56話~えっ、江戸川、だと?~
「おまたせ~」
ゲートの外で待っていた2人に声を掛けると、2人とも心配した面持ちで駆け寄って来た。
「大丈夫なんですか?黒川さん。もうお仕事をされるなんて」
「もっとゆっくりしてて良かったんだぞ?」
「大丈夫だよ。管理局で風呂も貸してもらったし、髭も剃った。これなら何処に行っても恥ずかしくないだろ?」
とは言え、俺は特区の中ではネズミ扱いだ。どれ程着飾っても邪険にされるのなら、いっそのこと不潔なままで繰り出してやった方が良かったのでは?
いや、それだと余計に嫌がられるし、何より鈴木さん達に迷惑が掛かる。やっぱり、風呂を貸してもらって良かった。
俺がドヤ顔で顎を摩っていると、鈴木さんがブンブンと首を振る。
「そうではなくて、黒川さんの体調を心配しているんです!5日間も狭い檻の中に居たんですから、何処か悪くされているんじゃないですか?風邪とか」
「本当に大丈夫だよ。体調は万全さ」
拘留場の飯は不味く少なかったけど、事前に松本君から差し入れがあったからね。飢えることなく過ごすことが出来た。寧ろ、ケチって食べていたから、かなり余ってしまった。その余りは今、俺が背負っているリュックの中だ。
長官のお誘いを聞いて、精神的にも余裕が出来たし、なかなか悪くない囚人生活だったと思う。
とはいえ、
「でも、もしもあのまま囚われていたら、何時かは衰弱していたよ。だから、助けに来てくれて嬉しかったよ」
「そんなっ。当然の事をしたまでです」
鈴木さんが慌てて両手を振る。
彼女の後ろに立つ佐川さんも、腕を組んで得意げに笑みを浮かべている。
「あたしらに掛かれば、このくらい余裕だぜ。また捕まっても助け出してやるよ」
「その意気込みは嬉しいんだけどね、こんな窮地は二度とごめんだ」
捕まった当初は、本当に生きた心地がしなかったからな。独房も寒かったし。
「本当に、よくぞ助け出してくれたよ。管理局相手だから、かなり手強かっただろ?」
「私達は何も。全部、蘇芳さんが頑張ってくれて」
「総理からの手紙とか言って、それでみんなを屈服させてたんだよ」
「総理の、手紙?」
そのパワーワードに、俺は眉を顰める。すると、鈴木さんが手短に教えてくれた。
なるほど。蘇芳家に総理から手紙が送られ、それに俺を釈放するようにと書かれていたと。
政府とも繋がりがあるなんて、蘇芳家って凄い家なんだな。それに、蘇芳さんも相当頑張ってくれたんだろう。俺を助ける為に、まさか国のトップにまで話を通してくれるなんて。
次に会ったら、しっかりとお礼を言わないと。帰り際に怒っていたのも、きっと苦労に見合っていないお礼の仕方だったからだ。
そりゃ、総理まで動かしてくれたのだから、口だけのお礼なんて失礼過ぎる。何かをプレゼントする…のは、禁止されているんだったか?なら飯でも誘うかな?
ああ、そうだ。松本君にもお礼をしないと。オトハ様が動いてくれたのは、きっと彼が何かしてくれたからだ。
彼には何が良いだろうか?美味い飯?高価な贈り物?
いや。それよりも先ず、俺が釈放されたことを伝えないと。きっと他の人も心配しているだろうし。
「おーい。行くぞ、黒川」
佐川さんが手を振って俺を呼んでいる。鈴木さんは既に、運転席に収まっていた。
おっと、しまった。
「済まん。ちょっと考え事をしていた」
「なんだよ?心配事か?」
「何を悩まれていたんですか?」
ちょっとの事でも、2人がいつも以上に心配してくれる。捕まっていたから、気を遣ってくれているんだろう。
これ以上心配させたら申し訳ないと、俺は適当に誤魔化す。
「いや、随分と時間を空けてしまったからね。貰っていた案件が悪化していないか心配で」
「ああ、そうでした。その案件について、ちゃんとお伝えしていませんでしたね」
あの時は、区長から急かされていたからね。仕方ないよ。
その区長の機嫌も悪化していないか、不安ではあるんだけど…。
「今回、川咲区長から頂いたのは、水力発電所の案件なんです」
「むっ、水力発電か」
俺が唸ると、佐川さんが後部座席から顔をグイッと出してきて「なんだよ?」って問い掛けてくる。
「良い案件じゃねえか。少なくとも、下水とかゴミ処理とかよりも、よっぽど綺麗なイメージがあるぞ?」
「綺麗だけどね、佐川さん。発電事業はややこしい事が多い。こと水力となると、人間関係がね」
「人間?人間が自転車漕いで、電気作ってる訳じゃねえんだろ?」
訳が分からないと首を傾げる佐川さんだけど…こればかりは見てもらった方が手っ取り早い。
なので、俺は鈴木さんに話を進めて貰った。
「えっと、今回お話があったのは、江戸川区の水力発電所で…」
「えっ、江戸川、だと?」
おっと、済まん。前の世界では聞くはずもない単語の組み合わせに、ついつい口を挟んでしまった。
先をどうぞ。
「はい。江戸川の水力発電所で、発電効率が著しく落ちているそうなんです。なので、その理由を大至急調べる様にと、川咲区長からお話を頂いたそうで…」
「江戸川区か。なんでまた、千代田区の区長である川咲様が、他区の事で焦っているんだ?彼女が江戸川区も兼任しているとか?」
「社長が言うには、川咲区長はこの件を機に、江戸川区の区長さんと仲を深めたいらしそうです。港区の区長さんとは仲が悪いので、なるべく周辺に仲間を作りたいのではと言われていました」
ああ、そういう政治的な駆け引きがあるから、慌てていたって事か。早くしないと、その港区に良い所を取られちゃうとでも思ったのかも。
「それで、その案件はまだ生きているのかな?」
「はい。色々と調査は入ったそうなんですけど、設備は何処も壊れていないので時期的なものだろうって話で終わってしまったとの事でした」
まぁ、自然が相手だからそう言う事もある。そればかりは調べないと分からない。
「なら早速、その発電所に向かおうか」
「ちょい待ち。その前に…着替えさせてくれ」
おっと、そうだった。佐川さんはフル装備だったな。
という事で、我々は一度警察署に寄って、佐川さんの着替えを待った。その間に鈴木さんのスマホを借りて、会社への電話もさせてもらえたので、結果的に寄り道して良かった。
松本君達も凄く安心してくれたからね。岩本係長達が「土産話、楽しみに待っているぞ?」と言っていたのは、ちょっと不穏だったけど。
「おいっす~。待たせたな」
そうして電話を終えて車で待っていると、佐川さんが小走りで戻って来た。
その姿を見て、俺は一瞬言葉を忘れてしまった。
「うん?なんだよ、黒川」
「いや、いつも制服か特攻隊員の装備姿しか見た事なかったから、普段着は新鮮で」
正直に言うと、とても女性らしくて驚いた。ジーパンに長袖Tシャツとカジュアルな格好だけど、体のラインが顕わになって、より女性という事が強調されていた。
俺が呆けていると、佐川さんがニヤリと笑う。
「おっ。あたしの魅力に気付いちゃったか?ふっふ~ん。どうだよ?このワガママボディ」
いや、あまりそこを強調しないでくれ!目のやり場に困る…。
そんな風に遊んでいたからか、車に乗り込んでから暫く、鈴木さんが無言だった。
何だろう?時間を掛け過ぎたから、焦っているのかも。さっきから前しか見ていないし。
…運転手としては、これが正しいんだけどさ。
「着きましたよ。ここが、江戸川区の葛西水力発電所です」
でも、無事に到着する頃には、何時もの鈴木さんになっていた。
いつも通り、手で行く先を示す。
「お、おお…」
俺はそれを見て、再び言葉を失う。
発電所…は、思っていたよりも少し大きい程度だったので、そこまでの感銘は受けなかった。それよりも、向こう側に聳え立つ大きな水門に目が行っていた。
荒川の河口付近。その全てを堰き止める大きさの門が設置されていて、その門の一部から川の水が放流されている。その姿が、俺の知っている荒川とは大きく異なっており、ついついそちらに注目してしまった。
ああ、なるほど。荒川は潮流があるから水力発電には向かないと思っていたけど、こうして水門を設置しているからそれもクリアしているんだ。水量はかなりある川だから、高低差さえ作り出せればかなりの発電量を稼げるだろうからな。
いやぁ、それにしても。
「どうかされました?黒川さん」
首を傾げて門を見ていると、鈴木さんが聞いてくる。
なので、俺は質問をぶつける。
「いやね。発電の為に水門を設置するなんて、特区はそんなに発電に困っているのかと思ってね」
「発電のため?」
今度は鈴木さんの頭の上に〈?〉が出てしまったので、俺は説明する。
荒川は高低差のない川である為、中流域まで海の満ち引きに影響を受けてしまう。流れが一定でない川での発電は、水の勢いでタービンを回す水力発電には不向き。だから水門を設置して流れを一定にしている…のかと俺は思った。
その説明で、鈴木さんは「ああ、そういうことですね」と納得してくれた。
「そう言う意味では、この水門は発電のためではなく、物流の為に設置されたんです」
「物流…ああ、そうか」
特区は大量の物資を区外から仕入れている。トラックなどの陸輸送は勿論の事、海や川からの海路も必要となって来る。重い物は、そっちの方が効率が良いからね。
その際に、潮流の影響が大きい荒川は、船にとっても最悪な道となってしまう。舵が利かなくなって、岸壁に座礁してしまうかもしれないからね。また水門を設置して水深をコントロール出来れば、大型船も川を越えられる。
「なるほどなぁ。それで、荒川で発電か」
よく見れば、元世界の荒川よりもかなり水質が良いのが見て取れる。ゴミも殆ど流れてこないし、あの独特のヘドロ臭がしない。まるで北海道の大河の様だ。
「さっ、行きましょう。黒川さん」
「ああ、そうだな」
こんな綺麗な川の発電所で、一体何が起こっているのか。
俺は少し緊張を覚えながらも、発電所へと足を踏み入れる。




