるおつもりでしょうか?」
「簡単なこと。汚水を入れるタンクを増設させます。汚水処理装置は限界でも、仮置きするタンクなら幾らでも増やせるでしょ?区外からでも海外からでも、業者の男達に手配する様に指示を出します。工期を1秒も遅らせない為に、死ぬ気で探しなさいとね」
彼女が嗤うと、黒川の体が膨らんだ様に見えた。表情は変わらないのに、その瞳がメラメラと燃えている。
怒っているのね、黒川。少し前の自分を思い返して。
しかし彼は、その怒りを漏らさない。区長から視線を切り、監視役の警官を見る。
「佐川さん。頼む」
「うぃ〜。任せな」
警官が立ち上がり、ドンッと机の上に分厚い紙束を叩きつける。
何かと思って覗き見ると、こちらにも多くの名前が連なっていた。
署名?でも、誰の?
「こいつは荒川区に移住している、元足立区区民の署名だ。お前ら、工期を早めようと無茶し過ぎなんだよ」
ニヤリと笑う警官の横で、黒川が補足する。
「ここに名を連ねている人々は、工事の為に声掛けを行っている女性達です。1日に何度も声を流す為、多くの区民が声の録音を警察署で行っています。ですが、それを殆どの方が嫌悪されているのです」
ああ、確かにそうね。工事を行っている間は、区民にも多大な苦労を課してしまう。特に大きいのが、現場で流す声の録音。工事地区は広大で、一日に何度も流すから、多くの人の声を頂く必要がある。慰問会が義務でない人も、出なければいけない程に。
それを、不満に思わない訳がない。
その声が、今目の前に積み上がっている署名の山と言う事ね。
「あたしは荒川署の警官だからな。前々からこう言う苦情は聞いてたんだよ。そんで、今回のことがあったんで、みんなに思いをぶちまけて貰ったって訳だ」
「ありがとう、佐川さん。署の皆さんも」
「おう。先輩達も喜んでたぜ。これでやっと、苦情が減るってよ」
警官に向けて微笑んでいた黒川は一転、区長に鋭い視線を落とす。
「工期を遅らせて下さい、長谷川区長。このままでは、区民も作業員も過大な労力を強いられ続ける事になります」
「それは…出来ない。出来る訳がない。私達のところで時間を食えば、他の区に迷惑が掛かる。遅れれば、特区全体の問題になるのよ!」
「ならば尚更です!」
ヒステリック気味に叫んだ区長に、黒川が強く返す。強い瞳の色に、少しだけ憂いが混じる。
「尚更、工期を遅らせて余裕を作るべきです。このまま無理な工事日程を強いられ続ければ、現場は崩壊します。何か大きなミスが生まれます。練馬区を隔てる壁の施工ミスはご存知の筈だ。作業員を酷使し続ければ、あの様な事が足立区でも起こる。そうなれば、幾ら早く施行できても意味が無い」
「崩壊…」
長谷川区長が呟く。署名の束に視線を落として、そこに名を連ねる区民の声に目を落とす。
それに、黒川が頷く。
「そうならない為にも、時間を下さい。休憩を下さい。現場で働いている作業員はロボットじゃない。血の通う人間です。俺達男は、貴女達と同じ人間なんです」
「……」
区長は口を結ぶ。目を伏せ、何かを思案する様に指遊びを始める。
他の女性役員達も、軒並み青い顔をしていた。黒川の訴えに、誰も反論出来ない様子だった。
やがて、区長の視線が上がった。笑みが一切ない、冷たい表情。
震える唇から、弱々しい声が吐き出される。
「分かりました。工期を、見直します…」
全面的に、我々の要望が通った瞬間だった。
〈◆〉
臨時足立区への申し出から、数日が経った。
その間に俺は、また水力発電所に戻り、堆砂対策を話し合った。
もう新たな砂は流れて来なくなったけど、今堆積している砂も混入するからね。対策しないと改善しない。
そこで、取水口のフィルターを改良し、三重構造にする事となった。
その費用は、発電所持ち。本当は足立区に負担させたかったけど、またあの区長に会うのははばかられる。
最後の方は、泣きそうだったからね。
「ホンマに世話んなったわ、兄ちゃん達」
対策が纏まると、浦田所長は諸手を上げて喜んでくれた。なんかあったら協力したるで!と、力強い言葉まで貰ったので、凄く嬉しかった。
頑張った甲斐があったな。
「さて。んじゃ帰るか」
「あっ、佐川さん。最後に1つ、寄りたい所があるんだが」
「あん?何処だよ」
「それは…」
俺は無理を言って、パトカーを走らせて貰う。
そしてやってきたのは、耳を覆いたくなる様な騒音が満載の場所。
足立区の工事現場だ。
ガコンッ!ガコンッ!
パトカーを降りた俺の前で、重機が唸りを上げている。相変わらず、作業員が忙しそうに走り回っていた。
でも、
ピィイイイーー!!
『休憩!皆さん15分間の休憩でーす!』
前回にはなかった工程が、組み込まれていた。
走り回っていた人達も、青年が発したその声を聞いて地面に倒れる。鋼材に座り込んで、コーヒーを飲む人も居た。
「あー。まだ働きてぇ」
「休憩要らねぇよ。もっと女神に奉仕させろ」
そんな声が聞こえてきた。
見ると、若い職人達が集まって煙草を吸っていた。彼らの目は、まだギラついた色が残っている。
…俺は、余計な事をしてしまったのかな?
「ひっひっひ。良いねぇ、若いってのは」
肩を落としていると、若者の中から引き笑いが聞こえた。
上出さんだ。
「俺にはこんくらいが丁度良い。煙草も吸えるしよ」
「俺は違うっすよ、上出さん」
「そうっす。まだ行けます!」
若い職人達が鼻息を荒くするも、上出さんは煙草を一口。そして、煙と共に吐き出す。
「その意気は大したもんだが、それで働けなくなった奴を、俺は腐るほど見てきた」
「うっ…」
若者が息を飲み、上出さんが笑う。
「ひっひっひ。良いか?ガキども。まだ出来る、まだやれるって奴から消えていく。まだって言葉はなぁ、現場ではもう出来ねぇって言ってるのと同じなんだよ」
押し黙る若者を前に、上出さんが満足そうに煙草を吸う。彼の口から吐き出される白い煙は、何処か楽しげに踊っていた。
「失ってからでは遅いのだ」
幸せと一緒ですね。




