2話~おっ!そうだよな?~
女性が居ないとか、特区だとか、オッサン版の阿部さんは訳の分からないことばかり口にした。
何処か狂っている。
正直、俺はそう思ってしまった。
でも、それが違うのだと、直ぐに分からされてしまうのだった。
「先輩。どうでした?」
デスクに戻ると、松本君が話しかけてきた。
俺は動揺を隠し、気軽に答えようとした。
でも、彼の姿を見て、動揺が更に酷くなってしまう。
「ちょっ、おまっ!どうしたんだ?その体」
「えっ?なんか変ですか?」
変ですかって、お前…めちゃくちゃ太ってるじゃねぇか!
そう叫びたかったが、堪える。彼が平然としているから。
いやでも、たった1日で凄い変わり様だ。ちょっと可愛い感じのイケメン君だった彼は、今やワイシャツのボタンが悲鳴を上げるパツパツボディになっていた。
…ついでに、ちょっと匂うな。いつも付けていた香水の匂いじゃない。
「まっちゃん。最後に風呂入ったのは何時だ?」
「風呂…ですか?ええっと、3日前ですね。その日はちょっと気合入れて、ボディーソープ使っちゃいました」
ふぁっ!?3日!?
あのお洒落な君が、3日も風呂キャン?しかも、ボディーソープを使うのすら誇らしげに報告しているし…。
「お前、それ、彼女さん大丈夫なのか?流石に引くだろ?」
幾らイケメンでも、そりゃ不味いだろ。
あっ、いや、元イケメンか。
「カノジョサン?って、どう言う意味ですか?」
しかし、彼は斜め上の返答を寄越して来た。
えっ?
「どう言うって…ユアちゃんだっけか?君の彼女。ほら、君が大学生の頃から親しくしているって言う、女の子の事だよ」
忘れたのか?と俺が分かりやすく説明すると、松本君は「いやいや」と半笑いで首を振る。
「親しいも何も、僕は女の子と喋った事すらないですよ。慰問の時はいつも、質問する前に力尽きちゃいますから」
「喋った…ない?慰問?」
彼が何を言っているのか、俺は理解できなかった。
そうして固まっていると、館内放送が入る。もう昼休みかと思ったが、時刻はまだ10時にもなっていない。
なんだ?と首を傾げると、松本君が勢い良く立ち上がった。彼だけではなく、オフィスのみんなが直立で立ち上がり、スピーカーに向けて正対する。
なに?なんなの?一体、何が始まるんです?
『え~。ごほんっ。皆さん、業務お疲れ様です』
そこから聞こえてきたのは、男性の声。
これは…社長の声だ。ああ、社内訓示でもするのか。年始だけのイベントだと思ってたけど、何かあったのかもな。
『それでは、朝礼を始めたいと思います。先ずは昨日の業績トップを、社長の進藤知代子様よりご高評頂きます。それでは社長、回線を繋がせて頂きます』
うん?社長の進藤?誰だその人は?今の声は、杉森社長の物じゃなかったのか?
疑問だらけの俺に、しわがれた女性の声が降って来る。
『昨日の業績トップは、営業部の岩本一郎です。頑張りましたね。皆も励むように』
随分と素っ気ない「頑張りました」だなぁと、俺は岩本係長を不憫に思った。
のだが、
「うぉおおおお!やったぁああ!社長に褒められたぞおおお!!!」
本人は大歓喜だった。営業部で、彼の胴上げまで始まっている。
それを見て、他の部署も「明日こそは俺が…」と目を血走らせていた。
なっ、なんなんだ?これは?
「なぁ、おい。まっちゃん」
「どうしたんですか?先輩。僕も名前呼ばれたいんで、仕事に集中したいんですけど」
き、君も、おかしくなってる…。
「済まんな、まっちゃん。ちょっとだけ聞かせてくれ。社長に表彰されると、ボーナスでも出るのか?」
何時の間にそんな制度になったか分からんが、それしか無いと思って聞いてみる。
しかし、彼からは予想外の答えが飛び出した。
「何言ってるんですか?先輩。女性に名前を呼んでもらえる。こんなうれしい事、他にありませんよ」
…ああ、そうか。漸く理解したよ。俺はまだ、夢を見ているんだな。
そう思って叩いた頬は、めちゃくちゃ痛かった。
頬の痛みを感じながら、俺は本日の業務に邁進する。幸い、昨日頑張ったタスクはそのまま残っており、俺の努力までおかしなことにはなっていなかった。
いや、違うな。仕事がしっかり終わっているということは、現状が昨日からの延長線上という事だ。つまり、今目の前で起きている事が現実で、現実自体が狂っちまったって事じゃないのか?
分からんが…何かヤバい事が起きているのは確かだ。
取り敢えず、昼休みになったら調べようと結論付けて、俺はトイレへと向かう。だが、そこには長蛇の列が。
うん?ここが混んでるなんて珍しいな。あっ、個室が埋まっているだけか。小便器は空いてると。
俺は列の間を潜り抜けて、用を足す。そうして手を洗っていると、個室から男性社員達の奇妙な声が聞こえてきた。
詳しくは言いたくないが…やたらと社長の名前を連呼して、その後に短く唸っている。
うわっ…。
「ふぅ。スッキリしたぜ」
そして、個室の1つが開くと、そこから出てきたのは岩本係長。手を洗う彼を見ていると、彼もこちらを見返してきた。そして、指を3本立ててニヤケる。
「3回だぜ、3回。いやぁ、社長の声に褒められるなんて、堪んねぇな」
その発言の方が、溜まったもんじゃない。
俺は何も返すことが出来ず、トイレから逃げる様に飛び出す。そして、後輩に泣きついた。
「まっちゃん、まっちゃん!トイレで岩本係長が…」
「ああ、○○ってました?」
いや、その通りなんだけど。そんな卑猥な言葉をオフィスで吐かないでくれ!
「一体、どうしたんだ?みんな。何で会社で、あんな事を平然と…」
「社長の声を聴いた後ですからね。声を忘れないうちにシテいるんでしょう」
ああ、そういうこと?だから会社でやってるの?
自衛隊の夜中みたいな事情になってるのか、会社のトイレが。
俺が呆れていると、目の前の後輩も呆れた声を漏らす。
「全く、困った人達ですよね」
「おっ!そうだよな?」
やっと常識的な意見を聞けて、俺はテンションが上がった。
それに、松本君は力強く頷く。
「分かりますよ、先輩。こんな所で果てたら、夕方が勿体ないですものね」
「ゆ、夕方?」
なんか、俺が思っていた方向と違うけれど…夕方に何があるの?
「またまたぁ、惚けちゃって。今日の夕方、すぐそこの公園で慰問会があるでしょ?今回の慰問も、蘇芳乙葉様がいらしてくれるみたいですよ。今からワクワクしちゃいますよね。僕はもう、1週間も溜めてますから」
お、おう。要らない情報まで、ありがとう。
まぁ、兎に角、今までの情報を整理すると…。
この世界は女性が特区って場所にしか住んでいなくて、なかなか会えないと。そして、今日はその慰問会ってので会えるから、松本君は社長のしわがれボイスで抜くのは勿体ないと言ってるみたいだ。
現状を纏めてみると…俺の見ている夢だと思いたいレベル。勿論、悪夢の方な。
でも、夢じゃないんだろ?余計に悪夢だぜ…。
理解した気になり、俺は肩を落とした。
でも、それだけでは足りなかった。この世界は、俺の予想以上のヤバさを孕んでいた。
「女性が、希少?」
昼休み。昼飯を食べながらスマホで情報収集していると、信じられない現実ばかりを突きつけられる。
男女比100:1。日本人口の約99%が男性であり、残り1%弱しか女性が存在しない。それは日本だけの話ではなく、世界のどの国でも同じような状況。
そして、女性達は特別管理区域。通称、特区で生活をしており、そこから出る事は殆どないらしい。
「男女比100:1。それでどうやって、国力を維持しているんだ?人工授精でもしているのか?」
いや、それでもおかしい。何処かの論文で、男性と女性が産まれる割合は殆ど1:1だと聞いた事がある。戦争などで男性の割合が減る事はあっても、女性が極端に減るなんて聞いた事がない。
何かのウイルスでも蔓延したのか?それで、女性達は特区から出られないとか?
まぁ、兎に角だ。ここは俺が元いた世界じゃない。異世界とか、パラレルワールドとか、そんな小説の中でしか見たことがない世界だ。
そして、
「父さん、母さん、ごめん。俺はどうも、約束を守れないみたいだ」
こんな世界じゃ、孫の顔見せるなんて出来ない。1年も婚活頑張ったけど、そもそも女性が居ないんじゃどうしようもないだろ。
…まぁ、その母さんも、この世界には居ない可能性が高いけど。
そんな感じで情報収集をしたら、余計に悶々としてしまった。その答えが何処にもなかったから、昼休みが終わった後も考え続けてしまって、今日は業務の効率がガクンと落ちてしまった。
定時の鐘が鳴っても、まだタスクが残った状態なんて久しぶりだ。
仕方ねぇ。残業するか。
「ほら、黒川先輩。行きますよ」
「済まん、まっちゃん。俺は残業が…」
「何を言ってんですか?慰問より大事な仕事なんて、この世界にありませんよ」
おっ、おお。随分な強気。
でも確かに、その慰問ってのが何なのかを知れば、この世界の事も分かるかも知れん。
考え直した俺は、大きくなった後輩の背を追った。
今回は、カギカッコの使い方について。
「」…通常の会話。
『』…マイクや電話など、肉声でない会話。
【】…日本語以外の言語の会話。
〈〉…表記された文字やマークなど。
〈◆〉…視点切り替え(話し手が黒川さんから別の人になります)




