62話〜なんか聞こえるな〜
荒川を汚す原因が、大規模工事中の足立区にある。
それを掴んだ俺達は、翌日になってから荒川区の臨時足立区区役所へと足を運んでいた。禁止エリアへの入場許可を得るためだ。
でも…。
「集中工事エリアへの入区は出来ません」
受付に立った担当者は、にべもなくそう言い放ち、面倒くさそうに我々を見上げた。
ぞんざいな扱いではあったが、俺達は特に反論することなく、直ぐに引きさがった。
分かっていたからね。こうなることは。
「やはり無理だったか」
「はい。許可された業者と管理局員以外、入れないのが禁止エリアなので」
昨晩にも教えてくれたことを、鈴木さんは繰り返す。それを事前に聞いていたから、心構えは出来ていた。
でも、物は試しということで、一度アタックしてみたのだ。そして…結果は、取りつく島もなかった。
これは、かなり厳しい状況だ。交渉することすら出来ないのだから。
「それでは黒川さん。社長に相談してみますね?」
「ああ、宜しく頼むよ」
それでも、俺達は慌てない。昨日の内に、こうなった場合の対処方法を考えていた。窓口で跳ね返されてしまうのなら、もっと上の人達で交渉してもらう。その申し出を、社長にしてもらおうと計画していた。
…計画と言うよりも、半分泣きついている状態だけど。
「黒川さん。社長と連絡取れました。川咲区長に相談してくれるそうです」
「よし。ならそれまで、俺達は待ちだな」
「やった。じゃあメシ行こうぜ、メシ。あたし腹減ったよ」
朝一でここに飛び込んでしまったからな。朝飯前によく頑張ってくれたよ。
俺達は区役所近くのレストランに飛び込み、少し遅めの朝食を頂く。頂いている最中に、社長から電話がかかって来た。話は付いたので、もう一度区役所に行くようにとの事だった。
思っていたより、数段早い対応だ。余程、今回の案件を急いでいると見える。
朝食を終えた俺達は、すぐに役所の窓口に戻ってきた。そこで、不機嫌そうな担当者が俺達を待っていた。
彼女が1枚の用紙をカウンターに置く。
「鈴木さんですね?足立区へ入区されたいとのことでしたが、特別に許可が下りました。ですので、申請書を作成して下さい」
「えっと、書き方は…?」
不機嫌そうな受付は、ただ手を突き出して後ろの机を示す。
はいはい。デスクマットの下に見本が挟んであるんだろ?
不親切な見本を見比べながら、何とか書き終えて提出すると、今度は〈入場許可証〉と書かれたカードを入れたネックストラップを3つ渡された。
ええっと。これで何をしろと?
「それを見せたら入場出来ます。あとの質問は現地の係員にどうぞ」
彼女はそう言うとすぐ、スタスタと後ろのオフィスに戻ってしまった。
凄いサービスの質だ。涙が出そう。
「行きましょう、黒川さん」
「…ああ、そうだね」
無理やり頷き、俺達は車に乗り込む。そのままゲートまで走らせて、待機していた女性管理局員に許可証を見せた。
「あー、はいはい。通って良いよ」
チラリと見ただけで、局員は面倒くさそうに手を振って進むようにと促す。
良いのか?そんなあっさりと。
身構えていた分の肩透かしを食らった俺は、暫くサイドミラーに映るゲートを見ていた。
「随分とあっさり入れたな」
俺だけでなく、佐川さんも同じように思ったみたいだ。
それに、鈴木さんも頷く。
「工事現場に進入するなんて、今まで聞いたこともありませんでしたからね。もっと時間がかかるものかと思いましたが…」
「そんな難しい事じゃなかったのか」
佐川さんが「良かった、良かった」と安心している。
そこに、俺は釘を刺す。
「だが危険な事には変わりない。至る所で工事しているから、突然上からスパナや瓦礫が降ってくる恐れがある。足場が悪く、崩れるかも」
そして1番の懸念事項は、ここからは男性の世界と言うこと。
俺を助け出す為に、彼女達は1度区外に出てはいる。でもそこで対峙したのは、訓練された局員。今回彼女達が目にするのは、局員とは大きく異なる一般の男性達だ。
接触したら、何か大きな事故に繋がるかもしれない。
そう考えた俺は、彼女達に提案する。
「基本、聞き込みは俺が行うから、2人はなるべく車内で待機してくれ」
「でも、黒川さん…」
鈴木さんが目で訴えて来る。
それでも、俺は意見を曲げない。
「頼む。それが俺達3人にとっても安全なんだ」
本当なら、彼女達を置いて俺1人でここに入るべきだ。でもそうしなかったのは、彼女達を思ってのこと。ここで置いて行ってしまっては、彼女達の自尊心を傷付けると思ったからだ。
2人とも、嬉々として申請書にサインしていたからな。そのやる気を踏みにじりたくなかった。だから、これが最大限の譲歩なんだ。
「分かりました…」
渋々と鈴木さんが頷いてくれる。隣の佐川さんも、腕を組みながら「仕方ねぇな」とため息交じりで了承してくれた。
「でもよ、もしまたお前がピンチになったら、あたしは勝手に動くかんな?」
「あ、ああ…。分かった。その時はよろしく」
彼女なら、男が相手でも力で負けないだろう。寝ながら俺を投げ飛ばすくらいだし。
だから、そうならないように細心の注意を払わねば。
「黒川さん。私にも頼ってください。車内にいても、色々とお手伝い出来ますから」
佐川さんに触発されて、鈴木さんの鼻息が荒くなる。
「ああ、そうだね。頼りにしているよ、鈴木さん」
「お任せください」
鈴木さんが燃えている。燃えているけど、車は安全運転だ。
流石。
我々は足立区の大きな道路を突き進む。住人は誰も居ないけど、車通りはかなり多い。その殆どは工事車両だったり大型のバスだったりと、大型車両が殆どだ。
空気もかなり埃っぽい。ワイパーを動かすと薄っすらと埃が線になるほど積もっていて、絶対に窓を開けたりは出来ない。燃費の悪い車が多いだけでなく、至る所で工事が行われているから仕方ない。向こうの方なんて、ビル丸々1棟を解体している。
あんな所に近付いたら、ヘルメットを被っているくらいじゃ命も守れん。
「なんか聞こえるな」
不意に佐川さんがそんな事を言う。
俺も耳を澄ましてみるけれど…隣でダンプがエンジンを吹かすから、全然聞こえない。
「何処から聞こえる?」
「あっちだ。あっちの方。きっとあの商店街だな」
佐川さんが指さす方向には、確かにアーケード街が伸びていた。
何かあるかもと我々もそこの道へ入ってみるも、直ぐに〈大規模工事中〉の立て看板が立っていて進めなくなった。
ここも修繕工事が入っているのか。
では引き返すかと提案しようとした時、俺の耳にも声が聞こえた。
女性の声だ。
『がんばれ~、男ども~。私のケーキ屋は倍の大きさにするんだぞ?』
「「「おぉおお!」」」
商店街のスピーカーから流れて来た女性の声に、何処からともなく男性達の歓声が響く。そして、その声に背中を押されたように、至る所から工事の音が響き出す。
と、その時、花屋さんから何かが飛び出してきた。
「おっしゃぁ!まだまだ働けるぜ!」
男だ。土嚢袋を両肩に担いだ作業着姿の男が、物凄い速さで走り去っていった。彼の後ろを、同じような作業員が何人も続く。
「えっ…」
「おいおい…なんだよ、これは」
2人から声が漏れる。振り返ると、佐川さんまで顔を引きつらせて、男達が消えた方を呆然と見ていた。
うん。そうだよな。初めて見ると、やっぱり異常だよな。
「鈴木さん。ここから離れよう。川の汚れとは関係なさそうだ」
「は、はい…」
ショックを受けた様子の鈴木さん。それでも、運転はしっかりしたものだ。車のナビを見ながら、確実に荒川へと近付いている。
でも、川へと近付くにつれて、街の中の異様な光景に出くわした。
「お前らァ!まだまだ行けんだろ?!」
「「「うっす!」」」
「当たり前やないっすかぁ!」
「女性の為に、死ぬまで働きやす!」
あちらこちらに、死にもの狂いで働く男達の姿が見える。ある者は身体中を泥だらけにして、ある者は片足を引きずりながら、そしてある者は、バッキバキの目をかっぴらいて走り回っていた。
異常。
異様。
誰も止まろうとせず、誰も休もうとせず、ただただ汗水垂らして働いていた。誰もが口々に「女性の為に!」と呪いの言葉を叫び続ける。
それを横目に見る鈴木さん達の目には、いつの間にか憂いの色が浮かんでいた。
「黒川さん…これって…」
「まるでゾンビ映画を見てるみたいだぜ。ほら、あそこ。道路で倒れてた奴が、女の声を聞いたら飛び起きやがった」
佐川さんの言う通りだ。限界まで動いた人達が倒れ込んでいる頭上で、さっきと同じ放送が流される。すると彼らはビクンッ、ビクンッと脈動し、再び仕事の為にと立ち上がる。顔が青くとも、その目だけが異様に光っていた。
まさに、動く屍。
彼らはまさに、馬車馬なんだ。さながら女性の声は、彼らにとって喝を入れる鞭。
「確かに異質な世界だ。でも、俺もこの世界に片足を突っ込んでいた」
あの時の事を思い出していると、2人が心配そうな顔を向けてくる。
その優しい熱を向けられて、俺は嬉しかった。ああ、やっぱり。俺はおかしくなかった。おかしいのはこの世界なんだと、そう思えた。
いや、今はそんな事より。
「先ずは、川を汚染する原因を追究しよう。鈴木さん、あとどれくらいで着きそうかな?」
「もう、そこのバイパスを右に曲がれば、西新井緑地って所に着きます」
おお、いよいよか。
俺は前のめりになり、堤防の向こう側に意識を集中する。
すると、
「おい。また変な音が聞こえるぞ」
佐川さんだ。
でも、今回は俺もその音を捉えていた。しかも、昔聞いた事のある音だった。
ガコンッ!ガコンッ!ガコンッ!
この音は…。
「うぉお!なんだ、あのでっけえクレーンは!」
車が河川敷へと登った途端、そこから見えた重機に佐川さんが大きな声を上げる。
それに、俺は答える。
「あれはクレーンじゃない。ハンマーだ。しかも、ディーゼル式のハンマーだ!」
ハンマー。日本語に直すと、打撃装置。巨大な杭を打ち込む装置で、こいつで打ち込んだ杭は地中深くまで埋め込む事ができ、地盤を強固にすることが出来る。
つまり…。
「ここでは、何かの建物を建てる為に地盤改良をしているんだろう。河原は地盤が弱いから、こうして杭を何本も打って固めているんだ」
「黒川さん。もしかして、アレを掛けようとているんじゃないですか?」
「うん?どれ…」
鈴木さんが指さす方向を振り返ると、そこには大量の杭と、その後ろに巨大な鉄筋の塊が山のように積まれていた。
これは…。
「橋。そうか、これは、橋脚工事か」
川の中で作業する大量の重機に、俺は眉を顰めた。




