6話~はぁ…またですか…~
「先輩!先輩!」
社長と不思議な面談をした翌日。
ちょっと早めに出社してパソコンをカタカタ叩いていた俺に、後輩の松本君が嬉しそうに駆け寄って来た。俺は手を止めて「昨日の事だろ?」と問いかけると、彼は少し驚いた表情で見返してきた。
「良く分かりましたね」
「今朝からその話題で持ち切りだからな」
その話題とは、俺が社長と面談した話…ではなく、俺が辞退した昨日の慰問の事についてだ。
随分と楽しかったのか、朝のオフィスのあちこちで卑猥な笑いが巻き起こっていた。しかも最悪な事に、その話題を俺に向かって投げかけて来るのだ。
俺だけ会場に行かなかったからね。彼らからしたら、土産話を投げつける格好の標的に見えたみたいだ。お陰で、予定よりタスクが遅れてしまった。
今度みんなが休む時は、俺も有給取って家でゆっくりしてよう…。そう思えるくらい。
「それで?まっちゃんは何を興奮していたんだ?」
「そうでした。ちょっと聞いてくださいよ。実は僕、昨日の慰問会で質問が出来たんです」
「おおっ。凄いじゃないか」
オトハ様の時は、足をプルプルさせて耐えるので精一杯だったのに。
「僕も成長したんです」
「そうかぁ、成長か。それで?どんな質問をしたんだ?」
「先輩を見習って、慰問会を開いていただいたお礼を述べました」
「おおっ、良いね。さぞかし相手の女性は、君に好印象だったんじゃないか?」
奇声を発するか、単調な質問をする人ばかりだったからね。この人は気遣いが出来る人だって、感心されたことだろう。
そう期待して聞いてみたが、松本君は静かに首を振る。
えっ?
「分かりません。お礼を言ってる途中で、気を失ったんで」
「失ったんかい!」
ついツッコんでしまったが、それでも十分な成長だ。次は、最後まで質問できると良いね。
「おーい。黒川」
そうして松本君と雑談していると、支社長に呼ばれた。手招きする彼の元に急ぐと、そのまま支社長室へと招かれてしまった。
「昨日の面談の件だがな、社長から連絡があったぞ。お前のことを、大層お褒め下さっているよ」
パソコン画面を見ながら、嬉しそうに俺を見上げる支社長。
彼が喜んでくれるのは、俺も嬉しいのだが…昨日の面談に、褒める要素があっただろうか?どちらかと言うと、睨まれたり不満を抱かせてしまった気がする。オトハ様の慰問会に行きたい!なんて、子供じみた要望を言っちゃったし…。
何かの間違いじゃないですか?と支社長に視線を落としていると、彼の顔が再びこちらを向く。その瞳が、キラリと光った。
「それでな、黒川。お前に任せたい案件があるんだ」
「えっ?案件、ですか?」
なんだ?話の流れからして、あの面談を受けたから発生したタスクって事だよな?余計に意味が分からんぞ?
だって、仕事の話なんて殆どしていないし、そもそも社長から直で仕事を振られるなんて今までにない事だ。
「一体、どんな内容です?」
「なに、そんな身構えなくても良い。何時もお前がしていることだからな」
「俺がしていること?」
「ああ、そうだ。お前が何時もしていること。つまり…質問対応だ」
社長から振られた仕事と言うのは、お得意様からのカスタマーサポートとの事。うちの卸した製品について、幾つか知りたいことがあるらしい。
確かに俺の業務の中には、そう言った機器の説明だとか、トラブルに対する相談なども含まれている。ただそれは、見知った相手が殆どだ。今回みたいに、相手の顔も現場の状況も知らないパターンは初めての事。
なので、どんな状況でもアドバイスが出来るようにと、過去資料のファイルを手元に置いて準備はした。けれど…。
初めての相手。しかもそれは、あの社長と関りがある人間。
さて、どう転ぶか。
そうして、相手方が来社されるのを待っていると、俺の社用スマホに着信が入る。表示されている名前は〈支社長〉の3文字。
「はい。黒川です」
『く、黒川。つ…繋ぐ、ぞ?』
「えっ?どうしたんです?支社長」
繋ぐという言葉よりも、俺は苦しそうな支社長の声が気になってしまった。
いつも毅然としている彼に、何があったんだ?
だが、支社長は俺の問いには答えず、乱暴に受話器を置いてしまう。そして、再び電話口に耳を付けると、向こうから誰かの息遣いが聞こえた。
これは…転送されたんだ。俺は今、支社長が繋いだ相手と対峙している。その相手とは、きっと社長の顧客だろう。
なんだ、直接来社するのかと思ったら、電話での対応だったのか。そう言えば、支社長もカスタマーサポートと言っていたし、最初からその予定だったのかも。
そう思う事で平静を取り戻し、俺はいつも通りお客様に声を掛ける。
「お待たせしました。JIES、製品管理部の黒川です」
『はぁ…またですか…』
うん?この声色は…女性か。
ああ、なるほど。社長の顧客と言うのは、特区の人間なのか。もしかして、俺がオトハ様と会話したと聞いて、それなら女性客も行けるんじゃないか?と思われたのかも。
そう言う事なら、社長との面談でこの仕事を任された意味も少しは分かる…のだが、いきなり溜息を吐かれるなんて思わなかった。
これは、かなり厄介な客かもなと、俺は背筋を伸ばす。
「どうぞ、ご用件をお伺いいたします」
『えっ?』
さて、どんな罵詈雑言が飛び出してくるかと身構えていると、次に届いたのは戸惑いの声。
そして、相手の女性はしどろもどろながらに名乗る。
『あ、あの…私、JIEの鈴木美夜子と申しますけど…』
うん?JIE?
なんだ、うちの親会社じゃないか。もしかして、うちとも交流の深い人なのかな?だから、彼女の名前を知らない俺に戸惑っているのかも。
済まないが俺、入社してまだ8年目なんだ。許してくれ。
「失礼しました、鈴木様。何分若輩者で。私でお手伝い出来る事でしたら、何なりと仰ってください」
『あぁ…はい。あの、そちらから頂いた製品で、エラー表示が出ていてですね。それで…』
「それは、ご不便をおかけして申し訳ございません。失礼ですが、その製品名を教えて頂けますか?可能でしたら、製品番号も頂けると助かります」
『はい。ええっと…製品名は、FUD-2000Xという機械でして。番号は…何処にあるのかしら?』
電話の向こう側で、ガサゴソと探している音がする。その音を聞きながら、俺も手元の製品リストのファイルをパラパラと捲っていく。
ちょっと待てよ。FUD…FUD…あった。こいつか。
「鈴木様。そのシリーズでしたら、機器の取っ手部分にシルバーのシールが貼られていると思います。そこに書かれていませんか?」
『シール…あっ、ありましたっ。ええっと、番号は…96E77の…』
たどたどしくも、何とか番号を見つけてくれた鈴木さん。
そこまで来たらこっちの物だ。顧客リストにその番号をぶち込んで、顧客情報を引き出して対応する。
顧客の情報と言っても、彼女の個人情報ではない。この製品が何処で使われているのか、概要を知れるだけだ。
それでも、十分に役に立つ。機器がどのような使われ方をして、どんな不具合を起こしているのかも何となく分かるし。
ただ、今回はそこまでの情報は必要なかった。彼女が悩んでいた問題は、ただ機器の設定を間違えていただけだったから。
だから、正しい設定方法を教えるだけで、問題はすぐに解決してしまった。
『あっ、エラーが直りました!』
それでも、電話の向こう側ではとても嬉しそうな声が上がった。それだけで、不思議とこちらも達成感を感じてしまう。
「解決したようで良かったです。他に何か、ご不明な点はありませんか?」
『えっ?まだ良いのですか?』
そりゃな。その問題が解決したから「はい、さよなら」なんてしたら、後でクレームが来るもの。
当たり前の事だと思いながらも、俺は平静を装って大きく頷く。
「はい。もし私でお力に成れるのでしたら、仰ってください」
『では是非!ずっと謎だったこの、同期収集機能について教えて欲しいんですけど…』
そこから20分くらいかけて、俺は製品の操作説明をする。
今日初めて使う製品なのか、彼女は説明書を読めば分かる事ばかり聞いて来る。なので、資料を手元で構えていた俺は肩透かしだ。この為に集めたファイルも、最初に製品を探すだけで放置され、俺の頭の中の知識だけで対応できてしまった。
拍子抜け。
でも、その方が良い。最初にため息を吐かれた時はヤバい客と思ったが、こうして会話してみると、とても素直で良い子だった。よくよく思えば、この世界に来て初めて、女性と楽しくおしゃべりした気がする。社長の時は、色々と緊張していたし。
おっと、イカン。彼女はお客様。しかも、社長のお得意様だ。気を引き締めろ。
そう思って、丸まり始めた背筋を正したのだが、
『ありがとうございます!凄く助かりました!』
「いえいえ。また何かあれば、お声掛けください」
鈴木さんの可愛らしい反応に、ついデレデレしてしまう。
イカンな。完全にエロ親父になってる。こりゃ、他の男らの事を言えんぞ?
『しっ、失礼いたしますっ!』
慌てて電話を切る鈴木さん。
流石にデレデレし過ぎたか?でも、何とか社長から言い渡された案件は終了した。
あの社長直々だったから、どんなヤバい仕事かと身構えてしまったが、蓋を開ければ良客で、そしてなんと楽な内容だろうか。
これはもしかして、社長案件はボーナスゲームだったりするのか?特区の案件なら、きっと相手は女性ばかりだろうし。
おっと、イカン。また腑抜けてしまった。
今回の鈴木様は、機器を触り始めたばかりの人だったから楽だったんだ。もっと使いこなしている人達だったら、難解なトラブルや無理難題を言いつけて来るだろう。それに対応する為にも、もっと精進せねば。
「って、俺。また社長から案件を頂ける気でいたな」
特区の人と関わるなんて、早々ない事だ。だからみんな、慰問会なんて魔境に通っている訳だし。
今日みたいな幸運は、もう起きないだろう。一時の夢を見せてもらったんだ。
「さっ、気持ちを切り替えていこうか」
俺は自分の業務に取り掛かるのだった。
イノセスメモ:
・鈴木美夜子…JIE(黒川の親会社)社員。溜め息スタートであったが、話してみると素直?乙葉よりは、接しやすい女性…なのか?
次は裏側。




