第235話 嵐に備えて進む準備 夏 8歳
嵐の前の静けさ…とはならない。
朝から村は賑やかだ。
北方の夏は短い。そして暮らしのための仕事が山ほどある。
早朝から盾を叩いて見回りを行う子供たちの歌を聞いて起き出すと、柵に入れておいた家畜を放牧し、畑を見回って雑草を抜き、牧草を刈って積み上げる。
大人たちと同じくらい子どもにも仕事がある。川から水を汲み、家畜に水を飲ませ、ブラシをかける。家畜の抜け毛は船大工のところへ持っていけば良い小遣いになる。
陽が高くなる前に一通り家の仕事の手伝いを終わらせて大麦パンと冷燻鰊の食事をとったら、エリン姉に馬で長屋敷へ送ってもらう。
「おはようございます!」
「おはようございます」
シグリズ様の私室区画に通してもらうと、すでに2人のお嬢さんたちが机に向かって仕事を始めていた。
なにしろ、大クナトルレイク大会の決勝大会を控えての準備が大詰めに来ているということもあるし、そしてまた予選大会が大混乱している様子を聞いて計画の修正を迫られていることもあり、未来のブラック企業の如き激務を余儀なくされている。
明り取りのために開けてある板窓からは、ときおりワーッという歓声や、ガツンガツンと硬い木同士が打ち付けられる音が聞こえてくる。
「あの音は?試合の音に聞こえますが」
「そうですね。クナトルレイクの試合をしていました」
アルフヒルドさんの疑問に答える。
僕が競技場の横を通るとき、男達が二手に分かれてクナトルレイクの試合をしていたのは見えていたからね。
「まったく。男衆ときたら気楽なものね…」
アルフヒルドさんが少し呆れながら愚痴をこぼした。
確かに、自分たちがこんなにも一生懸命イベントを破綻させないよう計画を立て直しているというのに、ただ体を動かして勇ましさを競う男衆の単純さが羨ましく映ることもあるだろう。
「いや。それがクナトルレイクをしているのは、うちの村の人達じゃないんです」
「あら?それじゃあ誰がやっているの?他の村の人間に許可を出したのですか?」
僕も通りすがりに試合の様子を見て、ちょっと変だな?と感じたので近くまで寄って観戦している人たちに事情を聞いたんだ。
「それが、試合をしているのは特製大麦酒を仕入れに来た商人たちなんです。仕入れの順番を巡って決闘沙汰になりかけたので、父ちゃ…父がクナトルレイクの試合結果で決めるよう裁定したらしくて」
「ああ…あの厄介者たちですか。それで納得するなら、まあ仕方ありませんね」
予選大会の会場の村へ想定以上に観客たちが押し寄せたために、現地では甚大な大麦酒不足に陥っているらしい。中でも特製大麦酒は貴族階級の間で取り合いになっているとか。
そうした事情で僕の村へ仕入れに来た商人たちと来たら、もう殺気立ち方が凄くて、他の普通の取引に来ている商人たちからも何とかしてくれ、と苦情が上がっていたのだ。
「殺し合いになるよりは良いでしょう」
シグリズ様がまとめると、それきり関心をなくしたように女性たちは羊皮紙にペンを走らせる作業を再開した。
決勝大会の開催で想定される膨大な観光客たちをどのように捌くか。
それが今の課題である。
とにかく近隣の村々へ広く要請を出して、宿泊地を確保する必要があるのだ。
コピー機も印刷機もないので、全ての書類は手書きで複写しなければならない。
要請する内容は同じなので文面もほとんど同じ。
彼女たちは時おりため息を吐いたりしながらも、その手は正確にルーン文字の文章を紡ぎ続けている。
「…それにしてもクナトルレイクの大会というのは、こうまで大変な祭りになるのですね。北方の民の、特に男衆の競技への熱狂の度合いを少し甘く見ていました」
「まったくです」
シグリズ様の言葉に僕は大きく頷いたら、ジロリと周囲から睨まれた。
いやいや待って欲しい。僕だって、北方の男達が夏の仕事を放り出してまでクナトルレイクに熱狂するとは想像していなかったんだ。
だって夏だよ?家畜を放牧して畑の雑草取りして牧草を積み上げないと冬を越せないでしょ?まあ戦争とかやらかすよりはマシだけどさあ。
せいぜい有産階級の貴族階級と戦士達が集まるとか、あと地元住人が見に来る程度と見込んでいたんだけれども。
「船、でしょうね。どこの村も海に面した港を持っています。おそらくは目端のきく商人が金をとって船で村人を客として運んでいるのでしょう」
商魂が逞しすぎる。それって、つまりスポーツイベント観戦ツアーじゃないか?
船の輸送力は凄まじい。一般的な輸送船でも1日程度の船路で食料や武器などを余分に積まなければ50人程度は輸送できるだろう。客数がいれば十分に商売が成り立つ規模だ。
加えて北方では個人や村で船を所有している割合も多い。
港の混雑が大変なことになっていそう。
「開催地の村の規模が大きいですから、他の村へ噂が広まるのも早かったのかも知れません。周辺の村へ嫁ぐなどして親戚同士であることも多いでしょうし」
うちの村のような僻村と違って、大会予選を主催するような大きな村は、もともと他の小さな村との交流のハブとして機能していたので、その交流ネットワークを通じて予選試合の噂が広まり、観客を引き寄せたという構造もありそうだね。
「今からでも病気が広まらないよう、体と衣服を洗うこと、海岸へのトイレの設置を推奨しましょう」
「そうですね。遅くともやらないよりはマシでしょうから」
予選大会開催の渦中にあるシグヴァルド様は、今頃は運営としてきりきり舞いしているんだろうか?それとも、しれっと自分は関係ないという顔をして、得意の陰謀や策謀にいそしんでいるのだろうか。
「クナトルレイクの小民会を拡大すべきかなあ」
けっこうな準備をしていても、これなのだ。
来年以降も大会を開くなら、より人数を増やして準備に臨む必要があるかもしれない。
「それとも大会準備の一部を、域内交易の小民会に移管するとか」
域内交易の小民会はまだ立ち上がっていないけれど、クナトルレイク大会の予選で発生した多くの事柄のうち、例えば大麦酒の大量発注やスポーツ観光ツアー客の移送などは域内交易の問題として扱うべきだと思うんだよね。
域内交易の問題を取り扱う小民会がないから、漏れた問題が全部こちらに押し寄せているように見えるんだ。
今回の騒動を経れば、域内交易を扱う小民会が不要だ、と主張する人はいなくなるだろうね。
たぶん主管はシグリズ様になるのだろうけれど、問題の発生を管理し部下を指示できる立場になる分だけ、問題処理のみを押し付けられている今よりは楽になるはずだ。
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来年以降の体制について構想するのも大事だけれど、今のうちに処理するべきこともたくさんある。
僕は長屋敷を後にして木工職人の工房へ向かいつつ、残り作業を指折り数えた。
「まずは、滑車の増産状況を確認するでしょ?」
足踏み式弓動力ろくろによる、工作機械製の滑車。
これらは北方21星の大結束の貴族達に優先的に販売したい。
ブランド構築はトップマーケティングが基本だからね。
最初に滑車20個セットを綺麗に包装して送ろうと思っている。
20個という数は、長船一隻分を想定した数だね。
技術に優れた実用品だから、使えばすぐに良さが解ってもらえるはず。
「それから、洗濯樽も追加で設置しないと」
いろいろ改良は続けているけれど、とりあえず1地区1樽の体制を目指すよ。
女衆の手が空くようにしないと、夏の仕事が回らないからね。
「あとは…ゲームの試作をしようかな」
これは小声で呟くにとどめた。
北方TOCゲームシリーズの試作は、夜に家で密かにやろう。
父ちゃんも喜んでくれそうな気がする。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「それから…食事ナイフ、かあ」
シグヴァルド様から、うちの鍛冶職人に「大きくて鋭い食事用ナイフ」を30本ぐらい用意するよう、注文が来ているんだよね。
本当にあれをやる気なのかなあ?
「こりゃあ、ナイフというかサクスだぜ!どんな牛の肉でも解体しちまえるぞ!」
「うん、そうだね。よく研いでおいてね」
僕は注文にはしゃぐ鍛冶職人に曖昧に頷いて、鍛冶工房を後にする。
気がつけば、太陽が傾いていた。
冬ならばとうに真っ暗になっている時刻であっても、北方の夏はまだまだ明るい。
白い絨毯のようにシロツメクサの花が広がる野原で、若い女衆が集団で歌いながら舞の練習らしきものをしていた。
決勝大会や待ち時間に歓迎セレモニー的なことをするのかもしれない。
「うっ…」
美しく幻想的な光景なのだけれど、ただ歌われている曲の歌詞がね…。
国歌の中に自分の名前が聞こえてくるのは、なんとも居心地が悪いんだ。
「ロキの影に操られし悪王の臣アルンビョルン
女と童しか残らぬ静かな村へと迫り来る
燃え盛る炎が黒煙を上げるとき立ち上がる一人の幼子あり
その名はトールステイン
掲げし黄金の剣から眩き光が解き放たれ
解き放つ言葉は轟く空を割り裂く雷ごとく
悪臣は大いに狼狽し畏怖に慄く手下どもは半数が逃げ去った
再び振るう黄金の剣 立ち込めし霧を切り裂けば
そこに現れしは大軍勢率いるは将軍グリームル
悪臣の野望を容易く打ち砕き いま静かに固き誓いを打ち立てる
我らは北方の星々 悪王の支配を拒む者
互いに手を取り合い高らかに繁栄を謳おう
村と村を航路で結び 結ばれし途は新たなる大地となる
掲げよ希望の光を 我ら北方二十一星の大結束!
我らは誓う 絆の星々 北の空に刻む 永遠の大結束
掲げよ希望の光を 我ら北方二十一星の大結束!
我らは誓う 絆の星々 北の空に刻む 永遠の大結束」
彼女らの舞も歌声も素晴らしいことは認めざるを得ない。
まるで神話の光景を切り取ったかのよう。
そして悔しいけれど、北方の人々を鼓舞するのに良い歌ではあるのだった。




