61話〜もう先が無いぞ〜
「どうだい?鈴木さん。気分の方は」
「はい。かなり回復して来ました」
助手席に座る鈴木さんが、トマトジュースを両手に持って小さく微笑む。その顔色は、朝よりは血色が戻ってきた様に見えた。
腹に何か入れたのが良かったのかもしれないな。
俺も赤信号の間に、コンビニ袋を漁る。運転しながら食べられる様にと、おにぎりなんかを買ったんだ。
だけど…なかなか手元に来ない。来るのは大量に入れられたお手拭きシートと割り箸ばかり。
なんでこんなに入れたんだよ、あの店員さん。俺が男だからって嫌がらせか?いやでも、これはどちらかと言えばサービスの部類か。
分からん。あの店員の様子も変だったし、後ろを付いてきた高校生達も異様だった。昨夜の高校生みたいに、また俺を見てスバル様なんて呟いていたし。
もしかして…このスーツ、スバル様も着てたりするのか?
「そんで、今日はどうするんだ?また聞き込みか?」
肉まんを頬張る佐川さんが聞いて来る。
それに、俺は頷く。
「それもしようと思うけど、主には川周辺の見回りかな。昨日の調査で、川の質が変わった可能性があると分かったから」
だから今日は、川を徐々に遡上してその原因を見つける。川質が変わるほどの変化だから、大規模な違いがある筈だ。例えば、大きな工場が建ったとか、下水処理の方法が変わったとか、嵐とかで地形が変わったなんてことがね。
「何が原因かは分からないから、佐川さんも何か気になることがあったらどんどん教えてくれ」
「よ~っし。またあたしが活躍してやるぜ」
やる気になった佐川さんが、目を真ん丸に見開いてペタリと窓に張り付く。
頼むよ。俺は運転で目が離せないからさ。
そうして、暫く川沿いの道を走る。怪しい工場があれば近寄り、そこからの排水で川に変化が無いかを確認する。河原で何かのイベントをやっていたら、突撃してヒアリングを行った。
そんな事を繰り返していると、いつの間にか江戸川区を超えて葛飾区へと入っていた。
それでも、なかなか有力な情報は得られない。川も変わった様子はなく、本当にこれで見つけられるのか不安になって来た。もしかしたら、見た目では分かりにくい変化なのかも。
いつの間にか元凶を見逃していて、無駄に時間を過ごしているのでは?という不安が胸の奥で燻ぶりだす。
「おっ。河原でガキンチョ達が遊んでるぞ?ちょっと話聞いてみようぜ」
俺が悶々と悩んでいると、佐川さんが明るい声を出す。
そうだ。2人が頑張ってくれているのに、俺が弱気になってどうする。見ようとしなければ、見つかる物も見つからないぞ。
俺は車を止め、河原に降り立つ。すると、真っ先に佐川さんが歩き出した。
「おーい!おまえらー!ちょっといいかぁ?」
率先して動き出した佐川さんが、大きく手を振りながら女児達に近付いて行く。
こういう所、本当に彼女は度胸がある。俺なら、なんて声を掛けたら怪しまれないかって考えてしまうのに。
「うわー!お姉ちゃん大きい!」
「巨人だぁ!」
小学校低学年くらいの女児達が、俺達を目掛けてわらわらと集まって来る。そして、佐川さんを見てキャッキャと興奮気味に笑った。
その目が、俺の方にも向く。
「こっちのお姉ちゃんも大きいね」
「なのにお胸がペッタンこ」
なぬ?俺が貧乳だと?
失敬な。俺の大胸筋はそれなりの大きさで、更にちょっとだけ動かせるんだぞ?
そう言いたい気持ちを抑えて、俺は笑顔で彼女達に説明する。
「こんにちは。オジサン達は今、この川を調べていてね。お嬢ちゃん達にもお話を聞きたいんだ」
俺が声を出した途端、女児達は目を真ん丸にする。1人が俺を指さした。
「男!あんた男だ!」
「男が特区入っちゃいけないんだよ!」
「ケーサツ呼ばなきゃ」
「おーい、お前ら。あたしがその警察だぞ~」
ワイワイ騒ぐ女児達に、佐川さんが警察手帳を見せつける。それで少しは落ち着く女児達だったが、こちらを見る目は厳しいままだ。
そこに、鈴木さんが進み出る。女児達に視線を合わせて、優しく諭す。
「そんなに睨まないで大丈夫よ?お兄さんは、特区のトラブルを直すヒーローなんだから」
「ヒーロー?」
「嘘だぁ。男はみんな家畜だって、先生言ってたもん」
「ブタさんみたいにブーブー鳴くしか出来ないんでしょ?ブーブー」
無邪気に無慈悲な暴言を吐く女児達。
だが、彼女達は悪くない。そう教育されているだけだし、測る物差しが余りに偏っているだけなんだ。だから、こんなに胸を張って、誇らしげに言い放っている。
本当に、どんな教育を受けているんだか。1度、教科書の中身を見せて貰いたい。
「そんな事無いわよ。みんなと一緒で、男の人もお話出来るの。このお兄ちゃんはね、みんなに教えて欲しい事があるのよ」
俺が肩を落としていると、鈴木さんがフォローを入れてくれる。振り返り、俺に「ですよね?」とパスしてくる。
助かりました。
俺も彼女に習い、屈んで視線を合わせる。
「教えてくれるかな?最近、ここの川でおかしな事が起こっていないかを。例えば、ゴミが流れてくる様になったとか」
「ゴミなんか無いよ。綺麗な川だし」
「そうそう。もうちょっとしたら、美味しそうなコーヒー牛乳になるんだよ」
なにっ?コーヒー牛乳?
それって…。
「それは、毎日起こる事なの?時間で言うと、何時くらいの話なのかな?」
「何時だっけ?」
「わかんなーい」
「夕方くらいだよね?」
夕方…か。あと1時間もしたら日が傾くな。
「ありがとう、みんな。君達のお陰で、トラブルが解決しそうだよ」
「ホント!?」
「私たち、ヒーロー?」
「ああ。君達は素敵なヒーローだ」
俺が大袈裟に褒めると、女児達は飛び跳ねて喜んだ。
「じゃあね!ブタさん!」
「ブタのヒーローさん、頑張ってね!」
女児達が笑いながら帰って行く。それに、鈴木さんは「もうっ」と眉を寄せる。
「あの子達ったら」
「良いさ。仕方ない」
あの頃の子供は、親や先生の言う事を信じやすいからね。
それに…ブタのヒーローと言われても、不思議と悪い気がしなかった。寧ろ、誇らしくすら思えてくる。
何故だろうか?
思い出そうと顎を摩っていると、佐川さんが腕を組む。
「それで?これからどうすんだ?」
「うん。あの子達が言っていた時間まで、ここで粘ろうと思うんだ」
もしかしたら、時間で変化があるのかもしれないし。
俺が提案すると、佐川さんが嬉しそうな顔をする。
どしたん?
「じゃあ、あたしは、それまで自由にさせて貰うぜ」
そう言って、車から釣竿を取ってくる彼女。
ああ、ちょうどいい暇つぶしだな。
佐川さんが釣竿を振るうのを横目に、俺達は夕方を待った。コンビニで買った残りを食べていると、川沿いだからか蚊が飛んできて、慌てて虫除けスプレーを振り撒いて迎撃する。
その間も、佐川さんのキャスティングは続く。自分で投げている訳じゃないのに、いつの間にか彼女の動きに魅入っていた。いつ魚が掛かるのかと、自分の事のようにドキドキしていた。
そして、
「おっ、何かかかったぞ」
「おお。来たか」
「えっ。凄い、凄い」
いよいよとなると、嬉しくなる。俺達は自然と、竿を引く彼女の周りに集まっていた。
「よし、よし、よぉ~し。今だっ!フィーッシュ…って、なんだよ小っちぇえな」
釣り針には、小さな魚がチビチビ跳ねていた。
オイカワかな?
「十分な当たりじゃないか」
「そうですよ、カンナさん。ちゃんと釣れるなんて凄い」
俺達が褒めると、佐川さんも「まぁな」と気分を直し、小魚を逃がした。そして再び竿をキャストしようと構える。
でも、そこで彼女は竿を戻した。
川を指さして、叫んだ。
「おいっ!見ろっ!川が濁り出したぞ!?」
「「えっ!?」」
見ると、あれだけ透明だった川がクリーム色になっていき、すぐに赤茶色が混じり始めた。
これは…。
「上流だ。上流で何か起きている。行くぞ!みんな」
俺が駆け出すと、すぐに鈴木さんが追従する。佐川さんも「おいっ、ちょっと待てよ」と慌てて竿を片付けて追ってくる。
「行くって、黒川。どこ行くんだよ?そろそろ日も落ちるし、早く今日の宿を探さないとだろ?」
「いや、先ずは原因を特定しないと。これは今しか起きない現象かもしれないんだ」
だから、今まで気付かれなかったのかも。限定的で、しかも夕方だから、光の関係で見え辛かったとかしていそうだ。
俺は車を飛ばし、河原で何か起きていないかと原因を探る。2人にはなるべく川の様子を監視し続ける様にお願いし、堤防沿いの道をひた走る。
そうしていると、川は徐々に濁りを増していく。
良いぞ。元凶に近付いている。このまま進めば、必ずぶち当たる筈だ。
「黒川さん!前、前!」
「うん?うぉっ!やべっ!」
突然、目の前に通行禁止の置き看板が現れた。
俺は車を急停車し、何とか衝突を回避する。
危ねぇ。ついつい川が気になって、よそ見しまっていた。
でもなんで、こんな何も無い場所に看板なんかが?
俺が看板を睨んでいると、後ろから佐川さんがフロントガラスを指さす。
「おい、黒川。もう先が無いぞ」
「うん?先が無い?」
俺は視線を上げる。
そこには…。
「ああ。だってこっから先は、特区の外だ」
特区と外の世界を隔てる、巨大な壁が聳え立っていた。
なっ…。
「どう言う事だ?こんなところに壁?だってここは、葛飾区の中だぞ?まだこの先には、足立区がある筈だ」
パラレルワールドでも、土地は元世界と同じはずだろ?
何が起きているか分からなかった俺の呟きに、鈴木さんが「いいえ」と強い言葉を返す。
「黒川さん。今の特区に、足立区はありませんよ。ここから先は、進入禁止エリアです」
「進入禁止?」
俺の疑問に、鈴木さんは大きく「はい」と頷く。
「ここから先は、男性達による大規模工事が行われている、集中工事エリアなんです」
「集中…大規模工事…」
ああ、そうか。足立区って、そのエリアだったか。
俺はフロントガラスから見える巨大な壁を、ただただ見上げていた。
その壁の向こうへと太陽が落ちると、辺りは急に暗くなっていく。その壁の向こうから吐き出される汚濁の流水が、漆黒に染め上げられていった。




