65話~その必要は無いわ~
「ふぅ。食ったなぁ」
翌朝。
レストランを出た俺の後ろで、佐川さんが満足そうにお腹を摩る。
本当に良く食べたよ。注文を聞きに来たウェイトレスが何度も注文を確認してたし、周りの客まで驚いていたもんな。「男ってこんな食べるんだ…」って、何故か俺が食ったみたいになってたのは解せんけど。
「んで?今日はどうすんだ?まだ社長さんからGOサインは出てないんだろ?」
「はい。社長からの連絡はまだ」
昨日、区役所から追い出された後、鈴木さんは昨日で判明した事を社長に報告していた。その対策を話し合う為にも、川咲区長の力を借りたいと申し入れをしたのだった。
「昨日の今日だからな。今頃、川咲様に話している段階だろ。更に話し合いの場を設けるってなったら、もっと時間がかかると思うぞ」
「じゃあ、その間はどうすんだ?連絡来るまで…自由時間か?」
ニカッと笑みを見せる佐川さん。
う〜ん、その提案は魅力的だけどな。
「ダメですよ、カンナさん。みんなはお仕事しているんですから。私たちも何か…例えば、また工事現場に行くとか」
「でも、もう原因分かっただろ?」
佐川さんが突っ込むと、鈴木さんが「うっ」と詰まる。そして、こちらを見上げる。
「どうしましょう?黒川さん」
「うん、それなんだけどさ。一度、葛飾区に戻ってみたいんだ」
「えっ?現場ではなく、そっちにですか?」
「どうしてなんだ?黒川」
「うん。それはね…」
全く訳が分からないと訴える2人に、俺は理由を説明する。すると2人は「「確かに」」と大きく頷き、すぐに同意してくれた。
「それでは黒川さん。早速動き出しましょう」
「ああ、始めよう…って言っても、今日は2人に頼る形になる。済まない」
俺が謝ると、佐川さんが俺の背を叩く。
「何言ってんだよ。仲間だろ?」
「そうです。昨日は逆に、私達が何も出来なかったんですし、適材適所ですよ」
「あたしらに任せときな」
ああ、頼もしいよ。
「2人とも、宜しく頼む」
「おう」「はいっ」
そうして俺達は、今出来る事に全力を出すのだった。
〈◆〉
『それは確かなのね?進藤社長』
「はい。弊社の黒川と鈴木に調べさせた事ですので」
私がはっきり言い切ると、川咲区長は『そう』と小さく呟き、また折り返すと言って電話を切られた。
全く、大変な事になった。今回は比較的クリーンな発電事業の案件で、しかも水力発電だから、それ程大事にならないだろうと踏んでいた。
鈴木さんからの報告でも、早々に水車のブレードが摩耗していたのが原因だと判明したし、それを交換してしまえば終わりだと思っていた。
でも、黒川はそこで止めなかった。原因の原因まで調べ始め、とうとうそれを突き止めてしまった。
でもそれが、まさか大規模工事中の足立区が原因だったなんて。元々大規模は過酷な現場で、色々と問題が起きるものと言われるけれど、誰も指摘して来なかった。それをしないと、特区が成り立たないからだ。
だから誰もメスを入れられなかったのに…黒川は踏み入れた。彼は、特区の住人ではないから。特区の人間ではないのに、必死になって直そうとしている。
特区と言う、歪な世界を。
区を跨いだ話し合いがどうなるのか気になったが、一旦保留する。私には他に、やらなければならない仕事が山積みだから。
特区は本当に歪。女性は希少だからと言って、彼女達を甘やかし、仕事をしているフリをさせる。秩序と精神を保つ為かもしれないけれど、正直殆ど使えない人ばかりだ。お陰で、私のような人間にしわ寄せが来ている。
少しで良いから、男を入れて欲しいわ。黒川みたいのが数人いるだけで、会社の雰囲気も変わる筈。もっと頑張ろうって、鈴木さんみたいな社員が増えるでしょうに。
…止めましょう。夢を見るのは。
そうして現実逃避をしていると、現実に引き戻す音が響く。
秘書からの電話だ。
「何かしら?」
『しゃちょー。川咲区長から電話ですぅ〜』
えっ?もう答えが出たの?
私は姿勢を正し、声を調整する。
そして、
「お電話代わりました。社長の進藤です」
『進藤さん。すぐに黒川達を向かわせてちょうだい。足立区区長と話を付けたわ』
なっ。もう話し合いの場を設けてくれたの?
それだけ彼女も本気と言う事ね。江戸川区を味方に付ける為に、ここが正念場だってご理解されているんだわ。
「承知致しました。すぐに向かうように手配いたします」
『宜しく頼むわ』
電話が切られると、私はすぐに鈴木さんへ連絡を入れた。彼女達も何かしているみたいで、随分と周りが騒がしかったけど…まさか、遊んでいたりしないわよね?
心配になったけど、彼女は「すぐに向かいます!」といつも通りだった。
だけど…やっぱり心配ね。今までとは相手する人間のランクが跳ね上がる。区長を相手に、しかも難しい交渉をしなければならない状況に、果たして鈴木さん達だけで足りるのかしら?
黒川だって万能じゃない。技術屋だから現場は強くとも、これは交渉の場。しかも相手は異性。
「行くべきね。私も」
そう決断すると同時、私はコートを掴み取る。秘書に指示を出し、社長専用車に乗り込む。
「荒川区の区役所までお願い」
「はぁ〜い」
…本当に大丈夫かしら?
気の抜けた運転手の返事に不安になるも、気持ちを立て直す。到着までの僅かな時間を、会議のシミュレーションに充てる。
そうして準備を整えている内に、車は到着した。
「お疲れ様です。社長」
降車すると同時に、鈴木さんが駆け寄ってくる。彼女達だけでなく、今回の重要人物が勢揃いしていた。鈴木さん、黒川、その監視人。発電所の所長。それに、江戸川区の担当者だ。
これだけの人をこの短時間で集める。流石は川咲様。
「先方は既にお待ちの様です。行きましょう」
「ええ。そうね」
鈴木さんに連れられ、私達は区役所の中に入る。随分と不機嫌そうな受付が案内役で出てきて、私達を最上階の会議室まで連れていく。
そして、その中に入ると…。
「……」
「……」
これまた不機嫌そうな顔が、向こう側に並んでいた。その長机の上には、それぞれの役職プレートが並べられている。
左から、〈環境課〉〈住民課〉〈区長〉〈道路管理課〉〈都市計画課〉と勢揃い。
その誰もが腕組をしたまま、部屋の向こう側で私達を睨み上げていた。誰1人、名刺交換に動こうとする者は居なかった。
余程、腹に据えかねているわね。
一触即発なこの状況に、部屋に入った面々は出鼻を挫かれる。入った瞬間に体をビクリッと震わせ、棒立ちになる。
黒川を除いて。
「初めまして。JIESの黒川です。本日は貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございます」
…慣れているわね、貴方。技術屋じゃないの?もしかして、客先対応もやった事があるのかしら?
私は少し、心が軽くなる。
でも、相手はやはり一筋では行かない。
「挨拶は良いから、早く始めてちょうだい」
「そいつが今言った様に、私達は暇じゃないのよ」
「男が来るなんて、気持ち悪い」
早く座れと、入口側の席を顎で示す区役所幹部達。ワザと下座に座らせて、立場を明確にさせようって魂胆ね。それで、主導権を握るつもりかしら?
そうは行かないわよ。
私は座ると同時に口を開く。今回のあらましを、簡単に説明する。
「では早速始めさせて頂きます。私はJIE取締役社長の進藤です。今回我々は、こちらの葛西水力発電所の浦田所長から依頼を受け、調査を進めて参りました」
鈴木さんから話は聞いていたから、それを時系列に纏めて暗記しておいた。そのお陰で、私はこれまでの出来事をスムーズに伝える事ができ、相手も「うっ」と顔を顰める場面が幾度もあった。
効果ありね。ならばそろそろ、決めに行くべき。
「以上のことから、開発事業の見直しをご検討願いたく思います。もし宜しければ、弊社から幾つか案を提案させて頂き…」
「その必要は無いわ」
私の声に被せて来たのは、足立区の区長。
長谷川区長だ。
私は笑顔を貼り付ける。
「提案は必要ございませんか?」
「提案じゃなくて、私達が貴女達の言うことを聞く必要が無いって言っているのよ。だってそれ、ただの言いがかりなんですもの」
「いっ」
言いがかり?
「長谷川様。これは事実を元にお話させて頂いている事でございます。こうして、川の汚濁も起きておりますので」
私はそう言って、カバンから数枚のプリント用紙を机の上に広げる。そこには、黒川達が昨日集めた写真の数々が写っていた。
彼らが機転を効かせて、証拠写真を録り溜めてくれたのだ。それを事前に、私がプリントアウトして持参してきた。
工事現場から汚濁が広がっているのは明確だし、これで言い逃れは出来ない。
そう思って顔を上げるも、区長は変わらず余裕そうな笑みを浮かべる。
「確かに汚れているわね。でもそれ、タンクから溢れた水でしょ?しかも、直接は流入していない。ならそれ、何の違反もしていないわ」
「うっ」
確かに、法律上はセーフだ。汚水を直接川に流していないから、事業排水って事にならない。
けれど、
「実際、被害が出ています。水力発電の発電効率が…」
「だからね?それがうちと何の関係があるの?」
「ですから、砂がブレードに…」
「その根拠は何処にあるの?」
根拠?
私が黙ると、区長は笑みを深くする。
「聞くところによると、江戸川区まで下ったら荒川は汚れていないそうじゃない。確かに葛飾区の中頃までは泥水が混じっているらしいけど、発電所までは汚濁が確認されていない。そうでしょ?」
「それは、細かい砂は水面では目視出来ないからで。ですが、堆砂した砂の量は増えています」
「だから、その砂が足立区のものと言う根拠を示しなさいよ。もしかしたら、江戸川区の砂かもしれないでしょ?」
そんな、無茶な。砂の動きを把握するなんて、どれくらい時間と費用が掛かるか分からない。
そんなお金、何処の組織が出せると言うの?
私が本格的に押し黙ると、区長の嘲笑が消える。私達から視線を切り、入口に立っていた受付に目配せする。
私達を追い出すつもり?それは癪だけど…でも仕方がない。もう戦える手札がないもの。
ここは一旦下がって、作戦を練り直すしか…。
私が諦めかけた、その時、
「私からも宜しいでしょうか?」
会議室に、声が響いた。
鈴木さんだ。
「皆様に、ご覧頂きたい物がございます」
堂々と言い放つ彼女。
一体、何をするつもりなの?
何をするつもりなんです?
「早く続きを書くのだ」
済みません。




