4話~本当に、素晴らしい才能だ~
「昨日はありがとうございました、先輩」
翌日の朝。松本君が態々、俺のデスクまで駆け寄って頭を下げてきた。
いやいや。
「良いって、まっちゃん。そこまでしなくて。俺こそ、車使わせて貰っちゃって悪かったね」
あの日、俺は松本君に肩を貸して帰宅した。車まで運べば何とかなるかと思ったのだが、興奮冷めやらぬ彼はとても運転できる状態じゃなかった。その為、緊急事態という事で俺が運転して彼を家まで連れ帰ったのだ。
事故らなかったからいいけれど、保険適用外の俺が運転するなんて危険極まりない。俺も車を買わねば。
「とんでもない。先輩のお陰で、最高の思い出が出来ました。オトハ様のお声を、あんなに聞けたんですから。本当に、夢みたいです」
松本君はそう言うと、顔を赤らめてため息を吐く。
ああ、本当に夢みたいだ。ただし、俺の場合は悪夢だがな。
俺も小さく息を吐く。昨日の晩から、マトモに寝れなかったからだ。
それもその筈。あんなに人がバタバタ倒れて、警官の偉い人まで倒れてしまった惨状をみたら、怖くて寝られなくなっていた。
一体、あのオトハという女性は、どれ程強力な異能力を持っているのだろうか。継続型か、はたまた条件発動型か分からないが、何かしらの呪いのような物を扱えるのかも。
そんな中二的な考えに陥ってしまう程、俺は昨晩の出来事が怖かった。
花粉症と同じかも。何らかの成分が蓄積すると、俺もみんなと同じになってしまうのでは?
そんな風に思っていたが、なかなかXデイは訪れない。
他の社員達は社長のしわがれボイスだけで大興奮だが、俺は一向に食指が動かない。彼女に名前を呼ばれたいとも思わないし、トイレの行列に並ぶ気はサラサラない。
松本君はオトハ様の声を思い出すだけで十分と言うが、俺はあまり思い出したくない。今思えば、随分と横柄な態度を取られたし、美人でも怖い人はNGだ。
なんか、婚活の時に会った高飛車女を思い出して、当時のイライラを思い出してしまうのだ。
とは言え、松本君達の気持ちも分からなくはない。この世界、そっち系の娯楽が余りにも乏しいからだ。
元の世界では当然のように存在したアダルトな品も、この世界では殆ど見かけない。女性が写っている写真すら、1枚も見かけないのだ。
そりゃそうか。女性が希少なこの世界で、そんな仕事をしている人は居る筈ない。体を売る必要がないからだ。そんな事をしなくても、彼女らは特区とやらで暮らしていける。生きているだけで有難がられる存在なのだ。
…だから余計に分からない。何故オトハ様は、あんなにおキレイだったのだろう?怠惰で良いなら、もっと豚さんになると思うんだけど…?
まぁ、兎に角だ。欲情のはけ口があまりに少ない。女性を模した絵とかは売られているんだが、俺からしたらあまりにチープ。春画(江戸時代のそう言う絵)の方がまだ精巧なレベル。
俺はまだ、元世界の記憶があるからいいけれど、松本君達この世界の男は大変だ。だから、女性の声だけで満足なのかもしれない。
インターネットにも、そう言う系のデータは全く出回っていなかったからね。この世界、女性に対するガードが高すぎる。
そんな、ちょっとした恐怖と不満はあるものの、俺は比較的この世界を満喫していた。
最初は「どうすりゃ戻れるんだ?」と、神様に祈ったり、天使の拙い絵を枕の下に敷いたり、「俺は異世界人だぁ!」と叫んだりしてみたけれど、全く効果が無かった。
でも、今はそれもしなくなった。この世界も悪くないと思い始めていた。
多分、婚活から解放された事が一番の要因だろう。もうスマホと睨めっこして、新しい出会いの為に頭と金を割かなくて良くなったのは嬉しい事だった。
彼女持ちが1人も居ないからね。もう「結婚適齢期がぁ」とか「友達は二子目がぁ」だとか聞かなくて済む。劣等感さん、さようなら!だ。
そんな解放感を感じていた、ある日。
「おはようござ…って、誰も居ないんだけど?」
ちょっと遅めに出社したのに、オフィスに誰も居なかった。今日は休日だったか?と思ったけれど、電気は付いているし、カレンダーはガッツリ平日だと主張していた。
創立記念日でもないし…何があったんだ?
そうは思うも、俺にはやることがある。昨日残していたタスクを、今日の内に片付けねば。
そうして独り、パソコンに向き合ってカタカタしていると、足音が聞こえた。振り返ると、背筋を伸ばした初老の男性が。
「杉森社長!」
元の世界でも変わらない、鬼の社長がそこに立っていた。
入社初日から厳しい訓示でたしなめられ、2年目では怒鳴られた経験のある俺は、つい直立不動で立ち上がっていた。でも、当の本人はとても柔和な笑顔を浮かべていた。俺の肩を、パンパンと優しく叩いてくれた。
「そんな緊張するな、黒川。お前はもう、中堅なんだからな?あと、私は支社長だからな。社長は特区の中だけど、滅多な事を言うんじゃないぞ?」
「済みません!」
そうか。こっちの世界では支社長なのか。でも、社長が遠方なら、やっぱり貴方がここのトップじゃあないか。
俺は安心した。訳の分からん世界でも、この人の下なら間違いないと思えたから。
「ところでお前は、どうして出社しているんだ?他の奴らみたいに、有休を取って慰問会に行かなかったのはどうしてなんだ?」
「えっ、慰問…?」
言われて、思い出した。先週松本君が「先輩も行きましょうよ」と誘ってきたことを。
俺はオトハ様で懲りたので、「君だけ行って来ると良い」と言ったのだが…まさか、会社の全員が有給を使って行ったってこと?
俺が呆然としていると、杉森社長は優しく微笑む。
「なんだ、知らんかったのか。なら、今から行っても良いぞ?タクシーを使えば間に合うだろ。会社には私が残るから、若いおまえ達は行ける時に行っておけ」
「いえ、結構です」
俺はつい、拒否してしまった。もうあの異常な空間に行きたくなかったから。
オトハ様とは約束してしまったので、何時かは行かないといけないんだけど…今日は別の人の慰問会らしいから、お金を貰ったとしても行きたくない。
そう、心に強く思っていると、支社長は目を見開いた。
「うん?行きたくないか。珍しいな、お前みたいな若造が」
「済みません」
「別に、謝ることじゃない。それは一種の才能だ」
才能。そう言われると、ちょっとこそばゆい。ただ元世界の経験があるだけだから、そんな大したものじゃないのに。
それでも、支社長は嬉しそうだ。また俺の肩を叩いて、戻っていく。
「本当に、素晴らしい才能だ」
そんな、意味深な言葉を残して。
なんだろうな?愛社精神を感じて、普段以上に褒められたのかな?
そんな風に思っていた俺だったが、そんな生易しい物じゃなかったと後々知ることになった。
それは、昼休みの事。
「黒川。ちょっといいか?」
「ふぁひっ?」
丁度プロテインバーに齧りついていた俺は、支社長の問いかけに情けない声で返してしまった。
それでも、彼は笑みを絶やさない。俺に「こっちおいで」と無言の圧力で手招きする。
何だろうな?俺、何かやらかしたか?タクシーチケットは無駄に使っていませんからね?
「お前の事を社長に報告したんだけどな、是非とも一度、面談したいって言われているんだ」
「社長って、あの方ですよね?」
特区の中に居るって言う、しわがれボイスのおばあちゃん?
俺が歩きながら問い掛けると、支社長は大きく頷く。
「ああ、そうだ。社長は我が社だけでなく、グループ会社全てを取り仕切っているCEO。特区の中から出られないが、我が社の事情もよくご存じな方だよ」
「そんな方が、平社員の俺に何のようなんでしょう?」
「確かじゃないが、お前の才能に興味をお持ちみたいだ」
才能って、慰問会に行かない事がですか?もしかして、体のいい穴埋め要員だと思われていません?正月にシフト入ってくれるアルバイトみたいな感じで。
少し不安だったが、俺は支社長を信じて彼の後ろに付いて行く。すると、応接室へと通された。
そこでは既に、会議の準備が整っていて、社長とのWEB会議が繋がっている状態だった。
とは言え、向こうはカメラオフ状態で、我々の姿が映っているだけなのだが。
「緊張せずに話してみろ。もしも気持ちを押さえられ無くなったら、大きな声で"失礼します"と言いなさい」
そう言い残して、支社長は応接室を出てしまった。
残された俺は、ノートパソコンの前座る。途端に、マイクからしわがれボイスが響いた。
『こんにちは、黒川さん。社長の進藤です』
今日はここまで。
「ここで切るのか?社長との面談は?」
それは、また明日。
明日の18時に、皆様お会いしましょう。




