55話~まだよ~
※他者視点です。
私が総理の印鑑が押された手紙を見せると、局員達は腑抜けていた態度を改める。手紙を読んだ管理監は、信じられないと首を振り、印鑑を穴が開くほど見詰めていた。
でも、それが間違いなく神宮寺総理の物だと分かると、肩を落として携帯電話を取り出した。
「もぉ~…最悪なんだけど。男に電話しなくちゃだし、手続き面倒なのにぃ~」
なるほどね。彼女達が退区を阻止しようとしていたのは、自分達の仕事を増やしたくなかったからと。
でも、普段から電話の取次ぎくらいしかしていないのだから、今回くらいちゃんと働きなさいな。
「あの、蘇枋さん?」
局員達の右往左往している姿を見ていると、後ろから遠慮がちな声がした。
振り返ると、スーツ姿の小柄な女性が私を見上げていた。
この声は…。
「何かしら?鈴木さん」
「あっ、初めまして。鈴木美夜子です」
どうやら、合っていたらしい。
軽くお辞儀をした彼女は、私の手元に視線を落とす。
「先程、それが総理からのお手紙と仰っていましたけど、本物なのでしょうか?」
「ええ。本物よ。彼女から今朝、私宛に届いたの」
私が手紙の刻印を見せると、鈴木は大きな目を更に見開いて驚く。
そうよね。私だって驚いたわ。まさか日本のトップが、黒川の為に態々動いたんだから。しかも、私が何かアクションを起こす前に。だから余計に驚いてしまったわ。
政府も黒川に注目しているってこと?あいつが仕事で成功しているから?それとも、私を成功に導いたから?
「おっ、開いたみたいだぞ」
扉の方からカチャリと音が鳴ると、フルフェイスの警官がそう言って扉に近付き、1人で開けてしまった。
…凄い力ね。3人で開くか心配していたのに。
そうしてちょっと引いている間に、2人が扉を潜る。
躊躇が無いわね。ここから先は男の世界よ?
呆れるも、私もすぐに2人を追いかける。するとすぐに、男の局員達の情けない姿が見えた。
「ぐっ」「あっ…」
全員、床に這いつくばって短く唸っていた。私達を見て顔を赤くし、荒い息に血走った目をこちらに向けて来る。
なんとも哀れな姿だわ。これで選ばれたエリートだって言うんだから、笑ってしまう。
ちゃんと訓練していないんじゃないの?ただ威張り散らしているだけだから、こんな体たらくなのよ。
「あっ、あの。大丈夫ですか?」
哀れな男達に、鈴木は話しかける。
でも男達は短い断末魔を最後に、意識を飛ばした。
なるほど。
「やるわね、鈴木さん」
一瞬で黙らせる、とても良い対処方だわ。
「わっ、私は、そんなつもりは…」
「謙遜する事はないわ。その調子でよろしくね?」
私は2人を連れて通路を進む。
途中で局員が出てきて私達の道を阻もうとするけれど、近付くだけで崩れ落ち、笑顔でも向けると気絶していた。
ちょろいわね、本当に。これなら、男を怖がる必要なんて無かったんじゃない?
…いえ。床に転がっている奴らの中には、何かおかしな事をしている奴もいるわね。こっちを見る目も怪しいし、やっぱり普通の男は危険ね。
そうして無双を続けていると、前から男の集団が近付いてくる。その先頭の男が大きく手を開いた。
「皆様、ようこそ特区の外側へ。私は、ここの最高責任者の鞍瀬と申します」
「私は蘇枋家三女の乙葉よ」
「存じております」
そう言って、彼は開いていた手を胸に置き、優雅に一礼して見せた。
流石は管理局のトップ。私の声を聞いても、動じた様子は全くない。それどころか、余裕そうに微笑んでいる。彼の後ろに連なる男達も、言葉を発せずに耐えている。顔は赤らめているけれど、今までの局員の様な失態は犯さない。
エリート集団ってことかしら。
あら?
「お前、もしかして鷲塚かしら?」
何処か見覚えのある顔を見つけて問いかけると、その男は1歩前に出て「はっ!」と敬礼する。
「お初にお目にかかります、蘇芳乙葉様。自分が、貴女の側近である鷲塚です。お会いできる日を、長く、長く切望いたしておりました!」
ハキハキと喋るその様子は、エリート集団の中でも頭一つ飛びぬけている印象を受ける。画面越しでもそれなりに耐えられる男だとは思っていたけれど、画面から出てもそれは変わらず。
ただ、
「そう。ならばもっと近くで見ることを許可します」
私がもう一歩近付くだけで、顔が赤くなっていく。まだ数歩の距離があるというのに、鼻を明かして歯を食いしばる。
やはり、違うわね。頬を撫でても僅かな緊張しかしないあいつと比べたら、雲泥の差だわ。
私は黒川とエリート局員の差を目の当たりにして、自然と笑いが込み上げてくる。そうして口元を緩めると、余計に有象無象共が興奮する。
所詮は男。弱い男。
「お待ち下さい、蘇芳様」
そこに、影が差す。
局員達へと進む道に、鞍瀬が割って入る。
「局員と言えど男。愚かな男に近付かれては、貴女様の品位が汚れてしまいます」
長官、鞍瀬。
彼だけは揺るがない。私との距離があと1歩まで迫るここでも、余裕の笑みで私に接する。その笑顔の中に、探る様な鋭い目を携えて。
「どうか御戯れはそこまでにしていただき、お早く特区へとお戻りください。鈴木様と佐川様も、どうかご自愛くださいませ」
「ええ。こんな所、直ぐにも帰ります。でも…」
私は手紙を翳す。
「その前に、黒川を釈放しなさい。これはその為の、神宮寺総理からの恩赦状よ」
「「えっ?」」「なっ!?」
周囲は一斉に驚きで満ちる。局員達は勿論、後ろの鈴木達も声を漏らしていた。
そして…鷲塚は過剰に反応しているわね。赤かった顔が、徐々に青くなってきているわ。
分かりやすい男ね。ふふっ。
「拝見いたします」
「ええ」
長官だけは、殆どアクションを取らずに手紙を改めようとする。でも、私がワザと彼の手に触れながら手紙を渡すと、その手は少しだけ震えたように感じた。
ああ、やっぱりこの人でもこうなるのね。そう考えると…黒川は別格だってことね。
「ふむ…確かに、恩赦の旨が書かれています」
長官は小さく息を吐き出すと、再びこちらを見る。
一瞬、目が鋭く光ったように感じたが、直ぐに柔和な笑みを浮かべる。
「承知いたしました。黒川氏の釈放手続きを進めてまいります」
「やりましたね!蘇芳さん」
袖が引かれて、嬉しそうな顔の鈴木が目に入る。後ろの佐川もシールドを掲げて喜びを表している。
それに、私は小さく笑う。
「まだよ」
「えっ?」
説明して欲しそうな鈴木の視線を切り、再び長官に向き直る。
「今すぐ解放しなさい。どうせ、手続きだ何だと言って、長引かせるつもりなんでしょ?」
「とんでもない。これは必要な手順でございます」
そう言う長官だけど、彼の笑顔は引きつっており、明らかに感情を抑えているのが分かる。
私が更に切り込もうとすると、別の方向から声が上がる。
鷲塚だ。
「ダメです!そんな事をしては!奴は、女性を傷つけようとした犯罪者なんですよ!」
「黙れ、鷲塚」
長官の制止を、しかし、鷲塚は早口で乗り上げる。
「長官もお考え直し下さい!あの男は危険です!普段から女性に敬意を払わず、尊大な態度で接している。あれはきっと、反女性主義の一員で…」
「黒川さんは、そんな人ではありません!」
鈴木の一言で、鷲塚は黙る。別の意味で顔を赤くし、口を開けたり閉じたりしていた。
そこに、私も続く。
「それに、黒川が持っていたという針は、私が頼んだ物よ。厚地でも縫えるミシン針が欠けてしまったから、持ってくるように頼ん…」
「嘘です!そんなっ!」
唾を飛ばしながら叫ぶ鷲塚。
叫んでから、慌てて口を閉じた。
ふふっ。
「どうして嘘だと言えるの?傍付きとは言え、私の事を全て知っている訳ではないわよね?」
「そっ、それは…」
「ああ、それとも。貴方が仕組んだ事だから分かるのかしら?」
鷲塚が再び黙る。視線を彷徨わせ、唇の震えが止まらない。
それに、私は後ろを振り返って佐川を見る。
「佐川さん。その針に付いた指紋、貴女の方で調べてもらえる?」
「ああ、良いぞ」
「まっ、待ってください!」
鷲塚が必死の形相で近付いてくる。あと一歩のところまで迫って来たけど、私がジッと見詰めるだけで、そこで止まった。心臓を抑えて、ただただ荒い呼吸を繰り返す。
私を目の前にした興奮?それとも、真相が暴かれることへの恐怖?
まぁ、どちらにしても。
「言ったわよね?鷲塚。私の邪魔をするなら、そんな奴は要らないって」
「はぁ、はぁ、はぁ」
汗だくの顔で、私を見上げる鷲塚。
そいつに、私は宣言する。
「お前を解雇する。もうお前は、”ただの”局員よ」
「そっ、んなぁ…」
崩れ落ちる鷲塚。蹲り、ただただ地面を這いつくばる。彼が笑い飛ばしていた弱者男性達と、全く同じ格好。
滑稽ね。
興味も失せた私は、それを無視して長官に視線を戻す。
「これで、恩赦の手続きも要らないわね?そちらの誤認逮捕なんですもの」
「…承知いたしました」
長官は表情を隠すように、深々とお辞儀した。
「ここには他の囚人達も収監されています。くれぐれも檻へ近付かないように」
長官に連れられてやってきた拘留所は、酷い匂いがした。檻の中の人間も、殆どがベッドに包まって死人のように動かない。
こんな所、1時間も居たらおかしくなりそう。
そんな中、私達が目当ての檻まで到着する。でもその檻のベッドは空っぽだった。
黒川は…何処?
「くっ、黒川さん!?」
鈴木の悲鳴。
彼女の視線を追って上を見ると、黒川が天井に吊るされていた。
えっ!?
「くろ…」
まさか、そんな。
私は心臓を握りつぶされたような感覚に陥り、足が震えた。
間に合わなかった…。
そう、絶望に膝が崩れそうになった。
でもよく見ると、黒川の体は上下に揺れていた。しかも…何故か上半身が裸だった。
はだか!?
「うぉっ!何で皆さん、お揃いなんですか!?」
黒川も驚いて、地上に降りてきた。慌ててジャージを羽織って、こちらを見回している。
長官がため息を吐く。
「何をしている?黒川」
「いや、ちょっと筋トレを…」
きん、とれ…。
「しっしっし。相変わらずだな、お前はよ」
「佐川さん、なのか?なんて恰好をしているんだ。というか皆さん、どうしたんだ?ここって、特区の中…じゃないよな?」
呆然とする黒川。
その問いには答えず、長官が檻を開錠し、扉を開ける。
「出るが良い、黒川。釈放だ」
「しゃく、ほう?」
「そうだ。皆様に感謝するんだな」
相変わらずアホ面を晒す黒川に、長官はそう言い残して去って行く。
その背中は、何故だか楽し気に揺れていた。
「黒川さん!」
「鈴木さん!」
声で振り返ると、黒川と鈴木が手を取り合って喜び合っていた。そこに佐川も加わって、3人が仲良さそうに笑い合う。
それを見て、私の心が冷たくなる。胸に穴が開いたように感じて、いたたまれなくなった。
何なの?この感覚は。
「オトハ様!」
自分自身に戸惑っていると、黒川が駆け寄ってくる。
「ありがとうございます!助けに来て頂いたと聞いて」
ニコニコと笑顔を振りまく黒川。それを見ていると、安堵よりも苛立ちが勝る。人の気も知らないでと、つい彼の脛を蹴っていた。
「いてっ!」
「ふんっ」
痛がる彼を置いて、私は檻から出る。もう役目は終えたんだから、ここに居る理由は無いわ。
そう。私のような者が、こんな所に居るべきところじゃない。だから私は、ここを早く出たいと思っているのよ。
「鈍いな。あ奴も、乙葉嬢も」
仕方ありませんよ。ここは、女性が希少な世界なのですから。




