64話~…いや、待てよ~
作業が早すぎて、汚水処理装置が間に合っていない。
そう誇らしげに言い放つ作業員の上出さんに、俺は大きく首を振る。
「間に合ってないって、それは違法だって言っていたじゃないですか。汚水を川に流すのは捕まると…」
「流してねぇよ。よく見てみろ」
えっ?
俺は振り返り、装置から溢れる泥水の行方を目で追った。すると、タンクの周りに広いお堀が作られており、そこで泥水が堰き止められていた。
「俺達だってバカじゃねぇ。オーバーフローした泥が川に戻らないよう、こうして堰を作って留めているんだ。しっかりと重機で踏み固めた堰だからな。そうそう簡単に崩れたりもしねぇよ」
ああ、だからここら一体は、資材も何も置かれていないのか。
納得するも、何故か安心できない。広く構えた防波堤に、ドロドロと流れ込む泥を見ていると、不安までもが押し寄せて来る気がした。
本当にこれで良いのだろうか?少なくとも、オーバーフローは非常事態に変わりないだろうし。
「あの、上出さん。処理能力が追い付かないなら、少し工程を遅らせたらいかがでしょう?短時間でも休憩を入れたら、皆さんの息抜きにもなると思うのですが…」
「ああ、無理無理。あいつらが許さねぇよ」
あいつらと言って、上出さんが指さすのは施工管理技士の青年だ。人一倍忙しそうに走り回っている彼は、職人さん達にペコペコ頭を下げながら、工期を遅らせないようにと必死になっていた。
何故、そんなにも急ぐのだろうか?
疑問に思い、彼に突撃した。
「済みません!少しお話を聞かせて下さい!」
俺は通行書と許可書を提示しながら、道を塞ぐように青年の前に飛び出した。
それに、少し迷惑そうな顔をしながらも、川咲区長の印鑑を見た彼は小さく頷いた。
「なんですか?」
「何故こんなにも、作業を急がせているんですか?オーバーフローも起きてますし、少し工程を見直されては如何かと…」
俺が提案すると、青年は泣きそうな顔を向けて来る。
「無理ですよ。区役所から言われているんです。一日でも早く、私達の街を修繕するようにって」
なっ…そんなことを言われているのか?
驚いたが、思い返せば他の方も言われていたのを思い出した。松本君と練馬区の大規模工事を見に行った時、川咲区長も『一刻も早くインフラを直しなさい』と言われていた。
そうか。彼女と同じことを、足立区からも言われているのか。それで時間に追われ、みんなゾンビみたいに働いていると。
「納得してもらえました?では、僕は失礼します」
立ち尽くす俺の横をすり抜けて、青年は走り去る。1秒でも早く工期を縮めるためにと、現場を奔走する。汚水が溢れているのに、まだ早めようとしている。
俺はただ、この危うい工事現場を見守るしか出来なかった。
そうして暫く現場を見守っていると、重機が川から上がり始める。走り回っていた人達もトラックに次々と荷物を乗せて、撤収の動きを見せ始めた。
おや?これで終わりなのか?
「済みません!上出さん。今日はお仕事終わりですか?」
丁度トラックに乗ろうとしていた彼を見つけて、俺は駆け寄り聞いてみる。すると、彼は少しだけ振り返り「次の現場だ」と短く答えた。そしてそのまま、トラックに乗って行ってしまった。
他の工事車両も次々と走り去っていき、現場には俺と、頭を垂れた重機だけが取り残されていた。
…あっという間だったな。
俺が呆然と周囲を見渡すと、周囲は夕日で赤く染められていた。時刻はそろそろ16時になる。昨日川が汚れ始めたのも、これくらいの時間。
俺の目が、ポツンと佇む汚泥処理装置で止まる。気になったので、直ぐ近くまで近づいた。
さっきまで満杯だったけど、今は空まで処理されていた。漏れ出ていた泥も、既に乾いて地面と一体化している。こいつが汚濁の原因かと思ったけど、一滴も川へは流入しなかった。
結局、俺の取り越し苦労だったのか?川も綺麗なままだし。
ここに残ったのは、失敗だったかもしれないな。鈴木さん達と別れて正解だったかも。
俺はそう思い、彼女達が帰ってくるのを待つ。最後にもう一度、川の様子を見に行く。
でも、そこには、
「ああ…」
クリーム色に染まりつつある川が横たわっていた。その様相は、昨日よりも酷い。
やはり、この時間から始まるんだな。
何が原因なのだろうと、俺は染まりつつある下流を見る。そして、上流を見ると。
「えっ!?」
そこには、綺麗なままの荒川の姿があった。全く白濁していない、通常の姿の荒川。
つまり…。
「この場所が発生原因?」
振り返るも、現場に変わった様子は無い。泥はしっかりと堰の中に納まっており、漏れ出た形跡は何処にもない。
「一体、何が起きているんだ?」
工事をしている時は何事も無かったのに、工事を終えてから汚濁が始まるなんて…。
普通、逆だよな?工事しているから汚れそうな物なのに。
もしかして…恥ずかしがりやなのか?人が居ると、汚濁君が恥ずかしがって出て来なかったり。
「いやいや。そんな事ある訳な…いや、待てよ」
俺は笑って捨てそうになった考えを拾い直し、もう一度川岸に立つ。俺の立っている場所から徐々に、濃い土色の水が広がりつつあった。
もしかして…これはっ。
俺があることに気が付くと、軽いクラクションの音が聞こえる。
プップー!
鈴木さん達の軽自動車だ。
「戻って来たか。おーい!」
俺は両手を振って彼女達を出迎える。車は俺のすぐ近くで停まり、間もなく血相を変えた2人が降りて来た。
えっ?降りないって約束じゃ…?
「何しているんですか!?黒川さん!」
「川に入るのかと思ったぞ」
えっ?
あっ、もしかして。川辺に立っていたから、入水自殺でもすると勘違いさせてしまったか?
「済まん、済まん。そんなことしないから安心してくれ。ただ、汚染の原因が分かりそうだったから確認していたんだ」
「おっ?分かったのか。あたしらの方は完全に空振りだったぜ」
「この先の地点ではもう、工事が終わっていたんです」
ああ、そう言う事か。上出さん達は、上流から徐々に工事をしているんだな。
「それで?何が原因だったんだよ」
「ああ、それは…いや、先ずは足立区を出よう。車の中で説明するよ」
俺は2人を車に乗せて、俺も乗り込む。目の前に広がる現場を指さして、俺の推理を披露する。
「汚染の原因は、橋脚工事で出た泥水。それがオーバーフローして、地下に浸透したことで出て来る浸透水だ」
オーバーフローした汚泥は全て、堰の中に留める事には成功していた。それでも、汚泥に含まれる水分までは留めることが出来なかった。地面に浸透し、元々地盤の緩い河原の土を溶け込ませて川に流入し、泥水として川を汚していた。
そう推測した俺に、鈴木さんが首を傾げる。
「確かにそれならって思いますけど…なんでこの時間なんでしょう?オーバーフローしてからかなり時間が経ってますよね?なんで、誰も居ない時間を狙ったみたいに…」
「それは…重機だ」
日中にけたたましい騒音を奏でていた重機だが、地面にも相応の振動を与えていた。その振動が、土の中に浸透した水を押し下げて、重機が動いている時間は何の変化も見せなかった。
だが、一旦振動が止んでしまえば、押し下げられていた水が上がって来る。そのまま、川へと流入する。
「なるほどなぁ。だから毎回、工事が終わる夕方に川が汚くなるのか」
「そう言う事」
それが1番、この問題を見え難くしていた原因でもある。その場で川が汚れていれば、上出さん達も考えてくれただろうから。
…いや。違うな。きっと彼らは、それでも工事を止められない。上からの圧力に、彼らでは太刀打ち出来ないから。
ならば、
「交渉しに行こうか。区役所まで」
「よぉし。あのゾンビ男共にガツンと言って…って、区役所?」
ああ、そうか。2人はそこら辺の事を知らなかったな。
俺は車を走らせてもらいながら、その道中でどういうことか説明した。彼らはただ、区の言うままに動いているだけだという事を。
「なるほどな。男達が異常だったのは、やっぱり女が背中を押してたからと」
「そんなに焦らせて、足立区の人達は何がしたいんでしょう?」
分からないけど、早く家に戻りたいとか、そんな理由かもしれんよ?
俺は軽く考え、足立区の臨時区役所がある荒川区役所まで車を急がせる。何とか定時の17時前に滑り込むことが出来、迷惑そうにこちらを見て来る受付の前に立った。
でも、
「工事の事に関しては、ここで受け付けることは出来ません」
受付の女性は塩対応だった。鈴木さんがどれだけ大変な事になっているかを説明しても「区長命令ですので」の一点張り。
そして、その区長に申し入れさせてくれと言っても「忙しい方なので」と遠回しに受付拒否をされてしまう。
そこに、佐川さんがグッと前に出て来る。
「だからさぁ、伝言を伝えてくれるだけで良いって言ってんだよ。今のこのヤバい状況知ったら、きっと区長さんの考え方も変わると思うんだよね、あたし」
「はぁ…分かりましたよ。市民の苦情として、承ります」
「おう!頼んだぜ」
佐川さんは嬉しそうな顔で振り返り「じゃあ行こうか」と俺達を連れて区役所を出る。そのまま、車へと乗り込んだ。
「いやぁ。何とかなったな。なぁ?ミヤちゃん」
「…いえ。あれきっと、適当にあしらわれたんだと思いますよ?」
「なにぃ!そうなのか!?」
佐川さんは驚いているけれど、受付の態度はまさにそんな感じだった。時計をチラチラ見ていたし、定時が近いから適当な事を言って俺達を帰らせたかっただけだと思う。
あれでは、本当に記録として残してくれるかも怪しいところ。少なくとも、区長までは上げないだろう。
現場は、あれだけ苦しんでいると言うのに…。
「どうされます?黒川さん」
心配そうに聞いてくる鈴木さん。
それに、俺は心を静めて、肩を竦める。
「今朝と変わらないさ。上の人と話すには、こっちも上の人からアプローチして貰おう」
怒りに任せるな。理論で武装し、大勢で攻めろ。
それが俺達、社会人ってもんだ。
舞台は、現場から区役所に。
「そこが決戦場か」




